「太子様っ! 戻って来た……! 私は貴女に何かあったらと思うと不安で不安で……」
「おいおい、泣くな屠自古よ。私はこうして無事に戻ってきたではないか」
「えぇ、えぇ……! ですが、涙が止まらないのです。太子様、どうか私めの事を嫌いにならないでください……」
「……ふふっ、嫌いになるなど、そんなことがあろうか。屠自古、今は私の胸元で目一杯泣いていい。その後、土産話を涙の量以上に聞かせてあげよう」
……
あの戦いの後、まず最初に始まったのは物部の残党狩りからだった。守屋に味方した河内の諸地域、勢力は尽く蘇我軍の執拗な攻撃に遭い、物部と縁の深い神祇の社などは略奪の憂き目に遭ったのだ。
しかし、不思議な出来事もあった。
北河内に存在する物部の祖を祀る社にて、日頃より崇められていたという岩が忽然と姿を消したそうだ。こればかりは謎でしかなく、近隣に住まう人々は弓削大連が磐舟に乗って行方を眩ませたと口々に噂したのであった。
話を戻そう。そんな中で、私は此度の論功行賞において、物部守屋討伐の功臣として列された。父や母、妻*1を始めとした一族郎党は大いに喜び、私もまた一躍時の人となったことで満更でもない気持ちを抱いていた。
守屋は畿内のみならず、とにかくこの日ノ本の各地にて広い勢力を有していたことから、当然彼を殺した私は畿内のいずれかの地方を任じられると信じていた。しかし、豊聡耳王子が戦没者を弔うべく摂津に四天王寺を建てると前もって宣言していたらしく、その祈願が勝利に繋がったとして褒賞からは外れることとなった。
それは良い。王子が活躍する事は我が本望であったし、成すべき力があるにもかかわらず、周りに翻弄されて力を発揮できていなかった王子が皆から認められるということは、友として、兄弟子として、まさに格別の喜びだったから。
しかしだ! この時、蘇我大臣馬子は自身の妻が物部氏の者であるとして土地の継承権を主張し、あろうことか、大王代理として政を執り行う泊瀬部王子もそれを認めてしまったのだ!
私は慌てて父が守屋に土地を寄進したことなどを理由に播磨、そして私自身の縁を主張したことで信濃の一地域を確保する事に成功したのだった。
「全く! 蘇我大臣め! 何が嫁が物部氏だから……だ! その嫁と不仲だというのは皆が知る事実ではないか! 調子の良いことを!」
「まぁまぁ……落ち着きなさい、河勝。ここで怒りに任せては貴方が第二の大連になるだけですよ?」
論功行賞から日が経った後、太秦の我が屋敷でのことである。
夕餉の時に怒りが収まらず文句を言っていると、その様子を見かねた母に宥められた。
「しかしですね……!」
「いや、馬子殿の主張も理にはかなっておる。聞けば、守屋を撃ち落としたのはその妹だと言う噂が宮中にて広まっておるのだ」
「ああ……それですか。しかし、いくら幼き頃より弓射の腕が名高かったとはいえ、あの布都姫が実の兄を殺そうとするなど……」
「私もそう思っていた。なれど、先王に侍医として仕えていたあの華人*2が布都姫の為に毒を用意したと言っておったのだ」
「なっ、青娥が!? ……確かに、言われてみれば守屋は死に際に口から泡を吹いて苦しんでいた……。……つまり、そういうことなのか? 父上」
「……そうだ。故に河勝よ。怒りたくなる気持ちもわかるが、絶対に怒りに身を任せるな。もし任せた後に待つのは己の破滅のみぞ」
「……そうだな。
皆、折角の夕餉の時間に気分を害させるような振る舞いをしてしまい、申し訳なかった。どうか私の事を許してくれ」
私が頭を下げると、有難いことに皆が快くその謝罪を受け入れた。母が頭を上げなさいと言ったので顔を上げ、彼女に礼を言うと、母は私に向けてこういうのである。
「自分の非を認め、大勢の前でも恥じらわずに頭を下げられるようになるだなんて、河勝、貴方もちゃんと大人に成長しましたね。
……旦那様、そろそろ良いのではないですか?」
「そうだな。……河勝、心して聞け。私はお前の事を自慢の息子だと思っている!」
「それは誰もが知ってると思うのですが……?」
一人わけもわからぬまま私がそう突っ込むと、父は顔を赤く染めて恥ずかしがった。我が妻曰く、その様子は何とも微笑ましいものであったという。
「だ、だまって聞いておれ……。
…故に、此度のそなたの活躍目まぐるしい所を見るに私はひとつの決断に至った。河勝、そなたはこれより我が家の家督を継ぎ、秦氏の長となるべきだ」
「…なっ!? 何を申されるか、父上! 貴方ならばマヘツキミの地位に昇ることも見込めるはずだ!」
「いや、もう私はいい! 疲れた!
そもそも、先の戦で生き残れただけでも御の字なのだ。有望な後進がいるのならば、それらに道を開けてこそ男という物だろう。
河勝よ、老いた父の心をどうか読み取ってはくれまいか」
「……まだピンピンしているでは無いですか」
私がそう突っ込むと、父は黙れ! と私の事を一喝。その様子を見ていた妻が横で我慢できずに噴き出した。
「先の大王様のようにいつ九泉へと向かうかもわからんのだから、家督は早く譲るに限る!
河勝、とにかくお前は今この時より秦氏の長だ!」
父がそう言い終わると、いきなり隣の部屋より師匠が現れた。なお、あの時見た男の姿ではなく、いつも通りの女子の姿で。
「おおーっ! 河勝様、ばんざい!」
「し、師匠!? どこから現れた!」
「え? そこの襖から。……ほら、皆もいっしょに!
河勝さまー、ばんざい!」
師匠が大きく身振り手振りして煽ると、酒が入ってすっかり上機嫌な父もそれに乗っかり始めた。
「刀女比売様もああ仰られてるぞ! 我が息子、新当主秦河勝万歳!」
当主自らがそう音頭をとり始めたため、夕餉を囲む一族郎党、家人達も一緒になって騒ぎ出す。呆気にとられてその真ん中に居る師匠へと顔を向けると、目が合った彼女は何も言わずに、にこりと笑ったのであった。
『秦の氏族長河勝様、万歳! 万歳!』
「ちょ、なんでお前達も師匠のことが見えているんだ! ちょ、まっ、止めろ! まだ私には早い!
父上、母上、師匠! 私を嵌めたな!? やめろやめろ、祭り上げるな!」
こうして、私は秦氏の長の地位を継承し、名実ともに実力者の仲間入りを果たしたのであった。
ああ、その方法は些か不服だったのであるが……。
……
「河勝、戦功一位おめでとう。それに、家督の継承も」
「あ、ああ……。礼を言う、王子」
「これですっかり先を越されてしまったよ。戦働きも、家のことも」
「……それは……っ」
思わず私が言葉に詰まると、王子は視線を逸らしながらも語り始める。今思えば、その様子はまるで人知れず散り行く花の様であった。
「良いんだ。私はまだ望みを捨ててはいない。
逆境を耐え、それを越えた先にこそ意味がある。人生長いものなのだから、こういう時こそ余裕を持たねば」
「……うむ、その通りだ。
しかしだ。全く、その年齢でそんなことを言えるとは王子、貴方本当は二度目の人生なのではないか?」
「そんなはずないだろう。私はただ周りの者を見ながら育ったに過ぎない。言うなれば、今の私があるのは周りの者に恵まれたからこそだ。
その中にはもちろん君も含まれているのだぞ、河勝」
王子に面と向かってそう言われた時、私の胸にはじーんと熱いものが込み上げてきた。
それは神の子と謳われし豊聡耳王子がれっきとした橘豊日大王の子であるなによりの証拠であり、亡き先王から直々に王子の傍役を任された身として、これほどに身に余る光栄はなかったのだ。
「身に余る言葉、本当に感謝する」
「そう固くなるな、楽なままでいい」
「…ありがとう、王子」
……
一方、こちらは王の殯宮。
この場において物部布都は誰かに呼ばれた訳でもなく、ただ赴くままにふらっと足を運んでいた。すると、この宮にて先王の遺体を管理する青娥と鉢合わせたのだ。
「これは物部様!
……あら? どうされたのです、浮かない表情をされて。なんだか物部様らしくないですわね」
「ああ、青娥殿。別に、どうということは無い」
「……何か悩み事をなされているのであれば、遠慮なくわたくしに話してくださって構いませんよ?」
「そうか……。実はな……我は先の戦にて兄を射った。全く同じ血が流れし、実の兄を……」
「えぇ、存じております♪」
「…なんだ、お主も知っておったのか。……いや、知っていて当然か。兄上を堕としたあの毒を作ったのは、他ならぬ青娥殿であるものな。
……我は兄上を恨んでいた。よりにもよって敵の棟梁である馬子殿に嫁がせた事をな。故に、我は蘇我の女として馬子殿に協力し、兄上はつい先日、その身を滅ぼした。
……だが、この虚しさはなんだ? ひょっとして、我は取り返しのつかないことをしてしまったのではないか? あの時、我は己の過去を全て捨てる覚悟で矢を放った筈じゃ。なのに、肉親を殺した事への罪悪感ばかりが湧き出てきて我を苛むのだ……。
ッ! そうである、昨日眠りについた時も夢枕に兄上が現れて我を呪詛しておった」
ぽつりぽつりと自らの胸に浮かぶ言葉を呟き、恐怖を顔に映す布都に対し、青娥は頷くだけ頷いて話を聞き終えるとこう言った。
「ですが物部様、いくら肉親とは言えども相手はもう物言わぬ骸ですよ? 些か気にしすぎではございませんか?」
「なんだと……? お主、今なんと言った」
「ですから、いささか気にしすぎだと言うのです。私が思うに……「貴様ッ! 我を愚弄するか!」
苛立った布都によって詰め寄られ、胸倉を掴まれた青娥は両手をあげると、「そんな事、ある訳ないじゃないですかぁ」と言って降参の仕草をした。
「落ち着いてくださいまし。
話を聞いて私が思うに、物部様は亡き兄上を恐れているのではなく、守屋様を殺した事に対しての周囲からの侮蔑を恐れているのではないのですか?」
「……」
「肉親殺しは世界のどこを見ても忌避すべき事。どうやら物部様はコソコソやりに行った割に、もう周りの者にほぼバレているらしいではないですか」
「う、うるさい……まさか矢羽の色でバレるとは思わなかったのだ」
「わたくしも聞きましたよ?
なんでも、物部様の扱う矢の羽は三つあるうちの一つを朱色に染められていて、それに気が付いた大臣様によって論功行賞にていい様に使われたとか。
守屋様の首をとったの河勝様とはいえ、その矢が戦場にある事は本来ありえないこと。それでいて、その時間に屋敷を留守にしていたのなら……そりゃあバレますよ」
「馬子どのは本当によく周りを見ておられる…恨めしいほどに」
「でも、物部様が気にするべき事ではございませんわ。今の倭国で最も力のある豪族の嫁であるのに、何を気にする必要がございましょう?」
「……そのような事、群臣が許さぬ」
「ただ気にしなければ良いのです。
……私は元の姓を武といい、現在の姓は霍でございます。
我が故郷においても、親族や同族殺しは忌避すべきものですわ。でも、同姓に同族の者など文字通りに腐るほどおりますし、相次ぐ戦に陰謀、同族殺しは避けられないものです……。そういった時にいちいち気にしていらしたらキリがありません。
で・す・の・で、起きたことは起きた事、周りが何を言おうが物部様は物部様らしくしていればいいのですよ」
「……そういうものなのか?」
「ええ♪ そういうものですわ♪」
全く聞くに絶えない酷い会話であるが、青娥の一寸も悪びれない、あっけらかんとした態度は布都が抱く罪の意識を少しばかり緩和させた。
そして、暗い雰囲気を切り替える為だったのかは彼女のみぞ知るものの、青娥は布都へと仙道へと進む為のすべについて話し始めた。その結果、布都は未知なる思想、力へとより一層強く惹かれることとなり、青娥の講義は日が暮れるまで続いたという……。
周りの者に恵まれた河勝とは反対に、完全に飛鳥のダークホースと化した布都ちゃん。太子様はどちらに転ぶのでしょうかね?
丁未の乱が終わったので次回から時が飛び飛びになると思われますが、よろしくお願いします。