……死んだにしては些か意識が長く続くな。
そう思いながら私が目を開くと、目の前には敵の重い一撃を受け止める師匠の姿があった。
「死ぬにはまだ早いよ、我が弟子」
「あ……し、師匠……」
「ねぇ、ボサっとしてたら私に手柄……取られちゃうよ? 貴方、それで良いの?」
「……フッ、言うまでもない。そんなのは死んでもお断りだ!」
「……よく言った! ならば、私の力を分け与えてあげよう! キミがケリをつけるんだ!」
敵を神力で跳ね飛ばした後、師匠はこちらへと振り向いて手を差し伸べた。私はそれに応えてその手を握ると、すぐに全身が生まれ変わったかのような錯覚を覚え、気付けばはるか昔の……何一つ不自由がない、若かりし頃の姿へと戻っていた。
「この歳になって尚斯様な事を経験するとは……信じられん」
「神になった時に備えてだよ。
ほら、早くヤツにトドメを刺さないと! 今度忘れたら承知しないからね?」
「す、すまない……。では、やるとしよう」
こうして足を進めようとした時、背後から「あっそうだ!」と師匠が言った。
「なんだ。今日だけで何回似たようなやり取りを重ねたか分からんぞ」
「まぁまぁ。どうせならこの剣を使うといいよ。
これは甥っ子が打った我が愛刀……銘は、
「……私に?」
「あ、予め言っておくけど貸すだけだから」
全くこの方は……。話しているだけであの時のなんとも言えない気持ちを思い出すが、太っ腹かと思えば妙にケチくさいんだ。
「……フッ、こちらも何十年と貴女がそばでその剣を振るう姿を見てきたんだ。欲しくないといえば嘘になるが、終わったらしっかり返すとしよう」
「話のわかる弟子で良かったよ。さあ、行ってきな」
左手で大生部多に対して神通力を流し続けながら、右手で剣を渡した後に私の背中を叩くという妙な芸当を見せる師匠の喝をその身に受け、私は貸し与えられた刀の柄を掌で器用に回しながら歩みを進める。
そして、大罪人たる多の前へ立つと、師匠の強力な神力をその身に受け続けてもなお、奴は反骨の眼差しをこちらへと向けていた。
「大生部多、世を惑わせし奸賊よ。天の王たる大王ならびに大臣たる蘇我入鹿卿の名代として、この秦河勝がその命を貰い受ける」
『甘い蜜を吸いおって…!だが、ここで終わりだと思うなッ……! いずれ必ずやお前を苦しめてやる!常世神様は絶対なのだ!』
「ふん、死にかけの爺に今更何を言おうと全て無駄だ。さぁ、覚悟せよ」
こうして私はヤツの心の臓へと刀を突き刺した後、その首を斬り落とした。そしてその勢いのまま、周囲で様子を伺っていた奴の半霊にも刀を振り下ろしたのだ。
私の手によって、奸賊・大生部多はその穢れた命を奪われたのである。
あの時、師匠より渡された叢雲ノ剣の切れ味が余りにも鋭すぎるが故に、多を斬った際私はまるで露を払ったかのような感覚を覚え、そのような業物を意図も簡単に使いこなす師への畏敬の念が強まった。
神への憧れが強まるのと同時に、あれだけ親しい存在であるにも関わらず人ならざる者であるという恐ろしさが同時に押し寄せたことで、武者震いを起こしたのである。
ともあれ、この時を以て戦いは終わった。あとは気絶した娘を上方へと送り、この屋敷を破却するだけであった。
「妖忌、お前の身柄は捕虜として預からせて頂く。……なに、形ばかりのものだから案ずる事はあるまい」
「勿論だ。虜囚の身になることを受け入れよう。
しかし……、姫様はどうなされるつもりだ。あの方は常世桜に結び付いている。下手にその身を動かせばこの土地はたちまち冥府に飲まれる事になるだろう」
そう、我らにはまだ一つ問題が残っていた。
家からは勘当され、周囲の者から忌み嫌われる死に関する力を持つという曰く付きな存在たる彼女であっても、上州の雄たる車持の生まれである以上は我らがその身柄を雑に扱うことは許されなかった。
そうだな……。お前達に分かるように例えるならば、遣唐使達が大陸からの交書簡を紛失するようなものだろうか。
……まぁ、それに関しては数十年前……つまり唐ではなく隋があった頃に本当にそれをやらかした大馬鹿者もいたが、それも関係者が皆現世から去った今となっては懐かしい話だ。
「妖忌、その場合はどうすればいい。私は一度彼女の親族へと報せを送った後、我が氏族の本貫たる太秦へと送り、手元で面倒を見るべきだと考えていたのだが」
「姫様一人をそのまま、と言うのは厳しいだろう。やはりこの桜を接ぎ木するなどして繋がりを断たぬようにせねばならない」
「……それはいいが、先程の多のヤツの攻撃で傷付いた大樹を枯らさず、上方で接ぎ木をするという時点で難しいのではないか?八方塞がりな気がするが」
うーむ……と二人で唸っていると、現れたのは我が師匠である八坂刀女比売命。彼女は開口一番に「私の刀返して」と、神らしさの欠けらも無い発言をして私から刀を受け取った後、その悩みを何とか出来るかもしれないと言い出した。
「私は根の国の王素戔嗚の子であり、腹違いの兄
「師匠、それは真か!」
「うん。でも、あの娘についてはどうしようも……アッ!!!
そうだ! ちょっと試したい事があったんだった。河勝、ちょっと身体を借りてもいい?」
「は? 師匠、何を言って……」
突然訳の分からぬ質問をされた後、答える暇すらも与えぬままに彼女は私に向かって謎の術を唱え、そして気付けば私の視界は真っ暗になった。
……
おー、これが河勝の身体。やっぱり宿神たる彼の身体であれば、こちら側が何の苦労もせずに憑く事が出来るよね。
さて、なんでこんなことをしたかと言うと、河勝に眠る力を呼び起こす為である。
彼はいつも見かけでは大口を叩くものの、内心己に能力など無く、ただたまたま神に宿られただけの男だと自認しているような節がある。当然こちらとしてはそんなはずはないと思っているのだが、この何十年もの間そばで見ていると余りにも思考が凝り固まっているようなので、ここで強硬手段にでることにした。
違う視点で見てみれば、必ずきっと次へと続く道がある。
目の前で訳の分からないことが起きてギョッとしていた妖忌の横で辺りを見渡すと、此方に背を向けている小さな二人組の姿が。気絶したアゲハさんと、心配して寄り添う彼女の友にして小さな勇者、のぼうちゃんである。
「起きてよアゲハちゃん! わたし、貴女に話したいこといっぱいあるんだから……」
深い眠りについたアゲハちゃんはのぼうちゃんによってユサユサとその身を揺らされていた。ある意味この騒ぎの一番の被害者たるは彼女だろう。
神の力で目覚めさせてやろうかな……僕がそう考え、今にも倒れそうなこの翁の身体に眠る神力を呼び覚ましたその時、急に彼女らの背中に縦線が浮かび上がり、その内側より一筋の光が差すのが見えた。
(……これは? まさか……)
ちょっと良いかい? とのぼうちゃんに声をかけ、目を閉じたアゲハちゃんの背に恐る恐る手を伸ばしてその光を指でなぞると、それはまるで両開きの扉が開くかのように眩い光を放ち、そしてこの身体は吸い寄せられるようにその中へと吸い込まれたのであった。
……
「なんだ……? 何が起きているんだ」
わけも分からず周りを見渡せば、そこは辺り一面何も無い、完全に真っさらな空間であった。強いて言うならば、一つだけ蔦の巻きついた妙な可愛い見た目の扉があるくらいだ。
『おや……随分と懐かしい気配だ。今になって私を仕留めにでも来たのか?』
「なっ、誰だ!」
『誰かと聞かれたら……こう答えるしかあるまい。ボクは君であり、しかし君ではない存在だ。…ワタシの事は君が一番良く理解しているのではないか?』
「……! 君はまさか、あの時湖で逃した霊魂か! そんな、ずっと河勝のもつ領域の中で待っていたのか!」
『ご名答。ワタシもまさかここに来て君に会えるとは思いもしなかったよ、葦原朝斗彦』
そう言うと、初めは影法師のようなボヤけた姿をしていた彼はみるみるうちに僕の姿形そのものへと変じた。時たま八坂刀女比売の姿になるのは狙ってやってるようではないらしい。
これは河勝に眠る膨大な力で開いた先の世界だ。一度この体から離脱し、この目の前の状況を本人に見せなければ。
『……もしや、離脱しようとしてる? ヤメときなよ、今の河勝一人にはこの世界に適応出来ないからさ』
「……なんだって?」
『アイツは自分で自分にフタをしている。だからとうの昔に人としての限界は超えているにもかかわらず、未だに神の力を使えないんだ。
きっと今君がその身体から離れるならば、奴は本当に心を壊してしまう。それは君も望むことではないだろう?』
「……まぁ、図星ではある。
しかしここは一体、何の空間なんだ?」
『ここは……そうだな。今は扉の世界とでも言おうか。固く閉ざされ続けたことで開かずのままになっていた、扉の世界。虚ろな持ち主のお陰で彩りの欠けらも無い、まっさらな場所だ。
言っておくがここに来たのは君が初めてだよ。葦原朝斗彦』
そういうもう一人の自分を他所に改めて辺りを見渡せば、一つだけ扉がある以外は何もないまっさらな空間であり、どんなに歩こうが関係なく同じ光景が続いていた。
きっとあの可愛らしい扉はアゲハちゃんの背中にあったあの扉だろう。
僕が開けた事でここに結び付いたのか。
「……しかし、こんな場所があっただなんて。なんで河勝は気付けなかったんだ?」
『ハッ、気付けなかったのではなく、気付くつもりすらなかったのだろう。そうだな。全く実にアイツらしい。アレは中身は小心者であるにも関わらず、上っ面だけは誰よりも気高く在ろうとするからね。
……ああ、そうだ。アイツを慕っていたあの女、アレならばきっとすぐにでも目覚めさせて使いこなすであろうこの力を、未だに存在すら気付けぬ事が奴の弱さの何よりもの証拠だろう?』
「あぁ……、王子の事か。彼女を喪ってから、河勝は余計に蓋をしてしまったのかもしれない。あれからわざと明るく振る舞うことが増えたからね。
いやぁ……人間というものは本当に育てるのが難しいよ」
『…だがしかし、君はそういうのが好きだろう? 葦原朝斗彦。どんな神よりも人間臭く、何よりも好奇心旺盛である君が、そういった周りの者の変化を好まない訳がない。
ヤマトとの戦争に負け、神霊として何も変わることなく日々を過ごし続けるという運命を不本意ながら受け入れた君にとって、変わりゆく人々の日々の営みというのは何にも変え難い憧れなのだろう?』
うわ、当ててくるなコイツ……。ってそうか、こいつは言わば己の写し身。知らないはずがないもんね。
『ボクには全てがお見通しだ。師弟揃って不器用な君達二人の事は全てね。
……おっと、長話が過ぎたな。外で皆が心配しているようだし、元は同じ存在だった好としてアイツの力について教えてあげよう。
秦河勝……本来アイツの持つ力は、常世を封じる力。己の持つこの領域、隠されし扉の世界において現世に存在する闇を閉じ込める為の力だ。
しかし、使いようによってはなんだって出来る。
一度扉を開いた者をこの領域は記憶するから、扉を通じてその者が在る場所に移動することだって出来るし、逆に相手を無理矢理引き込んで出入口を無くし、無間の地獄のように延々と彷徨わせることだって出来るんだ。
……そうだ、今この世界はあの妖精と繋がりを持っている。君はアレを目覚めさせるためにここへと来たのだろう?』
「そうだ。それをしなければ現世には戻れない」
僕がそう答えると、目の前の彼……いや度々見た目を変えているので今は彼女か……は、『ならば、此度はワタシがやってやろう』と言った。そして、何やら妙な術を用いたことで両手から神力を溢れさせ、先程の扉を開いて作業を始めたのだ。彼女は暫く両腕を動かすと、その扉から取り出した薄気味悪い靄を手繰り寄せ、それを新たに造った扉の向こうへと仕舞いこんだのであった。
姿形は完全に同じだと言うのに僕の知らない術を使いこなす時点で、やはり目の前の存在は自分であって自分ではない存在なのだろう。
『葦原朝斗彦、先程の話をよく覚えておくんだ。確かにアイツにはここに来る準備が出来ていないが、その時は間違いなく近いうちにやってくる。その為に、ここで見た事、聞いた事を全てヤツに教えるんだ』
「……解ったよ。今度弟子がここに来る時があったら、その時はよろしく頼むよ」
『勿論だとも。そこを開けばここから出られるからね』
「分かった。それじゃ、失礼するよ」
椅子に座った彼女に言われた通りに戸を開ければ、再び身体がとてつもなく強い力によって吸い込まれ、気付けば僕は現世へと戻っていた。そして、すぐに憑依をやめて体から抜け出したことで、間もなく河勝も頭を抑えながら目覚めたのであった。
「う、うーん……。アレ、のぼうちゃん……?」
「……!!! アゲハちゃん! 良かった!目が覚めたんだね!」
「え?うん。あれ、いつもの籠じゃないの?」
「違うよ!もうあそこにいる必要なんてないんだよ!」
「そうなの?気に入ってたんだけどー」
「……ッ、何か妙な事をしただろう……師匠。視界が揺れる……まるで頭が胴体と切り離されたかのようだ」
「まぁね……いや、実に面白い体験をさせてもらったよ。河勝、君はまだ完全には力を使えてなかったんだね」
「……なんだって? 師匠、貴方は私の体を乗っ取った時に何を見て、何を聞いたんだ」
「うーん……何から話せばいいのやら……。まぁ、かくかくしかじかってことがあって、その後はにょろにょろげこげこって感じかな」
「ハァ……成程な。結局、師匠には全てお見通しだったというわけか」
「……な、なぜ今の言葉で全て解るのだ!?」
目をパチクリとさせる妖忌の横で河勝は思案の表情を浮かべながら俯き、腕を組んだ。そしてため息をつくと、彼は一言「……分からない」と、ただ一言だけ言った。曰く、生まれついての神人でもなく、ただ身体に御魂が居候しているだけの我が身では、"其処"に至るまでの方法すらも自分には皆目見当もつかないというのだ。
「うーん。ちょっと力を高めてみてよ」
「……分かった」
言われた通りに力を高め始めた河勝の様子をじーっと見つめていると、あることに気付く。彼は人として身体の強化を行っており、神としての力は一切使っていなかったのだ。……一緒に鍛えた王子が簡単にそこに至っていたから出来ているとばかり思っていたけど、今まで僕が使えてると思ってたものってもしや貯められた神力が溢れ出てただけってことか……。
「……ねぇ。それ、なんで力を切り替えないの?」
「は?」
「いやいや、神力ってこうさ……。
えっと、なんて例えればいいんだろ? 二又に別れる水路のうち、一つを仕切りみたいなもので堰き止めてどちらか一本のみにより行き通らせるような感じで頭の中で使う力を切り替えるというか……。
今君がやってるのは霊力を高めるのみだけど、高める途中で自分の意識を切り替えればすぐ出来ると思うよ? 意識してもう一回やってみて」
結局、河勝は僕の指導を実践したことで、今まで苦戦していたのが嘘のように、あまりにも簡単に自らの力を呼び起こすことに成功した。
「うわうわ!ねぇ翁、それどうやったの!?」
「おーっ、これだよこれ!やったね河勝、一皮剥けたね!」
辺り一面が尊き神の力に包まれるほどに力強い神力を弟子が引き出した事に対して僕が喜んでいると、妙に達観した表情を浮かべながら河勝は一言こう言うのである。
「……もっと早くに言ってくれればな」
えっと…いや、それは本当にごめん。
気付けば始まりの章以上に長く書いてしまったこの時代、そろそろ終わりが近いです。終わったら幻想郷での日常なんかが書けたら良いですねぇ。