叢雲、天より根差す光   作:聖徳王の笏

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生々しい描写があります。ご注意下さい。


五十六話 上宮太子の死

 

 

 

 ……最近、視界が霞み、公の場でも咳を抑えられないことが増えた。不摂生を行っている訳でもなく、至って普段通りの生活を送っているにも関わらず。

 そのせいでお師匠様、河勝や息子、そして妻達にも心配されるようになり、その中でも若き頃から私の傍で苦楽を共にしてきた屠自古は特に、ことある事に私の体調について万が一の事を危惧するようになっていた。

 

 

 

 ……もう私の命も長くは無い。鏡に映る、死相が浮かび上がった私の顔が、嫌でもその時がすぐそこまで迫っている事を知らせてくる。

 

 一体いつからだろうか、私が満足に笑えなくなったのは。

少し前までは、『お互い顔にしわが増えたな!』 などと河勝に言われ、二人で笑いあっていた筈なのに……。

 

 

 全く考えたくもないものだが、元々悲観的な私は少しの思案でどんどん死への恐怖の悪循環へと陥り、自らの精神をすり減らした。 ……このままでは、私は大王(おおきみ)になること無く、その命が黄泉へと運ばれることになる。

 眠る度に、毎晩のように三十年以上前のあの日に見た父上の死に顔が思い出され、それによって私は余計に死への恐怖を募らせていたのだ。

 

 

 

「青娥、もう私には時間が無い……。死が、目の前に迫ってきている……」

 

 

 

「時は来ました。尸解に臨みましょう、豊聡耳様」

 

 

 

「……この期に及んでもなお、私には覚悟が出来ていない。……布都、私が儀式を行うよりもその前に、君から先に儀式を行ってくれないか」

 

 

 

「……はっ。太子様の命令とあらば、我は喜んでそれに殉じまする」

 

 

 

「太子様、そんな! もし布都が失敗したらどうするのです!?」

 

 

 

「……構わない。上手くいかなければ潔く死を受け入れ、上手くいくならば私だって覚悟を決めるさ……」

 

 

 

「太子様……」

 

 

 

「もう時間はあまりございません。物部様、儀式の為の依代のご用意をお願いいたします」

 

 

 

「……うむ。承知した」

 

 

 

 布都は我らの中でもいち早く道の教えを実践し、それを身に付けていた。彼女は朝廷より隠れて此度儀式を行う大祀廟を整えるなど、その手際の良さは若き頃より今も尚健在であったのだ。

 

 

 

「もはや、今の生になど思い残す事は無い。我は尸解仙として生まれ変わり、来世もまた太子様をお支えする覚悟が出来ておる。

 

 さぁ、青蛾殿。よろしく頼む」

 

 

 

 術を使い、用意された棺の中へと横たわった布都は、青娥によって容器に入れられた(みずがね)を口に流し込まれた。彼女は少しも表情を変えることなくソレを飲み干し、やがて、その心が脈打っていた激しい鼓動は、私の自慢の耳ですらも聴き取れなくなったのだった。

 

 

 

「……これにて、準備は完了致しました。あとは後日ここを確認し、物部様のお身体が以前と変わりないようであれば、儀式は成功になります」

 

 

 

「……分かった。屠自古、戻ろう」

 

 

 

「っ……! ええ、太子様……」

 

 

 

 青娥は静かに物言わぬ布都の身体を入れた棺へ蓋をした。その作業の間、心配そうに布都の方を見つめる屠自古の手を引き、青娥の空けた穴で私は秘匿された大祀廟から地上へと戻った。

 そして残り少ないであろう日々を我が宮である斑鳩宮にて過ごすのであった。

 

 

 

 

 

 

 ……

 

 

 

 

 

 

 

 

「……太陽のごとく、夜空に輝ける星が地に堕ちた。私の心を照らす、唯一無二の北極星が。北斗星を継ぎしこの私と、北天を照らす北極星が如き貴方ならば、どんな時も支え合い、共に国を造って行けると思っていた。

 

 

 ああ……豊聡耳王子、救世観音のように清く、雲上人が如き徳を持った人間が志を果たせぬまま逝くなど、なんということだ。

 何故年上の私を置いて先に逝った、王子。何故だ……、何故……」

 

 

 

「……」

 

 

 

 つい先日、王子が死んだ。大和を囲む山々が、桜色に彩られた春の日の事だ。直にこの時が来るのは分かっていたけれど、あの子は誰にもその死に顔を見せなかった。あれ程信頼していた河勝にすらも、だ。

 

 

 

 ……

 その報せを聞いた時、ちょうど僕達は太秦から斑鳩宮へと見舞いに行こうとしていた、まさにその時であった。

 あの子がずっと身体を壊していた事は知っていたので、正直僕はあまり驚かなかったのだが、隣にいた河勝はそうではなかった。

 

 

 

「う、嘘だろう……? ああ……ああッ、そんなッ! あれ程楽しそうに喋っていた、王子が……死んだ……?」

 

 

 

「河勝、気を確かに持ってくれ」

 

 

 

「……そのような事があろう筈がない。お師匠様、急いで斑鳩宮まで行くぞ。今すぐに。宮に行けば、きっとまだ、王子がいる……」

 

 

 

「駄目だ河勝、今の宮には近付くべきじゃない」

 

 

 

「何故だ! 師匠、何故私を止める! 

 ……私は彼に会わねばならない! いつものように会って、話して、笑いあって……また、いつものように三人で過ごしたいだけだ……」

 

 

 

「河勝、彼が言うように王子はもう死んだんだ。もう、彼女とは会えないし、話せないんだよ」

 

 

 

 僕の返事を聞いた彼はまるで自分の心を隠すかのように、あの子から賜って以来腰に下げて大事にしている、華やかながらも恐ろしさも漂わせる能面を顔に着けると、杖をつき、片足を引きずりながら無言で屋敷へと引き返して行く。

 その後、報せを持ってきた官吏は河勝の背中に向けて一礼をした後、静かにその場を去っていったのだった。

 ……

 

 

 

 果たしてあの日、目の前で恥も外聞も気にすることが出来ぬほどに取り乱した河勝を見た時、名も知らぬ彼は一体何を思ったのだろうか。

 

 友の死の報せを前に狂ってしまった哀れな中年? それとも、元々狂っていると評判の、独り言ばかりの渡来系? 

 ……いずれにせよ、彼が河勝に対して抱いた印象というものは、彼のみにしか分からない。けれど、この報せがもたらされた事で、河勝の心に深い傷を負わせたことは間違いようのない事実だった。

 

 

 遠くに聞こえる杖をつく音を頼りに屋敷を進むと、誰も居ない屋敷の奥の部屋にて、一人座り込んだ河勝を見つけた。彼はその寂しげな背中を僕に向けたまま話しかけてきた。

 

 

 

「師匠……覚えているか? わたしがあなたと初めて出会った時のことを」

 

 

 

「もちろん、全て覚えているとも。あの日は寒波がきていて、雪が降る冬の日だった。眠るあの子を背負った君に、僕が話し掛けた。

 

 

 ……あの時は二人ともまだ幼かったな。でも、その頃から間違いなく光るものがあった」

 

 

 

「あの出会いがあった事で、師匠は我らのことを導いてくれた。あの時の思い出は、例え耄碌したとて私は忘れることは無いだろう。

 

 

 ……しかし、わたしは思うんだ。人の五十年というのはあなたにとってはたった一日にすぎないのではないのか? 

 私は、今や指先があらぬ方向へと曲がり始め、片脚は丸太のようになってしまったというのに、あなたは姿一つ変わることがない。

 

 あなたを見ていると、自分が完全な神では無いことに歯痒くなるんだ……」

 

 

 

「……もし君の言う通り、この数十年が僕にとっての一日だとしたら、それはまた随分と長い一日だな。……まぁ、天津神だとか、浮世離れした神々はそう言うだろうけど、少なくとも僕は違う。君達と共に過ごしたこの四十二年は、僕にもまた、きっちり四十二年分の重みを感じさせているよ。

 

 ……だってさ、僕は君が大人になった時点で大和や太秦から離れて諏訪に帰り、いつも通りに地元の神として過ごすことも出来たんだよ? でもそうしなかったのは、君らが生き抜き、人間らしくある所を見守りたかったから。

 

 中つ国で大王(だいおう)に従う首長の夫となり、穏やかな老後を経験する未来もあったかもしれないのに、国津神として神霊になったことで若き身体を保った男である僕に対し、君は僕が意図せずして出来てしまったミシャグジであり、僕の縁者だ。

 諏訪の現人神よりも自分に近い神性を持つ男がどう生き抜くのかを、僕はこの目で見届けたかったんだ」

 

 

 

「……そうか……。

 師匠、私はな。老いて変わりゆく己の姿を、第二の親のような存在であるあなたに見せるという事がたまらなく怖いんだ。

 

 私にとって、あなたは……まぁ、性別が変わったり変な事も多々あるが、いつまでも子供の頃から横に居るお師匠様そのままだ。だというのに、私ばかりが歳を取り、そして死へと近付いている。

 その果てには、長い時を共に過ごしてきた王子すらも亡くすなんて……。

 

 これ程までに無常なことがあろうか? 

 師匠、私はこれから先、何を目的にして生きればいい?」

 

 

 

「……僕は君達が死のうが、老いぼれようが、そして今の身を捨てて神になろうが、変わらず普段通りに接するだけだよ。だって、幾つになろうが君達が愛しい弟子である事に変わりはないのだから。

 

 

 生き方については、ありのままの姿で、ありのままに日々を過ごすべきだと僕は思うな。

 王子にはきっと王子が巡る運命があったし、君には君の定められた運命がある。その運命は、周りの者が決めるのではなく、君自身が決めることだ。だから君らしく、一日一日を過ごすといい。

 

 

 もし仮に、君が今道を見失っているのならば、一息ついて周りに耳を傾ければいいさ。……こういう事、王子が良くやっていたでしょ?」

 

 

 

 僕がそう言うと、目の前の愛弟子一号は目をウルウルとさせながらこちらへと近付いてきて、嗚咽を漏らしながら泣き始めた。

 

 

 

「全く……ここには元々誰も来ないからいいけどさ。いい歳した親父が泣いてたら家族に笑われちゃうよ?」

 

 

 

「……いい。今だけはこうさせてほしい」

 

 

 

 河勝は子供の頃によくあの子を横で見ながら、「ミコはなんでこんなに大人びているんだ」と、一言漏らしていた。しかしながら、僕から言わせてみれば、君も同じようなものでしょ? と、日頃より思っていたものである。

 

 

 そんな河勝がまるで子供のように泣くなど、信じられない事だ。

 小さい頃から僕の何倍もしっかりしていた男が、今こうして途方もない悲観にくれ、童のように傍で涙を流している。その姿は、狂っていると評判の群臣の一人ではなく、一人の人間を想う優しい男である。

 

 

 僕はそんな優しく、不器用な弟子の震える背中を彼の気が済むまで何も言わず、ただ摩り続けたのだった。

 

 

 

 

 

 

 ……

 

 

 

 

 

 ……私はその日、死を偽った。

「確実に儀式は成功している」という、青娥の言葉を信じた私は、彼女が用意した薬によって仮死状態となり、屠自古以外の家族すらも騙したのだ。

 

 

 きっと、今頃は私の殯が行われていることだろう。青娥の根拠に乏しい言葉に半信半疑ではあるが、彼女は私にとってもう一人の師である。

 彼女の言葉を信じ、その隙に私は急いで儀を執り行わなければならない。

 

 

 

 そして、私達が急いで大祀廟へと入った時、実に摩訶不思議な事が起きた。

 青娥が布都の身体を入れた棺の蓋を開けると、そこには腐ることなく、生きていた時の姿そのままで心の臓を止めた布都の身体があった。

 

 

 

「なんだと……? まさか、儀が成功したのか?」

 

 

 

 屠自古がそう言うと、青娥は黙って頷いた。

 なんという事だ! 儀式は成功した! 私があれ程疑っていたというのに、尸解は成功してしまったのだ……。

 

 

 

「……儀式を行う。青娥、頼む」

 

 

 

「承知致しました」

 

 

 

「た、太子様。本当にやるのですか……?」

 

 

 

 屠自古が横から心配してくる。私は彼女に寄り添うとその肩に手を置いてやり、出来る限りの優しさを持って諭してやった。

 

 

 

「布都は我が命令で進んで儀を執り行い、そして成功した。彼女に死を経験させた以上、ここで私が日和る訳には行かないのだ。そうだろう? 屠自古よ」

 

 

 

「……そうですか。それならば、私は一番最後に儀式に臨ませていただきます。青娥、それでいいか」

 

 

 

「ええ。承知致しましたわ」

 

 

 

 私が用意した依代は流星刀。……それはかつて、師が見つけてきた隕鉄によって打たれた業物である。

 私は、高揚感とも、背徳感とも受け取れる気持ちによって震えた手で刀を掴むと、ソレに尸解の術で力を注ぎ込み、己の身体と刀を結び付けたのだ。

 

 

 ……この儀で、私は過去と決別する。ただの王子ではなく、神になる為に。そして、この大八洲を統べる真の大王とならん。

 

 

 

「豊聡耳様、準備はお済みになりましたか?」

 

 

 

「……ああ、大丈夫だ。始めよう」

 

 

 

 

 私は青娥に誘導されるがままに棺へと横たわり、次の動きを待った。

 ……しかし、いざ自分の番となるとやはり恐ろしいものである。私は今まで感じたこともないような緊張感に飲み込まれ、身体が強ばっていくのを肌に感じていた。

 

 

 目を閉じると、青娥によって持たれた容器が私の口元へと当たり、何かが流れ込んできた。

 そんな時だ。私はつい先日の布都が汞を飲み込んだ時に耳にしたあの心音を思い出した。あれはまさしく警告そのものであり、彼女の並外れた精神力をもってして耐え切った事は想像に難くはなかった。

 

 恐怖に心を支配されそうになるのを堪えて(みずがね)を飲み干すと、尋常ではない不快感が体を襲い、呼吸が荒くなるのを感じる。そんな絶え間ない苦痛によって時の流れが酷く緩やかに思える中、私の脳裏にはかつての記憶が鮮明に蘇った。気難しい稚児であった私を文句一つ言わずに導いてくれたお師匠様、そして私が実の親のように慕っていた河勝の顔が、まるですぐそばにあるような気がしたのだ。

 まるで、今まで見ていたモノが夢であったかのような感覚になった後、己の心に押し寄せたのは激しい後悔の念であった。

 

 

 

 ああ、私は何と言う事に手を出してしまったのか! 己の身を焦がす程の野心によって盲目的な考えに陥った私は、本来それ以上に大事にすべきだったものを全て、他ならぬ自らの手によって手放してしまったのだ! 

 

 己を支配する欲が、願望が、力が、私の目や口などから抑えられぬ程に溢れ出していくのが分かる! 私は今どうなってしまっているのだ!? 

 

 己に起きた事を確認する術はもはや存在しなかった。

 我が心は完全に後悔と恐怖に支配されてしまったにもかかわらず、とめどなく溢れ出るおぞましい液体の中で身体は力を失い、私は指の一本たりとも動かすことが叶わなかった。

 

 

 

 お師匠様、河勝……! 私を助けてくれ……! 

 我が儘な私の事を、どうか……

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「青娥! これは一体どうなっている!? 太子様に何が起きているんだ!」

 

 

 

「解りません! ですが、このままでは我々も呑み込まれます! 急いで蓋をしなければ!」

 

 

 

 急に苦しみ始めたかと思えば、平静を取り戻した太子様の目から一筋の涙のようなものが流れるのが見えた。その次の瞬間、彼女は苦悶の表情を浮かべた後に再び痙攣し始め、目や口からおぞましい鈍色の液体が溢れ出て、あっという間にその身体を飲み込んでしまったのだ! 

 

 

 青娥が慌てて蓋を持ち、それを棺に押し付けて呪文を唱え始め、私も微力ながらそれに協力したが、棺はガタガタと音を立てて震え、今にも中のものが飛び出ようとしていた。

 

 

 

「屠自古様! これより私は全力をもってこれを塞ぎます! 貴女は一度離れていてください!」

 

 

 

「わ、わかった!」

 

 

 

 ヤツは神仙の力を用いる事で、荒ぶる太子様だった何かを封じようとしたのだ。その結果、青娥の力によってソレは鎮められたものの、多少漏れ出ていたモノが時間を経て凝固し、棺へとこびりつき重なり合ったことで、その姿は異様なものとなっていた。

 

 

 

 青娥があれほどまでに焦る姿は正直初めて見た。

 ヤツは息を切らしながらこちらへと歩いてきて、私を安心させるかのようにニコリと笑った後、自分の見解を伝えてきた。

 

 

 

「……あれはきっと、心の内に抱えた未練が溢れ出したモノ。私が王道だと思ったものは、全てを制さんとする覇道だったということです」

 

 

 

「……」

 

 

 

「あんな事がありましたけれど……屠自古様、最後は貴方様の番になりますが……」

 

 

 

「そ、そうだな。手短にやろう……」

 

 

 

 私はフツーに生き、フツーに死ぬものだと思っていた。それなのに、いつの間にやらこんな事に巻き込まれてしまっていた。

 ハッキリ言って、私は尸解などは正直どうでも良い。でも、しなければならないんだ。あの時、婚姻の契りを結び、秘密を知って……。それでも尚、一人の伴侶として愛そうと心に決めた太子様の為であれば、この身を捧げる事など容易いモノなんだ。

 

 

 私は青娥の合図によって、依代に選んだ壺に術を掛け、自らの身体にも術を施した。そして、直ぐに寝っ転がり、青娥が口へと運んできた(みずがね)をグッと飲み干した。

 ……なるほど、これは中々に……キツイものがある。太子様が悶えたのも納得だ。しかし、私にとってはそんなことは関係ない。

 コレで、太子様と一緒に居られるのならば、私は全てを受け入れるさ……。

 

 

 





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