気が付けば五十話。こんな続くとは人のモチベーションとは分からぬものです。
大王崩御後の皐月の月、命を狙われたことで大和から逃げ出し、自領である河内に在った物部守屋は、王弟であり王位請求者でもある穴穂部王子を自らが治める淡路の地に迎え入れんとし、大和に在る妹である布都へと密使を送った。そしてその報せを受け取った布都は盟約通り、まず第一に蘇我馬子にそれを報告したのである。
「良くやった、布都。これであやつに対して先手を打つことができる」
「我にできることをしたまでよ、馬子殿」
そしてその日の夜、馬子の指示を受けた親蘇我派の豪族達は迅速に動き、大和にある穴穂部王子の宮を強襲した。
「何故我らの動きが既に敵に伝わっておるのだ!」
「分かりませぬ!」
王子は宮の門を固く閉じて自らも楼に登り、弓を手に取って戦ったが、大和一帯の勢力を我が意のままに扱える蘇我の力には到底及ばなかった。王子は激しく抵抗したものの、壁をよじ登ってきた兵士に肩を斬られたことで体勢を崩してしまい楼から転落し、這う這うの体で隣家に隠れた。しかし、その後間もなく彼を探しに来た衛士達に見つかり、その首を落とされることとなった。
「……真の血統を持ちながら野心に焦がれ、つく方を誤ったことで斯様な姿になるとは、まこと哀れなことよ。もう良い、持って行け」
「ははっ!」
「……これで守屋の手足は斬られたも同然。
天下に仇なす者がどうなるか、この蘇我馬子が身をもって知らせてやらん」
……
大王の資格をもつ王子二人が立て続けに誅殺された*1という報せは、ここ太秦にも例外なく知らされた。当然秦氏もこの混乱に巻き込まれる可能性は非常に高く、蘇我と物部の両陣営に貸しがある彼等は双方より協力を打診されるなどその動向を注目されていたものの、結局は前々からの選択通りに蘇我につくことを決めた。
「神故に人の政には疎いけれど、これはもう戦が起きてもおかしくないわね。となれば河勝にとっては生まれて初めての戦かしら?」
「そうだな……。まぁ場合によってはここを守るだけになるかもしれないが」
「それでも責任重大であることは変わりないでしょうよ」
「そうだろうな。心してかからねばなるまい」
秦氏の屋敷の庭にて二人で話していると、戸を開けて国勝が我々を中へと招いた。招かれるままに屋内へと入り、彼に着いていった先には異国の装束を身にまとった秦氏族の面々がそろっており、僕は神という立場にあるにもかかわらず、思わずただならぬ気配を感じざるを得なかった。
「皆、聞いた通りだとは思うが、近々蘇我大臣が諸王子達と共に兵をあげ、物部大連を討つ事と相なった。我らは蘇我殿にお味方する上で兵士を送り、共に戦う準備が出来ておる!」
国勝の言葉に各々がいきり立つ中、彼は言葉を続ける。
「此度ここに在るもの達は戦いに向かってもらう戦士達であり、我が息子河勝も連れて行く事とする! 異論は無いか!」
僕としては河勝の能力に不安は無いものの、それは普段から彼の事を間近で見ているからに過ぎない。国勝の言葉を聞いた戦士達がどういう反応をするか内心ヒヤヒヤしつつ様子を見ていると、彼らは開口一番に河勝様万歳! 国勝様万歳! と言って腕を上げているではないか。……なるほど、これは確かに他の豪族から秦王国等と揶揄されるというのも納得である。出雲、そして大和の慣例に慣れている我が身からすればかなり異質だ。
なお、その事については河勝本人も知らなかったようで、えぇっ!? と大きな声を上げて驚いていた。大事な事なのに前もって聞かされてないんだ。
……
馬子達が出兵の準備を行っている頃、再び闇夜に紛れて守屋からの密使と布都の間で密会が行われた。
決められたやり取り場所へと向かいながら、どうせ馬子殿を殺せだとか、そういった事であろう……と、布都は思っていたものの、着いた先で聞かされた内容は違ったものであった。
その内容とは、物部氏に縁ある大神の社に置かれし神剣、
自身の名の由来でもあるこの剣は、何世紀もの間一度も錆びることなく社に安置されているとされ、それを持つ者は必ず敵を討ち払うという業物である。
故に、それを持ち出すということは軽々しく行われるような真似ではないということは、父である尾輿亡き後に産まれた子であった布都にも分かることであった。
次の日、布都は何も言わずに馬へと飛び乗り、大神の社を目指した。馬子は彼女の行動に対して特に何も言うことはなく、臣下に阻止を進言された時にも、「いや、その必要は無い」と、言い切ってみせた。
大神の社へと着いた布都はズカズカと大股歩きで境内へと入り、止めようとする神官たちには兄の命令である! と一喝して黙らせた。そして山の本殿にある錆知らずの神剣の前に立ち、その柄へと手を伸ばした時のことである。
「うおあっ!?」
火花が散る様な錯覚を得るほどの衝撃が右手に走り、驚きのあまり布都は腰を抜かしそうになった。ぎょっとして手のひらを開いて握って何事もないことを確認した布都は一息つき、改めて刀の柄へと手を伸ばして一気にそれを掴み取ったのであった。
「これが……物部の秘宝。神話に名高い布都御魂剣……! しかし、なんという軽さじゃ。まるで羽根のようであるな」
「あのう……布都姫様」
本殿を出て剣を一振した後、布都が刀身をまじまじと見つめていると、社に勤める巫女がそろりそろりと近付いてきて声を掛けてきた。彼女は布都にぎろりと睨まれた事で 、「ひぃっ!」と、情けない声を上げたあと、一言伝えたいことがあるのですが…と言った。
「なんじゃ、我に申してみよ」
「は、はい。
河内国に我ら物部氏の祖であらせられる、
「ほう?」
「布都御魂剣は使用するのに多大なる霊力を使用せねばなりません。それを軽々と扱える貴女様であれば、きっと磐舟も動かす事ができると思われます」
「……そうか。そちらに向かう時があれば、試してみるのもよかろう」
「伝えたかった事は以上となります。守屋様の武運長久を深くお祈りいたします……」
「……わかった。有益な情報に感謝する」
……
馬を走らせて館まで戻ったものの、既に空は夕焼け模様になっており、布都は内心時間をかけ過ぎたとそれを悔やんだ。しかし、そうも言ってられない彼女は馬子へと報告する為に慌てながら館へと上がり込んだ。
「遅くなりました、馬子殿」
「……何処に行っておったのかについて、詮索はせん。然しその顔、お主の心にある迷いが見えるな」
「っ! ……これを、取りに行っておりました」
そう言って腰に下げていた刀を取り外し、馬子へと見せると、その特異な形状を目の当たりにした馬子はすぐそれが何なのかを悟り、ただただ驚嘆の目を布都へと向けた。
「……! これは……言うなっ、言われなくてもわかる。一体如何したのだ」
「兄に取りに行けと言われたのです。それ故、大神の社まで行ってまいりました」
「そうか……。それをどうするつもりだ」
「……兄上には渡しませぬ。密使とは後程会う予定ですが、そこで奴を斬りまする」
「そうか、分かった。全ての判断はお主に任せよう」
「ははっ」
馬子が立ち去るのを見送った後、布都は通りがかった召使に対して握り飯をくれ! とねだり、彼女が慌てて用意した握り飯を頬張りながら館を後にしたのであった。
……
自身の髪色のように淡い芦毛の馬を駈って布都が向かったのは、兄である守屋からの密使との面会場所である。
大和の盆地を見下ろす信貴山の麓であるこの場所は守屋の本拠地である弓削にも近く、彼女はここで何度も間接的に兄とやり取りを重ねてきた。そして今日においてもそのやり取りが行われる手筈となっていた。
「すまぬ、遅れた」
「とんでもございませぬ、布都姫様。それで、件のものは入手できましたかな」
「ああ。我にかかればこの程度、造作もないことよ」
「流石は布都姫様にございますな。では、それをこちらへと渡していただきたい」
「……もしだ。もし、我が嫌だ……と言ったらお主はどうする?」
布都がそう言うと、まるで全てわかっていたかのように使者は不気味な笑みを浮かべ、彼女へと躙り寄る。辺りからは隠れていた兵達が十人ほど姿を現し、布都を取り囲んでしまったのである。
「もし仮にそう仰られるのならば、その時は力で渡してもらう他ありませぬぞ、布都姫」
「斯様な真似をしてタダで済む訳がなかろう……! 我に何かあれば兄上が黙っておらぬぞ」
「本当にそうですかな? 守屋様は今も貴女様を大変大事に思っておられますが、我々は違う。…王弟殿下が横死した件、あれは貴女様が敵に漏らされたのではないですか?」
「そのような事、ある訳がなかろう。何故我が兄上を裏切ることがあろうか」
「何故? それは貴女様が蘇我大臣が
布都姫、もう一度聞かせて頂く。その剣をこちらに渡されよ。三度目はござらん」
「……渡す訳が無かろう! お主らにも、兄上にも! 我がこの世に生を受けてからはや
「……本性を出されましたな、布都姫。
仕方ない。ならば力で奪い取る他ないようだ。皆、やるぞ」
敵の声を聞くやいなや、布都は乗ってきた馬の尾毛を引き抜き、遠くへと追いやった。
走り去ろうとする馬に驚きつつ果敢に切り込んできた敵の脇に生じた隙を布都は見逃さなかった。空いた隙間をくぐり抜け、そのまま機敏な動きで岩に張った木々の根を蹴って高所へとよじ登ることに成功したのだ。そして彼女は呼吸を整える間もなく身体に斜め掛けていた弓を手に取ると、敵に対して射撃を仕掛けたのである。
地面に対して平行に持った長弓から放たれた矢はまるで曲線を描くかのように飛んだ後、物陰に隠れ、彼女を弓で狙わんとしていた刺客を一人撃ち抜いた。
(よし、まずは一人!)
布都は一人仕留めたことに満足することなく、彼女の後を追って岩を登って来ようとするものに対して一気呵成に射掛け、うち二人を物言わぬ骸へと変えた。
そして、暫くすると敵も馬鹿では無いので回り道しようと動き出した。それを察知した布都は自らの脚に霊力を廻すことで木々を蹴りながら跳躍し、更に山の奥へと逃げていく。
山の中腹にある一本の樹齢幾百かの霊木の枝に飛び乗ると、今度は弓を立てた状態で速射し、ここでもまた敵を仕留めることに成功したのであった。
依然として危機的状況にはあるものの、豪族の娘として布都はここで野垂れ死ぬ訳にはいかなかった。
あの日に誓った豊聡耳王子への忠義を果たす為、例え物部の者であろうと自らを邪魔するものは全て倒し、生き残らねばならない……そう考えていたのだ。
矢筒より矢を手に取り、追撃の手を緩めない敵に対して放とうかというその時、背後より放たれた矢が布都の足元を僅かに掠った。彼女は間一髪の所でそれを躱したものの、体勢を崩したことで足を滑らせてしまう。
「危ないッ!」
咄嗟に矢を手放して利き手で枝を掴む事に成功したが、このままでは格好の的である。仕方が無いので彼女は自身の霊力に頼り、音も無く地面へと降り立った。自慢の秘術を操って火を起こすと同時に、ばんっ! という破裂音を響かせて瞬く間に辺りを煙で覆ったのであった。
「皆狼狽えるな! 裏切り者はまだ近くに居る!」
指揮する男がそう声を張り上げるものの、襲撃者達は混乱状態に陥ることとなり、こうして狼狽えている間にも一人、また一人と黄泉へと渡る者が増え、そしていつしか何も聞こえなくなった。
煙が晴れた後にその場に立っていたのは物部布都ただ一人である。白き狩衣を真っ赤な返り血で染めた彼女はただ一言も発さぬままに敵の衣で刃を拭き、それを鞘へと収めた。
フラフラと危うげな足取りのまま彼女は一人山を下り、明朝になってから蘇我の屋敷へと戻った。そして、その修羅の如き姿を見た蘇我家中の者達の肝を随分と冷やさせたという。
暗黒面な布都ちゃん。守屋と馬子の両方から利用され続けている事で着々と心の内に闇が生じています。