月が半分 暗いのは   作:夜のイロ

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押してダメなら(前編)

 五月の中間試験をどうにか生きのび、暦もつつがなく六月を迎え、無事に新入部員を手にした軽音楽部もなんとか生きながらえていた。

 しかしそれから何の問題もなく平和に活動できていたかといえばもちろんそんな事はなく、いまの軽音楽部には新たに悩みの種が二つあった。一つは先月の屋上飛び降り未遂事件のこと。もう一つはひとりのこと。

 一つ目はまだマシな方だ。たしかに身内の二人が問題行為を起こしたことで教頭からは警告を受けてしまった。とはいえ学校側も屋上の安全配慮義務を怠った責任があるし、教頭もそこを突かれると痛いはずだろうからしつこく追求してくることはなかった。今までより監視の目が強くなったのが悩みではあるが、普段は真面目な彼女たちであるからそこまで大きな問題ではない。

 つまり深刻なのはもう一つの方であった。ひとりがあの歓迎会の日以来、姿を見せていないのである。

 

「……ぼっちちゃん、また来てないね」

 

 このセリフを言いつづけるのもこれで何日目になるかな、とドラム椅子に腰かけ、バネのヘタってきたキックペダルをげしげし踏んづけながら虹夏は思った。

「やっぱあのときのこと、今も気にしてるのかなあ」

「人前であんなゲロゲロやっちゃったらね。多少はね」

「そうだよね……ていうかさ、リョウが持ってきたチョコ、やっぱあれが原因なんじゃないの? あのあと喜多ちゃんもトイレでゲーゲーやってたし」

 床にあぐらをかき、弓手にベース、馬手にプロテインバー、いち早く夏服に変身したリョウに虹夏は訝りの目線を投げた。リョウは「私のせいかよ」とでも言わんばかりの不満顔でムッと眉をひそめ、

「それはない。郁代みたいにバクバク食べてはなかったし、酔ってる様子もなかったし。あれはたぶん、チョコじゃなくてなにか他に原因があったと私は見てる」

「他にってなにさ?」

「さあ。本人に直接訊けば」

「その本人が来ないんじゃ世話ないよ」

 はあ、と重いため息とともに虹夏は天井を仰いだ。

「ともかく、まずはなんとかして引き戻さないとダメだよね。また一昨日みたいなことになったらめんどいし」

 

 虹夏のいう「一昨日のこと」について補足しておこう。

 二日前の放課後、ひとりのいない軽音楽部の部室にどういうわけかカメラを持った教頭がやって来たのである。いわく、「学校のホームページに掲載する部活風景の撮影だ」とのことだったが、どうせ難癖つけに来たか変態かのどちらかだと虹夏は思っている。事実、教頭はこんなことを宣ってきたのだ。

 

『なんだ、ようやく部員が集まったと聞いて来てみれば、たった三人しかいないじゃないか。もう一人はどうしたのかね、もしやあの入部届は虚偽だったのか? えっ? だとすれば、校長先生に報告して然るべき対応をせねばなるまいなあ』

 

 そのときは、「今日はたまたま体調不良で来られなかっただけですので」と言って追い返したが、次に来たときも同じ理由がまかり通るとは思えない。最悪、その「然るべき対応」とやらが降りかかってくる可能性だってある。

 ひざの上で頬杖をつき、ぼんやりと虹夏はつぶやくのだった。

 

「今日こそは来てくれるといいんだけどなあ……」

 

 ちょうどそのとき部室の引き戸がガラリと開いた。もしやと思い振り返ると、リョウの使いっ走りに出ていた喜多が入ってくる。がっくし。

「お待たせしましたー! 先輩、バナナオレといちごミルクどっちがいいですか?」

 上機嫌な小型犬のようにリョウに駆け寄り、喜多は両手の紙パックを誇らしげに掲げて見せた。

「バナナ。いくらだった?」

「百円です!」

「ん、じゃあツケといて」

「はあい」

「はあい、じゃないよ喜多ちゃん。言ったでしょ、そのツケは一生待っても返ってこないって。ちゃんとその場で請求しないとダメだよ」

 

 リョウは憤然として「収入が入ったらちゃんと返すもん」と反論するが、もちろんそんな光景は今の今まで見たことがない。喜多は喜多で「大丈夫ですよ、いつまでも待ちますから」とあっけらかんとしているので、もういいやと虹夏もさじを投げた。

 壁かけ時計が午後五時を示していた。そろそろ真面目に練習を始めないといけない頃合いだが、その前に、

 

「──それで喜多ちゃん、ぼっちちゃんは今日も来ない感じ?」

「さあ、どうなんでしょうね。私もよく分からないです」

「え、分からないって。ロインで訊いたりとかしてないの?」

「ええ。というか、まだ連絡先も交換してませんし」

 虹夏は意外そうな顔をした。違うクラスとはいえ、同じ部活で同じ一年生なのだからてっきりそれなりに交友があるもんだと思っていた。喜多はさして虹夏の問いに関心を寄せる素振りも見せず、壁に立てかけてあったパイプ椅子を引っ張り出してきて黙々とギターのチューニングをしている。

「そ、そっか。それじゃあ悪いんだけど、明日また声かけてきてくれないかな。一緒に練習やろうよって」

「んーでも、あんまりしつこいと向こうもかえってイヤになっちゃうかもしれませんよ? 自然に帰ってくるのを待つとかでいいんじゃないですか」

「それは、まあうん。一理あるんだけどさ……」

「そうですよ。こういうのは本人の意志を尊重すべきですから。無理に引き戻す必要なんかないですって」

 二人の会話を横で聞いていたリョウがひと言、

 

「──郁代ってさ、もしかしてぼっちのこと嫌いなの?」

 

 チューニング中の1弦が調子はずれな音を上げた。喜多はギチギチと軋むような愛想笑いを浮かべ、

「どっ、どうしてそんなふうに思うんですか?」

「なんとなく」

「なんとなくって……」

「だって普段から『わたしぃ、人と関わるの好きなんですぅ』とかキャピキャピ言ってる郁代がそんなドライなこと言うの変だし。歓迎会のときもやたらとぼっちに対して好戦的だったじゃん」

「う、」

「で、どうなの実際?」

 こういうとき、普段から言葉に遠慮のない人間は頼もしい。喜多は瞳を左右に揺らしながらボソボソと、

「べ、べつにそんな……嫌いなんてことはない、ですけど」

「けど?」

 少し間を置き、

「…………正直いうと、あんまり部員として歓迎したくはないっていうか」

「それはなんで?」

「そ、それは、だって、」

 すると喜多は急に眉を吊り上げ、顔もぶち上げ、

「そ──そもそもの話っ、どうして先輩たちは後藤さんのこと、あんなに欲しがってたんですかっ!」

 先輩二人は急になんだ、とばかりに目をしばたたかせる。

「私がいるのに、どうしてそんなにもう一人ギターを欲しがる必要があったんですかっ。私だってがんばってるのに! そんなに私だけじゃ頼りないんですかっ?」

 ははあ──。

 そこで喜多の主張の意図がつかめた虹夏はすぐにかぶりを振って、

「いやいやいや、そういうんじゃなくてっ。べつに喜多ちゃんの代わりとか、そんなつもりじゃないってば!」

「じゃあどうしてですかっ!」

「だからそれはっ、」

 そこから先はリョウが言葉を継いでくれた。

「郁代にボーカルやってもらおうって思ってたんだよ」

「バボッ、……へ?」

 途端に喜多は勢いを削がれ、

「え、ボーカル……ですか? わ、私がっ?」

「うん。今はインストだけど、これからはボーカルも入れていきたいよねって虹夏と前に話して」

「そうそうそうなの! それで喜多ちゃんは歌上手いしさ、ギタボやったら様になりそうだなーって思って! だけどそれだと喜多ちゃんの負担が増えちゃいそうだし、ギターもう一人いたらいいよねーってリョウと話し合ってたの!」

「え、あ……そう、だったんですか……?」

「そういうわけなの! 分かってくれた? 喜多ちゃんが必要ないとか全然そんなんじゃないんだよ」

「え、えっと、」

 

 怒りや妬みといった感情は振り回して扱いやすい分、冷めてしまうと急激に手持ち無沙汰になってしまうものである。しかしそれでも一度炸裂した感情を引っ込めてしまうのは格好がつかないと思い、直後に喜多は首を振ってムスッとした顔を作り直す。

 

「──い、いえっ! 私一人でもべつに平気ですからっ! 後藤さんがいなくたってギタボなんて余裕ですからっ! 私に任せてください!」

「いやそうは言っても、このまま三人だと活動つづけられないかもしれないんだって! 頼むから連れ戻してきてよー……」

 なんと言われようが、喜多は首を横に揺らすばかりであった。動揺を押し隠し、強がりを押し通す。意地もプライドも張れば張るほど心地よかった。自分がこうして強情を貫けば、きっと先輩たちも分かってくれるはずだと喜多は信じた。

 決して、引いてはならないのである。

 

「じゃあさ、」

 とリョウが提案する。

「もしもぼっちを連れ戻してくれたら、私が何でも言うこと聞いてあげるよ」

「……えっ」

 

 決して、引いてはならないのである。

 

「そ、それは、本当ですか」

「うん。どう?」

 

 決して、引いては、

 引いては、

 

「じゃ、じゃあその……デート、とか。そういうのもアリですか……?」

「考えとく」

「──。分っかりましたっ! 任せてくださいっ、ぜったいに連れ戻してきますからね!」

 

 瞬く間に意地もプライドもかなぐり捨てて、喜多は電球のような笑顔で敗北したのだった。

 そのとなりで虹夏が不服そうに唇を尖らせている。

 

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