朝のオリーブ畑は、露をまとってきらきらと光っていた。セルクルタウンの空気は少しひんやりしていて、鼻をくすぐる甘い香りは、咲きはじめた花の蜜と、畑のすぐそばにあるムクロジの厨房から漏れる砂糖の匂いが混じったものだ。
「今日は、いっしょにポケモンたちの世話をしましょう〜」
わたしはいつもより早く目を覚まして、そう言った。彼――あなた――は少し驚いた顔をしていたけれど、すぐに笑って「もちろん」と答えてくれた。その声を聞いた瞬間、胸の奥が少しだけくすぐったくなる。
畑の隅には、わたしが育てているむしポケモンたちの小さな棲み処がある。アメンボのように水辺を渡るミツハニー、花粉を運ぶアメモース、葉の上で丸くなって眠るタマザラシ――いえ、あの子はむしではないけれど、なぜかいつも混じっている。
「おはようございます〜。今日もかわいいですね〜」
「ほんとだな。カエデ、こっちの巣箱、ミツが増えてるよ」
あなたが覗き込むようにして言う。そのとき、腕がふっと触れた。ああ、いけない。たったそれだけで、心臓が跳ねる。
「ありがとうございます〜。じゃあ……一緒に運びましょうか〜?」
巣箱を持ち上げる。両手で支えた瞬間、指がまたかすかに触れ合って、わたしは息を詰めた。まるで小さな電気が走ったようだった。あなたは気づいていないふうに笑って、「気をつけて」と言った。
――こんな時間が、ずっと続けばいいのに。
心の中で、ふとそんなことを思ってしまう。朝の光に包まれたこの畑で、あなたと並んで働いて、夜はムクロジでケーキを焼いて……。そんな暮らしを想像してしまった。でも、それは夢のような話。わたしたちは幼なじみで、彼は旅人で、きっとまたどこかへ行ってしまう。
だから――
「カエデ?」
現実の声が、空想をふっと溶かした。見上げると、あなたが心配そうに覗き込んでいた。
「ぼーっとしてたよ。疲れた?」
「いえいえ〜……ちょっと、朝日がきれいだな〜って思ってただけです〜」
笑ってごまかした。けれど心臓の鼓動はまだ早いままだった。
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昼近くになると、ポケモンたちが少しずつ活発になってきた。小さな虫ポケモンたちは日光を浴びて羽を乾かし、リングマ――クマちゃん――は影の下で丸くなっていた。
「クマちゃんの背中、葉っぱがついてますよ〜」
「ほんとだ。取ってあげるよ」
あなたが屈んで、そっと葉を払う。その手の優しさに、クマちゃんも気持ちよさそうに目を細めた。わたしはその横顔を見て、胸の奥が温かくなる。いつからだろう。あなたを見るたびに、心が穏やかになるようになったのは。
「……あの〜」
「ん?」
「もし……わたしたちが一緒に住んだら、ポケモンたちもきっと喜びますよね〜」
つい、そんな言葉がこぼれてしまった。言った瞬間、顔が熱くなる。慌てて「い、いえ〜! その、今のはですね〜……!」と手を振る。けれどあなたは、驚いたように目を瞬かせたあと、少し笑った。
「そうだな。たしかににぎやかになりそうだ」
その優しい返事が、余計にくすぐったくて、わたしは俯いてしまった。
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午後になると、町の人たちが畑にやって来た。みんなでミツを分け合ったり、ポケモンに餌をあげたりする恒例の時間だ。
「カエデちゃん、今日も仲良くやってるねぇ」
年配の婦人が笑いながら言う。
「まるで新婚さんみたいじゃないの〜?」
「えっ!? そ、そんな〜!」
慌てて手を振ったけれど、顔が一瞬で熱くなった。あなたが隣で笑っているのが見えて、余計に心臓が落ち着かない。
「僕たちは、そんな……」
あなたも苦笑しながら言うけれど、どこか優しい声だった。わたしはその声の響きに、胸がまた高鳴ってしまう。
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日が傾き、畑の端がオレンジ色に染まるころ。ポケモンたちの世話も終わり、クマちゃんはのんびりと昼寝している。あなたは腰に手を当てて空を見上げていた。
「……ねえ、カエデ」
「はい〜?」
「こうしてる時間、悪くないな。僕も、少しずつ……君の隣に立てるようにしようと思ってる」
唐突な言葉に、息が止まった。意味を問い返すこともできず、ただ頬が熱くなるのを感じる。
「……そ、それって……どういう……?」
「ううん、まだ上手く言えないけど。僕も変わらなきゃいけない気がして」
あなたが笑った。それは戦いのときの鋭さとは違う、穏やかでまっすぐな笑顔だった。胸がきゅっと締めつけられる。
「わたし……うれしいです〜。あなたがそう言ってくれると」
自然と声が震えた。そのままふたりで沈黙したけれど、静かな夕風の音が心地よくて、言葉なんてなくても通じ合えているような気がした。
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ミツハニーたちが巣に戻り、空には薄い月が昇りはじめたころ。あなたと並んでムクロジへ帰る。歩くたびに、袖がかすかに触れる。そのたびに、胸が跳ねた。
「今日……楽しかったですね〜」
「ああ。君と一緒だと、不思議とどの作業も楽しくなる」
「も〜……また、そういうこと言うんですから〜」
わたしは笑って誤魔化したけれど、顔はきっと真っ赤だ。店の灯りが見えてくる。夕暮れの中で、あなたの横顔がふと光に照らされた。優しくて、少し大人びていて――それがなんだか、切なく感じた。今日が終わってしまうのが惜しい。もっとこの時間を延ばしたいのに、夜はゆっくりと近づいてくる。
「……また、明日も一緒にやりましょうね〜」
「もちろん。また明日」
あなたの声に、胸の奥が温かくなる。わたしは笑ってうなずいた。けれど、あなたが背を向けて歩き出したとき、その背中が少しだけ遠く感じて――わたしは小さく息を吐いた。
(ねえ……いつか本当に、いっしょに暮らせる日が来たら……)
口には出せないまま、わたしはオリーブの木々を見上げた。夜風に揺れる葉の音が、まるで「その日を信じて」と囁いているように聞こえた。
もう少しポケモン要素も入れていきたいですね