叢雲、天より根差す光   作:聖徳王の笏

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八十六話 隠居せし国津神

 

 

 

二日目の朝。

 

 

相変わらず気分は憂鬱である。

その憂鬱な理由というのも、そもそも月の天津神は一部の例外を除きこちらの接触を受け入れず、彼等の望む時にこちらの都合も気にせずに念を送ってくるなど高圧的であるからだ。

彼らにとって我々国津神というのは、向こうの部民……というか奴婢みたいな玉兎よりも扱いが悪いのである。

 

 

 

その日、まだ本番まで大分時間があったので、まぁ何とかなるんじゃないかなーなどとえらく楽観的に考えながら刀の手入れをしていると、後ろから優しめのチョップを受けた。

 

 

 

「……ちょっとアンタ、何のんびりしてんのよ。危機感ないんじゃあないかしら」

 

 

 

「あっ比売」

「勿論私もいるよ」

 

 

 

夏にも関わらず湖を渡って現れたのは最愛の妻である八坂神奈子に、やむを得ず彼女と同居してる洩矢諏訪子。とにかく見慣れた、実家を感じる二人組である。

根の国の王として在った頃は二人のうち単体で会うことはあれど、三人勢揃いは随分と長い事していなかったので当時は新鮮な気分であった。

 

 

 

腕を組み直した比売が隣へとどっと腰を下ろし、僕らの視線が交わる先に諏訪子が座り込んだ。

 

 

 

「ん? ……おろ? そういやお前さん、目の色が戻ってるね」

 

 

 

暫しの雑談話に花を咲かせていると、唐突に諏訪子が僕の顔を二度見した後、指を指してそう言った。そう、鬼達の影響を受けると赤く変色するものの、元々神人だったころより人の神としての僕は親譲りの青い瞳をしているのだ。

 

 

 

「ああ、コレね。少し寝て起きたら直ってた」

 

 

 

「あら、そういえばそうね。道理でムカムカしないわけだわ」

 

 

「ほーん? ……ほら神奈子、どうせコイツまた居なくなるんだからさ。今のうちにたくさん目に焼き付けときなよ」

 

 

 

諏訪子が振り向いて比売へとそう言うと、彼女は真顔でじっとこっちを見た。表情一つ変えないどころか、むしろ顰めっ面を浮かべた彼女の様子ははっきりいって不気味であった。

 

 

 

「な、何その顔……? うおっ!?」

 

 

 

「……やっと帰ってきてくれたわね。私、ずっと貴方のことを待っていたのよ?」

 

 

 

「なっ、何言ってるんだ? 社にはずっと戻ってきてたじゃないか」

 

 

 

「……あんなの帰ったなんて言わないわよ! 家族に大祝、五官祝*1までほっぽり出して維縵国の王なんて名乗って、そんなのおかしいに決まってるわ」

 

 

 

「うん、概ね事実ではあるけどちょっと違う気がする……」

「……お前さ、維縵国はずっと昔に滅んだでしょ」

 

 

 

突っ込まれ放題であるが、要は鬼の影響を受けていない、ありのままの僕が戻ってくることを彼女は待ち望んでいたようである。

 

 

僕の頬に両手を当て、じーっ……と顔を眺め続けたあと、比売はその手を背中側に回してぎゅっと抱擁した。困ってしまったので横目で諏訪子の方を見ると彼女は、

 

 

『お前がいない日中の間相手するのめんどくさかったんだから相手してやれ!』

 

 

と、言わんばかりに必死になって顎で比売を指し、目で合図を送っていたので、僕の方からも抱き返してあげた。

 

 

 

 

 

「ひゅー! このタラシ! 神奈子殺しの鬼め、退治してやらなきゃな!」

「……うるさいよ! ばか!」

 

 

 

それでも、やはり愛する存在を始めとする気心知れた仲間というのは特別なものである。かなり自由にしていたとはいえ、地底で王として祭り上げられていた時には中々こうした時間は取れなかったからだ。

 

 

得体の知れない野良怨霊の退治に民草とのやり取り、そして浴びるようにを酒を飲む鬼との宴会。

……確かに、地底の皆には良くしてもらっていた。だが、元々何事も一人で事足りてしまう身として、日頃より内心は『向いてないなぁ、王』……などと思っていたので、家族もいて尚且つ真の本拠地でもある諏訪の社は地底以上に居心地が良かったのだ。

 

 

 

「……ところで貴方、結局味方は増やせたの?」

 

 

 

「いや全然。父上と伯母上は向こうと何か一悶着起きるのを嫌って拒否、思兼様に至っては連絡すら繋がらなかったよ。

ほかの神々は……まぁ、ちょっとイロモノ揃いだからね」

 

 

 

「アンタもイロモノ枠でしょうが。にしても神望ないわねぇ」

 

 

 

「いやいや、誰も月と接触したい神なんて居ないって。正直いってほぼ関係ないのに引き受けた僕が偉いよ……そうだよね。うん、そう」

 

 

 

「何一人でぶつくさ言ってんだよ、貧乏クジ引いただけのくせに」

「しっ! 言っちゃダメよ、ぼーっとしてるけど内心気にしてるんだから」

 

 

 

家族からの憐れみが余計に心に刺さり、この時ばかりは伝家の宝刀・神経衰弱に陥りかけた。そんな時である。

 

 

 

「……むっ、呼ばれてる」

 

 

 

「誰に? 妾?」

「!??!」

 

 

 

「違うって! 弟子の河勝だよ! ほら、千年以上前に行幸中の天皇家の皇太子に付き従って、ミシャグジみたいな変な若者が此処に来ただろ! 

アレが神霊になったんだよ!」

 

 

 

「居たかもしれないし、居なかったかも」

「……あっ、あの理知的な雰囲気の人ね。覚えてるわよ。彼は元気?」

 

 

 

こういう事は大抵諏訪子の方が覚えていがちなのであるが、この時ばかりは比売の勝ちである。

なお、今となっては孫弟子に振り回される我が弟子であるが、比売の中では未だに人の身で出会った頃の、その当時の若い男の印象止まりであった。

 

 

 

 

 

「……いや、元気そうだったよ? ただ、彼というか、彼女というか……まぁ、僕の身に起きた事が向こうにも起きてて、しかも向こうはそれで固定されてるみたいでさ……」

 

 

 

「ん? おや? これは……?」

「……」

 

 

 

 

 

当代一の墓穴王とは、何を隠そう僕のことである。

しかも、この年はなんだかやることなすこと全てが裏目に出るような、そんなツキの悪い一年だったのだ。勿論、この後に控える一連の問題もそうである。

 

 

 

 

「……連れてきなさい」

 

 

 

「えっ」

 

 

 

此処に連れてきなさいッ! 今すぐ!

 

 

 

「うわっ、ちょっと待って! すぐ連れてくるから!」

 

 

 

 

 

 

……

 

 

 

 

 

 

「……なんでこんな事になってるんだ?」

 

 

 

「いや……、成り行きで? というか……なんというか……とりあえず分からないから今はこうしたほうがいい」

「……」

 

 

 

『ちょっとこっち来れる?』

と、念話で伝えたところ意気揚々と現れ、名乗りを上げ始めた河勝の首根っこを掴み、二人で比売に頭を下げること、五分。当然隣の弟子は困惑した様子でこちらへと視線を送りつつ小声で話しかけてくるので、 僕は土下座しつつ答えを返した。

それでも、なぜ自分達が頭を下げているのかは二人揃って全く持ってわからなかった。

 

 

 

 

 

とりあえず口を挟めそうな隙を見つけた瞬間に僕は事情を説明し、わざわざ女の姿に変わってまで彼女との類似点をひたすらに身振り手振りを行って訴えたところ、

 

 

 

「認めたくないけど、確かにアンタたち外見も雰囲気も似てるわね……」

 

 

 

とのお墨付きを得たのでこの場においては何とかなった。

 

 

 

「……ていうかさ。私もうろ覚えなんだけど、お前ら二人の子供や孫よりも顔そっくりじゃない? ……やっぱり隠し子なんじゃ」

 

 

 

「もうほんとにそういうのいいから! 私の分けた御魂が結び付いちゃってるのに、そのまま波にさらわれて神霊化したら男だろうが女だろうがこうなるに決まってるって!! 

……比売! そんな裏切り、私は絶対しないわ! 信じて頂戴!」

 

 

 

こういう時の諏訪子はホントに余計なことしか言わないので、そんな甘言に騙されることなかれ! という気持ちのみの、八坂刀女比売必死の弁明である。

というか、こちらの弁明する様子があまりにも必死すぎて比売はドン引きであったし、河勝に至ってはプルプルと震えて笑いを堪えていた。

 

 

 

 

 

「……わかった。分かったから、取り乱さないでちょうだい。きっと貴方にとっての黄泉醜女ってこんな感じだったのね。やっと理解できたわ」

 

 

 

「まるで濡れ女だな、師匠」

 

 

 

 

 

擦り寄って来て脚にしがみつき、みっともない姿をさらけ出す僕を見ての比売と河勝の第一声がそれである。別に罵られることに趣味がある訳ではないので、それを聞いて僕は泣いた。

 

 

 

「あら、そうだわ。貴女、コレに用があったのでしょう?」

 

 

 

「然り。明日に我らが行うことを前もって伝達しておかねばと思っていたのです」

 

 

 

「……だってよ。メソメソしてないで、聞いてやりなよ」

 

 

 

諏訪子がそう言うのでイソイソと妻の足元から離れつつ僕が姿勢を正すと、我が弟子はこちらへと向かい直してそのまま話し始めた。

 

 

 

「人里の外れに住民すらも忘れた古い竜神の祠がある。まずは早朝にそこへと行き、形だけでもお伺いを立てる事にしたいのだがよろしいか」

 

 

 

「いいよ。信仰が無くなった祠……という点ではちょっと不安だけど、形だけでも顔出しておけば大丈夫だと思う」

 

 

 

「一応、この計画が動き出した頃から我が弟子たちには失礼がないように周りを掃除しとけと命じてある。きっと今頃は人が拝めるほどには綺麗になっているはずだ」

 

 

 

「そうか〜。河勝はしっかりしてるから、弟子達もいい子達なんだろうな」

 

 

 

「…………そう、だな? そうだとありがたいんだけど。

……で、だ。もし竜神様へと願いを聞き入れて貰えるならばそれで良いのだが、上手くいかなかった時は……」

 

 

 

「……時は?」

 

 

 

 

 

 

「……せーの、「「月へと殴り込み」」

 

 

 

「やっぱりそういうと思った! いやー、私達ってば相変わらず息の合い方がバッチリじゃないか」

「まぁね。私と師匠にかかれば、こんなことたやす……

「「いったッ!」」

 

 

 

 

 

「……アンタ達、バカじゃないの!? 戦うんじゃなくて交渉しに行くんでしょうが! そんな馬鹿なこと口にするのはやめなさい!!」

 

 

 

 

 

結局、男同士のノリで話してたらゲンコツ食らって一発退場。

読んでわかる通りに、我が家はかかあ天下というヤツだ。比売に勝るものはいない。

 

 

 

 

 

 

……

 

 

 

 

 

 

頭にたんこぶを作りながら移動する我々二人。

 

 

 

別にどこか目的地がある訳でもなく、誰からも姿が見えないことを良いことに、僕が河勝の車椅子を押しながら下諏訪の町をぶらぶらと歩いていた。

 

中山道に沿って栄えたこの土地は、のどかながらも当時製糸に手を出したことで人の往来が増えたため、ひとたび周りを見回せば道行く皆が緩やかに変化を受け入れていっている様子が分かる。

そして、そんな中に混じる僕たち二人というのはあまりにも浮いていたこと間違いなかったことだろう。

 

 

 

なお、僕達は師弟揃って面の皮が分厚いので、そんな事は一切気にすることなく恋愛話をしていた。いい歳した妻帯者と、元妻帯者にも関わらず。

 

 

 

 

 

「全く、とんだ災難に巻き込まれてしまったな。

……もう随分と昔のこととはいえ、私の妻は一度たりともああはならなかったが?」

 

 

 

「いやいや!そりゃあさ、政略結婚と恋愛結婚は違うよ。それに、河勝は当時の奥さんみたいな“私はあくまでも他所のイエの者”! って感じの、メリハリついた人とは相性良かったじゃん。

それでもかなり夫婦仲は良かったとは思うけど」

 

 

 

「まぁね。ウチの氏族は他所と違って夫が妻の元に通わず、共に暮らしていたからそう見えるのも仕方ないな。

 

 

……あの時代、そんな風変わりな事を他にしてたのは馬子殿と太子様くらいのものだろう。……にしたって、あの情勢で物部の娘と同じ屋根の下で過ごすなど、今考えてもとても正気とは思えない」

 

 

 

 

 

「狂気の神にそう言われちゃ、かの名宰相もおしまいだ。

……確かにあの時代にしてはかなり不思議なことしてたけど、そんな事言ったら僕たちも同じだし。

はぁ。僕達ホント、共依存だからなー」

 

 

 

「一見すると師匠だけが雲よりも高くぶっ飛んだ性格の持ち主に見えるが、案外どっちもどっちなのかもしれないね」

 

 

「……円満な夫婦生活の中で内心感じ続けてた事を言語化して本人にぶつけるのはやめて欲しいんだけど」

 

 

「フッ……。貴方が感じてるってことは、きっと向こうはとうの昔に気付いてることだろう」

 

 

 

「……まぁ、そりゃあ間違いなくそうだ。それなのに一緒に居てくれてるってだけでも比売に感謝だね。

っと、そうだ河勝。話は変わるけど、君はかなり紫に入れ込んでいるようだよね。僕の中では正直いって余りいい印象がないんだけど、彼女はそんなに魅力的なの?」

 

 

 

親子のように仲睦まじい(と、少なくとも僕はそう思っている)師弟となると、やはりこういった会話のひとつやふたつもするものである。

 

 

隠し子であった僕と、今や絶対秘神たる彼女。

人前ではしないような会話も、ここでなら逆に出来るのだ。

*2

 

 

 

「なんだと? あんなに見目麗しく、頭も冴え、性格も良い女子というのは例え時代を超え、世界中のどこを探したって居ないだろう。……全く、これだから奥方一途な師匠はわからず屋で困るな……」

 

 

 

「僕の傍にあるは比売のみ、そしてその逆もまた……然り。……それに、僕的には今まであった女子達の中で一番妻にしたくないな。

だってさ? なんだか、彼女を妻に迎えたら死んだ後に実権を完全に握られそうだなって……」

 

 

「……フッ、ハッハッハ! 確かにそれは一理あるな。

だが、それはあくまでも人の身であれば、だ。我等は生死を超越した神霊なのだから、その後のことは恐れずとも良いと思うけどな」

 

 

 

 

 

……それにしたって、百年前にした会話だというのに、その内容は双方が過ごした時代の間には信じられないほどの年数のギャップが存在するにも関わらず、少なくとも一三百年前の豪族目線のものである。

まぁ、二人とも根っこは原始人と古代人なので許して欲しい。

 

 

 

 

 

「……にしても、なに? もしかして君ってああいうのが好みなの?」

 

 

 

「概ね合っているが一つだけ違うぞ。

師匠、私はな? 私のみが目の前にいる状況において、対する強者が自らの弱みを見せる瞬間、並びにそれを出来る程に近い距離感を許すことが出来る強者の存在というのが何より好物なんだ」

 

 

 

「……なんか分かるような、分からないような。

自分しか見られない相手の持つ魅力みたいなものに対して、君の言うような優越感……というか、満足感を覚えるってなら、僕も同じかな」

 

 

 

 

 

「そうか」

「そうだね……」

 

 

 

 

 

 

『……』

 

 

 

 

 

まるで珍味を味わったあとのなんとも言えない感覚に近いような不思議な気持ちを共有した事で流れる沈黙。

別に気まずさを抱いたわけではない。二人とも沈黙は嫌いじゃないからね。

 

その後、暫くのあいだ続いた沈黙を破って話し始めたのはそれを招いた河勝であった。

 

 

 

 

 

「……やはり我等は見えないところで確かに繋がっている。例えこの身に流れし血こそは違えども、確かに我々は新羅明神にして牛頭天王でもある、素戔嗚尊の意志を受け継いでいるのだ」

 

 

 

 

先程までの明るい表情とは打って変わり、彼女は神妙な面持ちとなり、そう言った。そして様子を見るために僕が黙っていると、河勝は続けて話し始めた。

 

 

 

 

「……故に、信頼をおける貴方に私から相談がある。実はこの計画を進めるにあたり、地上においては妖怪達を中心に大混乱が起きていたのだ。

そして、それに関連する罪人を一人、根の国へと送りたい。師匠、頼めるか」

 

 

 

「……僕もう向こうの管理人じゃなくなっちゃったけどいいんじゃない? 因みに何者?」

 

 

 

「その名は宮出口瑞霊(みやでぐちみずち)。妖怪を調伏させる幻想郷の守り手である博麗の一族に仕えし宮出口家の娘にして、元巫女。

 

ヤツは妖を退治する立場にあるにもかかわらず、博麗の巫女を裏切り妖怪の味方をするなどの罪を犯し、その妖共からも裏切られて殺されたのだ」

 

 

 

 

 

「……あー、つまりは怨霊ね。分かった。きっと向こうであれば封印させられるだろうし、送っちゃって構わないよ。

なんなら、許可だけなら僕が今向こうに行ってとってこようか」

 

 

 

「おお、そうか。なら、そうして貰えると助かる。

……まぁ? 私が直々に命令しても良かったのだが、妖怪共との強力な繋がりを持つ貴方がいる以上やはりそちらから頼んでもらう方がいいと思う。

ありがとう師匠。やはり持つべきは縁だな」

 

 

「いいってことですよー。それじゃ、ちょっと行ってくる」

 

 

 

*1
諏訪大社の祭祀を纏める大祝の下で仕える五つの家で、大祝と同じく上下で異なる家がついている。五官の名の通りにそれぞれが異なる役職を持ち、例えば守矢家は諏訪大社上社における神長官の地位を持っていた。

*2
「……これ本当にまとめてしまってよろしいのでしょうか? この命知らずだけじゃなくて私の命まで危うくなりそうなのですが」






別れを告げてから一日も経たずに戻ってくる神、気まますぎる。
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