あれからあっという間に時が経ち、元服を果たした私は王子のお付き役から文官の端くれへと立場を変えた。かと言って王子との付き合いが終わった訳ではない。私は普段こそ我が一族が所有する邸宅にて暮らしているのだが、ここにはよく王子が訪ねてくる。
「来たぞ、河勝よ」
「また来たのか、つまらないものしかないがな」
「うん、知ってるよ」
にこにことしながら上がり込む姿はお父上の大兄王子にそっくりであり、それでいてお母上である穴穂部王女様に似て容姿端麗なのだから召使いの女達が騒いで困るのだ。
王子を迎え入れて渡り廊下を歩き、向かう先に居たのは庭で夷人の如き長き髪を振り乱しながら大刀の修練に励む師匠こと八坂刀女比売命、我らの師匠である。
余計なものを取っ払い、ただ敵を討つ事だけを考えた彼女の剣技は見るものを惹き込ませる。しかし、普段あんなにも間の抜けた存在であるとは思えない程に鋭い攻撃を繰り返す様は全くいつ見ても信じられないものだった。
「ふぅ……。おっ! やあ王子、元気そうだね?」
「お陰様で。それより、今日も剣の手ほどきの程をお願いしたいのですが」
「勿論いいよ! ……河勝もやるでしょ?」
「……拒否権は?」
「無し」
「あぁ……」
……
渋々と運動する為に着替えて庭に出ると、私が着替えている間に二人で話し合って私との試合にやる事を変えたのか、既に準備万全と言った様子の王子がそこにいた。
私は王子との手合せはあまり好きではない。勿論、王子自体は好きだが。
あの方は賢すぎるが故に何でもかんでもすぐ己のモノにしてしまう為、数をこなせばこなす程にこちらの打てる手数が減ってしまうのである。
私は幼き頃より我欲の為に研鑽を重ねる事で力を付けてきた。全てはある時に師が言った、いつか神にも至れるかもね! という言葉を信じての事である。それ以来、この数年間でそこいらの祈祷師や神官連中なんかには一目置かれる程には霊力を鍛えたし、剣の腕だって師に負けず劣らずには成長しているはずだ。
しかしながら、この目の前にいる王子は全てが規格外である。齢十二にも関わらず、私でもついて行くのがやっとである師との剣の訓練にも平気な顔でこなしてしまうのだから……。
「河勝! 早くやろう!」
「分かった……分かったからそう急かすな」
互いへと木刀を向け合い、師匠の合図が入れば訓練という名の決闘の開始である。
皆が知る太子様の印象とは違って王子は苛烈に攻め立てて来る事が多く、私は自然と守りが主体の戦い方が身についていた。師や王子のような攻撃有るのみという戦い方を選ぶ者と相手するには、彼等が隙を見せた時に攻めるのが肝心なのである。
合図の後、私の読み通りにすぐさま王子が間合いを詰めて来たことで数合激しく打ち合うこととなり、それら全てを受け流した私はすかさず間合いを取る事で我ら二人は対峙する。
「王子、前も言ったろう。それは蛮勇というものだ。ずっとその調子じゃいつか身を滅ぼすぞ?」
「どうだか! もしその時が来たら河勝が止めてくれるだろう?」
「……あまり人を頼りすぎるんじゃあないぞ、王子!」
当時、我が一族の屋敷に王子が出入りしては私と共に剣の腕を高めあっているという噂は他田の邑中に広まっていた。そして、華々しい王子の剣技を一目観ようと年若き貴族の女子達が訪れるなど困った事も起きていたのである。強さと共に自信を身につけた王子はそういった野次馬相手にもさわやかに対応するものだから……余計に人が集まる。
いつしかその女子達の中から王子を見て崇めるという信徒のような集団までも出てきた事で、これから嫁ぎ先を決めねばならぬのに娘を誑かすんじゃあない! と複数の豪族達からお叱りを受ける事となった。
……私が。
……
「ほらほら、あっちあっち! もう始まってるわよ!」
「いや、だからさ……私はそんなのには興味無いんだっての」
「まぁまぁ、アナタも一目見たらきっと彼の印象変わるわよ!」
「ふん、どうだかな……」
……
……なんだ。初めこそ勢いがあったが、普段の王子に比べて動きにキレがないし、その上隙だらけだ。そう考えられる程には余裕を持ちながら私が戦っていると、やはり王子はどこか調子が悪いのか攻めに回った私の攻撃に対しても常に後手後手にまわっていた。
すると、見守っていた師匠がなにかに気づき、慌てて私に対し、止め! 止め! 何か覆うもの、布を! と叫び出したではないか。すぐに私は着ていた摺り衣を脱いで蹲る王子へと近寄ると、師にその衣をひったくられ、穢れるから河勝はあっちに行っていなさい! と一喝されてしまった。
暫くすると我が家の召使いの者たちが王子の様子を心配して近寄ったものの、師から放たれる形容しがたい雰囲気を力無き者なりに感じたのか、彼等は近付くことすら出来なかった。そして、王子はフラフラと屋敷の中へと入られていき、集まっていた野次馬達も今日はもう終わりね……などと薄情な言葉を口にしながら帰って行くのであった。
そんな中で一人置いていかれ、どうしたものかと考えていた私に対して話しかけてくる者がいた。後の太子様の奥方が一人、蘇我屠自古様である。
「もし、河勝殿。野次馬しに来た身分で言うのも何ですが私もなにか手伝った方がいいか……ですか?」
「む? ああ屠自古姫か。屠自古姫ならば王子の所に向かっても問題ないのでは?」
「そうですか。でも、それを言うなら河勝殿も同じだと思われるけどな……」
「私は師に……いや、王子に来るなと言われてしまったからな」
「……でも心配でしょうに。様子だけでも見に行こ……きましょうよ」
「むぅ……」
こうなると私は気になる物は地の果てまで気にする性格なので、幼き屠自古姫の誘いに乗ってついて行ってしまったのだ。
……
「……師匠、何処から気付いておいででしたか?」
「何処から……とは? 何の事?」
「私の……その、身体について」
衣を取り替えた後、瞼を腫らした王子にそう聞かれた事で、僕は正直どう答えようか迷った。僕の力が宿ったせいで勘が鋭くなったであろうあの河勝でさえも違和感に気付いていないということは、国そのモノが触れないようしているとしか思えなかったからだ。
それでも、今はこの質問に答える他ないだろう。なぜなら師を名乗る者として弟子の面倒はきちんと見るべきだもの。
「ああ……、それに関しては出会った時からよ」
「そんな前からか……。やはりお見通しでしたか」
「最初は王女だと思ったの。なのにアイツが王子って紹介するものだから……内心驚きしか無かったわ。貴女に聞こえないのだけが救いだったよ」
「……昔から貴女だけは心の声は一切聴こえないですからね。その代わり、師匠は考えた事が顔に出やすいけれども…………ん?」
「王子? どうかしたの?」
「私を心配する者がいる。こちらへと足を進めています」
「どうせ河勝じゃない? 一応私が追っ払ったとはいえ、アイツ好奇心強すぎてどうしようもないしさ」
「いや……河勝もいるが、この声は……屠自古?」
どなた? と僕が聴けば、その者は王子と仲の良い貴族の子女だという。追っ払った方がいいのでは? と僕が提案すると、王子は
「いや、その必要はありません」
と言いきった。僕がどうして? と理由を聞いたものの、彼女はただ分からないとだけ言うと、その後も特に嫌がる事も無く二人の接近を許したのだった。
「聞こえているのだろう? 居るならばこちらへ来い。河勝、屠自古」
「私達が来たことがバレているのでは? 」
「王子は名前の通りに耳が良すぎるからな」
「……二人とも、聴こえているぞ!」
……
「全く! いくら私にとって親同然である河勝と又従姉妹の屠自古の二人とはいえ無礼だぞ」
「済まなかった」
「ごめんなさい、王子様」
渡来系らしく体格の良い河勝が縮こまって説教を受ける様子は何とも面白いものだ。……それにしても親同然、ねぇ……。そんな歳も離れてないのに親かぁ。どちらかと言えば僕がその役割じゃないの?
「体調の方は大丈夫なのか? 王子よ」
「先程に比べればまぁ……。しかし河勝、折角私の相手をしてくれていたのにこんな結果になって済まない」
彼女の話を聞いていると、僕の横にいたどっかの氏族の令嬢であろう屠自古さんが渋い顔をしながらこういうのであった。
「今は勝負について言っている場合じゃないでしょうよ、王子様。河勝殿がお身体について心配されているというのに」
「そ、そうだな屠自古よ……。
河勝、心配してくれたのに申し訳ない」
「大丈夫だ。気にしていない」
どうやらこの屠自古なる娘はしっかり者の様だ。口調こそガサツなれど、お人好しな常識人の気配がプンプンする。まぁ、神代からのお人好し探しの神であるこの葦原朝斗彦の目にかかれば、この程度の判別はおちゃのこさいさいって奴だね。知らないけど。
その後、上裸姿の河勝に服を返せと言われたので穢れてるから無理だと返事をしたところ、何故? と聞かれてしまった。服ぐらい取りに行け、自分の屋敷だろ! と叱りつけて僕が部屋から追い出そうとし、それに対して河勝が謎に抵抗していたその時、
「やめてください! 師よ、私はもう庇われる身ではありません」
と王子が一言物申し、続けて河勝になら聞かれても構わないと言うと、そのまま自身の抱えていた更なる秘密を打ち明けたのである。突然そんな話を聞かされた河勝は腰を抜かして驚いていたのだが、それ以上に目を点にしている者がいた。
「な、なぁ王子様、それに河勝殿……さっきから二人して師とか何を言っているんだ? それに王子が……女子だと?」
「屠自古?」
「あっマズイ、普段の口調が……
いやえっとあの、ちょっと私何が起きてるのかわからなくて……」
「……あっそうか、そもそも彼女には私の事が見えてないのか」
一瞬の沈黙の後、気付きを得た僕が勢いそのままに格好付けて指をパチンと鳴らせばほら! 仲間外れは居なくなった! ……いやまぁ、実際には一時的にこの場を神域にしたことで見えるようにしただけなんだけど。多少なら浄化だってできる。
突然目の前に見知らぬ女子が現れたことで、屠自古ちゃんは口をあんぐりと開けて驚いていた。
「!!?? 何者なんですかこの女子は!」
おお〜、百点満点の反応。屠自古君、合格!
「えっと、誰かと聞かれれば我等の師だ」
「私は八坂刀女比売命、今は訳あってこの大和にいるけれど普段は諏訪明神の配神として過ごしてるわ。宜しくね」
「か、神……? 先程の王子様のことといいさっきから私は幻でも見ているのか? というか、明神の妻ならば普通その地にいるものじゃないのか?」
「まぁ? 確かにそうなんだけれどね? ……これには根の国より深い理由があるからさ。今は大和に赴任中なのよ」
「そういうものなのか……? あっそうだ私も名乗らねば……。ゴホン、私の名前は蘇我屠自古だ…です。刀女比売様、以後お見知りおきを」
蘇我……? あっ、噂で聞いた仏教を推しているという氏族か! ここで係争勢力に属する一人と好を結べたのは現状を知る上でかなり大きいな。……いや、待てよ? 先程の話が敵に伝わる可能性があるならばもう一つの氏族とやらと繋がった方が良かったのでは?
……クソ、失敗した!
……
この年、大臣である蘇我馬子は流行り病によって妻を亡くし、大王の勧めがあったことで物部氏より布都姫を後妻として迎え入れた。それは誰が見て聞いても分かる通り、廃仏派たる大王達による蘇我氏に対しての懐柔策であった。そんな事もあって布都姫は蘇我氏の下へと迎え入れたものの、馬子は先の廃仏運動への静かなる報復であったのかこのうら若き乙女の事を一切信用せず、公の場以外で傍に置くことは無かったという。
そして同じ年の長月に大王もまた病に倒れた。
即位より十四年余り。先代たっての希望であった任那の復興も叶わなかった。跡を継ぐことを望まれていた息子は王位を継げる年齢にまだ達しておらず、そして大兄王子にとっての蘇我氏のような強力な後ろ盾となる存在も彼にはいなかった。
こうした大王亡き後の宮廷とは陰謀が渦巻くものだ。要件を満たす王族達は次なる大王位を虎視眈々と狙い、力ある豪族達はそれぞれが奉ずる王子達の元で来たる好機を今か今かと待ち構えているのだ。
野心、妬み、敵意。例を挙げ始めたら暇がないほどの概念によって人の心に生じた不和というモノは、また民を護りし神にも影響を及ぼすのである。
布都ちゃんのモデルこと史実の太(布都)媛、異母兄妹婚してるだとか、馬子の妻だった可能性があるだとかで色々とややこしい存在です。でもこの作品は東方Projectの二次創作なので馬子の後妻、即ち屠自古の義理の母になるという形にいたしました。そうしないと豪族組の中で一人だけ歳食ってることになるからね、いやそれはそれでいいけど。
しかし飛鳥豪族の関係本当にややこしすぎるな。