石桜を全て自前の結界で受け流しながら僕を
久侘歌ちゃんの歌は兎に角不思議なものであり、ひとたび聴けばまるで古い皮を脱ぎ捨てた蛇のように勇ましい存在になれる気がしたのだ。
足に絡みついていた得体のしれない何かが離れていくのを感じ取ってからの僕の動きは、まさに電光石火のものであった。
被弾するかしないかのギリギリまで攻めた避け方で敵の放つ弾幕を回避した後、僕は逆手に持っていた刀を振り上げ、まるで捕食する蟷螂のように敵に向かって勢い良く振り下ろした。彼女は手に持っていた錫杖でそれを防いだものの、僕は刀を左手に持ち替えてその柄の頭を思いっきりヤツの額へと叩き付けたのである。
「…うわ〜っ、オンナの子相手にそんな事するなんて酷い!あっ、でも敵なんだから別にいいのか!いけー!やっちゃえ朝斗彦〜っ!」
「…あの、こいしちゃん?もう今は降りていいんだからね?」
「やだー!」
「……」
がっしりと背中にしがみついたまま離れなかったこいしちゃんはまぁ、置いといて。
「…それが淑女に対する扱い方かい?全く、これだから原始宗教の神ってのは野蛮で嫌だわー」
「…淑女?敵の間違いだろう。
この葦原朝斗彦が武器を持ち、戦うのならば、目の前の敵には誰一人とて容赦などしない。例えそれが女子供であってもな」
「…随分な言い草じゃないの。その女とやら、舐めてもらっちゃあ困るよ!」
そう叫ぶと、ヤツは見事な棒術を披露した。…きっと遠い昔、まだ肉体があった頃に学んだのだろう。
身体に染み付いたその動きは実に手練れたものであったが、皮肉なことに見るからに魔術幻術なんでもござれ!と言わんばかりの見た目をした彼女が奇怪な術を使わなくなったということは、奴から最早余裕というものが無くなった何よりの証明であった。
背中におぶった実に厄介な妖怪のお陰かは分からないが、俯瞰してモノをみる感覚が研ぎ澄まされ、何やら視野が急激に広がったような気がした。そうなってしまえば、もうこちらは無敵である。彼女の攻撃は僕の身体にかすりすらもせず、高慢な精神を叩き折るには十分すぎる時間だった。
「付き合ってやったのだから、こちらも遠慮なく行くぞ!」
この直前、ちょっと流石に降りて欲しいかも…と、こいしちゃんへとやんわり伝え、向こうも納得してくれたので肩の重荷が外れたため、ここで完全体の葦原朝斗彦誕生である。
「さて、もう手加減はナシだ。我が領域に土足で足を踏み入れたこと、後悔させてやろう」
肩を回し、剣を手元で回転させて敵から視線を外さぬようにしていると、それとは反対に僕の周りを回って様子を伺っていた彼女の視線は…僕の手元、つまりは大刀へと向いていた。多方、『きっとコイツはまた剣で斬りかかって来るだろうし、その時は手元の錫杖で受けるなりしてその後反撃しよう』とでも考えていたのだろう。
まるで子供騙しのように僕が右腕を振るうと、敵はすぐに防御の体勢に入った。しかし、それは刀で斬りつけられた時の守り方であったために隙だらけであった。そこで、僕は既に大刀を振るっていた腕の勢いを使って全身をひねって回転しつつ左手を伸ばして敵の肩を掴んで抑えると、彼女の後頭部へ向けて思いっきり飛び蹴りを入れた。
突然の行動に敵は目を見開いて驚いていたものの、僕の攻撃をされるがままに受けたことで完全に再起不能状態に陥ったのである。
「この葦原朝斗彦、仇なす者には手加減など一切しない。お前もコレで分かっただろう」
ボサボサになった髪を片手でかきあげながら向こう岸へと落ちていく敵を見つめると、僕は直ちに現場へと直行した。自らに仇なした敵へと引導を渡す為に。
…
茜色の靄に染まる、彼岸の河原。
僕の渾身の一撃を喰らって力尽きた悪霊へと近付くと、僕は彼女に向けて手をかざした。すると、背中の注連縄を構成する内の一本の藁が延びていく。
藁はどんどんとその巻き数を増していき、横たわる彼女の腕と胴を拘束した。
そんな時、大小の石が転がる河原を一度たりとも踏み外すことなく踵を鳴らして現れたのは地獄の閻魔、四季映姫・ヤマザナドゥ。これから行われる罪人への仕置にはいなくてはならない存在だ。
そして彼女は注連縄から伸びる蔦を不思議そうに眺めると、こちらへと質問をしてきたのであった。
「私も増援を呼んでしまいましたが…コレで終わったのですね。…それにしても朝斗彦さん…これは一体?」
「ああ、コレは神人が立派な国津神となる際に行う儀式の応用さ。注連縄は天津神による僕ら宛ての拘束具でもあるから、その術を応用してヤツを拘束した」
注連縄。我々のような神霊の身体を現世に繋ぎ止める為のものとされているが、その実は八幡神などの社においては強大すぎる神の力を抑えたり、僕らのような反乱者あがりの神が、二度と天を統べる大御神とその血族たる
捉え方によっては『要するに
制限を受ける中で研鑽を積んで己の力を蓄えて同調させる事で、自らの神体として扱えるほどに繋がりを持つことが可能であるのだ。
「…はぁ。それにしても、こんなにも縛り付けていたら朝斗彦さんの方の注連縄が無くなったりはしないのですか?」
「いや、僕や妻の物はもはや同調しきってるからね。ちょっと手荒く扱おうが何ともない、例えるならば身体の一部みたいなものさ。だからこういうことをしようが勝手に増えるしね」
人里に住まう者であれば、たまに店の暖簾の脇に置かれた僕の私物である注連縄の輪を見掛けたことがあると思われるが、これは背中の傍で浮いているだけなので取り外しだって可能である。
それを実演して見せると、映姫さんは困惑した表情でこちらを見つめていた。
「…えー、ゴホン。さて、御用改めといこうか。映姫さん、アレは?」
「ええ、我が手の中に」
イマイチ反応がよろしくなかったため咳払いをし、僕はある物を出すように映姫さんへと合図をした。
そして、手際良くソレを用意した彼女の手元にあったのは浄玻璃鏡。この道具は映るもの全てを見通す不思議な道具である。これにかかれば例え神だろうと悪霊だろうと今まで行った所業や、知られたくない過去などが分かる。
例えるならば、僕の場合はこうだ。
名は葦原朝斗彦命、もしくは八坂刀女比売命。
素戔嗚尊の落とし子にして御名方神奈刀比売命…つまりは八坂神奈子の夫。齢十五にして初陣を飾り、齢二十六の頃に二つ上の妻と結ばれ
(当時の常識を考えれば、この場合は夫婦共々かなりの行き遅れである。
ただし僕は色好きな父とは正反対でそこら辺の様々な事情については全く拘りなどなかったので正直全然気にしていない。というか中つ国の比売君たる彼女と結婚出来たことが今でも信じられない)、また同時期に高天原の天津神と戦って敗戦。その後まもなく神霊となって夫婦共に多少は見た目が若返った後、土着勢力の諏訪子との激しい戦いの末に諏訪を征服、その地へと流れ着いた…といったものだ。
…とまぁ、だいたいこんな感じで映された者が今まで経験したことや、僕の場合は参戦した戦いの中で起きた殺しや略奪の責任などなど、今までに行った事柄の全てが判るのだ。
「…朝斗彦さんの経歴は絵に書いたような戦士のモノですね。人生全てが戦いに色塗られているので、この子守り期間…?とやらはその反動でしょうか」
「…あの、別に真面目に考察しなくていいからね。子守りは普通に僕に監督責任があっただけだから…」
「…貴方ってのんびり気ままに過ごされているようで案外真面目ですね」
「いやいや、生真面目なだけさ。義務はしっかり果たしたいタチなんだ」
父である素戔嗚尊に騙され、三百五十年近くも表舞台から失踪した結果、喪ってしまった力を取り戻すついでに鍛え上げた悪鬼羅刹*1、大王家の後継者にして神の直弟子にも関わらず、改宗に改宗を重ねたちゃっかり者で野心家の王族*2、
こうして文字にしてみれば笑ってしまう程にくせ者揃いな連中を世に送り出してしまった訳であるが、もしそれが罪となるなら完全に
罪だけに。
「流石にそれは罪として数えません。判断となるのは個人が犯した罪ですから」
「なるほど…?でもさ、僕って霊だし言っちゃえば既に一回死んでるようなものだけど、これから裁かれる対象になったりするの?」
「是非曲直庁の定めし規範に則れば、神霊はその力が強大すぎることや、また神という不変の属性を持つ事から裁かれることはまずないでしょう。
なので、我々閻魔が神々へと直接注意を行うなどといった取り組みをしてますね」
「あー…それでか」
「そういうことですね」
この時既に何度か経験済みであった説教の理由が分かり内心腑に落ちた。とはいえ、はっきり言って食らいたくないものは食らいたくないのである。
もしこれを読んでいて、最近私も閻魔に叱られた!という人が居たら申し訳ないが、彼女が説教することにハマってしまったのは僕達地底のアウトロー達の責任的な部分があるので何卒許して欲しい。
「…いや、今はそんな事はどうでもいいんだ。映姫さん、彼女を鏡に映そう」
「それもそうですね。…ごほん。
浄玻璃鏡よ、この者の真実を映し、抱えし罪を全て洗い出しなさい!」
咳払いをした後に映姫さんが手鏡を掲げると、ペかーっと光った後に失神した彼女のすべての情報が載せられた。
「どれどれ?」
本来の名前は遠い異国の言葉であった為に僕ら二人では読むことが出来ず、代わりに横に注釈付きで表記されたものは、魅魔というなんとも分かりやすい名称であった。
そんな彼女の経歴はというと、簡単に言えばこれまた難儀な名前の国に生まれ、その地を治める王の宮廷に勤めた侍女であった。
その通称の通りに優れた美貌の持ち主であった彼女は権力者に気に入られたことで妾となり、やがて望むもの全てを与えられる程の寵愛を受けたという。しかし、そんな全てを魅了する程の傾国の美女であった彼女が唯一として魅入られたモノは禁忌とされる魔界の秘法である魔術だった。
幸い、彼女は筋が良かったようでスルスルと技術を吸収していき、後に残すは捨虫の術と捨食の術と呼ばれる、言わば人間を辞めるための最終段階のみだった。しかしそんな時、彼女の蠢動を察知していた者達が居たようで、彼女は魔術師として道を修めるまであと一歩のところで彼等によって誅殺され、その一生を終えて怨霊になった…ということが書かれていた。
「…なるほどな。結局の所、直接的な死因は詰めの甘さによるものか。ということはその悪癖は今も直ってなかったって訳だ」
まぁ、それにしたってまさか女子に対して飛び蹴りを浴びせる非情な輩がいるとは思いもよらなかったはずだ。
まぁ実際のところは刀で切り付け弓矢を放ったり…と、明らかにそれ以上のことを僕はしている訳なのであるが、そういったところにまで気が回らなかったのは彼女が生粋の戦士ではないからだろう。
「…ん、ぁ…アレ?私、なんで横たわって…うわっ、縛られてる!」
「むっ、起きたか。お前は負けた。愚かにも神に盾突き、一矢報いる間もなく、な」
「…」
「この浄玻璃鏡によって、我々はお前の素性や行いなどは全て把握している。故に、お前の事は全てお見通しだ」
「なっ……恥ずかしいっ!さいてー!!」
モジモジと芋虫のように悶える敵を見つめつつ、僕は隣の映姫さんが持った鏡を親指で指しながら言葉を続ける。
「お前はこの地を乱した奸賊、つまりは罪人だ。罪人にはそれ相応の罰を与えなければ民の安寧は保たれない。故に、我が意を持ってお前に二度目の死を与えん。その覚悟は出来ているか?」
「…!?いやいや、待ってよ!アンタ、斬るのは流石にやりすぎだと思わない!?ほら、なんか色々あるでしょ、日ノ本なら足に石板載っけるとか五右衛門風呂で煮込むとか!ちょっと、即断すぎないかしら!?」
「問答無用。そもそもお前には脚なんて生えてないんだから載せようがないだろ。それに、僕はそういった荒事には慣れているから苦しませずにやってやるさ。だから安心して欲しい」
「わー…、わーーーッ!ヤバい!神綺様サリエル様紫様っ!いやもうホントに誰でもいいから兎に角お助けぇ!!!」
「うるさい奴だなぁ」
「ですね。手短に済ませましょう」
刀を鞘から引き抜いて構えを取ると、うつ伏せの状態でこちらを見た魅魔は「ヒイッ」と声を漏らした。そして、何とか逃げ出したい彼女はジタバタと藻掻くものの、注連縄の拘束に慣れぬ為にその場から動く事すら叶わず、こうして僕の刃の前に斃れた…はずだった。
「…おや、お初にお目にかかる。河勝から君の噂はかねがね聞いていたよ」
「こちらこそ、隠岐奈から貴方の噂は耳に届いておりましたわ、葦原朝斗彦命。その眼差し、似たモノによく見覚えがありますもの」
振り下ろされた刀を扇子で受け止め、まるで絹のように細く、艶やかな金髪を靡かせながらこちらへと目を向ける者が一人。そう、ここで後ろに式神を連れて現れたのは幻想郷最強の一角、八雲紫である。
彼女は我が弟子、秦河勝…即ち摩多羅隠岐奈の友人にして最も厄介な政敵、そして幻想郷における法そのモノであり、実質全てを担う大賢者だ。
「……紫ぃ〜!アンタなら絶対助けに来てくれると思ったよ!
もう、嬉しいから足にキスしちゃう!ちゅっちゅっ!」
「……」
…彼女は基本、普段から取り繕った仮面のような表情を外さないが、この時ばかりは心底軽蔑する表情を浮かべ、すすす…と数歩横へと移動した。なお、その二人の様子が余りにも間抜けすぎた為に思わず僕が笑いを漏らしてしまったことで、その後数百年経った現在もなお彼女からはうっすらと嫌われている。
「…で?わざわざ止めたということは、我が判断に何か異議があるのか?申すべきことがあるなら聞こう」
「彼女は確かに罪人、それについては異を唱えることはありませんわ。ただし、ここで滅するには惜しいと言うだけです」
「たかが亡霊一匹が?…なら、君はどう扱いたいんだ」
「私としては、彼女はこの郷の地上における東端を示す博麗神社にて封印…まぁ、蟄居とか幽閉のような扱いをしたいと考えております」
ここで、僕は隣に立つ映姫さんへと目線を送る。
何故なら判断を行うべきは堅洲国をまとめる僕、そして地獄の管理を行う閻魔の映姫さんの二人であり、スキマ妖怪に問題解決の決定権を委ねる事柄ではないからだ。
…まぁ、今となっては『あの時そんな事もあったよね〜』といった感じではあるが、はっきり言ってここで紫が中心に取り決めを行おうとしたというのは、こちらとしては気分の良いものではなかった。
「幽閉するという案については受け入れてもいい。だが…それを地上で、というのは…どうも気に入らないな。
この騒乱は地底で起きたものなのだから、幽閉させるなら地獄にある領域のいずれかがいいのではないか?
それに、こういった問題が起きた以上、我々地底の権力者達が政で細かな部分を詰めなければならないことは確かだし、当事者同士である我々の監視下に置かなければ約定が反故にされる可能性も充分にありえるからな」
「私も朝斗彦さんの意見に賛成です。
また、今回攻め寄せた者達は死霊に加えて人間霊と畜生霊も入り交じった混成軍だったと久侘歌より伝え聞いてます。故に、今までの様に黄泉の中の一地域として雑多にまとめるのではなく、我々仏門の教えに所以を持つ細かな領域を設定し、その地のいずれかに彼女を送るべきかと考えます」
僕達がそう言うと、紫は顔を扇子で隠して暫しの思案の時に入った。そして、彼女はこちらの集落がまるごと浸水したことなどをあげると、地底側には罪人を管理する余裕などないのでは?と指摘をしてきた。
「いや、その点は問題ない。里の排水や地獄の細分化などを僕の配下であるさとりちゃんに委任させて進めさせる間、奴は向こうにある僕の社で吊るして晒し上げ、僕と神官たちの力で無力化しつつ繋ぎ止める」
「!!!はァ?何だそれ!?そんな案山子みたいな扱い、私はされたくないぞ!ねえアンタ、もっとマシな扱いにしなさいよ!」
「……お前の扱いは此方が決めることであって、君がとやかく騒いで決めることではない。僕が勝者であり、君は敗者だ」
僕がそう言うと、魅魔は歯を噛み締めて悔しそうな表情を浮かべた後、何も言わずに項垂れた。…まるでどっちが悪役なのか分からない発言であるが、実際間違ったことを言ったつもりは無い。そして、この時の僕が一語一句変わらぬ言葉を向こうへと伝えた事は今でも記憶に残っている。
しかし、当然だろう。
かつての僕は中つ国の為に高天原と戦い、そして負けた。それでも尚、今も神として存在していられるのは、その当時反抗すること無く勝者の言う事を聞き入れ、恭順した上で力を発揮した為である。それ故に、敗者が嘆願する訳でもなく上から目線で物を言うというのは自らの首を締めるに等しい行動であり、僕にとっては信じ難いモノだったのだ。
「…それで、八雲紫。こちらの要求を呑むならばこれで終わりとしたい所だけれど……もしそれでも呑めぬと言うならばこちらはもう一戦続けて交えてもいい。
もしそうなった場合は山に住まう鬼や後戸の神、諏訪の近親を始めとする八百万の神々へと檄を飛ばして味方につけるだろう。…きっとだが、そのような事が起こるならば君の想う郷作りなど夢のまた夢となるはずだ」
一件脅しっぽく聞こえるが、全くその通りに脅しである。
向こうの二人は戦のイロハを知らないにも関わらずこちらを下に見ていた様であり、対する僕はそんな扱いを甘んじて受け入れる程に慈悲深く、お人好しな考えの持ち主ではないことを示さなければならなかった。
また、向こうにこちらの要求を飲ませる為には、まず初めの条件より譲歩した提案を出し、それでも向こうの納得が行かぬ場合は勝者の立場を利用して敢えて脅しをかける事で、なんとしてでも自分達に有利な条件を抑える必要があったのだ。
「……分かりました。でしたら、こちらはこれ以上は求めませんわ。…魅魔、そういう事だから彼の元でしっかりと反省する事ね」
「なっ!?ゆ、紫!アンタ私に対して色々ふっかけてきた癖に見捨てて逃げるなんてヒドイじゃないか!」
「…なんだって?」
「あら、なんの事かしら?」
「……クソッ!いいように使われて痛い目見させられただけだったのね…!………覚えときなさい!怨霊の怨みを買ってタダで済むと思わない事ね!」
遠い昔に殺された時の表情も同じようなものだったのだろうなぁ…と、此方が予想出来るほどの怒りの形相を浮かべると、魅魔は背を向けた紫へと文句を言い放った。
「…」
「…本当に宜しいのですか?紫様。もし彼が蜂起したとて、我々ならば…」
「口を慎みなさい、藍。貴方は迷わずそういった考えに至ってしまうから駄目なのよ。ほら、帰るわよ」
「はっ、かしこまりました。申し訳ございません、紫様」
こうして、突如現れたスキマ妖怪とその式神は虚空の彼方へと消えていき、残されたのは僕、映姫さん、そして縛られた魅魔の三人だけであった。
がっくしと項垂れた様子の彼女を肩に抱え、さて地霊殿へと戻ってさとりちゃんへと報告に向かうかというその時、後ろから男のように低い声色の女子が話しかけて来た。
「もし、そこの神霊よ。この地で騒乱が起きていると聞いて馳せ参じたのだが、それは
「…おや?どなたかな」
初対面の為僕が首を傾げていると、その声の主は映姫さんがいる事に気が付き、彼女に対して恭しく頭を下げた。
「…あら、遅かったではありませんか。戦ならつい先程終わってしまいましたよ?」
「なんと?…むぅ、出遅れたか。これでも急いで参ったのだが」
「…映姫さん、この方は?」
「紹介が遅れましたね。彼女は矜羯羅童子、不動明王の側仕えです。彼女は命令を問い、それに従って勤めを果たす存在なので、今回は私の命でここへと呼んだのです」
彼女の名前はコンガラ。まるで鬼のような角に、靄がかった実態のない下半身を持ち、そして手には鬼が打ったであろう刀を持った、仏教に由来を持つ神霊である。その威圧感の溢れる凛とした佇まいは、悪を滅する立場である事がひと目でわかるものだった。
「紹介に預かった矜羯羅童子だ。
そのまま呼ばれるも、コンガラのどちらでも私は構わない。以後よろしく頼む」
「葦原朝斗彦だ、こちらこそ是非とも宜しく願いたい。その唯ならぬ雰囲気、このような場所で初めて対面したのが勿体ないくらいだ。
…コンガラ、君がいればもっと楽に終わってたかもなぁ。ねぇ魅魔、君はどう思う?」
「…よりにもよって私に聞くんじゃないよっ、この人でなし!」
ぬーんとした顔で一切の感情が読めない矜羯羅童子と、珍しく笑みを浮かべた楽園の裁判長に、俵のように担がれて不機嫌そうな悪霊。わけのわからない組み合わせの四人であるが、ひとまずこれにて地底を騒がせた騒乱は終わりを迎えたのだった。
ただの怨霊と神じゃ、やっぱり越えられない壁があるよね。
「私は屠自古の味方だよ」
「なんですか太子様、藪から棒に」