努力アウトソーシング ~寝てるだけの最強姫、起きたら世界救ってた~ 作:エレティムさん
わたしは今日も学校に来ていた。
定期的に、どうしても机で眠りたくなる衝動に駆られる。あの木の冷たさと、教室の適度な喧騒。それらが絶妙に混ざり合った空間でなければ、満たされない何かがあるのだ。
授業開始のチャイムが鳴った。
わたしは周囲の視線など気にせず、机に突っ伏した。
「ふわぁ……やっぱりこの冷たさ、最高……」
木の冷たさが頬に心地よく広がっていく。まぶたが重くなり、意識が少しずつ遠のいていく。至福の時間だった。
その時。
ガラッと教室の扉が勢いよく開いた。
「ネム姫!」
聞き慣れた声。また、ガイルだった。
教室内がざわついた。
「うわ、またガイルだ……」
「ネム様が来るといつもこうだな」
「もはや日課」
「でも、諦めないのはガイルらしいよな」
「真面目すぎるんだよ」
「やっぱりストーカーなのでは?」
「剣聖様、本当に毎日大変ですね……」
面倒くさい。
わたしは顔を伏せたまま、片手をひらひらと振った。
「はいはい、今日も勝負はお断り~」
「なっ! まだ何も……! ぜひ、お手合わせ願いたい!」
「相手は剣聖様だよ? 勝てるわけないでしょ」
「そうそう、素人目でも準優勝のセドリック様の方が圧倒的にガイルより強いし。姫様はそれに勝つんだから!」
「違うて、これは恋やねん」
「ストーカーってことだろ?」
ガイルは教室の反応を無視して、言う。
「ネム姫! 待ってくれ!」
「逃げてないよ。寝るの」
教室がくすくすと笑いに包まれる。
もはや日常の光景だった。
「いや、今日こそは——必ず! 並び立っても恥ずかしくないくらいには——」
「ガイル、しつこいぞ」
「剣聖様も迷惑そうだろ」
ガイルのクラスメイトたちが止めようとする。
「離してくれ! 今日こそ、ネム姫に——」
ガイルの足音が近づいてくる。
その必死さに、何人かの生徒が苦笑している。
そのとき――
『――姫様アアアアアアッ!!!!!!』
ナミギリの怒声が脳内に響き渡った。
とんでもない爆音!!!!!!
「ふぇっ!?」
反射的に体が動いた。
な、なにいきなり――
――バリィン!
窓ガラスが砕け散る音。
ヒュンッ!
鋭い風切り音とともに、短刀がさっきまでわたしの頭があった場所に突き刺さった。
机に、深々と。
「え……?」
今、ナミギリの声で反射的に顔を上げなかったら、わたしに刺さっていたんじゃ……?
直後。
黒装束の男たちが、割れた窓から次々と飛び込んでくる。一人、二人、三人――
「な、なに!?」
「きゃああ!」
「逃げろ!」
「でも、こっちには剣聖がいるんだぞ!」
「確かに! 俺は死んでも観戦したいね!」
教室中が悲鳴に包まれ、生徒たちが一斉に教室から逃げ出していく。
一部、咄嗟のことに行動できない生徒や、野次馬根性の生徒もいるようだ。
黒装束たちは、周りの生徒たちには目もくれず、わたしに向かって一直線に走ってくる。
「――見つけたぞ、剣聖」
冷たく、感情の籠もらない声。
刃が鈍く光る。
(え、え、交代――交代しなきゃ!)
頭ではわかっている。
でも、体が動かない。
凶刃が目に映った。
突っ込んでくる黒装束の持つ、鈍い銀色の刃がギラリと光っているように見えた。
黒装束は、一息で踏み込み、わたしへと突っ込んでくる。
その様子を、どこか他人事のように、わたしは見ていた。
『姫様!!』
ナミギリの声が聞こえる。
でも――怖い。
体が震えて、切り替えがうまくいかない。
(え、なんで!?)
凶刃が迫ってくる――
「――おっらああああああ!!」
ガイルが飛び出した。
剣を抜き、黒装束の刃を弾く。
ガキィン!
「くっ……!」
ほかの黒装束たちも、遅れて襲ってくる。
ガイルはわたしを守るように立ち回るが、多勢に無勢だった。
ガキン、ガキィン!
剣戟の音が響く。
「ぐあっ!」
ガイルの肩に刃が食い込む。血飛沫が宙を舞う。
「ガイル!?」
その光景を見て、わたしはハッとした。
『姫様、早く!! 交代してください!』
(う、うん!)
わたしはなんとか、ナミギリに体を預けることができた。
意識が切り替わる。
ナミギリは床に倒れているガイルから剣を拾い上げた。
「……おのれ」
その声は低く、凍てつくような怒りを孕んでいた。
「姫様に刃を向けるとは……ただで済むと思うな」
黒装束の一人が斬りかかってくる。
ナミギリはそれを軽くいなし、一閃。
ガキィン!
黒装束の剣が弾かれ、床に転がる。
次の瞬間、ナミギリの剣が黒装束の喉元に突きつけられていた。
「ぐっ……!」
黒装束が膝をつく。
残りの二人も、息をつく間もなく制圧された。
教室に静寂が戻る。
ナミギリが体をわたしに返した。
「はぁ……はぁ……」
わたしは膝をついて、大きく息をした。
心臓がまだバクバクと音を立てている。
「ガイル……大丈夫?」
ガイルは肩を押さえながら、それでも笑った。
「はぁ……はぁ……よかった、無事で……」
血が流れている。制服が赤く染まっている。
肩の傷は深いが、命に別状はないらしい。それでも、痛々しい。
「……君には必要ないかと思ったけど、守らなきゃって思ったんだ」
その言葉に、わたしは目を見開いた。
「え……」
「頭では、剣聖なんだから余裕って分かってたんだけどさ」
ガイルは苦笑する。
「でも、無防備に驚いてる君を見たら……体が勝手に動いたんだよ」
教師と騎士団が駆けつける。
「殿下! 大丈夫ですか!」
「わ、わたしは大丈夫なんだけど……」
ガイルは医療班に運ばれていく。
騎士団の一人が倒れた黒装束たちを調べ、厳しい表情で報告した。
「……やはり、か」
「え、やはりって……?」
騎士団長が重々しく口を開いた。
「殿下。実は王国の調査で、裏社会で殿下に懸賞金がかけられているという噂を掴んでおりました」
「え……」
「ただ、確証がなく……真偽不明の情報でしたので、殿下を無用に不安にさせたくないと判断し、報告を控えておりました」
騎士団長は深く頭を下げた。
「申し訳ございません。しかし、護衛を強化すべきでした。私の判断ミスです」
わたしは、呆然と立ち尽くしていた。
懸賞金。裏社会。私の首に値段がついている。
「殿下、今後は王宮から出ない方がよろしいかと。外では——」
「……」
わたしは何も言えなかった。
学校で寝てただけなのに……殺されかけた……
短刀が机に刺さった瞬間が、何度も脳裏に蘇る。ガイルの血が流れた瞬間が、目に焼き付いている。
怖い……
わたしは、立ち尽くすしかなかった。
...*...*...(っ˘ω˘c)zzz...*...*...
その日、わたしは学校を早退した。
王宮に戻る馬車の中で、わたしはずっと震えていた。
メイドが心配そうに声をかけてくる。
「ネム様……大丈夫ですか?」
「……うん」
でも、全然大丈夫じゃなかった。
窓の外を見ると、街を行く人々が全員、黒装束に見える気がした。
(誰が襲ってくるか、わからない……)
王宮に着いても、わたしはすぐにベッドに入った。
布団を被って、丸くなる。
羊竜王のベッドだ。
いつもなら、すぐに眠れるのに――
今日は違う。
目を閉じると、黒装束の姿が浮かぶ。
短刀が飛んでくる瞬間が、何度も蘇る。
(怖い……)
『姫様……大丈夫ですか?』
(……わかんない)
『申し訳ございません。わしがもっと早く気づいていれば――』
(ナミギリのせいじゃないよ。わたしが、交代が遅れたから……)
わたしは小さく呟いた。
「……もう、外で寝るの、怖いかも」
『……』
ナミギリは何も言わなかった。
わたしは、布団の中で丸くなったまま、一晩中眠れなかった。
至福の惰眠ライフは、今日、終わった。