ヤンデレと被害者。   作:ボクっ娘は一般性癖

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宝石箱に宝物はしまっておきたいものだ─それは、探偵でも例外ではない。


探偵とストーカー。

ストーカー。尾行を繰り返しその人物の個人情報及び行動を把握して悪質行為をする人間。

あるいは、自分が尾行対象者の恋人または結婚した人間だと誤解した上でつきまとう精神異常者。

頭の中に浮かんできたそれっぽい解釈を思い出しながら外から見つめている紅く揺れる双眸を見やる。

 

「…はあ」

 

何かを飲んだところでこの現実が変わるわけでもない。だが少しくらいは現実逃避をしたい。刺すような炭酸を無理矢理喉へと通し、幸福感がまともな思考をそぎ落とす。

 

自分でも(にわか)には信じがたいことである。しかし一月前から怪現象は起こっていた。友人とヤンデレだの軽口を叩きあえるような状況はとっくのとうに過ぎた。そいつの他に相談なんてしたところで信じられないで一笑に付すのがオチだ。

 

「しょうがないか…」

 

被害にあっているわけでもない。下手に行動してエスカレートされたら自分の部屋を監視し続ける以上のことが起きる。じっとしていればアレは必ずいなくなるだろう。

そんな言い訳をつらつらと並べていれば時間は過ぎ、あの監視するような目は去っていった。

 

…誰がこんな人間に手を出そうとするんだか。

 

疑問に思ったとしても、答えを知っている人物は犯人のみ。そしてその犯人はもう逃げ去ったあとなのだ。

 

…何はともあれ、この恐怖から抜け出したい。

 

『今日も会ったけど明日も会えない?』

 

そんな重要なことを相談するにしては簡素なメールに対してはあっけないほど簡単に『いいよ』と返されるのだった。

 


 

カランコロン、と。昨日も聞いた音と共に誰かがこちらへと向かってくる。休日とはいえ連絡した時間にきっちり来てくれるのは友人の性分か。

 

「おや、なんかいいことでもあったのかい?」

 

「とびきりの厄ネタだよ」

 

最初から軽く茶化してくる友人に対してつっこみつつ、紅茶をすする。猫舌の俺からしてみれば冷まして飲むくらいがちょうどいい。

 

「しかしまあ、君が2日連続で誘うなんてね。そんなに悩みが深刻なのかい?」

 

数少ない友人であるからには週一程度のつき合いはあるのだが、確かに連続で喫茶店に誘うことはなかった。

 

「少なくとも犯罪の解決方法を学んでるお前の力が欲しい」

 

「…へえ。この美少女探偵ノアの力が欲しいと?」

 

思いっきり自分を持ち上げた言葉を吐くその顔は、当然その自信とつり合うようなものだ。切り揃えられた艶やかな黒髪に人を見抜くように射すくめる紫水晶(アメジスト)にも劣らない瞳。もちろん体のスタイルについては均衡のとれたプロポーションであり、街ゆく人に聞けば十人中十人は美少女と言うだろう。

 

そんな見た目だからこそ美少女探偵でも名が通っているし、こんな言葉の使い方をするから寄り付いてくる男の大半は体目当てと見なして即撃退する。

 

じゃあその大半に入らなかった俺はと言えば、単に中学からの腐れ縁である。単なる偶然で友達になっただけなので周りからのやっかみも凄い。

 

(ノアは昔から活躍してたからな…)

 

俺が現場にいたのは中学で一件、高校で三件。そのいずれも殺人事件であり警察顔負けの推理で解決して有名になった名探偵。大学生となった今でも平然と依頼を解決しているため、メディアで見かける日も少なくない。

 

そんなノアの手を借りれるのなら是非に借りたいのである。なんせ彼女が依頼を受けるのは気まぐれであるが─必ず受けた依頼の解決はするのだから。

 

「…まさか連続で呼び出しておいてそのままはいさようなら、なんてことじゃないだろう?今なら依頼の一つや二つくらいは受けてあげるよ」

 

なにはともあれ、こちらに対して手を差し伸べてくれるのは本当にありがたい。ストーカーの対処くらいなら知っているだろうし、それでなくとも彼女がいるだけで気休め程度の牽制にはなる。

 

「…そうだな。ノアに依頼するとしよう」

 

差し出された触り心地のいい手を取り、微笑んでじっと見つめる。契約成立と言わんばかりにノアは得意気に笑う。どんな依頼かもまだ言えていない依頼人を信用しないでほしいとは思うけども。

 

「それならよかった。では依頼金くらいの話はしようか。そうだな…ちょっとだけ僕も悩みがあるんだ」

 

珍しいこともあることだ。そもそもノアの悩みを聞いたところで俺がわかるわけでもない。交換条件として成り立っているかどうかも怪しい。

 

そんな俺の考えを見通しているのか、面白そうに見つめながらノアはひらひらとからかうように手を振る。

 

「もちろん僕の悩みは君さえ協力してくれれば終わるような他愛のない悩みさ。信頼できる交友関係にいる男、かつお願いを聞いてもギブアンドテイクができるような人間という条件を満たしていればね」

 

「なるほど、俺くらいしかいないわけだ」

 

おおかたノアの悩みは偽装した恋人になってほしいとかそんなもんだろう。確かにノアの交友関係は少ないし、男という条件を付けてお願いしようものなら性的な要求をされてもおかしくない。

 

その点なら今の俺は依頼の対価としてギブアンドテイクが成立するし、信頼については比較的あるだろう。

 

「それなら成立したということで。さっそく僕の事務所に行こう。僕の依頼も君の依頼も、他人に聞こえるような場所でやるものじゃあないだろう?」

 

ぱんぱんと手を叩いたら普段のノアとは目が変わる。冷静に人を見る探偵の瞳。全てを見透かすような紫水晶。

味方だとわかっているが、いいようのない恐怖が体を駆け回った。

 

 


 

入る機会のないノアの事務所。普段から使われていないのにも関わらず綺麗だと思ってしまうのは、家具やインテリアがノアの雰囲気に合っているからだ。

 

ノアは実際にこの部屋で監禁が出来るようになっているとかいないとかも話していたような気がする。そんな部屋でストーカーの話を一通りすると、

 

「ふむ、今から君を軟禁したほうがいいかな?別に一生くらいなら養ってあげるけど」

 

と真顔で言われた。冗談なのはわかっているのだけれど、その顔で言うのはやめてほしい。ハイライトのない目でそう言われたら否応なしに想像するだろう。

 

そんな俺の思考には微塵も考慮せず、ノアは自分の推論を語り始めた。

 

「さて、ストーカーの被害にあっているということだったね。君の妄想でないとするのなら、やはり恋愛に関係する可能性が高い」

 

「恋愛、ねぇ…」

 

ノアの口から出てきた言葉に対して少し呆れる気持ちがある。そもそも冴えない一般大学生を恋人にしようなんて告白すればいいだけだろうに。

 

「君はもう少し自分の容姿に自覚を持とうか。名前さえなんとかしてしまえば、明らかに好感の持てる人物だから」

 

「うっ」

 

痛いところをつかれた。恐らく両親がふざけてつけたのであろう名前。孤児院の表のところに置かれていたらしく、そのせいか本名を知っているのは幼馴染のノアくらいだ。

 

「…ま、とりあえず本名については知られてないんだよね?」

 

「漏れるとしたらノアからだろうな」

 

再度の確認に対して少しだけトゲを混ぜる。あいつは確実にバラすなんてことができるような芸当をしたらこっちに相談してくる。

 

その点ノアなら取材とかでポロっと言ってしまう可能性はある。探偵モードであればノアは完璧だが、そうでない普通のノアならやらかしてしまうかもしれない。

 

「心外だな…流石にそれくらいの分別はつくとも。尊厳を散らされようとも君の許可がないと言うつもりはないさ」

 

冷ややかにそう言ってのけるノアだが、本心でそう思っていなければ即答しまい。

 

「…尊厳を散らされるくらいなら俺の名前をバラしていいから」

 

心から信頼している友人に対して絞り出せたのはそんな言葉だった。というより人の恥ずかしいあだ名と自分の尊厳なんて比べないでほしい、というのが本音なのだけれど。

 

閑話休題。話を戻すためにノアはこちらへと確認をし始めた。推理をするのに必要なものを俺からもらおうとしているのだ。

 

「今のところそこまでエスカレートしてないのが問題だね。話を聞いている限り、そいつは証拠を何一つ残していない。なにせ遠くから見つめてくるだけだよね」

 

「…間違いない。警察に相談できてないのもそれが理由だ」

 

ノアは悩む様子もなく現状確認をし始めた。推理を組み立てるのにパーツが少なすぎるのだろうか。

 

「正しいと思う。これじゃ証拠不十分だし相談したところで無駄…となると実は僕と会うことも相当危険だったんじゃないか?」

 

「どうせ一ヶ月も監視されてるならルーティンくらいはわかってるだろうって感じ。あとこれ以上は流石に精神的に異常をきたす」

 

大仰に肩をすくめるが、実際はもう既に日常生活に問題が出ているだろう。最近は趣味に没頭できるほど勉強ができてないし、それよりもいつも周囲から見られているこの状況は気づかなくとも徐々に精神を(むしば)んでいる。

 

「…ふぅん。もし無理そうなら僕の依頼はあとに回したほうがいいかな」

 

「気を使ってくれるのは嬉しいけど気にしなくていい。俺は解決できる限りなら何でもしてやるよ」

 

これは紛れもない本心である。ノアに友人として頼っている現状、ノアからも友人として頼ってきてほしい。どうせまた放置していたら解決するために暴走してくるだろう。

 

「…それならいいや。君のストーカーについては早々に解決するから安心していいよ」

 

そう呟いたノアは瞬きをすると元の彼女へと戻った。ハイライトの戻った紫色の瞳が一瞬だけ妖しく光る。それもまた瞬きすればいつものように知的な光を宿した目に戻る。

 

「じゃあ、僕の悩みを解決してくれるために少しついてきてもらおうか。そんな難しいことじゃないから安心してくれ」

 

「…待て。せめて説明してくれ」

 

依頼を二つ返事で引き受けたのは俺も変わらない。ノアからの依頼ならそこまで理不尽ではないだろうけども。

 

「それは─僕の恋人になってほしいということさ」

 

 


 

 

恋人になってほしい。これはもちろんノアが俺のことを好きだから付き合ってほしいということではない。要するに恋人のフリを頼まれただけ。

 

二日後の夜。俺はノアからもらった招待状をもとに、高級住宅地の一角へと着いた。ノアの親が所有している家の一つであり、一般人は立ち入る前に警備につまみ出される。

 

普段と同じでノアの恋人を演じることには変わらない。招待状を見せて中に入ると、ノアが正面からやってくる。

 

「では行こうか。僕のこの格好は似合ってるかな?」

 

ノアは自前のドレスコートを見せびらかすようにくるりと回る。衣装は彼女以外には合わないように作られたオーダーメイドのコート。名探偵であるものは家だとしても形式には徹底して(こだわ)るらしい。

 

 

【挿絵表示】

 

 

「…綺麗だな」

 

美少女であることをこれでもかと見せつけられた衝撃。思わず口から言葉が漏れ出た。

そのことに気づいたときにはもう遅い。使用人からの生暖かい視線とパートナーからの愉悦の視線がこちらに突き刺さる。

 

「父さんと母さんはもうあっちにいるみたいだし…見惚れながらでもエスコートしてくれるよね?」

 

…結局、俺がその場でできることなど依頼人(ノア)に従うこと以外はない。せめてマナーとして学んだ通りの丁重さで扱うだけである。

 

「はぁ…わかったよ」

 

普通に考えればこんな場所なら言葉遣いは改めなければならないのだけど、そんなことすら忘れていた。

 

それほどまでに、美しかった。

 

 

 

 

思えば今日のようにお見合いとしてノアの両親に会うことはない。お飾りの助手として事件解決の手助けをしたときに会ったけれどその時のように優しく接してもらえるわけがない。

 

「…恋人として紹介される、か」

 

当然そんな不安を隣の名探偵が見抜けないわけもなく。

 

「…安心しなよ。主な受け答えについては僕がやる。美少女探偵の横にいる素晴らしい助手ということだけ考えて胸を張っていればいいのさ」

 

「軽々しく言われても、ね。まさかこんなデカい場所とは思わないじゃないか」

 

今の俺はノアの隣で最低限のフォーマルスーツを着ており、自分でも彼女と不釣り合いな見た目だと自覚している。しかしその笑みを絶やさないところを見ると、どうやら当の本人は満足しているようだ。

 

「不釣り合いだからってスーツを新調しなくても大丈夫だし、こんなデカくても殆どは使ってないハリボテだよ。もし君が僕を諦めることを引換えにするんならこれくらいじゃ釣り合わないだろうね」

 

「…どうしてそんな話が出てくるんだよ。俺のことはどう説明したのか聞いてもないし」

 

まだ招待状を渡された以外になんら説明を受けていない。ノアほど推理の力があればまた変わったのだろうけど、残念なことに一般人にはわからないままである。

 

「それくらいの情報量でちょうどいいのさ。なんせ名探偵の隣には振り回される助手がいるのが相場だからね。困惑するくらいがちょうどいい」

 

探偵としての心構えにはどうこう言えるはずもないが困惑をさせないでほしいのが本音だ。

とはいえ、本音を隠すとなると他の本音をだしてしまうわけで。

 

「…本当に俺でよかったのか?両親に紹介する恋人としてはかなりやばいと思うんだが」

 

恋人という役目。それを渡された俺からしてみたらいかにノアに好きな人ができたときに離れやすくなるかを考えなければならない。

そんなことを気にしている俺とは裏腹に事件のときのような緊迫感をノアは感じてさえいない。寧ろ喫茶店のときのように緩んでさえいる。

 

「じゃ、出席の義理も果たしたら庭園でも歩きに行こうか。お見合いなんてそんな面倒なことで時間をとられるのはこっちから願い下げだよ」

 

ノアはそう言いきったが、状況を楽しむような笑みを浮かべている。きっと俺の体調でも気づかっているのだろう。

 

なら助手としてやるべきことはノアの行動を後押しできるようにすることだ。

 

「よほどのことがない限りノアの判断を尊重するから自由にやっていいぞ。どうせお見合いつってもそんな気にすることじゃないし」

 

俺がノアの助手として依頼を受けた以上、ノアが最大限動きやすいようにするのが正しいのだ。思考停止して押し付けているだけとも言えてしまうけど。

 

「…そういえば君はそんなやつだったな」

 

と。今聞こえてきた声はノアでも俺のでもない。視線を向けると、知性を感じる翠玉(エメラルド)の瞳がこちらを見ていた。

 

「娘と仲良くしてもらっているようで何より。…久しぶりだが改めて自己紹介をしようか。ノアの父親である翡翠名楽(ならく)だ」

 

ノアの父親である名楽さんはこちらに対してかなり友好的に接してきた。前に会ったときと変わらない距離感であり、それが少し不気味に感じてしまう。

 

「…よろしくお願いします、名楽さん」

 

「こちらこそ今日はよろしく頼むよ。…さて、応接間に行こうか。三人で喋るより家内がいたほうがスムーズに進むからね」

 

そういう彼は廊下のつきあたりの部屋に案内する。華美でない装飾が散りばめられたそこは応接間というより宝石箱のようだった。

 

「…ええっと、ナラクさん。ソレは、なに?」

 

人間をソレ扱いされても不自然ではない。その異様な言葉すら似合うように作られた人形と言われれば信じるほどに肌は白く、青色の髪の毛先にすら遊ぶことを許させない女王。

 

…だが、女王というよりは箱入り娘のほうが珊瑚さんの雰囲気に合うのだろう。昔会ったときに比べて喋っていないのは気になるけど、見抜けるほど俺は彼女のことを知らない。

 

そして俺よりも知っている二人が平然としているところを見るに、きっと普通のことなのだろう。

 

「ノアが連れてくると言っていた人物だよ、珊瑚(さんご)

 

名楽さんから言われたあと、彼女は孔雀色の目でゆっくりこちらを見る。少し悩んで持っていたティーポットから優雅に紅茶を注いだ。

 

「えっと。いまちょうどつくってたアイスティーしかないけど、いい?」

 

「はい、ありがとうございます」

 

とはいえこちらに手渡してきた以上、これを飲む以外の選択肢は存在しない。というか断れるほどに豪胆な人間はストーカーで悩まされないだろう。

 

せめてもの抵抗として横繋ぎのソファに座り、琥珀色の液体を観察する。そもそも毒殺なんてないと信じたい。

 

一息にカップの中身を空にして珊瑚さん達に向き直る。…名楽さんが隣に座っていたのはいつからなのかすらわからない。

 

「…まあ、始めてしまおうか。父さんもわかってると思うけど、彼はあまり慣れていないんだ」

 

視界がぐにゃりと歪む。緊張からなのか体が異常に熱い。

 

(いや、気のせいじゃない…!)

 

テレビの電源を切ったかのように視界が暗転する。どこか自分の体の異常さえもぼんやりとしかわからないままに、俺は意識を手放した。

 

最悪だ。

 

 


 

 

 

僕─翡翠ノアは天才だ。

誰よりも速く成熟し、誰よりも多くのことを吸収した。それは紛れもなく少女時代の父さんの教育が影響しているのだろう。

 

『そこまでやるなら完璧な人間になりなさい。明らかに突出した才能は人を傷つけるのだから』

 

そのときはまだ僕の周りには家族しかいなかった。家庭教師もいたけれどつまらない話ばかりしかせず、まだシェイクスピアの詩集を読んだほうが勉強になると思えた。

 

《人生は二度繰り返される物語のように退屈である》

 

当然その完璧になるための努力なんてのもつまらないと感じたし、やってていいことなんて一つもなかった。ただ言われたことをなぞるだけ。それで出来るようになって褒められたところで、どこから自己肯定感が浮かんでくるのだろうか。

 

才能を磨いたところで、どんなこともやる気が起きずに無気力だった。当時の僕としても才能の持ち腐れであると自覚していた。年相応に遊んで時間を浪費するほうがまだマシなのかもしれない。

 

ひたすらに暇、暇、暇。いっそのこと家出でもしてみるべきと考えたその日に母様から呼び出された。

 

『恋については学んでないでしょう?私と名楽さんまでとは言わずとも少しくらいは覚えてきたら?』

 

真っ先に僕が感じた影響は困惑だった。父さんと母さん─当時の二人は会話すらもない、喋らないのがデフォルトの生活だった。

 

そんな人たちから何かを言われても、僕はピンと来なかった。自分の中でそれを愛と呼べるものがなかったのもあって、母さんの言葉はバカバカしいとまで思えた。

 

『愛って何なの?父さんと母さんは冷え込んでるでしょ?』

 

僕からの質問に母さんは否定を返してくる。今にして思えば母さんが否定したのもそれきりであり、怒っているところも見たことはない。

 

『ううん、そんなことはないの。私も名楽さんもどちらかが欠けたらすぐに死んじゃうくらいなのよ』

 

その言葉を聞いたところで、普通なら僕は子供らしくなぜを問うただろう。そんなことはないと否定を返せたのだろう。

 

しかし現実として僕は母さんに対して何も言うことはできなかった。押し留めさせたのは紛れもなく母さんから父さんへの深い愛の圧力。

 

『本当はね、ノア。私はあなたのことを愛しているけど…それよりも私はノアのことを殺したいのよ。もちろん名楽さんはそんなことを思ってないけどね』

 

そのまま和やかな声のまま告げられたソレは衝撃的だった。惜しみなく愛を注ぐであろう両親からの殺意。冗談だとは到底思えないほど母さんの手には血が滲んでいた。

 

『だって()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

つまるところ僕の母親は。

年齢が十にも満たないような幼い娘に対して嫉妬しているのだった。

 

『お仕事はいいの。私だって外へお掃除するために行くこともある。だからそれ以外の時間はお家で居られるようにしてるの』

 

すっと母さんの手が喉に伸びてくる。後にも先にも僕が死ぬかもしれないと感じたのはこの瞬間だけとも言いきれる…それほどまでに、母さんは父さんを病的にまで愛している。

 

『だから私はね、あなたに速く出ていってほしい。もちろんときどき帰ってくるなら私は愛したままでいられるの。ああ、愛しいノア。速く私の視界から出ていって?』

 

返答は、一つしかない。子供ながらに賢かったのは彼女に殺されるのを避けるためなのだろうと益体のない想像もした。

 

その日のうちに僕の新居は手配され、引っ越すことになった。

 

 

 

…次にめぼしく思い出せるのは中学の修学旅行のとき。他でもない僕の中で助手のことを認めた日だった。

 

特にやることもないはずだったつまらない場所巡りで僕は死体を見つけた。

 

最初に見たときは寺だったし、何かのアトラクションだと思った。

 

(こんな匂いまで漂わせる必要ってあるのかな…)

 

いち早く気づいたのは彼だった。そっと首元に触れ、脈拍を確認してから管理者に寺の閉鎖と警察への連絡をお願いした。

 

『…さて、どうしたものか。俺らはとりあえずここに留まってればいいから下手に動かないように』

 

彼の言葉は無性に気になった。ひょっとするとこの時は事件で浮かれていただけなのかもしれない。

 

(人の死体を見る機会なんてないし、気になるなぁ…)

 

日常から外れた以上、僕は久々に自分のやりたいことを抑えられなかった。感覚が麻痺しているのは自覚していたし、だからといってあの行動に間違いはないと今でも断言できる。

 

『…ふむふむ』

 

彼にバレないようにこっそりと死体を観察する。前から近付いて刺されたにしては刺された場所の出血が少ないから後ろから一突きで殺してからナイフを改めて前に複数回刺した。目的は…きっと慣れていない犯行だったから復讐とかそこいらの感じだろう。被害者の身長は約176.5でありナイフの刺さった角度からして立った状態のときに上から勢いをつけて振り下ろしている。だから犯人はきっと高身長で─

 

─と、そこまで考えたところで現実へと彼によって引き戻される。

 

『おい、探偵の真似事をするなら現場保存の法則くらいは覚えとけよ』

 

深い思考の海に沈んでいた僕は死体へと触りかけていたようで、もし触っていたら疑われるのは間違いないだろう。

 

そして自分でもやったことに対して後悔した。こんなことをしてしまえば普通に溶け込めなくなる。

 

だが、目の前にいる彼は案外面白がっている。特に変なことをしているのにも関わらず、だ。

 

『…まぁ、さ。どうせ暇なんだし二人で調査でもしてみるか?』

 

彼は中学生らしいその無遠慮さでこちらの行動を後押しした。怒られてしまうようなことだとわかっているのに、だ。

 

『…いいよ。僕が探偵、君が助手。この殺人事件を解決しようじゃないか!』

 

そう普段からは考えられない大声を出して彼の手を取って走り出す。久しぶりに自分の内なる衝動に焦がれる感覚がする。目当ての宝石をやっと見つけたような高揚感に包まれる。

 

「おい待て名探偵…!」

 

少しだけ事件とは関係ない優越感を覚えながら。

自分に必要な情報を整理しながら。

 

(僕は、名探偵なんだ)

 

熱に浮かされた頭で、そう思った。

 

 

 

 

意気込んだものの、事件はそう難しいものではなかった。たかだか仏像を使ったトリックは先入観さえ無ければすぐに警察でも気づいただろう。

 

しかしそれは彼にとっては難しいみたいで、頭を捻らせてもわからない問題ばかりのようだ。

解けていると伝えるとこちらに尊敬の目線を向けてくる。他の有象無象と違いその目はオニキスのように黒く輝いて見えた。

 

『…俺の頭じゃわからないからヒントを教えてくれないか?』

 

その謙虚な言葉に気前よくヒントでも教えようとしたが、一つの疑問が頭をもたげる。

 

(そういえば、名探偵って助手に必要以上に教えなかった。なんでそんなことをするかくらいはついでに調べてみても罰が当たらないだろう)

 

モチロン彼に嫌われないようにするために必要以上の配慮はするけど、それくらいなら片手間にやれそうだ。

 

『僕もまだそこまで詳しくできてなくてね…あぁ、もちろん確信はあるけどまだ話せないんだ』

 

『…そうか』

 

シャーロックホームズがワトソンに話そうとしなかった理由がわかった。なんせこれは気分がいい。謎の解けた快感ではなく、信頼された人から託されている多幸感。

 

『まあ、僕も探しながら行くから一緒に推理しようか』

 

当然、確信を上げるための逆算した場所でしかない。どこに行くとしても僕の頭脳なら正しい証拠をかき集められる。

 

(なんか頭脳の使い方が間違っている気もする…だけど、悪い気分じゃないな)

 

屋敷にいたころのように無駄な一日ということではない。名探偵としての僕なら周りに理解されなくてもいいのだ。名探偵は他の周囲とは違うのだから。

 

…彼がいてくれれば、それで。

 

 

 

 

 

当然その後はもう語るまでもない些事だ。人を殺した犯人はあっけなく自分の罪を認めて逮捕され、僕と彼は表彰されたりインタビューを受けたりした。

 

そうではない大切なこと。事件の解決の流れで僕の家に彼を招待するようになった。

 

『まーまー、気にしなくていいから。別に危険なことがあったけど無事だったって確認されるだけだからね』

 

『…凄いノアに合ってる品ばかりのようで』

 

もちろん両親に会うときのために少しばかり装飾した。何もない場所で彼と対面するなんてそんなことはしたくなかった。

 

昨日に急拵えとして整えた品を満足げに眺めつつ、軽やかに鈴の音が鳴って両親が入ってくる。

 

『久しぶりだね』

 

『ん、ノアが元気に過ごしてて嬉しい』

 

二人から必要以上に強く抱きしめられ、再会はとても嬉しく感じた。僕は特に二人に育てられたような気はしないけれど、それでも一応両親ではある。久しぶりに会えて嬉しい気持ちはもちろんあった。

 

『ふむ、君がノアの近くにいたという…』

 

父さんは翡翠色の目で僕の隣を見る。その視線は僕に向けるような─そんな目線。普段は私も知らないからなんともいえないが、どこか昔のように人を品定めするような目線ではなかった。

 

『はい、そうです』

 

少しだけ彼は緊張していたが、友達の両親にそこまで警戒することはなく笑って返答した。優しい彼の笑みを見ながら用意した質のいい紅茶を舌の上で転がす。

 

『…ふぅん、ちょっと動かないでもらえるかしら』

 

母さんが彼に近付いてそっと匂いを嗅いでいる。普通はしないような行動だし、僕もそんなことはしていない。

 

(…そもそも初対面に対して何をやってるんだ?母さんは頭がイカれてしまったのか?)

 

考えながら母さんのほうを見ると、こちらを見透かすように嘲笑った顔をしている。わざとこんなことをやっていたみたいだ。胸にちくりと痛みが走る。

 

許せない。彼が迷惑しているのに。

 

『…ええ、ありがとうね。やっぱりちょっと汗臭いし、家に帰って休みなさいな。二日前に終わった修学旅行の疲れも取れてないでしょう?』

 

『…はい。ノアさんはちゃんとしていましたし…じゃ、ないか。本日はありがとうございました…?』

 

唐突な言葉に困惑しながら彼は僕の家から出ていった。そして何を思ったのか父さんは彼を送るために外へと出ていき、母さんと僕は二人きりになった。

 

『自分のことなんだからわかっているでしょ。あなたは私の娘なのだもの。嫉妬なんてした時点で今さらよ』

 

母さんからの問いかけは単なる確認だった。質問の体すら成していないその言葉は、僕が目の前の女に嫉妬をしていたことを確かに突きつける。

 

『…それで、なんなの。僕のことをどうしようとしているんだい?』

 

『恋の応援をしようと思っただけですよ?ノアが結婚するなら式まで段取りを教えてあげますし、監禁して閉じ込めたいならこの家を改造しましょう』

 

…余りにも好条件過ぎて逆に疑いたくなるが、母さんとしてはそもそも僕と彼の間柄を恋人扱いするのはなんでだろうか。

 

『…どうせ疑ってるのだから言っておきますけど、普通は両親を出迎えるのに助手を同伴させるなんてことはしないですよ』

 

『別に、助けてもらっただけだから…』

 

なぜここまでむきになって話しているのかわからない。僕が彼に対して持っていた少しの壁なのかもしれないし、愛の基準が母さんをもとにしていたからなのかもしれない。

 

しかし母さんは同年代のクラスメイトのようにこちらへの容赦がなかった。

 

『往生際が悪い。ノアに渡した口座から不自然にお金が減っていましたし、朝にみたゴミ袋にはタグが異常にありました。わざわざ見栄を張らなくてもいいのに…』

 

『だって、名探偵っぽくありたいじゃん…』

 

子供らしい言い訳すら揚げ足を取られるだろうと感じている。それほどまでにこの時の母さんは理性的だった。

 

『そもそも家にいたときのノアが【名探偵っぽくありたい】なんて言わないでしょう。女が変わる理由なんて男くらいしかないじゃないですか』

 

『…なんで今日はそんなに積極的なの?』

 

『だって名楽さんが毎日のように娘離れができてないんですよ。ならいっそノアを結婚させればよいと考えまして…ええ。既成事実でも何でも作って結婚してしまいなさい』

 

もはや独裁者の女王としての言葉を吐くような母さんに対して、僕は呆れる…

 

…はずだった。

 

そのときも納得はしていない。していないが一瞬だけ彼とそういう関係になることを想像してしまった。

 

(確かに、これはいいよな…)

 

母さんの言ったことなら、僕はどんな未来になったとしても─それこそ、彼が僕のことを嫌いになったとしても素敵に思えた。どんなことがあっても決して二人が離れることはない。

 

次に、僕以外が彼とそういう関係になることを想像した。

 

(…ダメだ。ダメだ。ダメだダメだダメだダメだ)

 

背筋に氷を流し込まれたような悪寒が体に入り込む。手足に血が巡らなくなる感覚に陥る。奈落の底へと叩きつけられた痛みが心臓の一点へと集中する。

 

『…ね?』

 

僕は母さんの娘であることをこれだけ実感したことはない。だが、あくまでこれは名探偵として助手を他の女から守る必要な処理なのだ。

 

恋ではない。純粋な炎のように明るいものではない。

愛ではない。身を焦がして彼を思い慕うものでもない。

身勝手な独占欲だ。天才の僕に感情を教えた罰だ。冷徹なまでに恋敵を排除した。

 

そして僕は、悪魔の契約に負ける魔法師のように。

 

狂った母さんの提案を、受け入れた。

 

 

 

 

その後、僕は彼と同じ高校に通ったりしつつ世間での名声を高めていった。

 

正直、名探偵として扱われることも悪くはない。なぜならその分助手に対する評価も相対的に上がるし、噂が流れたときにすぐに訂正できなくなるからだ。

 

そして助手として雇ったときの彼はとても心強い。誰かに説明をする際の証拠を集めるのは速いし、僕の行動に一々口出しをせずに動きやすいように細かな修正をそっと加えてくれる。

 

(やはり、彼は僕に相応しい助手だ)

 

そう思うと同時に先んじて手に入れたという優越感が体を芯から温める。

 

「おい、ノア?考えすぎじゃね?」

 

彼の言葉で現実に引き戻され、今が事件の解決の最中であることを再確認する。当然として簡単なソレは、誰かの作為を感じる。

 

でも彼といられるのなら僕はどうでもよかった。彼の無骨な手を取り、僕は犯人の目の前で堂々と宣言する。

 

「単刀直入に言おう。真犯人は─君だ」

 

 

 

 

 

…帰る道すがら、ずっと僕は考えていた。彼といられる方法を。もう卒業も近いし、彼は大学生になったら来てくれるかも怪しい。

 

(事件が周囲で立て続けに起きていたら怪しまれるし、それ以前に犯人に彼を殺されないとも限らない。死ぬのも生きるのも誰かに取られるのは嫌だ)

 

彼からしてみたら腐れ縁でしかない幼馴染だ。自覚しているくらいには顎で使っているし、そもそも恋人を作らないのがいつまでかの保証もない。僕にとって全ての可能性が体の歩みを遅くしていた。

 

「…あぁ、ストーカーか」

 

遅くなっていたせいか尾行されたことがわかった。捕まえるのは簡単だ、このままちょっと気付かないフリをしてから後ろへと走ればいい。

 

呆気なく捕まったソレは、明らかに女だった。

 

「…ふ〜ん…何が目的?」

 

「いや、その…ノアさんの助手の人が…」

 

僕目当てならまだしも、助手を狙うのなら慈悲はない。少し考えてスマホで通報しようと思ったが…

 

(待てよ。ということは…?)

 

目の前にいる彼女は僕とは似ても似つかない背丈だし、そもそもストーカーをしていたならそのことにも詳しいはずだ。

 

「…いや、ちょっと立ち話はなんだし僕の事務所で話をしようか。時と場合によっては見逃してあげないこともない」

 

そして、彼女を見やる。赤い目は黒いフードをすれば闇夜にはよく映えることだろう─

 

…結果として詳細は省くけれど、僕はストーカーをさせるための駒を手に入れた。

 

 

…そして今。

 

僕は彼を眠らせ、膝枕をしながら両親と話している。目の前にあるのは僕と彼の婚姻届。名前は全て彼の筆跡を真似て書いたものだ。

 

「これが一応婚姻届。彼の両親は書くのは僕たちのほうにしていいとのことだったからこうなったよ」

 

「…私もあちらと話したんだけれど、婿入りも全然構わないって」

 

母さんと僕が協力すれば父さんは簡単に頷いた。彼の両親が説得されているのが大きいのだろう。

 

「そうか…やっぱり、私のところから離れるのは速いものだな」

 

名前が書いてあることを確認してそっと懐に戻す。このことを報告するために僕はこの家に来たのだ。

 

「結婚式は後ででいいからストーカー被害のほうを解決してあげなさい」

 

「そうですね。きっと疲れてたから安心して眠ったんでしょう」

 

ただ自分にとっての宝石を、手に入れただけだ。それだけが契約が完遂された証拠であり、心のなかが美しい光で満たされたと言えるのだ。

 

いつか彼は僕の行動がわかる日が来るはず。その時は感謝して喜ぶだろう。

そうしたらキスの一つでもおねだりしてみれば…

 

「…やっぱり、言わなくていいか」

 

…そんなことを考えるのも野暮だ。

 

この先もたった一つだけの宝物を慈しむように。

起こさないよう、少しだけ撫でた。

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