天稚彦が出雲へと襲来し、ちゃっかりと嫁もこさえて中つ国に居座ってから少しの年月が過ぎたある日の朝。
朝斗彦が出雲の宮殿にある自身の部屋にて寛ぎはじめたちょうどその時、扉の外から
「朝斗彦にいさまー!」
と大声で自身を呼ぶ声が聞こえた為、ハイハイ〜といって扉を開けると、そこには下照比売がいた。
「やあ高比売、どうしたの?」
「朝斗彦兄様がこの前父上より頂いた領地には素晴らしい温泉があると、姉上からお聞きしました! 朝斗彦兄様が嫌でなければ、私と夫をそこに連れて行って欲しいのです!」
朝斗彦は神奈刀比売が勝手に部屋に置いていった寝具などの片付けをし終わった所であり、少し昼寝でもしようかと思っていたのだが、可愛い妹分に頼まれては断ることなどできないだろう。
「あぁ、玉造ね。いいよ、いつ行こうか」
「やったー! それじゃ、今から行きましょ!」
「はっ? ……今から!? ちょっとだけ待って! 身なりを整えるから」
下照比売の姉の神奈刀比売とは違った種類の身勝手さに翻弄されつつ、朝斗彦は慌てて出掛けるための準備をするのであった。
……
朝斗彦が支度を終え、天稚彦と下照比売の夫婦を連れて出雲を出発した頃。彼ら三人は馬に乗って雑談に勤しみながら玉造までの道中を進んでいた。
「義兄上、妻が迷惑をおかけしてしまい申し訳ございません。この度は急な願いにも関わらず応えてくださり、本当にありがとうございます」
「いや、いいよ別に。ちょうど昼寝でもしようかと思ってたところだったからね。むしろ、君が高比売に振り回されてないかが心配だよ」
「ちょっと朝斗彦兄様! ねぇあなた、そんな事ないよね!」
「……ああ、そうだな」
「……もし何かあったら頼ってくれ。その時は力になるから」
「はい……」
「二人とも、なにか言った?」
「「いいえ、なにも」」
「それならよろしいー!」
……
「ここいらから急に道が悪くなるから注意してね」
「分かりました。比売、私の腰に捕まっていてくれ」
「はい!」
宍道湖のほとりを通り、けもの道程度の荒い道を進み続けると、立派な山葡萄の木が何本か見えてきた。
「あの山葡萄が見えたってことはそろそろ着くよ」
「あれが噂に聞く黄泉醜女を撃退した時のものですか……」
「そうだ、アレも懐かしいな。そうだ、この身につけている蒼い勾玉はその時の礼で村長から貰ったんだ」
「へぇ〜! ねぇあなた、私も作ってもらえるかな?」
「さぁ……時間はかかるんじゃないか?」
「作り置きしてるものがあるかもしれないよ。
さぁ二人とも、ここが玉造だ。この地を守る者として二人を歓迎するよ」
「わぁ〜! 綺麗なところね! お邪魔しまーす!」
……
三人が馬から降りて村へと入ると、朝斗彦の存在に気付いたもの達からおかえりなさい東神さま! こんにちは、朝斗彦さま! と挨拶を貰い、朝斗彦もまたそれに対して一人一人に挨拶を返していた。
「朝斗彦兄様、皆からとっても愛されてるんだね!」
「僕はただすべき事をしているだけだよ。それでも、民に信頼して貰えているのは上に立つ者として有難い限りさ」
「さすがは義兄上、その良き統治者としての姿を私も見習わせていただきます」
「え? ああうん、減るもんじゃないからいくらでもどうぞ?
ところで二人とも、どこか寄りたいところとかはある? 出雲のようになんでもある訳じゃないからそれだけは許してね」
「それなら朝斗彦兄様! 私はその勾玉を作った者のところに行きたいわ! あなたは?」
「私は温泉に入ることができたらそれで充分だから、それ以外は比売が行きたいところについて行こう」
「わかった。それじゃあ二人とも、そこまで案内するよ」
……
村から少し外れにある苔のむした高床式住居の前に着くと、朝斗彦は大きい声でその家の主の名前を呼ぶ。
「おーい、魅須丸さーん。いる〜?」
「居ませんよ〜」
「はーい、じゃあ中入りますね」
朝斗彦に連れられた二人が何コレ? と話す中、朝斗彦はその古い建物の扉を開ける。
「お邪魔しまーす」
「邪魔するなら帰ってくださいね」
訳の分からないやり取りを朝斗彦と女性が続けるので、入っていいのかな? と夫婦二人で迷っていると、中にいる二人が手招きしてくる。それに誘われて中へと入ると、そこには色とりどりの勾玉、そして陰陽玉が並んでいた。
「わぁ〜、凄い! ねぇあなた見て! この世のものとは思えない美しさだわ!」
「そうだな。しかし比売、まずは挨拶をせねば相手への礼に反するぞ」
「いいえ、名乗りは不要です。天稚彦くんと下照比売くんですね。私は玉造魅須丸といいます。よろしくお願い致しますね」
「くん!? くん付けされて呼ばれるなんて初めて!」
「くん……? というか何故に我が名を知っている?」
「ああ、この方はご自身で作られた勾玉の力で他人の情報を読み取れるんだよ。最初はびっくりするだろうけど、悪意とかはないから警戒しなくていいよ」
「私の工房にようこそ。特段面白いものはないけれど歓迎致します」
……
「ってことは、かなり立場の上な神様ってこと!?」
「そうなんだよね。そう言うと本人は謙遜するんだけれども」
「私は一介の玉造部ですから」
「ほらね」
「しかし……この目の前に居られる方があの八尺瓊勾玉を……。にわかには信じがたい話だな」
「あれは大変でしたよ。なにせ、あの大御神の気を引くために用意したものですから。材料選びも磨きもここにあるもの全ての何倍も入念にやったので寿命縮みましたよ」
「神に寿命なんてあってないようなものですからね〜」
神霊なら別ですけど! と付け加えた朝斗彦と一緒にあはははと笑う魅須丸。
ここにあるもの全てより!? と夫婦で驚いていると、魅須丸があっそうだと言って腰を上げ、後ろの壺の中をゴソゴソと漁り、何かを探し始めた。そして、正方形の箱を取り出すと、それを開けて三人に中身を見せる。そこに入っていたのは、陰陽玉の如く円を象った紅と蒼の勾玉だった。
「はいコレ、お二人に差し上げます。
コレはその昔、肥の河の上流にて住んでいた多々良族の者に請われて造ったのですが、彼等と一心同体の存在であった八岐大蛇を素戔嗚様が討伐し、大蛇と共に多々良族も滅んでしまったがために渡すことが出来なかった勾玉です。
ここの近くにある花仙山で採れた赤瑪瑙と青瑪瑙で作った二つで一つの代物となっています。天稚彦くんにはこちらの紅き勾玉を、下照比売くんにはこちらの蒼い勾玉を差し上げましょう」
「わぁ〜! 本当にこんな逸品貰っていいんですか!?」
「えぇどうぞ。それに、これを渡すのは私の思いつきだけではなく、其方の葦原朝斗彦くんが提案してくれたからなのです」
それを聞いたふたりが目を見開いて朝斗彦の方を見つめると、朝斗彦はバラしちゃったかと言いながら頭をかいていた。
「朝斗彦兄様、ありがとう! 絶対大事にするね!」
「この天稚彦、義兄上の格別のご高配へ厚く感謝申し上げます」
「喜んでもらえて良かったですね、葦原朝斗彦くん」
「えぇ、嬉しい限りです」
その後、勾玉を作る所を魅須丸が実演して見せたり、八尺瓊勾玉を作った時くらいの情熱を持って現在制作中であるという紅白の陰陽玉を見せて貰っている際に、天稚彦はずっと心ここに在らずといった様子で貰った勾玉を見つめていた。
「しかしこの勾玉、中を覗けば覗く程に何か胸に湧き上がってくるような、そんな不思議な力を感じるな……」
「恐らくそれは大蛇へと奉納するためのものだったからだと思います。そっちの下照比売くんの持つ蒼い方は肥の河の清き上流を表していて、その紅い方は荒れ狂う蛇神を表したものとなります」
「成程……」
「天稚彦くん、初対面の私にこう言われるのは癪かもしれないが、君の胸の内に眠るものは大蛇にも勝ります。心の中の大蛇に自分を呑み込まれないように気をつけて暮らしなさい」
「……肝に銘じます」
……
魅須丸の工房兼自宅を離れ、次に一行が向かったのは玉造の秘湯である。ここはかつて、大国主が先代より葦原中国を相続した際、海を流れてやって来た
この温泉は、一度入ればみるみるうちに肌が綺麗になり、二度入れば病も治ると言われ、あの後の諏訪明神こと御名方神奈刀比売ですらも初めて入った際にはこれ即ち神の湯なりと言い残したと言われる*1など、今出雲で最も女性の注目を浴びている場所である。
「ここを整備して来やすいようにするのが当面の目標かな〜。出雲からここは来づらいのが難点だから陸路を整備したり、宍道湖で直通の船を出すのもありかもね」
「そうですね。豊かな鉱石資源と温泉の川、上手く扱えば出雲と神名備の土地を結ぶ要所として栄えること間違いないでしょうね」
男二人がつまらない会話をしていると、先を進んでいた下照比売が早くしてよー!! と言うので、朝斗彦が急ごうと声をかけ、二人は坂を上っていった。
しばらく進むと、湯気をあげる池のようなものが見えてきた。竹の節を取り除いた棒を排水溝とした簡易的な作りの温泉ではあるが、この時代のものにしては充分すぎるものである。
「それじゃあ入るか。一応言っておくけど二人とも、湯の中で排泄したりはなしだからね」
「「しません!!」」
……
各々が衣服を脱いで湯を体にかけて慣らしたあと、いよいよ待ちに待った入浴の時間である。
一番乗りー! と叫びながら下照比売が飛び込み、底に溜まっていた湯の成分で足を滑らせるなど危険な場面もあったが、その後は三人で駄弁りながらまったりと湯に浸かっていた。
「はぁ〜、きもちぃ〜。ねえ貴方見て〜、お肌スベスベだよ?」
「……入る前はおなごのみそうなるのかと思ってたが、私の肌もツルツルしてきたぞ? 全く、凄いなこれは……」
「不思議だよねぇ。ちなみに老若男女、全てがこうなるよ〜」
「「「はぁ、極楽〜……」」」
「……ところで高比売、どうして急にここに来たいなんて言い出したの?」
「まずは、姉上がここの事をまるで自分の事のように自慢してたからずっと気になってたの。入るだけで綺麗になれるなんて、女にとっては夢のような場所だからね! だけど……だけどね、もうひとつだけ理由があるの……」
そう言って顔を真っ赤にする下照比売。モジモジと忙しなく動いているのもあり、これは入浴によるものだけではなさそうだ。
彼女の事を朝斗彦が心配すると、同じくその様子を見た天若日子が私が代わりに説明しますと言ってこちらを見て言った。
「……実は、私達は結婚してからというもの、子供を得ようと互いに努力はしているのですがなかなか出来ず……。その事で彼女はとても気に病んでしまったので、ここで湯治を行えば何か変わるかもしれないと思い、私がここへと行く事を提案したのです。
それに、義姉上と仲睦まじい義兄上であれば何か秘訣を知ってるやもしれぬと思い、共に来ていただいた次第です」
「そうだったのか……って、ん???
義姉上……つまり、比売と僕が、仲睦まじい???
それは、その、そういう意味で?」
「はい」
「……ちょ、ちょっと待って。言っておくけど、僕と神奈刀比売は結婚していないし、そういった関係にもなったことは無いよ!?」
「「えっ!?」」
驚いた二人は朝斗彦から距離をとると、互いの耳に手を当ててコソコソと喋り始めた。
「おい高比売、こんなことがあるのか? 私は兄ではない者を兄として呼んでいたのか!?」
「そんなはずは……えぇ!?姉上と朝斗彦兄様って結婚してなかったの!?」
「身内にすら勘違いされる関係など聞いたことがないぞ……」
「いやでもたしかに、姉上がそういう話をそれとなく出す時の朝斗彦兄様って姉弟みたいなものですって言ってすぐ否定してるよね?」
「しかし、結婚しているのであれば子供がいてもおかしくないような仲の良さだぞ? 完全に勘違いしていたということか、私は……」
「私も〜……。姉上、なんか可哀想……」
「あの、全部聞こえてるんだけど……」
朝斗彦がそう言うと二人は先程までの位置に戻ってきて、そこから一時間にも渡る朝斗彦への追求が始まった。
やれ神奈刀比売のことをどう思っているのかとか、彼女とは別に好いた人がいるのかとか、これから嫁を選ぶならどうしたいのかなどと、おおらかな朝斗彦だから許されるような質問を天稚彦と下照比売はし続けた。結局、最終的にその質問の嵐は二人が逆上せた事で終わりを迎えた。
……
暫く休んだ後、一行は馬に乗って出雲へと帰る事にした。その道中、野良妖怪にでくわしたりもしたものの、朝斗彦と天稚彦という武勇に誉ある二人がいる以上、そんなものは焚き火に飛び込む蛾のようなものであった。
その妖達は徒党を組んで木の影から飛び出てきたのだが、まず初めに天稚彦が馬上にて体勢を崩さずに天之麻迦古弓につがえた天之波波矢を撃ち放ち、妖のカシラを撃ち抜くことに成功した。そして、指導者を失った敵が動揺したと同時に、朝斗彦の能力によって周りの木の根が蠢き出し、彼らの足を掴んだ事で、あやかし達は逃げられなくなった所を彼等によって丁寧に止めを刺されることとなったという。
そんなことがありつつも無事に出雲の宮殿へと着いたので三人が下馬してその中に入ると、門の先で両手を腰において仁王立ちする神奈刀比売がいた。
「比売、いつからそこに?」
「さっきからよ。そろそろ戻りそうだなって思ってね」
「怖いなぁ……」
「うるさいわよ。ねぇ高比売、玉造の村と温泉はどうだった?」
「素晴らしいところだったわ! 姉上が絶賛する理由も分かって最高よ! 姉上、勧めてくれてありがとう!」
「良かったわね。今日のことは私の部屋で聞かせてもらえるかしら?」
「えぇ、勿論!」
姉妹の二人が仲良く喋りながら歩いていく後ろ姿を見つめていると、天若日子が話しかけてくる。
「義兄上、お陰様で妻の機嫌も良くなりました。重ね重ね、御礼の方を申し上げます。本日は本当に色々とありがとうございました」
「彼女の気が上向きになって良かったよ。……それより天稚彦、僕の事は兄呼びのままでいいの?」
「ああ、それですか。 ……今は違くてもそう遠くないうちにお二人は結ばれると我ら夫婦は思っていますから。この呼び方は変えません」
「えぇ……、そんなこと言われるとなんかすごい緊張してくるんだけど」
「応援していますよ。それでは、また」
「あ、ああ。またね……。……はぁ、困ったなぁ。僕そういうつもりは無いんだけど」
初対面時のあのギラついた態度や、人の真理を読める魅須丸にわざわざ対面で言われていた野心のことなど、相変わらず彼に対して気になる所はあるのに、それでもただの嫌な奴ではないような……。彼が抱えるあべこべさを不思議に思いながら、朝斗彦は天稚彦の背中が見えなくなった後に自分の部屋へと戻った。
なお、神奈刀比売は妹から朝斗彦兄様は姉上のことを一切そういう目で見ていないよという話を聞かされたことで、思わず血が出るほどに自身の拳を握り締めながらあのボンクラ〜! と叫んだという。
ありがとうございました。
次回も天稚彦回になります。