叢雲、天より根差す光   作:聖徳王の笏

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六十話 宿神の終章

 

 

 

 

 

 ん……あれ、随分と早く目覚めてしまったな。儀式は成功したのか? 

 いや……、何だこの気持ちは、酷く気が立っている。己の中でふつふつと燃え滾り、身を焦がしてしまうような、激しい苛立ちを感じる。何故ワタシは宙に浮いている? 何故ワタシは今死んでしまいそうな程に肌寒く感じているんだ? 

 

 ……ああ、そうか。私は死んじまったのか。これじゃあ太子様に顔向けなど出来まい。全くもって恥ずかしい限りだ。

 

 

 

 それにしても憎い。

 何故なのかは分からないが、何もかもが憎たらしい。誰か、この気持ちを理解してくれる者は居ないのか? 

 

 

 

「おや、そこに居るのは蘇我様ですか?」

 

 

 

「誰だ……って青娥か」

 

 

 

「随分と早いお目覚めですね。あら? 貴女はもうこちら側の者ではなくなってしまわれた様子ですねぇ」

 

 

 

「どうやらな。何か訳を知っていたりは?」

 

 

 

「私は大したことは知りませんよ。

 ……あ、そういえば。物部様にちょっとばかし協力してくれとしか言われていませんからね♪」

 

 

 

 なんだと!? コイツが倫理もクソもない、捻くれた外道なのはもう慣れっ子だから置いておくにせよ、布都、アイツ……! いけ好かないとは思っていたが、こんな暴挙を犯すとは……! 

 

 

 ワタシが怒りに身を震わせていると、目の前の邪仙は思い出したかのように「あ! 蘇我様に伝えたいことがあったんです」と、言い出した。

 

 

 

「……なんだ、藪から棒に」

 

「今、地上では斑鳩宮が大変な事になられていますよ?」

 

「はぁ!?」

 

 

 

 ワタシは慌ててかつて出入りに使った位置を通り抜けようとしたものの、廟は大陸より渡ってきた僧によって封印をされたらしい。そのせいか、ワタシ一人の力では突破する事が出来なかったのだが、すると横から青娥が顔を覗かせてこう言った。

 

 

 

「そうですねぇ……これくらいなら私の鑿であれば一時的に抜けられますよ? 出して差し上げましょうか?」

 

 

 

「……むぅ、じゃあ頼む」

 

 

 

 ワタシの返事を聞いた青娥は手に取った鑿をちょちょいと動かし、かつて儀式の際に出入りした時のように摩訶不思議な通り穴を作り出した。

 

 

 

「怪しまれるといけません。一度塞いでおきますので、戻る時は叩いて知らせてくださいな」

 

 

 

「え? あぁ……すまないな」

 

 

 夢殿*1の表層、救世観音(ぐぜかんのん)が見守りし部屋の床を通り、ワタシは地上へと舞い降りた。

 しかし、ふよふよと宙を漂っていると、己が人ではなくなったことを実感してしまうな……。

 

 

 そんな事を考えていたが、噂の通りに何やら近場で良からぬ事が起きていた。

 そう、今まさに寺の隣に位置する斑鳩宮には青娥の言伝通りに襲撃が発生しており、しかもその攻め手には一部見知った顔の指揮官が多々居たのだ。

 

 

 

(何が起きているんだ、何故蘇我の兵が斑鳩宮を襲撃している!?)

 

 

 

 ワタシは気が動転しそうになりながらも宮に住まう我が親族達の安否を確認しに行くと、一族を纏めて逃げ支度をする我が子の姿があった。

 

 彼……山背王子(やましろのみこ)は他の兄弟と共に青娥の秘術によって産まれたという、あまりにも曰く付きすぎる秘密を抱えていた。

 表向きは太子様の血族から迎え入れし養子として、しかしその実態は目の前で突然創り出され、訳も分からぬ内にワタシの元へとやってきたという子だったが、そんな秘密を抱えつつも、ワタシなりに普通の王家の子と変わらぬ養育をしたつもりだ。

 

 

 そんな我が大切な家族が、よりにもよって我が蘇我の一族によって滅ぼされようとしている。

 

 

 

「山背王子! ここはもはや持ちませぬ! 生駒山へと逃げましょう!」

 

 

「あ、ああ、分かった。皆の者、私について来るのだ」

 

 

「私が血路を開きます! その隙にどうかお逃げ下さい!」

 

 

「……っ、すまないな。武運を祈る」

 

 

 

 この場に残る事を決めた家臣に対して我が息子は名残惜しそうな目を向けながら、数多の親族達を抱えて生駒山へと逃走した。ワタシはそんな様子をただ眺めることしか出来ず、生前より感じていた無力な自分へと苛立って思わず爪を噛むのであった。

 

 

 

 

 

 ……

 

 

 

 

 

 

 落ち延びて行った家族を追って生駒山へと向かうと、そこでは土や泥に汚れた姿の一行がいた。妖へと身を窶した以上、何かあるといけないので遠巻きに隠れて様子を伺っていると、彼らの話し声が聞こえてきた。

 

 

 

 

 

文屋(ふみや)*2、私はどうしたらいい」

 

 

 

「恐れながら王子。私めは深草の屯倉へと向かい、軍備を整えるべきかと存じます」

 

 

 

「……その理由は?」

 

 

 

「彼の場所は今は亡き豊聡耳王子様より受け継ぎし、上宮王家における軍事の要所。そこで体勢を整え、更に東国へと逃れる事が出来れば、神通方便の力を持つという秦の御老公と手を組んで対抗する事が可能です! 

 王子! 何卒、我が策をお受け入れ下さい!」

 

 

 

 秦の老公……きっと河勝殿の事だ。あの方が斯様な呼ばれ方をされる程に時が経ってしまったのか。

 

 ……しかし、彼の言う事は理にかなっている。

 ワタシたちの生前、河勝殿はいわゆる諸蕃(しょばん)と呼ばれる外つ国に祖を持つ豪族達の中でも頭一つ抜けた力を持っていた。今現在の政の状況が分からないため確かなことは言えないが、私も彼の意見に賛成であった。

 然し、ワタシが胸に淡い希望を抱いたその時、我が子は何処か悟った様な表情を浮かべていた。あれは……そうだ。諦めの表情だ。

 

 

 

「いや、ここで押しかけてしまえば、関係のない河勝殿に余計な迷惑が掛かる。

 ……それに、私の味方など、この大和にはもう居ない。万に一度勝ったとて、入鹿のやつが諸王族をまとめて決起すること間違いないぞ。そう、父上が戦ったあの衣摺の戦役の時のようにな」

 

 

 

 ああ、予想は出来ていたがなんという事だ! きっと河勝殿であれば、我ら一族に対して力を貸してくれる筈だというのに! 

 きっと同じ事を考えていたのだろう。献策した家臣も「そんなっ!」と、声を挙げた。しかし、もう息子の覚悟は決まってしまっていた。

 

 

 

「…私のことは私自身が一番理解している。最早、私に天命など無いのだ。…父上、母上!志果たせぬままにそちらへと逝く私めのことをどうかお許し下さい!」

 

 

 そしてそれから数日後に彼等は山を降り、辛うじて焼けずに済んでいた斑鳩寺へと戻ると、一族郎党皆で各々の首を(くび)り、自刃して果てた。

 

 

 

 その後、そんな凄惨な現場に現れたのは我が甥、蘇我入鹿。奴はまるで汚らわしいものを見るような目で眺めた後、火をかけるように命令した。

 配下たちも流石にそれには躊躇いを見せたものの、彼の命には逆らえなかった。松明に火を灯し、斑鳩の寺までも焼こうとしたのだ。

 

 

 

 

 

「ふざけるな……ワタシの家族を奪いやがって……! 許さない、絶対に許さないからなッ! 愚かな甥御め、末代まで呪ってやる!」

 

 

 

 

 

 

 ……

 

 

 

 

 

 

 

 

「全く、あのバカ息子共め。私を幾つだと思っているんだ」

「うーん、ちょっと見えちゃいけないものが見えてる七十を超えた隠居のご老体?」

「……あのな、真面目に答えんでいいんだよ。師よ」

 

 

 

 今は宝女王*3って女子の大王が新たに即位してから三年が経った水無月の中旬だ。

 長い事見守ってきた河勝も若き日に比べれば当たり前だが歳をとり、そして髪も白くなるなど、随分と老いた。それでも内裏へと参内すれば、その若さを褒められるくらいには老當益壮である。

 しかし……

 

 

 あまりに元気すぎるが故に、河勝は秦氏家中においての当主の権利をつい最近まで握っていた。そのため、彼の息子達の不満は溜まる一方だった。

 虚空に話しかける老人がいつまでも当主の座に座っている事に対しての不満は、やがて大王家による王位の継承の際に表面化したのである。

 

 

 

「山背王子を未だに推す者は家中において父上しかいない! 貴方はいい加減時流を見るべきだ!」

 

 

「喧しい! 私は太子様の遺志を果たさねばならんのだ!」

 

 

「その考えを改めぬと言うならば、父上には当主の座を降りてもらおう!」

 

 

 

 ……と、言うことがあり、結局秦氏は揉めに揉めた。所謂お家騒動というやつである。これについては今まで河勝が一人で一族をまとめあげていた、という部分において相当に不満が溜まっていたらしく、各地に散らばる秦一族が河勝への援助を断り始めたのであった。

 ……上手く統制出来ているのならそれでいいと思っちゃうのは僕だけなのかな? 

 

 そして結果はというと、数ヶ月のすったもんだの末に進退窮まった河勝は隠居することを決め、騒動は幕を閉じたのである。

 

 

 また、彼が当主の座にしがみつくのを辞めたのにはもう一つ理由がある。それは昨年の暮れに豊聡耳王子(とよさとみみのみこ)の宗族が族滅されたというものだった。……あの子曰く、自らの弟達から養子で迎え入れたという子達だったが、なんと無常な事か。

 

 

 

「ハァ、しかし隠居となるとやることもなく、毎日が暇で暇で仕方がない。師よ、何か面白い話題などないのか?」

 

 

「いやぁ、三度の飯より権力が好きな河勝の話くらいしかないと思うけど」

 

 

「……なんだと? 言っておくが私は小徳*4だ。誇って何が悪い」

 

 

「え? いやまぁ別に悪くはないでしょ。王子の信任も厚かったし他のやつからしたら羨ましい限りだと思うよ」

 

 

 

「ハァ……私の栄誉についてはいい。諏訪の方の話などは無いのか?」

「いいや、ないよ。彼処は畿内に比べれば平和だし……」

 

 

 

 先代の国勝は狩りに行ったり、ご隠居なりに外交したりで自由にやっていたけれど、河勝の場合は足が悪いから無理な遠出は出来ないし、なのにその本人がピンピンしているから持て余してるのが目に見える。

 

 

 

「楽器の練習でもすれば?」

 

「気分じゃない。指が痛む」

 

「それじゃああの舞は?」

 

「足が動かん」

 

「……じゃあ、昼寝は?」

 

「夜に眠れなくなるだろう、駄目だ」

 

 

 

 あまりの態度に痺れを切らして、じゃあ何がしたいのさ! と僕が言おうとした時、長い親子喧嘩を経て父と仲直りした河勝の息子がやってきた。

 

 

 

「父上、宜しいか。貴方に対し、蘇我大臣入鹿殿より呼び出しがかかっている。頼みたい事があるそうだ」

 

 

 

「なんだと? ……もしや、不穏分子として処されるのか?」

 

 

「いや、前にもこんなことあったでしょ。大丈夫だって」

 

 

「そうか。師匠が言うならば大丈夫だろう。では参るとしようか」

 

 

 

 僕の言葉に安心した河勝はゆっくりと立ち上がると、杖をつくことでどたっどたっ……という特徴的な音を鳴らして歩きだし、奴婢の力を借りて馬へと乗り込んだ。そして、往年に負けず劣らず巧みに馬を操って大和へと走っていき、それを見た配下が慌てて追っていくのであった。

 

 

 なんだよ、そんな元気なら遠乗りでもすればいいのに。

 

 

 

 

 

 

 ……

 

 

 

 

 

 

「よく来たな、秦造河勝よ」

「ははっ」

 

 

 

「さて、大王の代理として此度の要件について簡潔に話そう。私はややこしい会話は好まぬからな。……東国に潜んでいるという、常世神を崇めさせし教祖を倒せ。それだけだ」

 

 

 

「ふむ……何か、確かな手掛かりなどはお在りで?」

 

 

 

「私が説明する必要は無い。其方はただ言われた事をすれば良い」

 

 

 

 ムカつくなぁ〜。何この舐めた態度は、これがあの神をも恐れさせた蘇我馬子の孫なのか? 敵の情報すらないなんて、流石の河勝も困ってるし。

 

 

 

「河勝、常世の神のことなら分かるから後で説明するよ。この空気じゃ受ける以外の返事は出来なそうだし」

 

 

 

「……承知致しました。この秦河勝、大臣の命とあらば身命を賭して役目を果たしましょう」

 

 

 

「……さぁ、私からの用は済んだ。直ちに迎え」

 

 

 

 本当の大王も見守る中で、まるで己を大王とでも思っているかのような態度、何だか気に入らないな。少し代が変わるだけでこうも変わるか……。

 

 

 河勝は小さく礼をすると、すぐに内裏を後にした。そして僕が常世信仰について知りうることを全て教えると、すぐに太秦や東国に住まう同族へと遣いを送り、秦の私兵を召集したのである。

 

 

 

 

 

 ……

 

 

 

 

 

 遣いを向かわせた後、寝泊まりする屋敷に戻った僕達は、最近とにかく早寝になった河勝が珍しく遅くまで起きていたので雑談をしていた。

 

 

 

「師匠、今の大臣であるあの按作入鹿(くらづくりのいるか)を見てどう思う」

 

 

 

「アレはね……。えっと、念の為に確認するけど馬子の孫でいいんだよね?」 「そうだ」

 

「まぁ血統があるとはいえ、あの歳であそこまで上り詰めている以上馬鹿では無いんだろうけど、いつか痛い目を見そうだね。というかさ、まず第一に年寄りを敬えないのはダメだと思うよ? 僕は」

「と、年寄り……」

 

 

 

「いや、でもさ。そういう些細な部分に気をかけられない者は絶対別の部分でも失敗するよ? 事実、こちらとしてはありがたい限りだけど君は僕に対して敬わない日など無かったじゃないか」

 

 

 

「ま、まぁな?というか、貴方は別枠だろうよ?神なんだから」

「はっはっ、まぁね」

 

 

 

 僕達は、お互いにはぁ〜……とため息を着いた後に顔を見合せ、笑い合った。いやはや、反旗を翻した実の家族よりも僕の方が実の家族に近いのでは? もう六十年も付き合いがあるわけだし。

 

 

 

「……そうだ師匠。私は明日、斑鳩へと赴いて亡き太子様やその宗族への祈りを捧げてくる。貴方は着いてきても、来ずともよいが、どうする?」

 

 

 

「うーん……。色々と思いに耽ることもあるだろうし、僕は斑鳩には向かわずにここいらで時間を潰すことにするよ」

 

 

 

「……師匠の心遣いに感謝する。……さて、私はそろそろ眠るとしよう」

 

 

 

「ああ、分かった。ゆっくりお休み」

 

 

 

 灯りが消えた河勝の部屋を後にした僕は屋敷のいちばん高い屋根へと飛び乗り、月夜に照らされた大和の盆地を目に収める。そしてその後、月より注がれし伯父の威光を肌に感じながら、僕はその場に寝そべって眠りについたのであった。

 

 

 

*1
法隆寺(斑鳩寺)にある仏殿。天平元年……西暦729年に建てられたとされる為、本当はこの時代にはまだ存在しない

*2
三輪文屋君 山背大兄王の家臣。姓は君で、かつて守屋と穴穂部王子に殺された三輪逆の孫。

*3
中大兄皇子の母である皇極天皇のこと。

*4
冠位十二階の上から二番目。しっかり偉い。






歴史イベント(山背大兄王襲撃事件と上宮王家族滅)と河勝の常世討ちの前段階の回でした。次回もお読み頂けたら幸いです。
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