ふと思いついたFate/zeroのネタ作品   作:ふふん

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臓硯は蠢動す

 間桐臓硯は死にかけていた。

 とにかく身を薄めて、分散させ、屍肉を漁って一時の命を凌ぐ。慎重に、慎重に。誰にも気付かれぬように。なによりも、決して派手な行動は起こさぬ様に、細心の注意を払っていた。力も、工房も、未来への布石すら無くして、光を恐れて這いずる毎日。これほどの屈辱は、長い人生でも覚えが無かった。

 けちのつき始めは、はっきりと分っている。あの忌まわしきサーヴァント、アーチャーが襲ってきたからだ。あれの、たった一度、一瞬の気まぐれが、全てを砕き奪い去って行った。魔術工房は物理的に半壊され、内包していた蟲も9割死滅させられた。あまつさえ、胎盤としての利用を考えていた桜も奪われてしまったのだ。

 今の臓硯には、人の姿を維持する力も無い。いや、それどころか。早く人間を食わねば、自分という魂が滅んでしまうのも、そう未来の話ではない。

 普段であれば、その辺の人間を取って食らってしまっても、問題は起きないのだが。今は時期が悪かった。

 聖杯戦争が始まっている時期は、少しの油断が死を招きかねない。派手な真似をして、それで目をつけられれば一巻の終わりだ。これは、隠蔽を上手く行えようが行えまいが関係ない。隠蔽が下手であれば、魔術の秘匿を蔑ろにするとして、早々に処分される。上手く隠蔽を行おうとしても、今の状態では完璧なものは無理だ。それなりに上手くやれたとしても、一流の魔術師であれば確実に発見してくるだろう。そして、その一流の魔術師が町中で、他のマスターの痕跡を必死に探しているのだ。これで見つからぬ訳が無い。マスターで無かろうとも、それが一流の魔術師な時点で見逃すはずが無い。マスターでなかったとして、危険度が下がるわけではないのだから。

 現状は、殆ど詰みに近い。桜を失い、雁夜も裏切ったとなれば、間桐の未来は潰えたも同然。それどころか、自分の命すら明日とも知れぬのだ。

 キィ――一匹の虫が鳴いた。

(おのれ……時臣の小僧めが。不相応にも、余計な事をしおって)

 遠坂時臣が、何のサーヴァントを呼ぼうとしていたのかは知っている。取り寄せた聖遺物は確認済みだ。だからこそ、あの男に――いや、世界の誰にも制御など出来ぬ事は分っていた。なにせ、今回の聖杯戦争を諦めた理由の一つでもあるのだから。

 英雄王ギルガメッシュ。数多に存在する英雄の中でも、頂点に立つ存在。こんなものが、人の言う事を聞くわけが無いのだ。これは確定事項であり、それは時臣も考慮済みで行動していたであろう。ただ、誤算があるとするならば。彼の英雄王は、誰が想像していたよりも遙かに自由であり、気ままであったという点だ。制御どころではない。最初から、話しすら通じる相手ではなかった。

 魔力が漏れるように零れていく。それに乗って、少しずつ命も失われていった。命の危険が、臓硯を焦燥に駆り立てる。

 教会を頼るか――そう考えた愚かな自分を笑った。奴らなど、すでに何の力も持たない。力なき抑止力に、好んで従う者はいないだろう。ましてや何でもありの戦争であれば、それに頭を下げるのはただの馬鹿でしかない。

 ただでさえ、サーヴァントが存在するマスターを匿うという、反則を行っている。この上に、生きた人間を捕らえるなど出来るはずがなかった。、口実を得た勢力は、嬉々として教会に攻め入るだろう。それが分っていて、教会が臓硯に力を貸す訳が無い。最低でも、アーチャーと衛宮切嗣は、アサシン生存に気付いているのだから。

 それでもアーチャーが勢力内にいれば、話は違った。いや、アーチャーでなくとも、別のサーヴァントがいれば。そうすれば、迂闊に攻め込めない場所にはなった。抑止力が、力として機能できたのだ。まあ、この仮定は、そもそもアーチャーが裏切らなければこのよな状況にならなかった、という時点で無意味なものでしかなかったが。

 ぎぎぎ……体がさび付くように、鈍くなる。また、魔力が減っていった。さらに蟲を脱落させねば、命すら危うい。

(嫌だ……死に……死にたくない……)

 もはやそれは、ただの妄執の塊でしかなくなっていた。積み上げてきたもの全てが消え去った、その事実が、さらに追い詰める。

 だからこそ、臓硯は微かな希望に縋る。それを知ることができたのは、単純に運が良かっただけだった。気付かれなかったのは、それほど弱っていたからだったが。

 アーチャーと、ランサーのマスターがしていた会話。それは、聖杯という道具についてだった。

 どこでどう調べたのかは分らない。どちらにしろ、情報源などどうでも良かった。重要だったのは、聖杯という道具の所持について、それの所在を明らかにするという点だ。それこそが、臓硯の消えゆく命を凌がせる、希望になった。これ以上命を繋いでも、聖杯にたどり着く希望がない。しかし、今回のそれをかすめ取れれば、まだ逆転の余地はあるのだ。

 彼は気付かないふりをしていた。聖杯の異常について、それがどういった類いのものなのかを。例えそれだけの余裕がなかったとしても、考慮する必要があったというのに。

 とにかく、潜伏し続けた。限りなく薄く、街の中に溶け込み機会を付け狙う。それは、異常なまでの、数百年に及ぶ執念が可能にした技だった。人間並みの年数しか生きぬ存在には、決して及ぶことの無い怨念。死を恐れながら、ゆっくりと死に向かうという矛盾。それすらも気力でねじ伏せて、臓硯は時を待ち続けた。

 いよいよ、己の全てが崩壊する寸前だった。待ちに待った、機会が巡ってきたのは。

 監視対象をソラウに絞ったのは、結果的に正解であった。アーチャーの動きを知るためには、他に選択肢がなかっただけなのだが。

 アーチャー本人を監視する、という選択肢は元からない。と言うか、サーヴァントの知覚範囲が分らないために、迂闊な事が出来なかったのだが。こればかりは、雁夜にバーサーカーを召喚させたのが悔やまれた。その上に、アーチャーは自身で陣地を構築している。この目をかいくぐって、というのは現実的ではなかった。

 ならばマスターを、という話しになる。この時点で、桜は除外された。当然だが、アーチャーと同じ陣地にいる者を監視など出来るはずが無い。そもそも陣地に入れすらしないのだから。その上、桜は人形のマスター。彼女を監視したとして、アーチャーの動向をすることは出来ない。ならば、ランサー陣営のマスターになるのだが。これも、ケイネスを監視し続けるのは不可能だ。万全であったとしても、魔術師としての格で上を行かれている相手。迂闊な監視などして、見つからぬ筈がない。臓硯には、ソラウという選択肢しか無かった。彼女とて並の魔術師ではない。だが、ケイネス程ではなかったし、何よりランサーにうつつを抜かしている為か、隙が多かった。

 一度目の動き――ランサー陣営単独の動きだったらしい。恐らくは、令呪を受け取りに行ったのだろう。二度目。ここで早くも、望む動きがあったのだ。

 アーチャーの動きなどを知って、何がしたかったのか。どう足掻いても、聖杯戦争に向けられる余力などないと言うのに。間桐臓硯は、ただ一点だけを見ていた。

 力の回復、と言うだけならば、ソラウを狙うのが良かったかも知れない。しかし、これは下策だ。まず、ソラウを確実に食う手立てがない。普通に戦っても、十中八九負けるのに。仮に勝てたとしても、超一流魔術師とそのサーヴァントに、確実に殲滅されるだろう。人質に取ればどうか、これも意味がない。確実にアーチャーが、ソラウごと殲滅するだろう。仮にランサーが敵対したとて、アーチャー相手に勝機は無い。

 いや、それを言うのであれば、全てのサーヴァントにも該当することなのだが。アーチャーがその気になれば、全てのサーヴァントを殲滅できる筈である。なのになぜ、同盟などという迂遠な事をしているのか。それが、臓硯が抱える唯一の不安材料だった。

 とにかく、臓硯は彼らを監視していても、真の狙いはそちらでは無い。もっと、確実な相手でなければいけなかった。

 臓硯は運がいい。いや、悪運が強いのか。とにかく、最後の最後で追い風があった。桜の拉致という、追い風が。

 ざわざわと、草をかき分けて虫を進行させる。これで失敗すれば、後はのたれ死ぬしかない。それほどに、全ての力を振り絞って。

 進行する先には、一人の男がいた。まだ中年にもさしかかっていない、細身を高級なスーツで覆う。悠然とした仕草が似合いそうな男はしかし、激しい運動に息を荒らげていた。

 全力で駆けていた男が、ぴたりと足を止める。臓硯の接近に気付いたためだ。

「む、間桐の翁ですか。申し訳ないが、今は急いでいます。ご用件はまた後日に」

「そう言ってくれるな時臣よ。ワシとて、お主の召喚したサーヴァントに、家を工房ごと砕かれてのう。さほど余裕がある訳ではないのじゃ」

「……手早くお願いします」

 ――かかった。

 口元がにやける自分を、止められなかった。と行っても、所詮今は虫の姿。止めなかったところで、それを知られる訳でもないのだが。

 さらに、時臣との距離を詰めていく。警戒され、踏み込めないであろうという範囲は、かなり狭かった。やはり、現状にじれており、警戒心がおろそかになっているらしい。本来であれば、今すぐにでもアインツベルン城に赴きたいのだろう。

「それに、これから話す事は、お主にとっても無関係では無い。なにせ、桜の現状と不肖の倅、雁夜についてなのだかのう」

「そうでしたか。申し訳ない間桐の翁、是非聞かせていただきたい。……それに、私からも是非、訪ねさせていただきたい事がある」

 今の言葉で、警戒範囲がさらに縮まった。踏み込みを深くする。

 人としてであろうと、魔術師としてであろうと。向かう先と種類が愛であるならば、その内約に差があろうと関係ない。愛とは、即ち執着だ。転じて執着が強ければ、それに対する愛も比例して大きくなっていく。それが心配と交わり、加速されてしまえば。時として、人間は正常な思考ができないまでに思考が鈍る。

 まあ、無理も無い。魔術師として育てられる筈だった間桐桜は、ただの魔道具として教育された。それを知ってしまったのだから。

 アーチャーが戦闘目的以外で外に出ており、行き先まではっきりしている。おまけに、戦闘行為をしないと公言さえしていた。彼を問い詰めるのに、これ以上の機会はないだろう。焦るのも無理はない。だからこそ、そこにつけ込んだ訳だが。

「まず桜についてじゃが、こちらは問題ない。捕らえられてはおるが、丁重に扱われているわ」

「そうですか……」

 あからさまにほっとした様子で、胸をなで下ろしていた。

(やはり、中までは調べられなかったようじゃのう)

 にやりと内心で笑いながら、しかし態度にはおくびにも出さない。

 当然、臓硯とて桜の現状など知らない。ただのはったりだ。こんな、役に立たないような言葉でも、二つの意味を持てる。一つは、自分の力が今でも健在だと主張すること。自分では届かない部分まで見る事ができたとなれば、安く扱うことはできまい。そして、桜が何らかの操作を受けている、と思わせる事も出来る。

 時臣が自分を疑っているのは、理解していた。桜の様子を目撃して疑っていなければ、それはそれで問題だ。しかし、アーチャーが桜をマスターにするに当たって、何らかの操作をしたと思うのも当然なのだ。そして、どちらがそうしたのか……という選択肢になれば、有力なのはアーチャーである。自分への不信感と警戒を少しでも和らげるために、責任をあちらに押しつけたかった。

「そして、不肖の弟子である雁夜について、なのだがこれは謝るしかないのう。なにせ、ワシが見ておらぬ間に、アインツベルンの所になど入り込んだのじゃ」

「ええ、それは私も知っています」

「うむ。あ奴、ずいぶんお主に隔意を持っておったようでな。それも、あそこに入り込む理由じゃったようだ」

「む……そうですか。貴重な情報をいただきました」

 実際、隔意の内約がどれほどかは知らないが。ある事に嘘はない。

 雁夜が時臣を嫌っているというのは、かなり危険である。なにせ、彼には今、ろくな戦力がない。いくら魔術師として優秀であろうと、それがサーヴァントに及ばないのは当然。もしバーサーカーをけしかけられれば、命を賭しても逃げ切ることすらできないだろう。彼に有利な情報を送ることで、少なくとも敵ではない、そう思わせられる。

(まあ、その程度で止まれはせんだろうがのう)

 今回参加のサーヴァントは、揃って何を考えているのか。臓硯には理解しがたいが、宴会なぞを始めだした。過去の例を見ても、前代未聞である。

 が、これは時臣が目的を果たすのに、これ以上の好期は無いのも事実。酒を飲み、気分良く酔っているサーヴァントであれば、そうそう力を振るいはしまい。問いかけられるのは――桜の事から契約を切ったことまで――このタイミングだけだ。これを逃せば、危険度は爆発的に跳ね上がる。

「で、間桐の翁よ、それだけではないのでしょう?」

「うむ。ワシの消耗も、決して無視できる程ではないのでな。幾人か見繕ってもらえぬか?」

「無理ですな」

 だろうな、と同意する。ただし、態度には出さずに。聖杯戦争中にそれを行うのは、敵に背後を見せる行為だ。サーヴァントを失ったとしても、こうして出歩けば攻撃対象には十分なる。そして、交渉も成り立たない。

 そもそも交渉とは、ある程度対等であれば成り立つのだ。同時に、互いが己の利益になるものを所持していて。臓硯は今、力を大きく失って、時臣に交渉をさせるだけの力がなかった。少なくとも、そう思わせる事は出来ていない。工房を失ったことで、代わりに差し出せるものも殆どない。リスクもメリットもなければ、こんなものだろう。

 そう、今の間桐臓硯は思い切り格下だった。見下されていると言ってもいい。だからこそ、時臣は詰問に近い質問を投げかける事ができる。

「今度は私の番です、間桐の翁よ。あなたは桜に、どのような教育を施しました? もしや……魔術師として、育てていないのではないですか? 都合のいい、生きた魔術礼装としてしか」

「またずいぶんと、思い切った質問だのう。間桐と遠坂には、盟約があったと記憶しているが?」

「そうですな。あくまで、互いに納得できる形であれば、ですが。それが破られれば、その限りでは無い……違いますか?」

「然り、然りよ」

 なんだかんだ言って、甘いし失敗もする男だ。だが、肝心な所を見誤らないのも、この男だった。視線は鋭い。回答を間違えれば、今にも殺されそうだ。

 まあ、それは。肝心な部分で失敗をしない、というのとは話が別なのだが。すでに重ねられた失敗は、取り返しが付かないほどに積み重なっている。それこそ――命に届いてしまう程に。

 急に、かくんと。時臣の足から力が抜けた。いや、足ばかりでは無い。全身から、まるで筋肉が抜け落ちたかのように、ぐったりと地面に横たわった。首所か、視線を動かすのすら苦労する。そんな様子で、震える眼球を必死に動かし、臓硯を捕らえようとする。

 アインツベルン城に向かうために、必死に走っていたから、などという理由では無い。時臣ほどの魔術師であれば、体の損傷を気にしなければ、一晩中車並みの速度で走り続ける事も可能だ。少しばかり息が上がっているとしても、そこはまだ市内。この程度で限界を迎える程柔ではない。

 しかし、現実は指の先すら動かない。そして、魔術回路すらまともに動かないであろう事を、臓硯は知っていた。

 がさりと、草をかき分ける音がひときわ大きくなる。背の低い草を踏む音は、勝利への進行の証だった。

「まだまだ青いのう……遠坂の小倅よ」

「あ……う……」

 何を、とでも言いたかったのだろう。生憎と、彼の体は完全に所持者を裏切っており、命令を聞き届ける事などしないのだが。

 どれほど高く積み上げた積み木も、崩れるときは呆気ないもの。超常的な力を使える魔術師は、己が本当の意味で、人間でしか無いという事を忘れる。臓硯と他の魔術師に違いがあるとすれば、間違いなくここだという自負があった。肝心な時に、必ず成功させる、という能力。ともすれば臆病にしかならないそれは、しかし臓硯に数百年という時間を生き長らえさせた。今日という死も回避して。

 小さな鳴き声が上がる。多足類に分類される蟲、それが時臣の足下あたりから進み、臓硯という虫の集合体に合流した。

 臓硯に残された、最後の切り札。虎の子の対人兵器。高い隠密性と毒を併せ持った、特製の蟲。他の虫を脱落させても残しておいたそれは、文字通り希望となった。

「な…………ぜ……」

「うん? なんじゃ、不可侵条約の事か? それとも別の事か? どちらにしても甘いのう。魔術師ともあろうものが、そんな吹けば飛ぶようなものを盲信するなど」

 この圧倒的劣勢を覆し、聖杯戦争に乗り出るためには、クリアすべき条件がいくつかあった。

 生存権を得るためには、強制的に聖杯戦争参加者からも監督者からも睨まれる。それを考慮すると、聖杯戦争に参加しない、という選択肢はなかただけでもあるが。とにかく、与しやすい魔術師を見繕う必要があった。

 まず、それなり以上に魔力を持つ相手であること。乱獲ができない以上、消耗しきった力を命に別状がないまでに回復するのは、力がある相手でなくてはいけない。そして、接近しても怪しまれない相手であること。最低でも、麻痺の力を持った毒虫が接触出来るほどに、今の臓硯を見ても油断する相手でなくてはならない。最後に、精神的に余裕がない事。何かを企んでいても、それを気にかけられないのが望ましい。

 全ての条件に合致する相手など、まずいない。少なくとも、普通に聖杯戦争が動いていれば、絶対に現れなかっただろう。

 しかし、サーヴァントを失ったマスターであれば。臓硯の実態を知り、違和感なく近づける相手であれば。桜のために我を忘れた、遠坂時臣であれば。

 手玉に取ることは、容易い。

「まあ、お主はあれじゃ、運が悪かったわ。ワシの危機と機会、両方に都合がいい相手であった、という点でのう」

 キキキ――小さな虫に不釣り合いなほど、大きな鳴き声が響く。ざわりと、時臣を囲むように雑草の荒らされる音色。大した数ではないが、それでも現在臓硯が操作可能な数の虫全てが、ここに集められていた。

「安心せい」

 普段の腐った木に寄生する植物のような、異臭が感じられない。ただただ、彼には全く似合わない優しさで語りかける。

 これから男の命を啄み、己の糧にしようと言うのであれば、なけなしの優しさも出そうとくらい思えた。とても優しく、声をかける。この世の最後に聞く言葉くらい、そうであってもいいだろう。

「お主の命も魔道も全て、ワシが有効活用してやるわ。なに、嘆くことは無い。聖杯は、しっかりと手に入れてやるからのう」

「あ……あ…………!」

 それは、怒りの声であったか。それとも、怨念を吐こうとしたのか。そのどちらかか両方か、あるいは別の何かか。どうであったとしても、もう二度とそれを知る機会は訪れないだろう。

 周囲にあった虫が、一斉に時臣の頭と胴に食らいついた。皮膚を裂き、血を啜り、肉を食み、骨を砕く。粉じんとなった骨が、油っぽく粘り着く肉と絡んだものが、妙に旨く感じる。人を食うことなど慣れており、味そのものに興味を持ったことなどなかった。しかし、今の希望と死の回避を感じながら食らう『人の死』とは、なんと美味な事だろうか。この快感は二度と味わえない事は自覚していた。だが、この感覚を思い出すために、人を食うのが癖になってしまいそうだ。

 体を、半ば程まで食らった時だろうか。すでに人としての原型を止めていない肉の塊の中で、臓硯はある事に気がついた。

 右手にある、膨大な魔力の塊。これは分かる。時臣は令呪を二画簒奪された。そして、教会に逃げ込んでいないのであれば、手に一画残ったままなのは当然である。しかし、そこには二画分の魔力が残っていたのだ。あり得るはずが無いそれ。

 得た情報が間違いであった、と無視することはできる。しかし、それをしないからこそ間桐臓硯なのだ。すぐさま令呪に干渉し、その先を調べ上げる。そもそも、令呪とは臓硯が中心に開発したものだ。核心部分まで干渉するなど容易い。時間など殆ど掛けずに、令呪が正常起動している事を調べ上げ――ぞわりと、ないはずの背筋が凍るのを感じた。

 サーヴァントを失った令呪の機能は、休止中でなくてはならない。影響する相手がいないのであれば、聖杯戦争というシステムに負担を掛けぬようにしておくのは当然だ。しかし、これは何の異常も無く動いている。つまりそれは、サーヴァントがいると言うことだ。

 まずい。最悪に近い展開だ。致命的に近いミスをしたと言ってもいい。

(いや……まだだ。まだ挽回はきくぞ……!)

 臓硯は、本体である虫を頭に、つまり脳に向かわせた。時臣は死して新しく、頭部に目立った損傷も無い。毒の種類も、脳にダメージを与える類いのものではなかった。ならば、記憶を抜き出すのなど難しくない。

 どんな情報を抜き出すか、考えるまでもない。アーチャーが離反してからの2日分、余裕を持たせても3日分で事足りる。

 得られた情報は、驚くべきものではあった。今回のアサシンは、自己を分裂させる特殊型の宝具持ち。その特性故に、マスターを複数持つという変則契約を可能とした。マスターの片割れは言峰綺礼であり、私欲のなさから時臣が命令の優先権を持つ。その全てが、時臣をアインツベルン城に導くために、森の中に配置されている。そして――時臣の異常を知り、アサシン全てが全力で戻ってきている事。

 恐るべき事態ではあった。しかし、猶予はある。言峰綺礼が令呪を発動させるまでは。致命的に近いが、致命傷ではない。なにより、老獪なる魔術師、間桐臓硯であればこれを解決できた。

 まず右手を食らっていき、令呪をむき出しにする。手早く令呪を己に写すと、すぐさまそれを起動した。

「我が名においてアサシンに勅を下す。ワシに絶対の忠誠を誓えぬ者は、すぐさま反転し一人でも多く道連れにせよ」

 その令呪の起動は、ぎりぎりだった。令呪に宿る膨大な魔力が弾けるのを感じる。同時に、別の場所から流れた魔力が臓硯のそれに負けて、霧散するのまで。

 恐らく言峰綺礼は、アサシンから異常を報告され、時臣に連絡を取った。そして、連絡が取れないとなれば、令呪で転移をさせた筈だ。臓硯はそれよりも僅かに早く、令呪での命令を下すことに成功した。多重マスター間での優先順位、これが臓硯を救ったのだ。時臣はこれを、アサシンの混乱を防ぐために設定したのだろうが。皮肉にも、それが自身を破滅に追いやる最後の一手となった。

 ラインを辿り、サーヴァントの現状を確認する。動かない気配は、たったの一つだけだった。満足行く結果ではない、しかし忠実なコマが一つでもあるならば、十分プラスだ。そして、残った個体は絶対に裏切らないだろう。令呪の命令は、その中に嘘を含ませないのだから。

 この命令で、誰も殺せなかったとしても問題は無い。主目的は邪魔者の抹殺なのだから、そちらだけ達成できれば文句なしの結果だ。むしろ、誰か一人でも殺せていたら出来すぎで、罠を警戒するだろう。

 そして、臓硯は食事の再開と、時臣の記憶の抽出を再開した。

 貪り終えて、とりあえず体の不調だけは回復した。虫の個体数は通常時の5パーセントにも満たないが、こればかりは時間を掛けるしかない。その代わりに、個体ごとの力は充実している。

 食い残した左腕だけを残して、素早くその場を離れていく。アサシンが迎えないならば、ここに来るのは言峰綺礼をおいて他にいない。あれは――代行者は――正しく臓硯のような存在の天敵だ。身の安全もなしに接触していい相手ではない。魔術刻印の宿る部位を残していけば、それを無視して追ってくることもできまい。魔術師にとっては、命より想いのだ。

 群体の体を四方に散らしながら、臓硯は思考した。綺礼の存在は、はっきりと予想外であった。何とかして味方に引き込まなければならない相手である。

 考えながらも、次の手を打つことは忘れない。力を充実させた今であれば、ケイネスに使い魔をつけておく事も不可能ではない。攻撃を考えず、隠密性に特化させれば会話も拾えるだろう。町中に蟲を撒き、発見次第特性使い魔を向かわせる。充実した魔力があり、消耗を考えなくていいからこそ出来る荒技だ。ちなみに、発見は難しくない。飛行宝具が下りられる場所など、限られているのだから。これで、なんとしても小聖杯の正確な位置を掴む。まあ、今までの情報を統合し、位置と言うかモノと言うか、には八割確信を持っているが。

 誤算があり、危険もあった。それは現在進行形で続いている。しかし、勝負を仕掛けるという意味においては、非常に悪くない。

(面白い。面白いぞ、あの神父は)

 キキ――牙をすりあわせる音は、草の音色に溶けて消える。本人でさえも、それがあったと自覚できない。それほど深く広く、闇に飲み込まれれいった。

 時臣は、あの神父を見て何も思わなかったのか。それとも、分かっていてあえて放置していたいのか。記憶を見ることは出来ても、その思考までは分からない。

 言峰綺礼という男を言葉で表現しようとして、臓硯ですら正しいと思えるものがない。恐らく、世界のどこにも、彼を表現するのに相応しい単語はないだろう。最も近いのは、偽りの空虚。しかし、それも近いようでやはり遠い。何者も、近づく事はできない。接触しても、触れる事ができない。

 人のあり方とは面白いものだった。長き時を生きた臓硯にすら、飽きを感じさせない究極形の一つ。そして、ここにまた面白い素材が一つ。

 惜しむらくは、それで楽しむだけの余裕がない事だろう。手早く素早く、自分が望み使えるように調整しなければいけない。が、あの男であれば、それすらも楽しめるであろうと予感があった。

 時臣を始末した、という事実があれば、神父を呼び出す必要もないだろう。勝手にこちらを見つけてくれる。

 完璧だ。勝利の方程式は出来上がっている。小聖杯を手に入れるだけよりも、より完璧に勝ち抜けるだろう。この聖杯戦争で、己の悲願を成就させられるだろう。いや、させてみせる。最初こそ多大な被害を受けたが、今ではそれで良かったとすら思える。この好期を逃さずに済んだのだから。全てが順調に進んでいた。

 この時までは。

 

 

 

 無駄に疲れる酒宴を終えて、俺たちはやっと市街地まで戻ってきた。

 酒にものを言わせて、考えたくないことを薄れさせるのだけは上手くいった。上手くいったのは、それだけだが。酔っていたせいで、言わなくてもいいことを言ったり、言わない方が良いことを言ったり。今考えても頭が痛い。というか、普通に恥ずかしかった。きっと、黒歴史とはこうして出来上がっていくのだろう。最悪である。

 今度辛くなっても、絶対に酒は飲まない。信憑性皆無の誓いを立てて、飛行宝具から下りる。

 人影がなく、そこそこの広さがある場所というのは、案外少ない。それでも、夜という事を考えれば、昼より遙かに楽ではある。日中であれば、街の外に大きく外れるという手間を掛けなければならなかった。

 ちなみに、ビルの上に下りるという選択肢は無い。ケイネスがとても嫌がるからだ。理由は分かりやすく、ビルから下りる為に魔術を使いたくないのだ。と、言う表向きの理由の裏には、ソラウがランサーにアシスタントを願うからだろう。ただでさえ、アインツベルン城では限界以上に堪えていたのだ。恋愛関係で脳の血管が切れないことを、切に願っております。助けは絶対にしないが。多分ランサーが頑張ってくれるだろう。

 全員が下りて、宝具をしまう前に、やはりケイネスが結界を張った。情報交換は、翌日行う可能性も考慮していたのだが、さすがにそれは無いようだ。

 結界を周囲に展開し終え、俺に向くケイネス。アイリスフィールとの会話で戦果を得たためか、機嫌は悪くなかった。少なくとも普段よりは。

「さて……戦果を見せて貰おうか」

「ちょっと待て。その前に……ランサー」

「何だ?」

「お前はアサシンをどう思う?」

 ランサーに声を掛けると、ソラウに腕を捕まれたまま反応する。ケイネスの機嫌が急降下したが、それを相手にしてやる余裕はない。

 僅かに顔を伏せて、考え込むランサー。いくらもせずに顔を上げると、首を横に振った。

「……分からん。少なくとも俺には、あそこでアサシンを消耗しきる理由が思い浮かばない」

「俺もだ。奴らは何を考えて、無謀な特攻をした……いや、命令されたんだ?」

「マスターを狙ったのではないの?」

 と、ソラウ。体をぶるりと震わせ、肩を抱いた。限りなく薄くなったとは言っても、サーヴァントはやはりサーヴァント。圧倒的な力に殺意を向けられれば、その恐怖はしっかりと残る。

 これに答えたのは、限りなく優しい声色を出したケイネスだった。

「それはないんだよ、ソラウ。暗殺しか脳のないアサシン風情が勝負を仕掛けるには、マスターとサーヴァントが離れている事が絶対条件なんだ。それを、マスターとサーヴァントが1カ所に集まっている場所に攻撃を仕掛けるなんて、これはもう無謀ですらない。完全に無意味なんだ」

「あれだけ数がいるのだから、一人くらいは抜けていけるかも、と思ったのかもしれないわ」

「ソラウ様、恐れながら。あのアサシン、本調子であった所で、三騎士であれ余裕を持って倒せます。ましてや分裂した状態では、マスターを守りながら倒しきるなど容易い。それほど奴らは弱いのです」

「え、ええランサー。ごめんなさい、疑ったわけでは無いのよ」

「承知しております。私の役目は、貴方の不安を取り除くことでもありますので」

 ソラウの様子に、苦々しそうにしながらも礼をするランサー。ケイネスの憤怒の表情は、無いはずの歯ぎしりまで聞こえてきそうだった。

 酒宴でのランサーの言葉、それを全く聞いていなかった訳では無いだろう。が、まあ。それで許せるかと問われれば、そんなわけが無いと言わざるをえない。セイバーの件はまだいいとしても、ソラウにいちゃつかれる理由になるわけもなし。それに、こういうのは理屈では無く感情だ。彼自身、落ち度が全くなかったとしても、許せないと思う気持ちは理解できる。

「ランサー、それにアーチャー。奴らは何人に見えた?」

「俺は75人か、6人に見えた。アーチャー、貴様はどうだった?」

「同じだ。残りがいたとして、始末できるマスターすら選ぶ羽目になるだろうよ」

 もっとも、令呪を使われなければ、の話だが。と心の中で付け加えておいた。口に出さずとも、承知しているだろう。

 聖杯戦争で、一番気をつけなければいけない事は何だろうか。相手サーヴァントのスペック、もしくは保有スキルか。宝具も気をつけるべきものではあるだろう。戦法も知っておかなければならい。しかし、どれが一番か、と言われれば、俺はその全てに否と答えるだろう。

 最も注意すべき点は、令呪の数と使用の傾向だ。

 令呪とは、対象に限り――つまりサーヴァント専用の――奇跡機関。極端な話、令呪を無制限に使用できれば、それだけで聖杯戦争の勝者になれるだろう。それほどまでに反則的なものなのだ。超英雄ポイントを凶悪にしたような感じか。

 あらゆる判定を自分が有利な方向にねじ曲げられ、短時間であれば上位宝具発動級の火力上昇、もしくはステータスアップの恩恵を得られる。極端な話をしてしまえば、令呪とは使用回数三回のみの、万能宝具とも言えた。アサシンの残りは、全て集めても全ステータスEランクにも届かない。これでは、さすがに令呪を使いまくっても、俺に勝算を得る事は不可能。しかし、拠点に籠城している桜にならば、その凶刃を届かせる事が出来るかもしれない。

 他の全てのサーヴァントに勝てるだろう。見込みがありながら大胆に動けないのは、これがあるからだった。例えばだ。俺が圧倒的な力であるサーヴァント一体を倒した。俺を何とかするために、他のサーヴァント達が手を組む。多分3体か、4体くらいになるだろう。俺は魔力が十分で、桜のバックアップも万全。勝つ見込みは十分にあったとして。しかし、マスター達が令呪を同時に使用し、俺を倒す方向に持って行かれてしまったら。敵サーヴァントがどのように強化されるか、が全く分からないのだ。最悪なのが、一人は威力型宝具の強化、一人は身体能力の向上、一人は俺のすぐ近くまで転移、等のように分散される事。それぞれ対処が全く違い、対応しきる自信が無い。

 ランサーがライダーに勝つのは至難の業だ。雷撃を気にしなくていいとしても、常に上空を飛び回り、攻撃は高速の一撃離脱。捕らえるのにも苦労するはずだ。ましてや、王の軍勢には事実上対処する術が無い。相性は最悪だ。が、勝てないかと言われると、必ずしもそうではない。

 ケイネスも俺と同じ事を考えているであろう。確実性の高い方法など、そうはない。

 戦車の突撃、その接触する瞬間に、黄槍で渾身の一撃を入れろ。令呪でこう命令してやれば、必ず押し勝てる。殺しきれなかったとしても、ダメージは甚大だ。王の軍勢を展開されたならば、その瞬間にライダーの元に転移させる。繰り返すが、令呪があれば対処は可能なのだ。

 この通り、対応は割と簡単なのだ。そして、対応が簡単だからこそ、対応の対応もまた容易い。相手も令呪を使用しての回避してしまえばいいのだ。令呪で対処をしても、令呪で対処され返してやれば、状況はイーブンへと戻る。令呪をどれだけ上手く使うかは、もしかしたらサーヴァントが何かよりも重要になるだろう。

 と、ここまでならば。令呪を使用できないほど精神を摩耗させた桜をマスターにしたのは、失敗に見える。しかし、令呪とは元々、サーヴァントを律するためのものなのを思い出せば。令呪を使えないリスクよりも、使わせないメリットが十分に大きいと分かってもらえるだろう。

 原作にも、ランサーはマスターと不仲であったために、令呪を意趣返しに使われた。アーチャーも、撤退する、ただそれだけの為に令呪を使う羽目になっている。まあ、ランサーの方はあながち間違いとも言えないのだが。強敵が弱った所を、囲んで叩くというのは戦略的に正しい。バーサーカーが自滅の代名詞であるならば、尚更である。

 とにかく、令呪とは最重要である筈なのだ。マスターにとっては尚更。その令呪ですら挽回できない状態にして、その後の行動というのが、全く予想できない。

「ふん、まあいい」

 嘲笑そのものの声色。

「マスターは代行者だったか。だが、所詮サーヴァントを浪費する事しかできない程度の輩だ。恐るるに足らん」

 こいつもこれさえ無ければ。多少高飛車でも、本気で理想のマスターなんだが。

 彼の能力が高い事は、誰も否定ができないだろう。しかし、己を高くするあまり、相手を引く見る傾向はなんとかならんものか。

「それについては、俺も調べておく。注目する相手が分かっているのだから、すぐに情報を得られると思うが……」

「問題は、相手もそれを想定しているだろう、という事だな」

 ランサーの指摘に、俺は頷いた。やたらと騎士としてのあり方に拘る男ではあるが、こうした裏側を理解しない男でも無い。むしろ、裏から足を取らずに正面から戦えるよう、人一倍気を遣うだろう。

「ああ。どういった対処をしてくるかは分からないが、これがかみ合わないと、最悪情報を得られないか」

「手遅れになって、初めて気がつくか、か。そうならないようにしなければいけないのだが……あれだけの情報収集能力を持つ貴様でも、失敗する事はあるのか?」

「ああいうのは、相手が全く想定してないからこそやりようがあるんだよ。大抵の連中が、魔術以外の情報収集を想定していないだろ? それが分かった時点で、魔術に気付くための努力を、いかに発見されないようにするかとか、暗号化するとか、そっちの努力に切り替えてくるだろうさ」

「なるほど、道理だ」

 実際は、元から知っていた事の裏を取っただけなのだが。俺の情報収集能力は、どの陣営が考えているよりも低い。

 俺はケイネスに視線を飛ばす。そっちで何か分かったことはないか、という意味を込めて。

「教会に使い魔を張り付かせているが、動きはないな。とは言え、監視されていると分かっていれば、やりようはある。所詮使い魔の目ではこれが限界だ」

「だろうなぁ」

 それも仕方が無い、というつもりで言ったのだが。ケイネスはそれを、落胆と捕らえたようだった。苛立ちを舌打ちで表現する。

「そもそも、貴様があの下らんサーヴァントと酒盛りをする、などと言い始めなければ、素早く対処できたのだがな。我々は貴様の演説を聞きに、アインツベルン城にまで出向いたのではないのだよ」

 反論しようと口を開き掛け、しかし言葉が見つからずに閉じる。

 そもそも、俺は酒宴では空気だった……筈だ。うん、その筈である。基本的に、何も言っていないのだ。……ちょくちょく口は挟んだが。なので、説法など説いてはいない。あれはただの、酔っ払いの戯言だ。うん、どう考えても、余計みっともない。ただでさえ恥をさらしたのに、この上自己弁護はみっともないと言うか、むしろ死にたくなる。ただでさえ首を吊りたいのに。

 桜の件での自己嫌悪と酒が化学反応を起こして、バッドトリップしていたのだ。八つ当たりして道連れが欲しかった、とも言う。いや、英霊に対して偉そうに語った時点でおかしいのだが。

 英霊がどのような存在か、と問われれば諸説あるだろう。俺は、英霊とはすでに到達した人間である、と考えている。小難しい言い方をやめてしまえば、成功した者達だ。思考の時点で、大局的なそれと、極めて規模の小さい一般人的なものとでギャップがある。あらゆる物事のとらえ方について、確実に差が出るのは当然なのだ。そりゃライダーも一人一人を見てると言うだろう。なにせ、皆を見ることができない。奴の物言いは、あくまで皆が見れている前提で、個人も見る事ができている、という事なのだ。

 所詮、ビール缶片手に野球中継にヤジを入れているとか、程度はそのあたりと同レベルだ。

 しかし、言い訳をさせて貰うなら。奴ら突っ込み所が多すぎなのだ。騎士として忠義を尽くすと良いながら、俺俺だったし。王談義では優劣の意味がよく分からなく(当然なぜセイバーが敗北を意識してショック受けたのかも分からん。破滅寸前の国だったんだから彼らの帝王学と違って当然である。と言うか本編ではそうだった)、王のあり方と願いをごっちゃにして叩き始めたり。そもそもライダーさんあなた自分が後悔してるじゃないですかやだー、だったり。自分を棚上げと弱メンタルで構成されすぎだ。

 いや、上下関係を作るならば、英霊が上だと言うことに異論は無い。全面的に支持する。何かをやり遂げてきた人間と、ただのぐーたらとでは、本来同じ舞台にすら立てない。が、つっこみとは何が無くとも咄嗟に出るもので、やはり相手が偉いから出ない、というものでもないのではなかろーか。

 ……下らない話だった。肯定であっても否定であっても、正解でも不正解でも、あまりにも馬鹿馬鹿しい。主に俺が。

 ベクトルは違うだろうが、ケイネスも不毛さを感じたのか。ため息を一つ吐いて、眉間の皺をほぐした。

「それで、出向いただけの成果はあったのだろうか?」

「当然だ。と言うか、それが出来てなかったら本気で何をしに行ったか分からん」

 自分が馬鹿晒しただけでした、とかだったら泣く自信がある。

 厳重に封印しておいたそれを取り出そうとして、ふと考えた。ここで話して大丈夫だろうか。

 しばらく悩むが、結局その思考に意味は無いと結論づけた。俺の陣地とケイネスの陣地、どちらで話し合うのも嫌がるであろうからだ。それに、簡易と言えど時計塔のロードが構築した結界、これを知られず抜けられる魔術師はまずいない。少なくともマスターの中には存在しない。

 警戒はしておいて損にならない。想定したパターンの中に、現実したものがあれば対応速度が変わってくる。だが、警戒のしすぎで余計な面倒を追うというのは、話が違うか。

 財宝庫にしまっていた、こぶし大の宝石箱を取り出す。蓋を開けると、神々しい雰囲気の布。それを開いていくと、さらに内側には禍々しい布の塊。それも解いて、中身を出す。最終的に残ったのは、手のひらの上に乗る程度の金属片だった。

「これだ」

「おお……!」

 今までの不機嫌はどこへやら。見た瞬間に、顔を輝かせて金属片を手に取るケイネス。

 聖杯の確信に近いそれを調べられるというのは、それほどの事らしい。俺には、いや、魔術師以外には理解できない感覚だ。

「これが……聖杯……!」

 感極まって声を震わせながら、手袋越しに感触や見た目を確かめている。俺が厳重に封印しておいたものに、直に触れるような事は、さすがにしなかった。手袋もただの布ではなく、魔術礼装か何かだろう。

 口元は、形容しがたく歪んでいる。歓喜か、屈辱か、とにかく色んなものをまぜこぜにしながら、それを凝視した。

「何なのだこれは……! ただの金属ではない。エーテルを混ぜた訳でもないか。アインツベルンはこんなものを作ったと言うのか、素晴らしい……」

「それ、多分生きてるぞ」

「なんだと?」

 それは、勘でしかないのだが。しかし、俺のでは無く、ギルガメッシュの勘がそう告げていた。それを否定するだけの何かは、俺にはない。

「正確には、生体部品の一部とでも言えばいいのかね。肉と金属が混ざり合ったのか、それとも金属自体が生物的な特徴を得たのか、そこまでは分からないけどな。とにかく、それは生きてる」

「馬鹿な……いや、しかし、そんなことがあるのか?」

 欠片を前に、さらに深く考え込むケイネス。それは恐ろしいまでの集中力だった。どれほどかと言えば、魔術師らしく興味を持ち、欠片を覗きに来たソラウに気付かないほど。

「これでは生体と融合してたはずだ。それをどうやって抜き取ったのだ?」

「宝具で」

 隠すような無いようでは無い。正直に言うが、理解されなかったようだ。ケイネスと、ついでにソラウとランサーも疑問符を浮かべている。

「単純に、別の可能性と入れ替える類いの宝具だ。それを抜き取っても、体が普通に肉で出来ていた可能性と入れ替えれば発覚されない。いや、逆か? 聖杯じみていた肉体の色を濃くして、聖杯のような肉で埋めた、が正解になるのか」

「そういう事か!」

 こういった類いの話では、知識の無い俺では感覚的にならざるを得ない。今も、自分で言っておいて、かなり意味が分からなかった。説明にもなってないような言葉だったが、ケイネスははっとして、口元を押さえた。

「聖杯の中継点は、必ず外で触れられぬよう置かねばならなかった。何かに接触させていれば、直接それの属性を魔力に与えてしまう。しかし、肉体と半融合させるこの方法であれば……。そうだ、逆転の発想だ。魔力が他の属性に影響を受けやすいのであれば、最初から聖杯の保管庫に、聖杯色の器を用意しておけば良い。その結果がこうなのか!」

 くくく、と笑うケイネスは、とても生き生きとしていた。少なくとも、聖杯戦争をしているよりは遙かにらしい。

「アーチャー、これは私が貰っていいのだな?」

「そうしてくれ」

 口調こそ疑問系だったが、態度は当然だと語っていた。むしろ、ここでごねられればあらゆる犠牲を払ってでも、獲得に動きそうですらあった。欠片を手のひらの上にのせているだけなのに、指にやたら力が入っている。それこそが、彼がこの話しにどれだけ力を入れているかの証明であろう。

 反対する理由はなく、二つ返事で答えた。恐らく、もう返すつもりはないだろう。聖杯戦争が終結しても保持し、研究に使うのだと顔に書いてある。まあ、やることさえやってくれれば、聖杯戦争後にどう使おうと、俺の知ったことでは無い。むしろ厄介払いとして、処分してくれると思えばありがたくすら思う。

「ああ、一つ忠告しておく。それをランサーに触らせるなよ」

「元より、触れるつもりはない。だが、理由は何だ?」

 予定がないだけなのと、絶対に触れてはいけないのでは、話が全く違う。

「理由なんぞない。ただの勘だ」

「勘?」

 こういう時に、実績というのは役に立つ。とりわけ、知識に乏しい分野でいくつか成功していると、技能に関係なく「そうかもしれない」と思わせる事ができる。そこまで鋭い勘も、導き出すだけの情報と頭脳もない。だが、それは俺以外の誰も知らないことだ。いつか馬脚を現してしまうかもしれないが、それは今ではない。ハッタリが通用する今ならば、勘と言うだけでも説得力を作れた。

「そうだ、勘だ。それっぽい理由もなくはないが、説得力のあるものではない。なんとなくそれが危険だと感じるし、俺もそれを積極的に触ろうとは思わん。だから多重に封印して持ってきたのだ」

 アンリマユが中にいると知っていても、それがサーヴァントに致命的だと知っているのは俺だけ。そして、それを相手に理解させるだけの材料がない。そも聖杯の欠片があるのならば、直接調べた方が早いのだから。

 運ぶ時など、気が気ではなかった。何かの拍子で漏れてしまえば、アンリマユで財宝が全滅だ。サーヴァントに致命的な力を持ったそれを、宝具とは言え同じく聖杯で形作られたもので、どれほど耐えられるか。少なくとも、大丈夫だと楽観するには危険な賭だろう。

 ケイネスに処理して貰いたい理由は、そこにもあった。危険な要素であるアンリマユが無くなったとしても、聖杯自体がサーヴァントという存在に、高い影響力を持っているのは変わらないのだ。捨てたら捨てたで、後からどうなるか気が気では無い。その点、時計塔で管理されるならば、気を遣わずに済む。

「そうか。忠告、感謝する」

「余計な話はそこまでにしておけ。もう用事はないな。ならば我々は帰らせて貰う」

 じれたように言ったのは、当然ケイネスだ。今すぐ調べたくてたまらない、そんな顔をしている。

「そうしてくれ。次に動くのは、そっちが調べ終わってからでいいな」

「構わん」

 こまめに連絡を取ったところで、研究に没頭していればろくな返事もないだろうし。最低限の連絡を取り合っていればいいだろう。

 俺の言葉と同時に結界が解除され、ケイネスは早足に去って行った。その後を追うソラウに、霊体化するランサー。見送りもせずに、背を向けた。

 帰るのは、少し憂鬱だ。桜と顔を合わせて、何と言っていいか分からない。

 酒に逃げた自分の責任だ。多分、英雄と言われる人間ならば、ここで逃げないのではないだろうか。いや、実際の所など、知りはしないが。

 次の日に、ケーキでも買って機嫌を取ってみようか。などと、また小ずるい事を考えながら、人工灯を避けて帰って行った。多分、桜が待ってくれているであろう場所に。


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