ごうん、と重い鐘の音が鳴り響いた。
視界を遮る鉄格子が上へと持ち上がり、眩い光が差し込む。
「――さっさと行け!」
背後から看守のようなムシに突き飛ばされ、私はよろめきながら石畳の上に放り出された。
目の前には、巨大な闘技場。私以外に三十数匹のムシたちが闘技場へ放り込まれる。
観客席は黒い影のような無数のムシで埋まり、口々に罵声を飛ばしている。ジオの入った袋が振られ、怒号と笑いが渦を巻いて落ちてきた。
耳をつんざく喧噪に、私は立っているのもやっとだった。
――ここで戦えというのか?
まだ主の行方すら掴めていないというのに。
「ルールは単純明快! 対戦者は釘槍の戦士と新入り奴隷ども30匹。戦士が倒れるか、鐘が三度鳴るまで生き残った者は二回戦に進む!観客の皆々様、どうぞ賭け金をお確かめくだされ!」
ざわつきが一層大きくなり、観客席の影たちが袋を振りかざす。ジオの金属音が場内を満たし、空気そのものが貪欲に震えていた。
私は硬直したまま、その声を聞いていた。
対戦者? 奴隷? ……それが私のことなのか。
正面の門が開き、鎧を着込んだ戦士が現れた。
角ばった兜の隙間から覗く眼光は鋭く、手にした釘槍を地面に突き立てるたびに石畳が砕けた。
観客席からは歓声と賭け金のざわめきが沸き上がる。
「本戦士は“槍折りのバルム”。十戦八勝の豪傑よ!」
呼ばれた名に合わせて、頭上から光が注ぎ、観客席が一斉にどよめいた。
観客席が揺れるほどの歓声を上げる中、バルムは顎を反らせて叫んだ。
「十戦八勝――だが、二敗は屈辱ではない! むしろ栄光だ! なぜなら、この槍は生まれ変わったのだからな!」
彼は手にした槍を高々と掲げ、刃の根元に残るひびを観客に見せつけた。
「見よ! 折れた槍は鍛え直され、さらに強靭となった! 次なる敵を貫くために!」
観客が「バルム! バルム!」と名を連呼し、場内の熱気が一段と高まる。
「怯えるがいい、小虫どもよ!」
バルムはまっすぐに指差した。
「おまえらのような脆い殻など、ひと突きで砕ける! 鐘が三度鳴るまで逃げられると思うな! ……ここで散れ!」
私は喉を詰まらせ、後ずさった。
観客は笑い声をあげながらジオを投げ込み、石畳に金属音が弾けた。――十戦八勝。
つまり、私たちはただの見世物。勝ち負けなど決まっているのだ。
背後から鉄格子が下ろされ、退路は断たれる。
観客席から声が飛ぶ。
「どうせ一突きで終わる」
「ジオを無駄にするな!」
「いや、あの奴隷、少しは足が速そうだぞ。逃げ回って鐘まで持つかもしれん!」
嘲笑と期待が入り混じる。
高壇の声が続けた。
「――第一回戦、開始ィッ!」
ゴングが鳴り響く。
粗末な釘や刃物を握りしめる者、素手の者、震えるだけの者――その顔ぶれは惨めで、バルムと比べれば烏合の衆にすぎなかった。
「な……なんでこんな怪物と……!」
一匹の小柄なムシが、私の前で膝をつき声を震わせた。
「勝てるはずがない……鐘が三度鳴るまで、生き残れだと? 無理だ……絶対に無理だ……!」
隣にいた角が生えたムシがその肩を小突いた。
「黙れ! 怯んだ時点で死ぬぞ。鐘さえ鳴ればいいんだ、生き延びるだけならまだ目はある!」
彼は強気な声音で叫び、あえてバルムを睨み返した。
「おい! 豪傑様よ! おれの足までは砕けまい。すばしっこさでは負けんぞ!」
だがバルムは愉快そうに笑っただけだった。
「足が速い? ならば先に折ってやろう。おれの槍は“走るもの”ほど狙いやすい」
場内が再びどよめく。
最初の衝撃は雷鳴のようだった。
バルムの槍が振るわれ、彼と共に前方にいた10匹のムシが同時に貫かれ、壁へと叩きつけられる。血飛沫が石床を赤黒く染め、観客の雄叫びが轟いた。
「ひ、ひぃ……!」
先ほど弱音を吐いた小柄なムシは悲鳴を上げ、必死に後退する。
強気な声を張ったムシも、汗を滲ませながら叫んだ。
「まだだ! 走れ! 死にたくなければ走り回れ!」
しかし次の瞬間、バルムの槍の石突きが床を叩き、衝撃波のように砂と石片が跳ね上がる。走ろうとしたムシの脚は容赦なく打ち砕かれ、絶叫が響いた。
「馬鹿な……こんな、速さ……!」
倒れ伏す者の呻き声に、バルムは涼しい声で言い放った。
「いくら逃げ回ろうとも、すべて無駄だ。生き残れるのは、おれの槍が向かなかった者だけだ!」
観衆は熱狂した。
誰かが「バルム!」「槍折り!」とその名を連呼し、歓声と恐怖が闘技場を支配する。
鐘はまだ一度も鳴っていない。
奴隷たちはすでに半数が血の泥と化し、残りも恐怖と絶望の中で散り散りに逃げ惑っていた。