丁未の乱 後編でございます。
天空璋56面の道中・ボステーマを聴きながら頑張って書いた。疲れた。
餌香川を挟んで対峙した蘇我・物部両軍はお互い多大な損害を出しながら、なおも睨み合いの状況が続いていた。
普段であれば空気を読まずに近寄ってくる妖精達までもが
「なんか怖いよー」
と、言って離れていくほどに殺気立った両陣営において、はじめに行動に出ようとしたのは物部軍であった。
この時、北部より進撃を続ける秦軍による被害が次々と報告され始め、守屋は軍を分けて兵の一部を北へと向かわせることを決断。父の代より仕え、朝鮮での戦闘経験を持つ古強者たちを秦の騎兵に当てようとした。
しかし、それに対して一部の家臣が鬼の増援がある事を理由に兵を派遣すべきでは無いと進言したのである。
「ならば何故敵は南進を続けているのだ?! もし北より鬼共が来ているのならば、奴らは必ずそれを抑えに行くであろうが!」
「敵は鬼の勢力に恐れをなし、鬼がこちらへと来る前の段階で早期の決着に臨むに違いありません!
守屋様、覚えておいででしょうか? かつて韓人が鬼に攫われ、我らの兵によって助け出された時、奴らは同胞が攫われたにもかかわらず腰が抜けて何も出来なかったではありませぬか!」
「それはそれ、今は今であろうが! お前は韓人どもの精鋭が如何に手強い存在であるか全く分かっておらぬ!
我らには守りの堅い
そんな応酬を繰り広げていると、今度は籠城したまま粘ろうと本末転倒なことを言い出すものまで現れてしまい、場は混乱を極めた。そうした意見の対立によって、徐々にではあったが物部軍はその足並みがズレ始めたのである。
一方その頃、蘇我軍陣地では…
鬼の来襲に脅えて軍の士気が目に見えて下がっていた頃のことである。敵の勢いに負けて一時撤退した蘇我軍が新たに張った陣地にて、慌ただしい喧騒に包まれる対岸の稲城を馬子が眺めていると、丁度良い時に彼が放っていた斥候が戻った。
「戻ったか。どうだ、何か掴めたか?」
「はっ、敵はどうやら次に打つべき一手の選択で混乱が生じている様子であり、二転三転する指示によって下々の兵士までもがそれに惑わされておりました」
「ふむ……ならば、こちらが先手を打つべきかもしれぬな。諸将を集めよ、議を開く」
……
「如何されるのか、馬子殿」
指揮官のひとりにして、参戦した王族のまとめ役でもあった
「ならば、私が御仏に祈りを捧げ、この戦においての勝利を確かなものへとしてみせましょう。そして、勝った暁には彼の城の地に仏塔を建て、民の安寧の為に仏法をこの日ノ本に広めてみせましょう」
「それは実に心強い限りだ。神の子と評判名高い豊聡耳王子御自らが仏に祈れば、御仏は邪鬼を打ち払い、脅える兵共も不安が拭えるだろう」
馬子が嘘偽りない想いを豊聡耳王子へと伝えると、彼女は何も言わずに一つ頷き返し、そして、傍に生えていた
王子の透き通った声はひとたび耳にした周りの者の心を落ち着かせ、気付けば大勢の者が彼女の持つの徳にあやかろうと陣を囲んだのであった。
豊聡耳王子の持つ神秘的な魅力に魅せられた兵士達は、それまでの腰の引けようが嘘のように士気を向上させ、戦意を強く持つようになった。そして、その間に馬子は軍を再編し、蘇我軍は再び物部の兵士達と相対することとなったのであった。
……
場所は移って大和・
今、大和で最も行動が読めない女である物部布都は、とある者と接触していた。
「……青娥殿、本当にこの蟲の亡き骸が毒となるのか?」
「ええ、物部様♪
この虫畜生はすり潰して粉にする事で強力な毒となります。私の故郷では古くからそういった類の事に使われてきた物ですのよ?」
「ふむ……ということは、矢毒として使えば我に仇なす敵も仕留めることができるのか?」
布都がそう聞くと、青娥は両手を合わせて嬉しそうな様子で、「はい、それはもちろん!」と、にこやかに言い切った。
「あの、もし物部様に急を要する用があるのであれば、今ここでわたくしがお品物を用意して差し上げましょうか?」
「……うむ、かたじけない。よろしく頼めるか?」
「えぇ! この青蛾娘々にお任せ下さい!」
布都がこの華人道士、霍青娥と出会ったのは一年前、彼女が先王の容体を回復させた折の事である。
この時、各地から医学の心得を持つものが集められているという噂を聞き付けた青娥は、こんな所でうだうだして居られない! と一目散に太秦を出て磐余ノ宮まで向かったのだ。
彼女は、大陸仕込の医術によって他の有象無象に対し、圧倒的な差をつけて大臣蘇我馬子の信任を得た。そして見事、大王の侍医として王家との接触を果たしたのだが、そんな折に現れたのがこの物部布都であった。
紆余曲折がありつつも、布都は紛れもなく大王にとっては命の恩人のひとりであり、彼女は何かがあれば話がしたいと彼に呼び出され、その都度宮へと参っていた。
そうすれば、自然と大王の傍で彼の体調を管理する青娥と接点を持つのは当然の流れであり、親交を深めるのにそう時間はかからなかった。
何故布都がそこまで彼女に興味を持ったのか、それは彼女が説く大陸の教えがあったからに他ならない。
兄である守屋からは政略の道具としか思われておらず、夫である馬子からもまた似たような扱いである布都は、内心神道と仏教、どちらももどうでも良いと思いながら過ごしていた。そんな中で青娥から聞いた道教の教えは、彼女にとって豊聡耳王子に手を握られたあの時以来の衝撃であったのである。
こうして、いつしか布都は大王に会いに行くのはついで程度で、青娥の話す仙道の教えを聞くことが楽しみの一部となっていた。そして、青娥にとってもまた、初め目を付けていた者以上に権力に近い存在と近付けた事は僥倖であった。つまるところ、自身の野望を叶えるに充分であると判断した青娥と、仙道に魅せられた布都。二人にとってこの出会いは利害の一致でもあったのだ。
「……はい! こちらが用意したお品物にございますわ!
いいですか物部様? 鏃に塗る時は必ず水を少量垂らして湿らせ、そのまま先っちょへと塗り込んでください。もし少しでもお手を触れるとかぶれてしまいます故、細心の注意をもって扱いくださいまし」
「あいわかった。青娥殿、協力に感謝するぞ!では、さらばじゃ!」
「はい、お気をつけて行ってらっしゃいませ〜」
青娥から受け取った小包を大事そうに受け取ると、布都は己の馬に跨ってすぐさま蘇我邸へと向かった。そして、屋敷に着くやいなや、すぐに自身の壁に掛けられた愛弓を手に取って弦を張り、再び屋敷を後にしたのであった。
蘇我邸を出た布都が向かったのは西の河内、つまりは今まさに兄である守屋と夫である馬子が干戈を交える地であった。
彼女は豊聡耳王子達が通った道をそっくりそのまま上っていって途中で下馬すると、河原に生えた草々に身を潜めた。そして、近場の水溜まりを指ですくい、青娥から受け取った毒に垂らすと、一本の矢の鏃をソレに当て擦って毒矢を用意した。そして、身体に掛けていた弓を手に取ると、対岸の要塞の櫓にある一人の存在へと狙いを定めた。
時は最も日の昇りし正午の刻。
北より疾風の如く駈けてきた秦の兵士が戦場へと現れて河を渡りきり、そして東からは蘇我の本軍が死を恐れずに橋を架けきった時のことである。
様々な思惑が入り交じった戦の決着はもはや秒読みであった。
……
私が戦場について間もなく、背後より師の気配を感じ取った。振り返れば確かにそこには特異な丸い注連縄を背負った師匠が現れて開口一番に、「仕事してきた!」と、笑顔で私に報告してきたのである。
「刀女比売様! 戻ってきたということは鬼共は山へと引き揚げたか!?」
「モチのロン! 私にかかればおちゃのこさいさいってやつよ!」
「なんと! 素晴らしい!
聞け、喜べ、皆の者! 鬼は北の山へと引き揚げたそうだ!」
父の言葉によって、師を視ることが出来ないもの達は大歓声を上げ、それはまるで鯨波のように広がりを見せた。その歓声は敵には勿論、味方である蘇我の方にも届いたようで、我らの到着を待っていた蘇我の兵士たちもまた、それに呼応して大きな歓声をあげたのである。
「さて、今我らが狙うは物部大連の首ただ一つなり!
皆の者、突撃せよ! 手柄は我ら、秦氏のモノだッ!」
父の指示によって我ら秦の騎兵は烈風が如く河原を下り、目の前を流れる大和川へと突入した。それに対して敵は慌てて矢を放ったものの、この時ばかりは珍しく河の流れが緩やかだった事もあった為、我等は無我夢中で馬にしがみつき、河を渡らんとしたのだ。
ふと横に目をやれば同胞が撃ち抜かれる瞬間が目に入る、そんな地獄のような時間の中で、私は自らに迫り来る死への恐怖心を抱き、思わず食べた物を吐き出しそうになってしまった。
そんな時、我が背後にていつの間にかしがみついていた師が言ったのだ。ただ前を向けと。
「河勝、君には我が北斗七星の加護が、新羅明神の加護が必ずある!
横を見るな! 前を向いて戦え!」
そう言われた瞬間、私を取り巻く全てが無音の、幻のような世界へと突入した。馬が川を跳ねる音、矢が風を切る音、死にゆく同胞の叫び声、全てが聞こえなくなり……
そして、気付けば私は川を渡り終えていた。
城より打って出た物部の兵士共との戦闘が始まった。
私は先頭で待ち受けていた古参の重装兵の攻撃を馬を急停止させたことで上手く躱し、大回りで避けた後にその後ろに控える軽装歩兵へと突撃を開始。乗騎による突進をまともに受けた兵士達は為す術なく突き飛ばされ、起き上がろうとしたところを追従する秦の兵によって切り殺されることとなった。
「河勝様に続け! 突撃するのだ!」
それでも、我が軍は未だ流れを掴みきれてはいなかった。
土手の上にいる弓兵による斉射は同胞の馬を殺し、そこで落馬することで味方は呆気なく仕留められた。そして、私もまた同じ目に遭う可能性があったのだ。
しかし、我らは一人ではない。王子が指揮する部隊の援護によって、敵の弓兵が一人、また一人と倒されていったのである。
私が対岸を臨むと、そこで鎧兜を身に纏って兵を指揮する王子と目が合った。これは私がそう感じただけではない。どうやら後に話を聞いた所、太子様も私を直感で見つけ、目が合ったと感じられたそうなのだ。なんと不思議な事だが、流れがこちらへと向いた瞬間というのは正しくこの時だっただろう。
そうこうしているうちに蘇我の本隊が合流し、数で劣る物部軍は次第に押されていった。そして、稲城へと撤退していく物部の兵士を我らは執拗に追撃し、手当り次第に斬り、その首をはねたのである。
敵はもはや稲城を枕にして死ぬ覚悟で最期の防衛につき始め、対する我らは城の
しかし、敵を殺せば殺すほど、戦場では目立つ存在となってしまう。私が次の標的を狙おうとしたその時、櫓の上より弓を構え、冷たい視線をこちらへと向ける守屋がいるのを目にしたのだ。
彼の放った矢は聞いた事もない鋭い音を立ててこちらへと飛んで来て、私は為す術なく撃ち抜かれ……なかった。
「河勝様ッ! 危ない!」
私に付き従っていた同胞が咄嗟に体当たりをしたことで私は吹き飛ばされ、目を開けた時はもう彼は九泉へと旅立っていた。
「ああっ、そんなっ!
「狼狽えるな河勝! 折角彼に命を救われたのに狼狽えていたら、次に死ぬのは君だぞ!」
師匠に叱咤された私はすぐに目を覚まし、落とした弓矢を拾い上げ、守屋に向けて力の限り、ヤケクソに矢を撃ち放った。すると、信じられない事に私の放った矢は守屋の肩へと当たり、守屋は肩を押さえて櫓の柱に体を委ねたのである。
城へと入るのは今しかない! と本能的に感じ、私は梯子を必死に登り、城の中へと転がり込んだ。強行突破してきた事に驚く弓兵を斬り殺し、極度の興奮状態に陥った私は名乗りを上げ、意気揚々と一番乗りを宣言したのだった。
外から聞こえる歓声を一身に受け、私はまるで鬼が宿ったかのように向かってくる敵を殺し、叫んだ。
「守屋ッ! 我こそは弓月君が末裔、太秦の秦河勝である!
我が同胞を殺した貴様を私は決して許さない!降りてきて私と勝負しろッ!」
「クッ……! 若造が思い上がるなよっ! 我に挑みたいのならば、お前がこちらに登ってこい!」
「ッ!ああ、行ってやるさ! そこで指を咥えて待っていろ!」
私が全力疾走して櫓を目指したその時であった。空の上より、「うがっ!」という呻き声がした後に、何者かが真上より降ってきたのである。
櫓より落ちてきたそれは、今まさに私が戦いを挑まんとしていた弓削大連……つまり、物部守屋だった。私は咄嗟に彼を受け止めようとして、そのまま倒れ込んだ。
兜のお陰で頭を強く打たなかったため、よろめきながらも私が起き上がると、背中に矢を受けて口から血混じりの泡を吐く大連がそこに居たのだ。
「われをこ、殺してくれ……かわかつ」
苦しみに悶え、言葉にもならない声を出しながら、守屋は地を這って私の足を掴んだ。そして、それを見た私は先程までの興奮が嘘のように恐怖に支配され、本能的な逃避感とは裏腹にすくんだ足はその場から動くことを拒否した。
「うまこめに……殺されたくはない……っ! 早く……」
「河勝、やるんだ」
「で、でも……」
「殺るんだ! 早く!」
まるで後光が差すかのように陽の光を背に受けて現れた師匠にそう言われ、私は震える手を動かして守屋の
「ああ、われが死にゆく様を、天よりいでし、大御神が見守っている。死に際にその姿をお目にかかれた事、我がほこりな、り……」
彼が師匠に向けて腕を伸ばしたその時、私は大刀を振り下ろし、大連の首を落とした。
……逆臣である物部守屋の死を持って、ついに戦いは終わったのだ。
「はァ…ハァッ、
稲城へと入り込んだ他の兵士達が腕を掲げ喜ぶ様を見て感慨にふけていると、周りの時の流れが酷く緩やかになった。何事かと思い視線を二転三転させていると、背後より男に声をかけられたのだ。
「やったな、秦河勝。君は戦いの英雄だ。
我が祝福を受け、たった今、自らに課された試練を一つ乗り越えた」
「……えっ?」
振り返れば、そこには私に瓜二つの……いや、髪の色と長さこそは違う偉丈夫がいた。けれど、彼から放たれる雰囲気は感じ慣れたものであり、それが余計に目の前で起きている状況を分からなくしていた。
「もしかして…し、師匠なのか?」
「そうだ、我が真名は葦原朝斗彦命。
三貴子である素戔嗚尊が末子にして、諏訪明神・御名方神奈刀比売命の配神であり、大八洲に育つ木々の神であり、戦いの神であり、水神であり、鬼たちの神でもある。
河勝、君は正しい判断を選び続けた。今この場で君が生きているのは己の選ぶべき道を間違えずに進み続けたからに他ならない。戦いの神が一柱として、僕は君に最大限の賛辞を送ろう。おめでとう、河勝」
あまりにも長すぎる自己紹介が終わったあと、いつもと変わらぬ透き通った青い目でこちらを見つめながら、彼は右手を差し出した。私はその手を掴むと、固く、堅く握り返し、童の頃より面倒を見てくれていた師に、初めて面と向かって礼を言ったのだった。
小噺
日本の古き芸事、雅楽や能の世界において、秦河勝という存在は特別なものです。
今回話のネタとして選んだ聖徳太子伝暦によると、彼は物部守屋の首を落としたのち、神通方便の力を開花させたと言われており、その力をもって能を発展させ、やがて大避大神(おおさけのおおかみ)として神に至りました。現在の兵庫県赤穂市に位置する大避神社は、恐らく大生部多を倒した後の河勝が流れ着き、その一生を終えた地であるという伝説があり、1300年前に河勝自身が使用したという言い伝えのある雅楽『蘭陵王』の面が今もなお残っているとされています。
また、彼の本貫の太秦にある秦氏の氏寺である広隆寺では、護伽藍神中に摩多羅神の像があるといい、ここで開催されていた牛祭(うしまつり)はこれまた秦氏に縁深い大酒神社発祥とされ、摩多羅神のお告げによって始まったとされています。
なお、本来守屋を射ったとされているのは迹見赤檮(とみのいちい)という、作中にて一切名前の出なかった人物です、本当に申し訳ない。
そして、今回残念ながら討死してしまった物部守屋もまた神になった存在の一つと言えるかもしれません。
三章で神奈子が朝斗彦を待っていた守矢山、ここは実際の名を守屋山と言い、守屋の次男が諏訪へと逃れて守矢氏の養子となったことで守矢氏は物部守屋の系譜となり、その祖である守屋は洩矢神と結び付いた…という伝説があるそうな。
この伝説の正統性は否定的な見方が強い(https://x.com/mtnonoonly/status/1705581016793166058?s=46&t=5c2cxZ4O8KfSD3qNsPhMeA)そうなのですが、後の太子信仰と共に結びついた伝説と考えるとなかなかに面白いものですね。