河勝の設定盛れども太子様の胸盛らざるべし
宿神である事が判明した数日後、父は私や多数の一族郎党を率いて太秦を出発し、大和也田宮へと向かい始めた。表向きは新たに出仕する私をはじめとした若い衆の顔を覚えさせるためとの事だが、実際のところは大王家と私に繋がりを持たせるためだ。
こうして、秦氏が持つ巨万の富……その最たる象徴である馬に跨って歩みを進めれば二日程、我らは大王の御座す大和の地へと到着したのである。
宮仕えによって案内された先にある謁見の間では数多くの群臣たちが座る中、奥の上座において蘇我大臣馬子様とその正反対に物部大連守屋様が対になるように立たれており、その二方に挟まれるようにさらに一段上にて時の大王であらせられた
宮仕えの者による到着の報せがあった後、我々は足を進めて平伏の姿勢を取ったのだ。
「よくぞ来た
「はっ。名を河勝と申し、今年で十二になります。河勝よ、大王へとご挨拶をせよ」
「はい父上。
……ご紹介にあずかりました。秦造河勝と申します。一刻も早く大王をお支え出来るよう、精進する所存です。どうぞよろしくお願い奉ります」
「……河勝か、噂に違わぬ良き目つきをしているな。我もお主の活躍を期待しておるぞ。下がって宜しい」
「ははっ」
その後は他の私に歳の近い一族の者などの紹介や、現在国の威信をかけて行っている対外政策……朝鮮南部に位置した仁那の復興についての協議が行われた。我ら秦氏はその出自柄、大陸の新羅や百済との交渉役を担っていた為、この手の政策については必ず呼ばれるのだ。
……
長い政治的なやり取りが終わった後に私が一人離れた場所で一息ついていた所、一人父より少し若いかというくらいの年齢の男性が話しかけてきた。
「おお、こんな所にいたのか。探しておったぞ河勝殿」
「これは
「大兄王子など……どうせいずれは兄上の子が跡を継ぐはずなのだからそのような呼び方はせずとも良い」
「はぁ……」
話しかけてきたのは後の橘豊日大王、太子様のお父上にあらせられる大兄王子であった。何故斯様なお方がわざわざ話しかけて来たのかというと、大王と同じく私の噂を耳にしていたという。後に聞いた話によれば、この方はかねてより世話役兼友人として私を彼の幼き嫡子である
爽やかな笑顔の似合う彼は父とも仲が良く、また我ら古くより仏教を奉じてきた秦氏と同じく崇仏派の一人として扱われる立場にあるが故に私個人としても親しみやすい存在だった。
「如何だろうか。
……急な話だから返事は後になっても構わないが、君のようにそれなりの家格、才がある場合どう転ぼうがそのうち朝廷へ出仕するようになるのだから、出来る限り早いうちに大和での暮らしに慣れた方がいいと思うぞ?」
たしかに彼の言う通り、私は近く大和の朝廷に使えることになるため、その前に地盤を作ることは必要と言って間違いないだろう。
……しかし、笑顔でサラッとこういうことを言ってのけるのは流石の手腕としか言いようがない。これで私は受けません、などとは言えるはずもないだろうよ。まぁ、そんな事言うつもりは毛頭ないが。
「私としては是非にお願いしたいのですが、まずは父上に相談してきてもよろしいでしょうか?」
「ああ、それなら心配いらないさ。もう約束は付けてある」
「えぇッ!?」
……
こうして父の許可を得た私は評定の後にも関わらず、大兄王子の邸宅へと招かれることとなった。
流石の私でも初めての体験だ。少しだけ身体を震わせながら案内されると、ちょうど私と半分かそれより一歳程歳の離れた子供が現れた。この小さな角髪を結っていた稚児こそが幼き日の太子様こと、豊聡耳王子である。
しかし、私も幼いながらに驚いたのだ。
普通ならばこれくらいの子供というものは父が帰れば飛び付いて喜ぶ筈なのに、まるでもっと先の事を見据えたような眼差しを自分の血を分けた父君である大兄王子へと送り、静かに出迎えたのである。
「帰ったぞ、我が王子よ!」
「お帰りなさいませ、父上。家族一同お帰りになることを心待ちにしておりました」
親子でこうも違うか。そう私が考えていると、件の稚児からの妙に大人びた視線がこちらへと向く。
「……父上、あの方は?」
「この者はな、山背太秦を治める秦造国勝の息子である河勝という者だ。
こやつは若いながらも大層周りからの評判が良くてな? 豊聡耳よ、お前の良き友人になれるのではないかと連れてきたのだ」
完全に品定めをする際の眼差しを向けた後、この不思議な稚児は頭を下げて自己紹介を始めた。
「……改めまして、私は豊聡耳と申します。これからよろしくお願い致します、河勝殿」
「……こちらこそよろしくお願い奉ります、豊聡耳王子」
我々が初めて出会った時というものは、何ともぎこちない始まりからだった。
……
それから、毎日と言っていいほどに王子の屋敷へと足を運んで接するという生活が始まった。とはいえ、別に子供が特段好きな訳では無い私は、この不思議な子供に対してどう接すればいいのかが分からない。
玩具で遊ぶのかと思いきや、私達秦氏や王子と血縁関係にある蘇我氏を経由して伝わった大陸の仏教の経典や書簡を好んで読み耽り、食事や入浴、睡眠などの毎日の習慣は一秒たりともズレることを嫌う。そんな中で、何故か私と話したり遠乗りに出るという事については別に嫌いではないようで、王子を前に載せて馬を走らせたこともあった。
そんなある日のことだ。
「折角王子自らが出掛けようと誘ってくれたのに生憎の曇り空になってしまったな。雨が降る前に屋敷へと戻るか?」
「もう少しだけここに居たい」
「そうか。分かった」
ある日の昼、鼠色の叢雲が近くの山々を覆う中、私と豊聡耳王子は屋敷のある天香久山から南方に位置する飛鳥へと来ていた。王子曰く、ここにくると気持ちが安らぐのだという。
「しかし、なんだかこの天気だと気が滅入ってくるな。王子は大丈夫か? 無理などはされていないか?」
「私は大丈夫」
「そうか」
そして、暫しの沈黙。こういう場合、王子は敢えてその静寂を楽しんでいる節がある。出会ってすぐの頃、沈黙に耐えかねた私は王子が好きそうな物にまつわる事について話し掛けた際に、
「それについては気になるが、今じゃない」
と言われた事があった。そして、そう言った王子の稚児ながら切れ長で大きな目から覗かせる眼光、そして凛とした鈴のような一声は流石の私も肝を冷やしたのである。
その時以来、私はその静寂を共に楽しむようになった。勿論、本来は騒がしいのが好きではあるが、妖精がきゃあきゃあと騒ぎながら遊ぶ音や鳥のさえずり、耕作に励む民草の掛け声などに耳を傾けるのも悪いことでは無い。それに、未来の大王の為ならば何があろうとも付き従うつもりだったさ。
私らしくもなく王子と二人でぽーっとしていると、王子がモジモジとして何かを言いたそうにしているのがふと横目に入った。厠か? と聞くと、王子は顔を赤らめながらち、違う! 厠ならもっと早くに言う……と恥ずかしそうに言った後にこう質問してきた。
「……河勝は、私の事をどう思う?」
「どう……とは?」
「その……色々あるだろう? なんか変だ、とか、その……」
「普段の王子らしくないな。私はいずれも斯様な事は王子に対して思わない。でも、強いて言うならば、初めて会った時にその成熟っぷりに驚いたぐらいだろうな。…しかし、どうして突然そんな事を?」
私が質問すると再び王子は口篭ってしまい、大変に困ってしまった。大人びていていようが相手は齢七つの子供なのである。私は腹は黒いがそう言った悩みを稚児が抱えるなどということは好きではなかったので、悩みがあるなら言って欲しいと王子へと伝えたのであった。
「……ほんとうか?」
「誰にも言わないさ、もちろん大兄王子や穴穂部王女*2にも」
「本当か? やくそくだぞ?」
「勿論だ。この秦河勝、約束は違えん」
……こう約束してしまったがまぁ太子様はお隠れになって久しいし、翁の戯言と思ってくれればいいさ。
「ならば言おう……、私は……私は、人の声が聞こえすぎる。それは聞こえないようにすればするほどに聞こえ、心の内すらも漏れ出てくる。私はそれが嫌で堪らないのだ。
人々は私の事を瑞兆を持って産まれし神の生まれ変わりだと言って讃えるが…言葉と気持ちが伴っていないなどはざらだし、父上が連れてきた豪族の子供なども初めは仲良く振る舞えど、後から私のことを気味が悪いと隠れて噂しだすのだ。……そういった思いはやがて裏切りに繋がる。それが嫌だから今まで人と深い関係になる事を避けて暮らしてきた。
そうだ、父上もそうなのだ……。健気に振る舞われているが心の内は酷く暗く、自身の立場故の重責に対して常に怯えておられているのを母との会話で漏らしているのを聞いた事がある」
「ふむ……あの大兄王子様が」
「叔父上だって仲良さげに振る舞われるものの、父上には良い感情を持っていない……内面での関係は今の大連と大臣そのものだ」
「ほう……それは王子の歳で知るには中々……厄介な関係だな。しかし、それ以上にそんな力を抱えるなどとは実に難儀なものだ」
「そうだな……。実に難儀な能力だよ」
王子は胸の内を思う存分に吐き出した。そしてまた暫くの静寂を挟んだ後、今度は私から話しかけたのだ。今なら私の身体を蝕む存在について聴けるのでは……?そんな思いが頭によぎったからである。それに、慕ってくれているのに私だけ秘密を抱えたままなど、若き日の私にはできなかったからな。
……今思えば太子様には全て筒抜けだったろう。だが、この悩める稚児に対する私なりの優しさだったのだ。
「王子、その力は何時からある」
「……物心ついた時から」
「そうか……実は私にも秘密がある。二人だけの秘密と約束してくれるなら話そう……おっと! もし既に心の声とやらで漏れてたとしても口にするのは駄目だぞ」
「……! あ、ああ! 約束する! この豊聡耳の名にかけて誓おう!」
「よし…、ならば話そう。私には神が宿っている…のだそうだ。発覚したのは二年前だが、きっかけはまだ王子よりも幼かった時だ。原因不明の熱に魘され、私は〜…」
私が話をすると、王子は与太話だと一蹴すること無く深く聞き入ってくれた。私達はお互いの秘密を共有することでこれを機に友としての関係を一歩進めたのであった。
……
諏訪・下の社
「はぁ、暇だなぁ。伯母上はあんなこと言っていたけれど、今のところ全く持って影響なんてないじゃないか……」
かつての帰還より早くも十年が経った。あの時殯に鬼の攻撃と様々なものに追われていた後継者が大王となった程の月日だ。
僕はかつて大和方として指揮した者達の子孫と共に諏訪の南にて日々を過ごしているのだが、まぁ張り合いがない。現人神たる有員による安定した統治に比売の神徳が高まり続けているおかげか、恐れ知らずの妖怪というのはなかなかこの地には現れないし、信徒である鬼達に生活は大丈夫なのか? と念話を送ればへーきへーき! と蛇越しに伝わってくるし……。
まぁ暇になれば比売の所にちょっかいかけにいくとか諏訪子と遊びに行くなりすればいいのだけれど、ここ近年はどうもやる気が出ない。何かに力を吸われているような、妙な感覚を覚えるのだ。
これは嫌な予感がする。父上から受け継ぎし絶対の勘がそう言ってる! ……なんて、そんな事考えても無駄かぁ。ただ暇だから厄介事に巻き込まれればいいな〜程度に思ってるだけである。
『朝斗彦……朝斗彦……居るなら返事をせよ……』
「……!? うわっ、伯母上!? えっとあの、如何な御用向きで……?」
『……朝斗彦そなた、またやらかしたな?
妾の見守りし大和にそなたに似た力の反応があるのだが、何か悪さでもしたか?』
「……へっ?
…えっと……大和に? なぜ大和なんです? あの地には随分と行ってないですし、人違いでは……?」
『……大和にお主の力に限りなく近い御魂を宿した者がいる。一度接した神の力は全て覚えておるから間違えようがない』
「……もしや」
『……やはり心当たりがあるのではないか?』
心当たり……ある。間違いなくあの禊の際に出た奇妙な霊魂だろう。しかし、あれが僕の身体から出たのは十年前だ。それが今になって……?妙な感覚は数年前からあるが、だとしたらアイツどんだけ寄り道してたんだ?
「……えっと、昔禊をした時に出た霊魂を取り逃しちゃった……かな〜って」
『……』
「申し訳ございません! 捕まえようとはしたのですが、おちょくられてそのまま逃げられてしまったのです!何卒ご容赦くださいませ!」
『……詰めが甘いっ! 我が甥よ、そんな様では見た目だけではなく中身まで愚弟に似てしまうぞ!? そんなの……妾が嫌であろうが!』
いやそこなの!? でも確かに、無責任に僕を作った父上と、知らないところで力を分けた者を作ってしまった僕ではほぼ同じようなものである。これはなかなか……厳しいな。
『お前にはその者と接触するという責務がある。父のようになりたくなければな』
「はい。返す言葉もございません……」
『宜しい。…そこでなのだが、ついでに大和に工作をしかけて欲しいのだ』
「工作……? こんな田舎の神がわざわざ大和で何をするんです」
僕がそういうと、伯母上は少し間を置いた後に説明を始めた。曰く、先祖返りを起こした事で人ならざる力を持つ王族が大和に在り、その者が大八洲の信仰の未来を握る選ばれし者なのだという。そして、僕の役目というのはその者を大御神の子孫として相応しい指導者に育てろと言うもののようだ。
「……あれ、信仰についてはなすがままにすべしって僕前に言った気がするのですが」
『……いいのだぞ? 妾自らが神奈刀比売の所へと行き、お前がまたやらかしたと伝えても』
「ぐうッッ! やります……やりますから……」
『任せたぞ、我が愛しき甥よ』
弱みを握られている以上やるしかない。でも僕交渉事とかって苦手なんだよな。上手くできた試しが無いんだけど。……とりあえず、明日になったら出発しよう。比売達に一言伝えてからね。
次の日、諏訪の人々は歓喜した。例年に比べて明らかに迫力のある御神渡りが出現した*3ためである。その出現を目の当たりにした彼らは、いつ何時も仲睦まじい明神夫婦への信仰の思いを馳せることとなったと言う。
朝斗彦が吐き出した霊魂は動物に乗り移ったり市井の弱き者へと取り憑いた結果身体が耐えきれずに祟り殺したりと、寄り道に寄り道を重ねて数年掛けた上で河勝へと行き着きました。神って恐ろしい存在ですよね。