叢雲、天より根差す光   作:聖徳王の笏

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五十一話 丁未の戦役

 

 

 

 橘豊日大王二年*1文月、干支では丁未の年である。時の大臣である蘇我馬子は反物部派の諸王子を束ね、遂に物部守屋討伐の兵を挙げた。

 先代の長子である豊聡耳王子、先代の異母弟である泊瀬部王子(はつせべのみこ)、先々代の息子である難波王子(なんばのみこ)春日王子(かすがのみこ)竹田王子(たけだのみこ)と、数多の王族から支持を受けた蘇我軍は西進して物部の本拠地、河内国へと侵入せんとした。

 

 

 

 私は父率いる騎兵主体の軍に従って山背から河内へと入り、淀川の脇を馬に乗って駆け抜けていた。そんな時のことである。

 我々が放った伝令が持ってきた情報によると、蘇我軍は大和川を沿って迅速に動いているらしく、我らより先に守屋が護る地域へと到着する可能性が高いとのことであった。

 

 

 

「遅参する訳には行かない! 皆の者、引き続き急ぎ味方の元へと向かうぞ!」

 

 

 

 父上の音頭を受け、我らはひたすらに南を目指した。古くから大和の軍事を司りし物部との戦をするにあたり、我ら秦氏の戦働きは大きな期待を受けたものであったからである。

 当時、秦氏は大和に従う姿勢を見せていたものの、朝廷からの認識は未だ余所者の類いであった。その為、朝廷に従うものとして我らは人一倍働く必要があったのだ。

 

 

 我等は持ち前の機動力を駆使して東の山々に沿って進み、進路を阻む敵は全て斬り捨て、過ぎゆく邑々には火をかけた。苛烈ともとれるこの攻撃に敵は恐怖を抱き、元々守備が手薄であったことから我らの道を阻む者は誰も居なくなった。

 

 

 

「久々に戦って感じの戦を目の当たりにしてるなぁ。それに、なんだかこっちの戦いっぷりはかつての天日槍(アメノヒボコ)*2にソックリね。実に豪快で、容赦がない」

 

 

「その天日槍? とやらは知らぬが、とにかく我等は蘇我大臣の所へ急がねばならん。敵に情けをかける余裕などない」

 

 

 

 我が乗騎に併せて飛行する師匠は自分が戦うことは無いので実に呑気なものである。強がってはいたが私だってこの時初めて人を斬り、その命を奪ったというのに……。

 

 

 

 

 

 ……

 

 

 

 

 

 我らが到着するほんの少し前、蘇我軍と物部軍は餌香川(えかがわ)を挟んで対峙した。物部は川の対岸を要塞化し、蘇我の者を一人たりとも渡らせないという不退転の覚悟のもと、守備を敷いていたのである。

 そんな物部軍に対する蘇我軍は、川の流れる勢いが弱い位置から侵攻を始めたという。先頭を率いたのは先々代の大王であらせられる他田大王(おさだのおおきみ)*3を父に持つ三人の王子達であった。

 

 

 

 敵の攻撃を恐れずに渡河し始めた蘇我軍に矢の雨が降り掛かる。蘇我軍は木盾を空に向けてそれを防ごうとしたものの、盾を貫通してまで飛んでくる矢の数々に為す術なく討たれる者が続出したらしい。

 

 

 そんな中で、先頭を進む難波王子はいち早く河を渡り終えた。私と歳の近い彼は渡河に手間取る味方を鼓舞しながら待ち受ける敵軍と戦い始めたといい、その勇姿に励まされた蘇我軍は彼を守るために一目散に河を渡り始めたのである。

 その中には彼の弟君である春日王子、竹田王子も居たと言うが、彼らはその勢いに乗って河を渡ると、直ぐに自分の死すらも畏れずに戦い始めた。そんな彼らもまた我等のように功を立てねばならない立場のものであり、この戦にかけていた想いは人一倍強いものだった。

 

 

 しかし、先頭を進む難波王子が守屋の放った矢によって倒れると状況は一変する。旗頭を失って浮き足立った蘇我軍に精強なる物部の兵達が襲いかかったのである。敵陣に残された者達は必死になって戦ったものの、遂には全滅の憂き目にあった。

 守屋は妹の布都姫と同じく弓の腕に優れ、その眼は千里先をも見通すと称された。彼の強弓から正確な狙いによって放たれる矢は一人のみならずその後ろに控えていた者も道連れにしてしまったのである。

 

 

 

 

 

 この時、我らが王子、豊聡耳王子が何をしていたのかは本人が語らなかったため私には知る由もない。しかし、ひとつ言えるのならば、この戦闘は彼にとって不安を取り除くものであったと言えるだろう。

 討死した一人である竹田王子は先々代とその后の一人、額田部姫(ぬかたべひめ)様にとって初めのご子息であらせられた。その額田部姫様は後に大王*4として即位する事となり、竹田王子が既にこの世に亡き者だった事から蘇我に縁が深い太子様が大兄王子、摂政太子として選ばれる事となったのだ。

 

 

 

 話を戻すと、戦は頓着状態に陥った。王国の軍事をまとめる立場にあった物部の兵士は最強であり、いくら権勢を振るう蘇我でも闇雲に動けば相手に得をさせる状況になるのは目に見えていたからだ。

 しかし、そんな時に更なる悲報が蘇我陣営の耳に入る。それは丹後、近江より鬼共が兵を挙げ、守屋を救援する為に河内へと向かっている可能性があるというものであった。その報せによって蘇我軍は大混乱に陥り、敵に背を向けて逃げ出そうとするものが多くあったという。

 

 

 

「守屋め、何処でそんな伝を手に入れたのだ!」

 

 

「鬼など我らが渡り合えるはずもない!」

 

 

 

 蘇我の将兵は口々にそう文句を垂れたものの、この状況をどうにか出来る存在を知るものがいた。

 

 

 太子様である。彼は幼少の頃より、あのおしゃべり師匠から色々な事を聞かされて育ってきた。そのひとつの中に鬼との親交の話もあったのだ。

 私が山背で守りに就いている可能性を考えつつも、彼は父の遺した教えを信じ、この時ばかりは八百万の神に対して祈りを捧げた。その結果、彼の願いは通じ、私の横にいた師匠が鬼の神として念を受け取ったのである。

 

 

 

「……むっ。河勝、ちょっと離れなくちゃならないかもしれない」

 

 

 

「何故!? 私の戦いを見届けたいとか抜かしておったではないか」

 

 

 

「それはその通りなんだけど……。北から鬼が来てる、私が面倒見た連中が」

 

 

 

「なっ、鬼だと!?」

 

 

 

 静かに! と師匠が言った時にはもう遅かった。私の発した一言によって、嵐のように突き進んでいた秦軍は急停止してしまった。

 

 

 

「鬼だと!? 急にどうしたのだ、河勝」

 

 

 

 父からそう聞かれたことで、私は答えざるを得なくなってしまった。北部と東部より鬼が出陣した旨を伝えると、皆が目を丸くして驚いた。中には親戚が連れ去られたことがあるというものもいたため、彼らの反応は当然のものであった。

 

 

 

「ふむ…ここで奴らを待ち、迎え撃つべきと思うか?」

 

 

 

「いや、私がどうにかしてくるわ。ヤツらと話が通じるのは私だけだもの」

 

 

 

 師匠がそう言うと、彼女に全面の信頼を置いている父はすぐに許可した。そして、彼女は来た方向へと振り返ると高速で飛んで行ったのであった。

 

 

 

「後ろは刀女比売様に任せ、我らは目的地を目指すぞ!」

 

 

 

 父の音頭によって我らは目を覚ましたかのように再び進軍を始めた。予期せぬ形で背水の陣となったが、我が伝のお陰で危機を乗り換えたのである。

 

 

 

 

 ……

 

 

 

 

 勇儀率いる大江の鬼達は北河内の交野ヶ原(かたのがはら)の地にて、萃香率いる伊吹の鬼達と合流するための陣地を構えていた。僕は空に浮かぶ狼煙を頼りにその地を目指したのである。

 

 

 鬼達はいつも通りに騒がしくしており、雑兵達が取っ組み合い等をしている所を離れた天幕の下で眺める勇儀の姿を見つけると、僕はゆっくりと地上に降りて彼女と対峙した。

 

 

 

「やあ、久しぶりだね。勇儀」

 

 

 

「む、おぉっ! 誰かと思えば東神サマじゃあないか。諏訪から遥々河内まで来るなんて、一体全体どんな用件だい?」

 

 

 

「それはこっちのセリフだよ。どうしてお前達が兵を挙げて河内に居るんだ」

 

 

 

「そりゃあ、決まってるだろ。弓削殿*5を手助けして褒美を貰うためさ!」

 

 

 

 そう意気揚々と言い張る勇儀は前に会った時よりも体躯が縦に伸びており、より大族長らしい貫禄を手に入れていた。その高い身長から送られる眼差しは人ひとりくらいなら見つめただけで殺せそうな程の威圧感を持っていた。

 

 

 

「ふむ……だが、今回は諦めるべきだ」

 

 

 

「……なにッ?」

 

 

 

「お前達がどういう報せを受けて敵方に付いたのかは知らないが、あの守屋とやらには大義名分がない。言ってしまえば、今のヤツはもう賊軍に過ぎないぞ」

 

 

 

「……ハッ、そんなわけが無いだろう。アタシらは賊軍を討つのを協力してくれって弓削殿から頼まれたんでここまで来たんだ」

 

 

 

「僕の言うことに嘘偽りはないぞ。蘇我には何人もの王子が味方しているというのに、物部には一族の者以外は誰一人として味方する者はいない。それが全てを物語っているだろ」

 

 

 

 僕がそういうと勇儀は目を閉じ腕を組んで、「しかしねぇ……」と、渋い反応を見せた。

 曰く、"ここ暫く"平和が続いていた為、闘争を好む鬼達にとって非常に退屈な日々が続いていたらしい。そんな中で、かつて山を奪い合った敵である物部氏の守屋から共闘の連絡があった為に山はお祭り騒ぎとなり、昨日の敵は今日の友だと言わんばかりに参戦を約束し、果ては伊吹の鬼たちにも声をかけてしまったという。

 

 

 

「ってことだから、こっちとしてもそう易々とは退けないんだ。ゴメンよ、東神サマ」

 

 

 

「おいおい、そんな動機で動かれるんじゃこっちとしてはたまったもんじゃないぞ。決闘なり相撲なり、そんなものは僕がいくらでも受けてやるから今回は控えてくれ。それくらい、此度の戦はお前達に利がないんだ」

 

 

 

僕としては彼女達の事を思って説得しているのだが、やはりどうも納得が行かないらしい。勇儀は眉間に皺を寄せながら僕に問う。

 

 

 

「……なぁ東神サマ、なんでそこまでして人につくんだ? アンタはアタシら鬼の神だ。なら、アンタはアタシらに有利になるように働きかけるべきなんじゃないのかい?」

 

 

 

「そりゃあ勿論そうしたいさ。でも、君は忘れているかもしれないけれど、僕は鬼達の神である前に人間の神でもあるのだよ? 故に、人の神としてお前達鬼の事を考えて一言言わせてもらう。

 

 

 ……確かに、短い目で見れば戦場で暴れることでその欲求とやらも満足出来るかもしれない。でも、その後のことは? 相手にただ利用され、弱った所で寝首をかかれるかもしれないんだぞ。

 

 

 

 言っておくが勇儀、人間は君らの思う以上に卑怯な生き物だからな。君がまさに今戦おうとしている蘇我大臣はその最たる例だ。大王が死した後直ぐに政敵を排除するほどの者が、自らや忠誠を誓った相手が受けた仕打ちを忘れるなんてことは万が一にもありえない。

 ましてや君達は人間ではなく鬼だ。彼に逆らえば間違いなく目を付けられ、女子供一人残らず殺し終えるまで狙われる事になるぞ」

 

 

 

「ううむ……」

 

 

 

「兵を退け、勇儀。僕は君達のことを見捨てたくないんだ。その場限りの感情で物部についたって何もいいことはないぞ」

 

 

 

 勇儀が僕に対して送る視線の鋭さはまさに恐怖そのものであるが、ここで退くことなど出来ない。彼女の眼光に臆することなく、珍しく見上げる形で睨み合うと、はじめに視線を逸らしたのは勇儀の方だった。

 

 

 

「……わかったよ。アンタがそこまで言うのなら仕方がない。けれども、必ず埋め合わせはしてくれよ?」

 

 

 

「わかっているさ。煮るなり焼くなり好きにしてもらって構わない。勇儀、賢明な判断をありがとう」

 

 

 

「東神サマ、アンタはアタシの……いや、鬼達の憧れなんだよ。そんなヒトにここまで言われるんじゃあ、それを選ばざるを得ないだろう? 

 鬼が一度降した決断を変えるなんて、滅多なことがない限りは無いんだからさ!」

 

 

 

 ガッハッハッと大きな笑い声をあげたあと、勇儀は連れてきた兵士たちを招集しようとした、そんな時である。

 

 

 日の光を背に浴びながら意気揚々と行進してくる一団が北より現れたのだ。青地に白の北斗七星が彩られた旗を背負いし者は一人しかいない。伊吹の萃香である。そして、その傍には熊を従えた華扇の姿もあった。

彼女達は胸を張って行進してくると、そのまま勇儀の野営地へと入ってきたのである。

 

 

「おう勇儀! 待たせたな! さっさと賊軍をとっちめにいこうや!」

 

 

 

 赤ら顔ながらも挂甲に身を包み、如何にも戦う気満々である萃香の姿を見た勇儀はため息を放ち、無言で僕を指さした。

 

 

 

「……? あれおかしーなぁ、なんで東神さまがここに居るんだ? 幻でも見てるのかな」

 

 

 

「……このバカタレがッ! 萃香、これは正真正銘ホンモノの東神サマだよッ!」

 

 

 

 勇儀のタダじゃ済まなそうなゲンコツを食らった萃香は目をぱちくりとさせながらこちらを向き、そして綺麗に二度見した。

 

 

 

「なっ、なんでここに東神さまが!? 諏訪に帰ったんじゃあないのか!?」

 

 

 

「……東神サマはアタシらを止めに来たんだよ。

 アタシもさっきまでは弓削殿のもとまで行く気満々だったんだが、どうも東神サマはよほどアタシらを参戦させたくないらしくてねぇ。

 それで、今は丁度領地へと引き揚げようと思っていたところさね」

 

 

 

「なっ!? おい、それじゃ褒美はどうするんだよ! 財宝は? 酒は? 奴婢(ぬひ)は!?」

 

 

 

「申し訳ないが諦めてもらう他ないだろう。先程勇儀にも言ったけれど、この戦は得よりも損の方が多いぞ。

 …どう転ぼうがこの戦で物部は負ける。ヤツらが籠城を選んだ時点でそれは決まったようなものだ。……それに、不要な争いのせいでお前達が討伐の兵を差し向けられるような事があったら僕は嫌なんだ。萃香、どうか分かってくれないか」

 

 

 

「……むぅ、なんだよ〜! 折角張り切ってここまで来たってのに、コレじゃあ完全に行動し損じゃないか!」

 

 

 

「埋め合わせはしてやるから、今回は諦めてくれ。勇儀は納得してくれている」

 

 

 

 他の人の意見はほぼ聞かないものの、僕が何か言った時の萃香は比較的聞き分けがいい。間違いなく納得はいっていないだろうが、彼女は渋々頷いてくれた。

 

 

 

「よし、聞き分けのいい二人のお陰で助かったよ。……あっそうだ。折角皆軍装してるんだからさ、どっちかの山で闘技大会でも開いたら? もしくは模擬戦とかも良いよね」

 

 

 

「お、いいねぇ! それなら皆こぞって参加するだろうし。よし萃香、ウチに来るといい!」

 

 

 

「…仕方ない、多少気持ちが紛れるのならそれでもいいさ! ……聞いたかお前ら! 戦に参加するのはやめになったが、今から勇儀ンとこの山行くぞ!」

 

 

 

「よし! お前ら〜! 山に戻るから陣を畳むぞ〜!」

 

 

 

 勇儀がそう言うと、鬼達は何が起きているのか分かっていない表情をしつつも、指示があったために陣を畳み始めた。そして、それが終わると共に地を轟かす太鼓が鳴らされ、その鼓動に導かれた鬼達は北へと進んで行ったのであった。

 

 

 

 よし、これで後顧の憂いは無くなった。王家の絡む戦に彼らを参戦させたら伯母上に何言われるか分かったもんじゃないからね。我ながらよく阻止したよ。

 

 

 ともあれ用は済んだ。河勝のもとへと戻ろう。

 

 

 

 

*1
西暦587年

*2
神代の頃に新羅から葦原中国へと攻めてきた侵略者。詳しくは第一章参照

*3
敏達天皇のこと

*4
日本史上初の女帝である推古天皇

*5
守屋のこと





やっと始まった丁未の乱。次回もよろしくお願いします。
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