『死』となった男の話   作: 燃える空の色

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『死』を受け入れた魂

 

 

 ソレの意識は最初、海面に揺蕩う海月のように不安定なモノだった。

 まるで自分なんてものは存在しないのではないか、そう錯覚するほど朧気な感覚。

 全身を覆う淡い奇妙な感覚は、何かに包まれているのだろうか。

 手足、と思われる器官を動かそうとするが、指先さえ満足に動かせない。

 重たい瞼を何とか動かし、僅かに目を開ける――霧がかったような不明瞭な視界。

 けれども確かに、ソレの瞳は世界を写し出し、同時にソレの存在を世界に証明した。

 

 

『―――いっぱい、いる』

 

 

 けれども、ソレの注意は瞳に映る世界の姿形ではなく、ソレが感じ取った奇妙な感覚――気配、とでも呼ぶべきものに向けられる。

 ナニカが、自身の周りを取り囲んでいる。

 そのナニカがなんなのか、ソレには分からない。

 分からないが…どこか安心するような、嬉しいような。

 気分が僅かに高揚するのを感じる。

 それはきっと、自身を取り囲むそれらが、自身という存在の価値であり証明であり、やがて己の内に還るモノだからなのだろう。

 なんでかは分からないが、ソレはもう、周囲にいるモノたちの本質を理解していた。

 ソレは腕を伸ばし、最も近くにいる気配に腕を伸ばし、指先を向ける。

 

 

『―――きみたちは、だれ』

 

 

 伸ばした指先が、湿った感触を捉えた。

 ―――同時に、視界を覆うモヤがはれ、色鮮やかな世界が姿を見せる。

 そして目の前、そこには優しく鼻を突きつけてくる、銀色の一角獣(ユニコーン)。 

 

 美しいその一角獣は、知性を感じさせる瞳をソレと交差させた後に数歩下がり、反比例するかのように気配が動く。

 ソレを囲う無数の気配の中、一角獣を奥に置き、目立つ気配をしたモノが五つほど前へ躍り出た。

 

 

 一つは、ソレと近い気配を纏い、背中に翼を生やしたやせ細った黒馬(セストラル)

 二つは、全身に黒い毛を流し、同様の気配を連れて纏う亡霊犬(グリム)

 三つは、気品を感じさせる佇まいに、鷲の頭部と翼、ライオンの胴体と後足を持つ気高き獣(グリフォン)

 四つは、その身を炎に包み込み、ソレと同種の気配と共に、対になる気配を纏った火の鳥(フェニックス)

 五つは、他全てよりも巨大にして屈強な肉体を誇り、頑強な鱗と大きな翼を持つ絶対王者(ドラゴン)

 

 

 そのどれもが、周囲に侍っている同種よりも一回りも二回りも大きく、一角獣と同様の知性を感じさせる瞳をソレへと注いでいた。

 

 

『―――きみたちは、なにをのぞんでいる』

 

 

 問いかけと共に、ソレは獣たちの瞳を覗き返す。

 瞬間、獣達が僅かに身震い。

 ソレを覗くその瞳に、恐怖の色が映る。

 

 

「―――」

『――きみは』

 

 怯える獣たちの前に、再び一角獣が立つ。

 先程は気づかなかったが、改めて相対して気づく。

 この一角獣は、もう既に、天命をまっとうしかけている。

 気品と力強さを感じさせる歩みには、しかし僅かな揺れが見え、その瞳に映るソレはどこか虚ろだ。

 

 

『―――』

 

 

 ソレと鼻先程の距離へと近づいた後、この老いさらばえたその命は静かに頭を垂れ、まるで「触れろ」とでも言うような仕草を摂る。

 

 ―――ああ、なるほど。

 

 瞬間、ソレは自身がすべきことを理解し、一角獣へと静かに手を伸ばす。

 優しい手つきで一角獣の角に触れ、柔らかな額を撫でる。ゆっくりと抱き締めるような仕草で、ソレは一角獣の頭を胸に抱え込み――、

 

 

 

『―――ゆっくりと、おやすみ』

 

 

 

 賢く強く、自らの運命を受け入れ己の内へと還ってきた魂に、労いの言葉を与えた。

 それを聞いてか、一角獣は最後に小さく微笑みのようなものを浮かべ―――――促されるままに、その瞼を閉じた。

 

 

 

 

 

 何分、何十分、何時間、何日、あるいは何年。

 ソレが一角獣の終わりを迎え入れてから、長い月日が流れた。

 その長い年月の中、多くのモノの死を迎え入れ、新たなる生を施し、五つの獣達の王の調停者として、ソレは役目を果たしてきた。

 

 甘美なる死を、荘厳なる死を、美麗なる死を、高貴なる死を。

 

 ソレは無数の死を与え、数多の終わりを施し、永遠の別れを齎した。

 

 獣達の王は、数年の周期でソレの元へと集い、老齢の命をソレへと差し出した。

 その行いが介錯のようなものなのか、あるいは『死』を恐れるがゆえの贄か。

 ソレはその答えを知らない。

 ソレはただ、安らかな眠りだけを齎した。

 

 

 困惑はあった。戸惑いはあった。疑問は尽きなかった。思考は止めなかった。

 

 けれどもソレは、その疑問の答えを見つけることなく、困惑が果てるほどの、長い時間を過ごしていった。

 

 

 

 そして、更に数千年。

 

 

 

 ソレの世界に、変革が訪れた。

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