河内国弓削・物部守屋の屋敷
「国勝、そなたが我が願いを聴き届けてくれたお陰で播磨に大御神に捧げる社を建てることが出来た。礼を言う」
「恐悦至極にございます。我ら外つ国の者たちはその国に馴染まねばならない故、大連殿程の地位の方が望むのであれば、土地にしても富だろうが惜しみなく分け与えねば。
それより守屋殿、大和の宮での事はお聞きになられたか? 貴殿の妹君が大王をお救いになられたとか。それによって大王の体調も多少は上向きになられ、顔色もよくなられたそうだ」
「……なんと?」
「おや、お聞きではないのか? なんでも、己の力を振り絞ってまで大王に活きる力を分け与え、気絶なされたとか」
国勝の言葉を聞くと、守屋は目をかっぴらいて大きく驚いた。つい先日、妹に計画の首尾を問う使いを寄越したばかりであった彼にとって、その話は初耳だったからだ。それに、先王の命令とはいえ、涙を流してまで送り出した最愛の妹を危うく失いかけたという事実は守屋の心を揺さぶったのである。
「なんだとッ!? 妹は、妹は無事なのか!?」
「馬子殿によれば数日経った後に目を覚まされ、今は元気に過ごされているそうだという話というが」
「ああ、布都よ……お前が死んだら私は父上にどう顔向けすればいいのか分からん! 生きていて本当に良かった……。
クソッ! 聞かされておれば馬を飛ばし、見舞いのひとつやふたつでもしに行ったものを……! 馬子の奴、この我にだけ伝えなかったということかッ! この大連である物部守屋を……愚弄しおって、許さん……ッ!」
守屋は最早妹に大王暗殺を密命したことなどは忘れてしまうほどに取り乱していた。そんな事情こそ知らないものの、彼の様子を見た国勝は、心の内で馬子の辣腕な仕草に感心しつつ、自分はこの様な目には会いたくないものだ……と複雑な気持ちを抱いたという。
この出来事はタダでさえ険悪だった両者の関係を決定的に引き裂いた。それにより、守屋は蘇我の内情を知る為に益々布都を頼ることとなり、己の首に掛かった運命の縄は急速に締まり始めるのである。
……
橘豊日大王二年の春初めの頃。
口こそきく事が出来るものの、変わらず寝たきりの状態のままである大王の現状を省みて、王太子主導の行幸が行われることとなった。それを受けて大王は旅立つ我が子へと声をかけ、自らの胸に残りし民草への想い、自身の願いを王太子へと授けた。
その後、王太子は自ら馬を手繰り従者達を先導し、大和の東・美濃尾張から始まり、諏訪から信濃、上下毛野、武相、駿遠を巡ることとなった。そして、その裏にて大王の名のもとに蘇我馬子が大嘗祭の準備に取り掛かり始め、新たな大王の誕生の時は近付いていたのである。
行幸の中で、我ら一行が諏訪に立ち寄った時のことだ。私は主導する王太子の傍につくという役目を仰せつかっていたのだが、何処か安心感を覚えながら諏訪への進んで行くと、社の大祝である神有員殿がこの地の諸族を代表して我らを迎え入れた。
「初めまして。こうして噂に名高い王太子様を迎え出来ること、真に光栄に存じ奉ります」
「金刺の有員殿*1だな。此度の被災、真に大変だっただろう。
……しかし、ここのもの達は明るき表情を浮かべ、生きる希望に満ちているな。この土地を纏めるものとして良き統治を行っているようだ」
「労いのお言葉を頂き恐悦至極にございます。
この地には明神である建御名方命を始めとした偉大な祖神達の加護がございます故、彼らが民の願いを聞き届けてくれたがために、奇跡と言っていいほど被害を抑えられました。
単に彼らの神徳があったからこその我が統治でございます。ささ、皆様の歓待の準備は出来ております。こちらへ……」
「わざわざ斯様なことはせずとも良いのに……
しかし、先程の話の通りならばお師匠様も奮闘されたのであろうか」
「そうかもしれぬな……」
我等には何分不思議な
「おお、おお! なんと希望に満ちた者たちだ! 屠自古、我らも混じろうぞ」
「はぁ……太子様、程々にしてくださいね?」
「分かっておる分かっておる!
河勝! お主も着いてきてくれ」
「……ああ、王子の命令とあらば何処へでも」
そう言った時に視線を感じ、ふと視線を横に向けると、そこには己にも勝る程の体格の男が通るのが遠巻きに見えた。乱雑に髪を伸ばした彼は、こちらを見てニヤリと笑った後にフッと姿を消してしまったので、見間違いだと思って気にしないことにした。
……
「いいねぇ、私たちの頃じゃ考えられない状況だ」
「そうね。どっかの誰かが丸腰の私達を攻撃して来なければこういう光景も直ぐに見れたかしら」
「何を〜? どうせお前は私が手出さなくてもその後絶対に苦労してたずら。朝斗彦が居なかったらどうなってたことか」
「……いいのよ? 私が貴女と戦っても」
「おうおう、永い因縁に決着と行こうじゃんか」
「おいおいなんだ二人とも、遅れて来てみればまた喧嘩かい?」
「あら朝斗彦。これは喧嘩じゃないわよ、話し合い」
「そうだそうだ!」
「なんか二人揃って婆臭いなぁ、それ大体喧嘩って言うんだよ!」
「それならお前は爺じゃないか!」
『ガッハッハッハッ!』
「おーい! そこの御三方、そんな所に居られたら怪我するぞ!」
「太子様、お願いだからもうフラフラしないでくれ! そもそもあのような建物の屋根に人など居ない!」
「分かった分かった! 屠自古、一緒に彼処で休もう」
「え? え? 何故そんな引っ張んだ! あーもう、これだから太子様は……」
……
「あれ、もしかして噂の王子?」
立膝をつき、片脚であぐらをかきながら比売がそういうので、「そうそう。あれが王子夫妻に僕が生んでしまった宿神だよ」と僕が説明すると、横の土着神からは、「お前、いつの間に経産婦になったんだよ」と突っ込まれた。いや、産んでないし。
「なんですって!?
……あら、でも思ってたよりもしっかりしてそうな顔付きしてるじゃない。ちょっと挨拶してこようかしら」
「!?
いやそれは、あの〜えっと……止めた方がいいよ? だってあの顔ぶれは女の姿の僕しか知らないもの」
「「はぁ!?」」
「そ、そんな大声出さなくとも……。それにあの娘に関しては普通の人間だから僕たちのことも見えてないよ」
僕がそう言うと、横に座っていた諏訪子が少し思案した後悪いニヤケ顔を浮かべ始めた。こういう時の諏訪子は妙に手強いんだよな……。
「……ふーん? 朝斗彦、お前は女の姿で幼気なガキ共を誑かしてるのか、あの豊満な胸に……臀で!」
「は、はぁ!? べ、別に誑かしてなんかないよ!
男のまま行ったらさ、またはじめから此処の信仰ののややこい状況を言わなきゃならないじゃん!? だから女の姿の方がいいと思っただけ!」
そのまま諏訪子が「絶対お前の顔よりも下ばっか見てる!」と騒ぎ立てるので、僕は「うるさい! 視える奴が他にもいたらどうする!」と、言って口を塞ごうとしたけれど、この蛙は身軽なのでぴょんこぴょんこと躱してしまうのである。
「必死になってやんのさー! ほら、神奈子! お前もなんか言ってや…………え? 気絶してるじゃん」
「……駄目なんだって、こういう話は。ほら、比売ってば考え出したら止まらない性格だから……」
「……妬いちゃったんだね」
「そうそう」
仕方が無いので彼女のおでこに指を打ち込むと、比売は「いったーい!」と叫んで額を押さえ、正気に戻った。此方を恨めしそうに見つめるので、
「もしこの一行が宮参りをするのであらば、確実に視える存在が二人あるため、我々は再び異装をせねばならない……」
と言うと、比売は顰め面を浮かべ、ため息をつきつつも、「分かったわ」と一言言って酒杯を一杯仰ぐ。それにつられて僕らもまた酒を喉へと流し込むのであった。
……
一人で大蛇の様に酒をガバガバと飲み続けていると、いつの間にやら集まりはお開きとなっていた。することも無いので弟子たちの気配がする館を遠巻きに見張っていると、記憶に残る嫌な気配を久々に肌で感じ取った。振り向けば、そこに居たのはかつて中つ国の軍を混乱に貶めた原始の闇妖怪である。
「比売達を先に帰した時に限って来るだなんて、全く参ったな。湖の上に移動しないか?」
「いいわよ。それに、こんなにも夜空が澄んでいるのだもの。絶好の食事日和ってヤツよ。
ねぇ、貴方は食べていい神?」
「いつの時代になろうが、私はお前の食材になどならん。昔にも言ったはずだが」
「そんな事、いちいち覚えていないわ。貴方、マメなのね」
「ふん……御託はいいからさっさとかかってこい。私と戦い、そして喰らいたいんだろう?」
「ああ。それじゃあ、復讐戦と行こうかしら。だってこんなにも美味しそうだってのに前は取り逃したもの」
そう言うと、彼女の腕の周りがあっという間に暗い靄に包まれ始めた。
あの動作、記憶に残っている! 奴に武器を与えてはならない!
僕はすぐさま天目一箇神によって新たに打たれた剣を振るい、靄ごと腕を切断した。すると、敵は呆気にとられたような顔をした後、より大きな靄で全身を包み込み、靄に呑まれる前にニヤリと不敵な笑みを浮かべていた。
そして、彼女を覆う闇が明けた時、斬られたはずの腕も元通りに生えており、その手には記憶にこびりついた邪悪な剣が握られていたのである。
ニヤニヤと不快な笑みを浮かべる様子は数百年前とも変わらぬもので、彼女が不変の大妖怪たる所以を実感させられた。
「次は私の番ね」
そう言ってまもなく、奴はそのか細い身体から繰り出されるとは思いもしないような、強烈な一撃を繰り出した。そこから続く速い攻撃を打ち躱しながら、早くも僕は一つの癖を見抜いていた。それは奴が何かを仕掛ける際、必ず闇を纏ってから行動するのである。
武器を取り出す時も、腕を取り戻した時も、そして、獲物を喰らう時も。
奴は原始の大妖。故に神をも屠るほどの絶対強者であり、不変の存在が一つである。しかし、同時に一つの概念があってこそ成り立つ力であるがために持てる引き出しは少なく、己が司る力に人一倍頼る他ないのだ。
故に、いついかなる時も、奴はそこで隙を見せるのである。
かつて圧倒的な力を見せた敵ということで、僕は愛弟子である河勝のように守り続けた後、隙を着くという戦い方を採っていた。しかし、動きの読みが簡単になった為、奴の太刀筋について自分でも恐ろしく感じるほどに見えてきたのである。
そこで相手に調子を合わせ、すぐに次の攻撃を予知するかのように戦っていけば、奴も次の手が読まれている事を悟り、焦り出す。先程に比べ明らかに稚拙な攻撃を多々繰り出すようになったのだ。
そして、宙に浮かびながらの戦闘という非常に不安定な環境も相まってなのかは分からないが、敵が放ったヘロヘロの攻撃を受けたその時である。
返す刀で僕は隙まみれの相手に対して袈裟斬りをお見舞いし、敵の左肘より先を切り落とした。そして、続く逆袈裟斬りによって右腕も胴から離すことに成功したのだ!
どうやら敵は腕を落とされたことすらにも気づかなかった様で、無い腕を振ろうとした後に自分の身体に起きた事実に気付いた。そして、耳を劈くほどの叫びをあげたのである。
しかし、悠久の彼方より飛来した鋼を使用した、剛力の僕にあわせて打たれた環頭大刀は抜群の斬れ味だ。国津神には理解すら及ばない
「私の腕がッッッ! ……クッ! 貴方、中々強くなったじゃないの」
「そりゃあ、そうさ。我ら国津神はその身が存在する限り、大八洲に根付きし巨木のように成長し続ける。如何なる神木も何れも初めは矮小な存在から始まるが、やがて天をも穿く程に大きくなるものだ。
この地に生命と希望がある限り、我ら国津神は研鑽に研鑽を重ね、強くなる! それが我らが妖ではなく神である所以であり、お前達のような太古より変わらぬ妖との違いである!」
「言うようになったわねッ! その希望とやら、今すぐ闇で覆い尽くしてやるわ!
この神喰らいのルーミアの怒りを思い知れッ!」
「させるかっ!」
奴は血の涙を流し、叫び声を挙げながら失くした両腕を無理矢理生やそうと、傷口の先より尋常ではない程の闇を撒き散らし始めた。そのため、すぐさま僕は腕を掲げ、空に向かって太陽のように大きな霊弾を打ち込んだ。
……
『朝斗彦よ、月の放つ光とはいずこより来ておるかお主には分かるか?』
「さぁ? 月が独りでにぺかーって光ってるんじゃないの?」
『このたわけが! よく覚えておけ。あれは妾の象徴、太陽の放つ光を反射させているに過ぎないのだ』
「えぇ、そうなの!? 知らなかった!」
『妾の力あってこそ、月を月たらんしめ、地上の夜に光を届けるのだ!
どうだ? すごいであろう? 妾の力に恐れ慄くか?』
「凄いよ、恐れ慄くよ!」
『ほほほ、そうかそうか。まことにそなたはあの父親と違って可愛げがあるな』
〜
……無知を晒すことになるけれど、遠い昔に伯母上とこんなやり取りをした。つまり、月の光は太陽の力を併せ持ち、闇の化身たるこの女には効果覿面なはずなのである。
僕の予想通り、大弾は八咫鏡のように月から届く光を反射し、その光は闇に紛れた敵の身体を写し出す。そして、光は奴を宙より堕とし、身体を制御する事さえ不能となったことで、憎き闇妖怪は陸の民家へと突っ込んだのである。
それを確認した後、すぐに僕は鴉天狗をも置いていく程の速さで下の社へと戻った。そして手に取るは義弟の遺品、闇を祓いし神弓・天之麻迦古弓に天之波波矢である。
かつて萃香によって取り戻されて献げられた後、僕は元の持ち主である大御神を始めとした高天原の神々にそれを納めようとした。しかし、天邪鬼が持っていたと告げるやいなや、
「いや、そんな穢れたものは最早我等には必要ない」
と、言われてしまったので今の今まで僕が手入れしていたのだった。
そんな弓を手にした後、再び僕は敵前まで戻るとすぐさま神力によって敵を宙に浮かばせる。そして逃げようと藻掻く敵に対して名乗りをあげた。
「天に座す我が伯母 天照大御神よ、そして声に顔すらも知らぬ伯父 月夜見命よ、ご照覧あれ!
我こそは三貴子にして国津神の王たる健速素戔嗚尊が末子、葦原朝斗彦命なり! 八百万の神が末席に座る者として、此度大八洲に仇なす者を討ち果たさんッ!」
「や、止めなさいッ! 撃つな、やめろおおおおッ」
名乗りをあげたあと、僕は二又に分かれた鏃を持つ天之波波矢を弓へと番え、胸がはち切れんばかりに弦を引き絞り、放つ。
「ゔあああ! 神の威光を思い知れッ!」
矢筈から手を離した瞬間、ピーン…と、摩訶不思議な音を立てながら一直線に飛んだ矢は敵を捕える。そして、刺さってもなお勢い止まらぬ破邪の矢によって、敵は為す術もなくその身を任せることとなった。
こうして、ようやく背後に佇む大弾へと接した瞬間、辺り一面は真っ白な光に包まれたのであった。