闇の中を抜けたとき、ひときわ広い空洞に出た。
高い天井の隙間から光が斜めに差し込み、埃が舞い、冷たい空気が溜まっている。
石床は割れ、瓦礫が積もり、まるで何者かが暴れた後のようだった。
私は主の背中に近づき、小声で囁く。
「……主よ、この気配……ただの徘徊者とは違います。何かが、います」
返事はない。ただ背中が、静かに前進する。
その瞬間――
背後で轟音が響き、通路を塞ぐように巨大な鉄扉が落ちた。
私は悲鳴を飲み込み、振り返る。
退路が消えた。出口は、閉ざされた。
「と、閉じ込められ……!」
私の声が震える。
さらに天井の奥から、不気味な軋みが響いた。
見上げた瞬間、闇の中から影が落ちてくる。
――ズシン!
地面が揺れ、埃が舞う。
巨体。
そこに現れたのは、錆びついた鎧に覆われた虫だった。
肩幅は広く、体格は岩のように分厚い。
両手には釘を変形させたかのような、棍棒めいたメイスを携えている。
ぎしぎしと軋みながら立ち上がる。
その姿を見た瞬間、私は膝が震えた。
「な……なんですか、あれは……!」
私は後ずさる。足がもつれそうになる。」
偽りの騎士。
その名を後に知ることになる異形は、鎧をまとった“殻”にすぎなかった。
中で蠢くのは小さな寄生虫のような存在――。
だが今の私には、それを見抜く余裕もなかった。
ただ目の前の巨体に圧倒され、息を詰める。
鎧の内から濁った咆哮が響き、偽りの騎士はメイスを振り上げ
――叩きつける。
大地が砕け、破片が飛び散る。
私は転げるようにして壁際へ逃げた。
主は一歩も引かない。ただ釘を構え、敵の足元へ跳び込んでいく。
石床が砕け、破片が飛び散る。
私は悲鳴を上げ、物陰へと飛び退いた。
しかし主は動じない。
小さな身体で、鋭く横に跳び、間一髪で棍棒を避ける。
「主よっ!」
私は叫ぶ。
その声は、ただ恐怖を押し流すためのものだった。
戦いは凄惨だった。
メイスが振るわれるたびに空洞が震え、破片が弾け飛ぶ。
私は岩陰に身を隠しながら、目を逸らすこともできず、ただ見守る。
主は小さな体で、巨体の懐に潜り込む。
釘が鎧に突き刺さり、金属の音を響かせる。
だが厚い殻は容易に裂けず、反撃のメイスがすぐに迫る。
私は震える声で呟く。
「……無謀です、主よ……。いくらあなたが強くても、あの巨体には……」
しかし主は怯まず、跳び、斬り、舞う。
無言のまま、ただ戦いに集中している。
その姿に、胸が痛む。
私は自分の無力さを突きつけられていた。
もし、私に釘を振るう力があれば――主の傍らで戦えるのに。
鎧が吠える。
棍棒が床を叩きつけ、衝撃が波のように広がった。
私は岩陰にしがみつきながら、耳を塞ぐ。
「……あれは、本当に生き物なのですか?」
問いかけても答えはない。
主はただ前へ出て、また釘を突き立てた。
偽りの騎士は巨体に似合わぬ敏捷さで跳び上がり、影が覆いかぶさる。
主は転がるようにかわし、その脚を切り裂いた。
火花と橙色の体液が散る。
だが、鎧は厚く硬い。
攻撃は弾かれ、ほんの表面を削るだけ。
それでも主は一度も下がらない。
私は壁にしがみつきながら、叫ぶ。
「だめです! 傷が入っていません!」
偽りの騎士は怒り狂ったように咆哮し、連続でメイスを振るう。
床が陥没し、衝撃で私の体は宙に浮き、石に叩きつけられた。
視界がぐらぐらと揺れる。
「っ……!」
私は必死に立ち上がる。だが足は震え、膝が砕けそうだ。
主は無言で敵の懐を狙い続ける。
斬り、跳び、かわし、また斬る。
小柄な体が、流れるように動く。
やがて――鎧が軋み、ついに崩れる。
中から現れたのは、小さな虫――
私は言葉を失う。
あれほどの巨体を動かしていたのが、この小さな存在だったとは。
マゴットは必死に逃げ出そうとした。
主はためらわず、マゴットを攻撃した。
悲鳴にも似た鳴き声。
弱々しい身体が切り裂かれ、脂の匂いが広間に満ちる。
だが偽りの騎士は再び鎧をかぶり、暴れ出す。
頭部を失ってなお、その巨体は動き続けた。
「なんという……っ、しぶとさ……!」
私は声を荒げる。
しかし主は動揺しない。
敵が倒れるたび、マゴットが露出し、そこを狙って釘を突き立てる。
戦いは、ただその繰り返しだった。
私の心臓は今にも破裂しそうだ。
石の破片が飛び交い、耳を裂く轟音が響き続ける。
私はただ、叫ぶことしかできなかった。
「主よ! 気をつけて! まだ生きています!」
――やがて。
偽りの騎士は大きくよろめき、崩れ落ちた。
仮面の奥から再びマゴットが這い出す。
その動きは弱々しく、逃げ惑うようで、戦う意思など欠片もなかった。
だが主の釘が一閃し、静かに命を絶たれる。
沈黙。
瓦礫の音も止み、広間にはただ冷たい風が吹き抜ける。
私は物陰から這い出し、主のもとへ駆け寄った。
「……主よ、無事ですか」
答えはない。
だが釘を収めたその背中は、確かに無傷だった。
私は胸を撫で下ろし、けれど震えが止まらなかった。
「……あれが、この国を覆う“狂気”なのですか。かつての栄光を偽る殻だけが歩き、無辜の虫を襲う……」
主は振り返らない。
ただ、瓦礫の向こうへ歩みを進める。
私は小さな声で呟いた。
「……主よ。あなたはなぜ、戦うのですか? 王国を救うためですか? それとも――」
闇は答えない。
ただ主の小さな背中だけが、確かな現実だった。
主は歩きを止め、マゴットの亡骸を見つめる。
「・・・・主??」
しばらくすると、倒れ伏した偽りの騎士のメイスが、かすかに動き出したのだ。
私は息を呑む。
「ま、まだ……!?」
だがそれは敵意ある動きではなかった。
まるで自らの意思で、部屋の奥へと這い進もうとするようだった。
主が釘を振るうが、硬い金属音が響くだけで傷ひとつ入らない。
メイスはやがて、通路の奥へと姿を消した。
私は震える声で呟く。
「……なんだったのですか、今のは……」
主は答えず、ただ去っていく武器を無言で見送っていた。私は慌ててその後を追う。
翅を持たぬ身でも、この背中を見失うわけにはいかない。
たとえ偽りの騎士がいくら現れようとも――。
瓦礫の奥、さらに深い道へと進む。
そこにはまだ見ぬ怪物たちが潜んでいるだろう。
だが私はもう知っている。
主は決して退かない。
そして私は、退けない。
この旅がどれほど深く、暗いものだとしても――
私はただ、この背中を追い続けるのだ。