叢雲、天より根差す光   作:聖徳王の笏

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四十六話 割られし八十平瓮

 

 

 

 

 王太子の判断によって宮へと入る事に成功した物部布都。実は彼女は元々、『大王を亡き者にせよ』と、兄である守屋の指示を受けた上で此処へと来ていた。しかし、長きに渡る蘇我の兵士との押し問答を経て、突然目の前に現れた神々しい雰囲気の王太子を見た瞬間、彼女の脳内から大王を殺すという選択肢は既になくなっていた。

 

 

 ……なお、蘇我兵による荷物確認の際にばらまいた手荷物、ようは暗殺道具が有無を言わさずに回収されてしまったから……という、現実的な理由もある。

 

 

 

(……このお方こそ、和国を照らすお日様そのモノじゃ! きっと、我の人生は太子様をお支えする為にあるに違いない!)

 

 

 

 童の頃に玉蹴りをした程度の関係でしか無かった上に、今や身長すらも抜かれてしまっていたが、そんな事は最早彼女には関係なかった。

 布都は王太子との距離を縮めたいあまり、グイグイと話しかけ続けたところ、王太子は内心、(あれ、この方ってこんな性格だったかな)と困惑しつつも話を聞き、相槌を打ってくれたのである! 

 

 

 

 かつて、自身が憎き蘇我氏に嫁いだ際、我も蘇我の女とならねばなるまい……と意気込んで同じ事を馬子にした結果、そう言った喧しい輩を心底嫌う性格である馬子からは一切の信用を得られなかったという、苦々しい過去が彼女にはあった為、王太子が話を聴いてくれた事で布都は喜び舞い上がっていた。

 

 

 

「我の持てる力の全てをもって大王を癒してしんぜましょうぞ!」

 

 

 

「ああ、よろしく頼む」

 

 

 

 物部の氏神である布都怒志命への祈りを捧げ、床の間へと足を踏み入れた布都は、まず家具や飾り物の位置を勝手に変え始めた。

 彼女曰く、「我がこうすれば幸運が招かれる!」というのだが、どうにもにわかには信じ難い。なお馬子は眉間を押さえ、思わず溜息を吐いていた。

 

 

 そしてそれを始めてから半刻程が経ったあと、ようやく彼女の模様替えが終わった。そして、何やらややこい念を唱え始めるや否や、床の間を取り巻いていた、形容し難い嫌な空気が晴れたのである! 

 

 

 

「おお……! 今まで来たどの祈祷師より良いではないか」

 

 

「先程来ていたあの浮世離れした渡来の女子が用意した丹? とやらを飲ませておけばいいのでは? それに太子様、彼女は守屋の妹……油断してはいけませぬ」

 

 

「自分の妻でもあるというのに、相変わらずそなたは手厳しいな……。

 折角なのだからもう少し見守ろうぞ」

 

 

 

 初めは、『物部だから』という理由だけで自分の事を理解しようとすらしてくれない、イヤミな馬子殿を見返してやろうぞ! とだけ考えていたが、この時の布都は雑念を捨て、ただ己の持てる力全てを大王に与えんと考えていた。

 全ては国の為、全ては太子様の為。そこには氏族の諍いなど関係がない。天照大御神に連なるもう一人の天孫、饒速日命*1の血を受け継ぎし者としての誇りだけが彼女の事をつき動かしていたのである。

 

 

 

 額に血管を浮かべながらも、布都は自身の持つ霊力を注ぎ込み続けた。しかし、肝心の大王が変わらず苦しみ悶え続けていた事で、彼女もまた限界を迎えた。

 

 

 

「ゔうッ!」

 

 

 

「なっ、布都姫! マズイ! 誰か、手の空いているものを連れてまいれ! 今すぐにだ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……

 

 

 

 

 

 

「ん……あれ、ここは……」

 

 

 

 気が付くと、布都姫は布団に寝かせられており、枕元のすぐ近くには王太子、並びに蘇我馬子とその娘の屠自古が座っていた。

 

 

 

「おお、布都姫。やっと目覚められましたか」

 

 

 

「んなっ、太子様!?」

 

 

 

「貴女が気を失われたから急いで運ばせたのです。お身体は大事ないだろうか?」

 

 

 

「は? あ、えっ……と我の身体は別に…………

 ああッ! そうじゃ! 大王、大王はどうなられたのです!? 元の調子に戻られたか!?」

 

 

 

 なにせ我が気絶するほどに持てる力を全て使ったのだ。回復なされないはずがない。

 

 

 布都はそう考えていたものの、三人のあまり宜しくない反応を見た事で、すぐに彼女は上手くいかなかった事を察することとなってしまった。

 

 

 

「……陛下はいまだ床に伏せられているままだ。回復には程遠いだろう……」

 

 

 

 年長者である馬子が苦々しい表情を浮かべつつそう言うと、王太子夫妻もまた落ち込みを隠せぬ様であり、布都に対しても、「貴女が悪い訳では無い」と絞り出すかのように擁護を重ねていた。

 

 

 

「我のした事は……一体……」

 

 

 

「……いや、気に病む必要はない。瘴気が充ちていたあの床の間を祓い、悪い気を無くしたのは紛れもなく貴女だ。

 まずは王太子として、大王の子の一人として……布都姫、貴女に深く礼をさせて欲しい」

 

 

 

 臣下である自身の手を取ってまで礼を言う王族など前代未聞である。

 その王太子は馬子より

 

 

「その様な振る舞いはよしなさい」

 

 

 と、注意を受けていたものの、今まで家族にすら相手をされず、実兄である守屋からも都合のいい存在として扱われて過ごしてきた布都にとって、この経験は頭のてっぺんに雷が落ちたかの如き衝撃を与え、再会した時の思いが確信に変わるのだった。

 

 

 

「……感服致しました! この物部布都、残りの一生全てを太子様にお捧げ致します!」

 

 

 

「おお、実に有難い限りだ。是非によろしく頼む」

 

 

 

「……父上、いいのか?」「……」

 

 

 

 

 

 

 ……

 

 

 

 

 

 

 布都が調子を取り戻したことを確認した王太子夫妻は自身の住まいへと戻り、部屋には馬子と布都、ギクシャクした関係である夫婦二人のみが残された。

 布都はてっきり、馬子も彼等と共に去ると思っていた為、まさかここに残るとは思わず内心穏やかな状況ではなかった。

 

 

 

 

 

「……おい」

 

 

 

「……如何致したか。ご自身から話しかけてくるなど珍しい」

 

 

 

「……先程の言葉、真なのか」

 

 

 

「勿論だとも。太子様は我が太陽、永遠に沈まぬ太陽である。そんな方を裏切ったりでもしたら、我は黄泉の更に深くまで堕ちることになるだろうよ」

 

 

 

「……嘘偽りはなさそうだな。

 

 

 しかし、太子様がそなたを信用したとて、私はまだお主のことを信じられん。……故に、蘇我の長としてそなたに一つ命令する。

 

 

 物部布都よ、私の目と耳になれ」

 

 

 

「なッ!? ……それは、つまりそういう事か?」

 

 

 

「そうだ。お主と守屋との間に密約がある事は既に分かっている。いくら太子様に誓った言葉が真のものとて、守屋と繋がっておる限りはあのお方の近くになどおけん。

 

 

 ……物部布都、これは命令だ。従えぬのなら今ここでお主を斬る」

 

 

 

「……いいのか? 我を斬れば、兄上が黙っているはずがなかろうッ! そうなれば畿内は何処も火に包まれる事となるぞ!」

 

 

 

「良い。第一に言うが、お主が寝込んだこの数日の間、その兄とやらは見舞いにすら来なかった。私でも心配していたというのにだ。

 自分と血の繋がった妹すらも思いやれぬ、そんな矮小な器の者などに忠誠を誓うものなど、この大八洲には居ない! 

 

 

 二つ、もしお主が判断を誤り、死を選んだとしよう。さすれば、きっとお主の言う通りに守屋の奴は必ず好機と言わんばかりに兵を挙げるだろうよ。

 しかし、大王という正義がここ大和に在る限り、私は陛下と太子様を守る為に兵を挙げ、不敬なる王弟殿下を掲げし逆臣、弓削大連守屋を討つ! 

 これこそが朝廷に仕えし者としての忠義、そして誇りというモノだ! 

 

 

 ……布都、先程の言葉に嘘偽りがないのであらば、お主が選ぶべき道は一つのみだ。さぁ、改めてお主に問おう。私に付くか、ここでその一生を終えるか、然り、否で答えるのだ!」

 

 

 

 普段滅多に感情を見せることのない夫が、これまた見た事もない剣幕で声を荒げたことに布都は大変驚いた。引き抜かれた剣のその切っ先が自身の首の浅い部分へと当たり、そこから血がたらりと流れ滴った時、彼女は覚悟を決めた。

 

 

 

 

 

「……ッ! ……答えよう。答えは、我が答えは然りである! 

 

 

 ……我は太子様を裏切ることなどできぬ。我はあの方に惚れたのだ。情愛などではない。その溢れ出る人徳に惚れたのだ。

 この機を逃したら我の手が届かなくなるような、そんな高みに至れるほどの徳を持つ方など他に居らん。

 

 

 故に、我は馬子殿の命令を受け入れよう。

 やってやろうではないか。……例えどんな汚名を被ろうとも、我の覚悟はもはや揺るがぬ」

 

 

 

「……よくぞ申した、我が妻よ。娘と呼んでも良い歳であるそなたに茨がごとき険しき道を歩ませること、どうか許してくれ」

 

 

 そう言うと馬子は布都の肩にぽんと手を置き、部屋より去っていった。そして、一人残されて虚空を見つめる布都の眼差しは、まるで頓悟に至った者のようだったという。

 

 

 

 

 

 

 ……

 

 

 

 

 

 

 あの大地震の後だ。僕ら湖の三神はすぐにお告げのような形で指示を出し、それぞれが己の力を最大限に活用した。

 例えば比売は降り続く火山灰をその風の力で東へと吹き飛ばし、諏訪子は同調して今にも暴れださんとする山々を鎮め、僕は民の育てた作物が灰によってその根を腐らせぬ様に力を分け与え続けた。

 

 

 大和に戻る予定だった日もとうに過ぎてなんなら年すらも変わってしまったけれど、僕らが有り余った力を惜しみ無く使ったお陰で愛する諏訪の民への被害は最小限に抑えられたのである! やったね! 

 

 

 

 ……しかし、いくら知っている時代より外つ国とのやり取りが増えたとはいえ、大陸譲りだという、人が罹ったら一巻の終わりである疱瘡とやらは今も留まるところを知らない勢いで拡がり続け、おまけに山が噴火するなど、昔なら到底考えられない事態だ。

 やはり、蕃神を信じるものが増えたことで、その影響力が今まで我ら八百万の神々が保ってきた領域を脅かさんとしているのは間違いないのだろう。かつて国譲りが成立した時には国津神から天津神への権力の移行のなかで秩序が再構築され、災害が増えたりなどもしたがそれ以上である。

 

 

 

 諏訪は浅間山より西にあるが故に、元々空高くを吹いている風のお陰で灰にも大して悪さされずに済んだが、それに対して袿姫さんが縄張ってる毛野の地域が非常にまずい事態になっている。

 国津神や天下に降りた天津神は頻繁に念話で交信しているのだが、普段なら自分の作った埴輪をうだうだと自慢するだけである彼女から、明らかに慌てた様子が分かる程に切迫した声色で救援の要請が入った。

 

 

 

『どなたか手の空いてる神はいるかしら!? 居るなら毛野の地を助けて欲しいのだけれど!』

 

 

 

 僕は昔の交もあるのですぐにそれに応えたのだが、着いた時にはかつて毛野の国の主邑があった場所は山より流れ出た溶岩によって呑み込まれ、周りに点在していた麓の邑々も丸ごと焼失していたのである。

 

 

 

「袿姫さん! 居るなら返事してくださいな!」

 

 

 

 そう呼び掛けても返事が帰ってくることはなく、どうしたものかと思いながら飛んでいると、災害より逃れたもの達が行列を作りながら避難する様子が見えた。

 行く宛もないだろうに、どうしてやろうかと思っていると、これまた昔馴染みの顔が現れた。道行く者を護りし八衢比売命こと、国津神の先輩・天弓千亦さんである。

 

 

 

「千亦さん! おーい!」

 

 

 

「朝斗彦君! 久しぶりね! 袿姫の所まで来たのも久しぶりだけれど、コレは流石にマズイわよね」

 

 

 

「信じられないよ! 浅間の佐久夜比売がキレ症なのは知ってるけど、不尽の山や榛名の山まで噴火するなんて!」

 

 

 

「呪いよ、こんなのは! 瓊瓊杵のやつが磐長比売を捨てた時以来の厄災だわ」

 

 

 

「そうだよ、あんなになるならもう一戦やれば良かった……じゃなかった、千亦さん、向こうへ急ごう!」

 

 

 

 

 

 

 ……

 

 

 

 

 

 

 二人でそれっぽく降り立った後に先頭を往く者へと話を聞くと、彼等は海道を進むか中央の山道を往くかで迷っているらしい。

 

 

 

「迷う理由はどうしてだ?」

 

 

 

「海道沿いに進めば、私の故郷である駿河があり、そして中央の山道を選ぶのであれば、浅間様さえ避ければ神徳溢れる諏訪の地にたどり着けるかと考え迷っておるのです」

 

 

 

「なんだ、毛野の者ではないのか」

 

 

 

「生まれは駿河、不尽の川沿いなのですが、まぁ色々ありまして……諸国を巡っていた際にこうなってしまったのです」

 

 

 

 一部纏めて白くなっていた髪を撫でながらそう言う彼には不思議な雰囲気が溢れ出ており、それは正直諏訪には招きたくないものだった。そのため、普段であれば「僕は諏訪の神だ!」と、すぐさま言う所を我慢し、海道を進み避難することを勧めた。

 まぁ実際、中山道を通るとなれば此度噴火した火山のうち二つの影響は間違いなく受ける訳であり、その辺りを飛ぶ妖精等も山の力にあてられて気が荒くなっていたのを確認している為、道中の危険は相当なものになるだろう。そこを進むのであれば、海道を進むべきだとは思う。

 

 

 

「私は旅する者を庇護せし国津神、天弓千亦よ! 貴方達の旅に災難が降りかからないように見ていてあげるわ! 

 皆、月の光が照らす方へと向かいなさい!」

 

 

 

「おお、有難い限りだ……。皆、彼女の指した場所まで向かうぞ。我等はこんな場所では死ねないからな……」

 

 

 

 先頭のものがそう言うと、群衆はゾロゾロと、空から見ればまるで一匹の芋虫のように固まって動き始めた。千亦さんには

 

 

「案内するから朝斗彦君は帰ってていいわよ!」

 

 

 と言われたので、彼等を見送った後に諏訪に帰り、その後大和へと向かうようにしよう……。そういえば、袿姫さんには会えずじまいだったな。無事ならいいのだけれど……。

 

 

 

 

*1
天磐舟(天鳥船とは別)を乗り回し、神武天皇より先に畿内でブイブイ言わせていた物部の先祖。部下には恵まれなかった





現在の長野県御代田町には真楽寺というお寺があります。そこには嘘か誠かそれは当時の人のみが知る話であるものの、太子の父である用明天皇の時代において、自身の治世中に起きた浅間山の噴火を鎮めるため、彼の勅命によって建立されたという言い伝えが残されています。
本章は太子信仰を基に話を進めているため、そんな説話も取り入れてみた次第となります。

また、榛名山は五世紀、そして六世紀にかけて幾度となく噴火したという事実が地質学から分かっているため、本作では蕃神を信じる大王を取り巻く呪いの力で噴火した事となっています。そんな榛名山にある榛名神社では埴安神が祀られている為に袿姫の名前が登場する事となりました。
群馬県は古い時代より関東の要衝として栄えてきた歴史があり、車持氏などといった有力豪族のものとされる古墳や埴輪が数多く見つかっていますが、そういった頻発する災害や、平将門の乱に南北朝の争乱などといった戦乱によって何世紀もの時代をかけて緩やかに衰退していくことになったそうな。

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