村の残骸から木材や釘を集め、簡素な船を作るのに長い時間はかからなかった。
むろん、大工としての技術も道具も不足していたから、舟と呼ぶのもはばかられるほどの不格好な代物だ。
だが、主が打ち込む「夢見の釘」の一撃ごとに木材は不思議としなり、裂け目を閉じ合わせるように歪みを吸収していった。その異様な光景に、私は息を呑みながら木材を押さえ続ける。
やがて、小舟は形になった。
粗末ではあるが、水を拒むには十分だ。
「……さすがに、これなら沈むことはないか」
湖面に浮かべると、不恰好ながらも船は水に乗った。私たちは互いに視線を交わし、言葉少なに舟へと乗り込んだ。
空に浮かぶ湖の水面は、底知れぬ鏡のように青く、時折、不気味な波紋を描いた。舟底を叩く水音は規則正しく響き、遠くで落ちる雫が雨音のように重なっていく。
私は櫂を動かしながら、湖の中心に影を見つけた。
崩れかけた巨大な建物――石と鉄骨が絡み合う塔のような廃墟が、湖のただ中に突き出ていた。
壁面は蔦に覆われ、窓は砕け落ち、無数の看板が垂れ下がっている。
「……あれは……?」
主は視線を細めた。
その姿はかつての栄華を物語っていた。私は直感した。あれは古代の市場の中心。
ハロウネスト王が、民に豊かさを示そうと建てた大市場。
「《涙の穹廊(きゅうろう)》……」
口にした瞬間、祖父の声が蘇った。
――都の涙は、穹廊に集められ、民の渇きを癒したのだと。
今では瓦礫に沈むその姿が、かえって哀しく、壮大だった。
しかし今、その栄華は見る影もない。天井は半ば崩れ、ガラスは砕け落ち、塔のようにそびえた案内板が湖の水を受けて腐食している。水の中から伸びる柱の群れが、まるで骨のように突き出していた。
「……都へ行くには、この中を抜けるしかなさそうですね」
湖の真ん中へ近づくにつれ、奇妙な気配がした。
水面に小舟が寄ってきたのだ。そこに座っていたのは――タニシのような、太目の女。
「わたし、とってもお腹がへっているの」
彼女はにっこりと笑った。
目元は眠たげで、声はどこか甘く湿っている。
「よかったら食べ物を分けてもらえないかしら? わたしくらい長い間眠ると、ものすごく空腹になるものなのよ」
「……あなたは?」
呆気にとられ、私は言葉を失った。主も沈黙していたが、その目は相手を警戒する鋭さをわずかに帯びている。
そのとき。
「――食べ物を乞うとは。やはり劣等な作りだ」
低い、しかしはっきりした女の声が響いた。
金属のように硬質な体。光沢ある外殻が陽を反射して鈍く光る。
だがそれは殻というよりも、全身が機械仕掛けの鋼鉄に覆われているようだった。
「ジンは、腹減らない」
その声は金属を擦るように響いた。
「ジンは、壊れない。……あなたとは違う」
彼女は私を真っ直ぐ見つめる。
「その身体、とても柔らかい……もろい……劣等な作り」
ぞっとした。体の奥まで見透かされたような冷たい響きだった。
「……」
私は喉が乾き、言葉を失う。
主が一歩前へ出て、二人の間に立った。一方、最初の女性――タニシの殻を持つ方は柔和に笑った。
「まあまあ」と宥めるように言った。
「気を悪くしないでね。わたしはジジ。この子は……そう、ジン。似ているようで似ていない姉妹みたいなものよ」
「私たちは、ただ腹を満たしたいだけ。戦うつもりなんてないわ。……ね?」
彼女の視線がジンへ向かう。
鋼の女はしばらく黙していたが、やがて小さく頷いた。
ーーー
四人はやがて同じ舟に乗り込み、《涙の穹廊》を目指した。
舟を降りると、そこは崩れた玄関口。
石の柱は傾き、床は水に沈み、瓦礫が道を塞いでいる。
「こっちよ」
ジジが指差したのは、奥のエレベーターホールだった。
かつて人々が買い物を楽しみ、何階層も往来していた場所。今はその箱が湖底へと直結し、水中を通って都に出られる仕組みのようだ。
今もなお湖の水圧に耐えており、その内部の通路は都へ続いているらしい。
「ここから、湖の下を通って『涙の都』に行けるわ」
ジジが囁く。
「昔は買い物客の喧騒で満ちていた場所なのにね……」
私は暗がりを見つめ、鳥肌が立つのを覚えた。かつて笑い声や光で満ちた空間が、今は水音と沈黙に支配されている。
やがて、四人はエレベーターホールの前で立ち止まった。
「ここから先は、あなたたちだけで行くといいわ。私とジンは、もう少し別の道を歩むから」
ジジは殻の奥から奇妙な卵を取り出した。ひび割れた殻からは、ほのかに腐臭が漂う。
「これをお礼に。『卵』よ――とってもおいしいのよ」
笑顔でそう告げるが、どう見ても腐敗した死骸にしか見えない。
ジンは無表情のまま、ただ「……食べるもの」とだけ呟いた。
私は顔を引きつらせつつ礼を言った。主は受け取りはしたが、二人が見えなくなるや否や、その卵を迷いなく投げ捨てた。
私は苦笑し、しかし安堵した。
ーーー
日はすっかり暮れていた。
崩れた廊の片隅に布を張り、私は焚き火を囲んでテントを作った。
「今日は……いろんなことがありすぎましたね」
疲れ果て、私は横たわる。
主は無言で釘を研ぎ、やがて私の隣で目を閉じた。
静かな闇が広がる。水滴が絶え間なく落ちる音が、眠気を誘った。
「カンッ、カンッ、カンッ!」
金属を叩き合わせるような鋭い音が闇に響く。
私ははっと目を開け、テントを出る。
「釘……? 誰かが、打ってる?」
次の瞬間、強烈な衝撃が脳天を打ち抜いた。
「……!」
悲鳴を上げる間もなく、鋭い刃が振り下ろされる。主が身を起こし、受け止めようとするが、闇の中から次々と釘が飛来する。
視界が赤く染まった。
「……あ……るじ……」
私は意識をつなぎとめようとしたが、急速に暗闇に沈んでいった。
最後に耳に届いたのは、誰かの低い笑い声だった――。