『死』となった男の話 作: 燃える空の色
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ソレの世界の中で、ある生命が爆発的に数を増やし、独自の生態系を築きつつあった。
最初の内、ソレはその生命に気づきもしなかった。
けれども、凡そ数千年の間で、ソレはあっという間に生態系の中でも上位に位置し、獣達からの報告が多く入るようになった。
聞くところによれば、その生物は二足歩行の猿によく似た生物であり、生物として特徴的なのはその器用な両腕と平均的な知能の高さだろうか。
そしてソレはすぐに、その生物が、元のソレと同種の生物であること―――人間であることに気づいた。
しかし、ソレは人間の営みを遠くから観察することはあれど、積極的に関わろうとはしなかった。
今の自分は、人に近いカタチをしようと人ではないのだから。
けれども、稀に向こうから接触を受ける時があった。
それは大抵、その人間が、獣達と対等に近い関係を築いた時か、あるいはソレの存在に気づくことが出来るほどの素質を持った者のときだった。
この世界の人間は、稀に強い力を持って生まれてくる。
それはソレの持つ力には遠く及ばずとも、獣達と近いか、あるいはそれ以上の力を持つこともあった。
しかし、その力を満足に扱える者はほとんど居らず、扱えたところで大したことはできなかった。
当然だ、どれだけの力があろうと、所詮は人の身。
できることなど限られている。
だからこそ、なのだろう。
時折、ソレの元を訪ねてきた者は、その殆どが力を望んだ。
ソレは幾つかの試練をもたらす代わりに、試練を乗り越えたものに望んだ通りの力を与え、そして力を支配するための術を――人々が杖と呼ぶものの作り方を授けた。
そしてそれは次第に広まり、やがて子々孫々まで受け継がれることとなる。
それを何百年と繰り返していけば、気づいた頃には、力を持った人間の数が、持たぬ人間の数と比較できる程度にまで増えてきた。
中には、力持つ者が集い、幼い力持つ者たちに力を制御し操る術を教えようとする者たちもいた。
その人間たちは協力して学び舎を作り、共に学び、切磋琢磨し――そして、主義主張の違い、あるいはすれ違いから別れていった。
その人間たちの苦悩を、嘆きを、悲恋を、悲哀を、悲劇を、喜劇を。
ソレは、ただ優しく見守っていた。
そしてそれから、凡そ二百年程度の時間が流れ、人間の世界では多くの変化があった。
力ある者たちの興した学び舎も徐々に地盤を固め安定し始め、力ある者とそれ以外の人間が上手く共存している。
それはそんな、ある時代のことだった。
『―――あれは』
偶然、目に止まっただけの話だった。
曲りくねった寂しい道を、三人の男……兄弟と思われる人間たちが歩いていた。
その人間たちは一際強い力を持っており、かつてソレが力を与えた者たちの子孫なのだろう。
その者たちには、僅かながら『死』の香りがした。
きっと、この者たちは近いうちにソレの元へと還ることになるのだろうと、ソレは考えた。
しばらくして、三人兄弟はひとつの困難にぶつかることとなる。
真夜中、三人兄弟の前には、『死』の気配をこれでもかと漂わせ、濁流の如く勢いと共に生物が多く生息する危険な川が広がっていた。
ソレは最初、兄弟達はここで死ぬのだろうと考えた。
その川は先が見えないほど長く続いていて、迂回するにも難しく、兄弟達の目指す先には必ず通らなければいけないものだったからだ。
ソレは兄弟たちの死を見届けようと考え、その行く末を見守った。
けれども、兄弟達は力を用いてその川に橋を掛け、難なく渡ろうとし始めた。
これにはソレも驚いた。
確かに力と制御する術は与えた。
彼らの学び舎を創り出した人間たちも、強い力を持っていた。
けれどもまさか、今の人間がここまで自在に操るとは予想していなかった。
そしてその力で――『死』の運命から逃れるなどと、考えもしなかった。
だからこそ、ソレが『死』となってから初めて、ソレは人に興味を抱き―――その姿を、三人兄弟の前に現した。
『―――はじめまして、かしこいひとのこら』
橋を渡りきるその前、突如目の前に現れたソレに、兄弟たちは酷く驚いた様子だった。
もっとも背丈の大きな、長兄と思われる人間は咄嗟に杖を構えてソレに向けた。
嫌味な顔をした、次兄と思われる人間は狼狽え、何事かと足を竦ませていた。
最も穏やかな顔つきをした、末の弟と思われる人間は驚いた様子ではあるものの、どこか落ち着いた目でソレを見ていた。
ソレは三人兄弟達にこう呼びかけた。
『―――ぼくは、きみたちの "死” だ。けれども、きみたちはいま、ぼくをのりこえた。ゆえに、きみたちにほうびとしれんをあたえよう』
まず初めに、ソレは長兄を指さした。
『きみがのぞむちからを、ぼくはきみにあたえることができる』
次に、ソレは次兄を指さした。
『きみがねがうはずかしめを、ぼくはすなおにうけとろう』
最後に、ソレは末弟を指さした。
『きみがおそれるものから、きみをかくしとおしてあげよう』
三人兄弟の内、最も好戦的で戦いを好んだ長兄は喜びに声を上げ、
「この世に存在するどの杖よりも強い杖をください!」
決闘すれば必ず持ち主が勝つという、『死』を克服した魔法使いにふさわしい杖を要求した。
三人兄弟の内、最も傲慢で狡猾な次兄は歪んだ笑みを浮かべ、
「死した人々を呼び戻せる力を!」
決して覆せぬはずの世の理を覆し、『死』をさらに辱めようと願った。
三人兄弟の中、最も賢く慎ましい末弟は怯えた様子で頭を垂れ、
「アナタに後を付けられずに、ここから立ち去れるようなものが欲しい」
底知れぬ恐怖と確かな知性を持って、『死』から逃れる術を求めた。
『あたえよう、だれにもまけない「杖」を』
ソレはニワトコの木で杖を作り、自らの力を宿し与えた。
『あたえよう、ししゃをよびもどす「石」を』
ソレは川から一個の石を拾い、自らの力を封じ与えた。
『あたえよう、しからのがれうる「マント」を』
ソレは自身の身体からマントを造り、己の一部を分け与えた。
『きみたちにあたえたちからで、きみたちがぼくのもとからにげきれたのなら、ぼくはきみたちによりおおくのちからをあたえよう』
それを聞き、長兄は好戦的に笑みを浮かべ、次兄は愉悦に浸り、末弟は怯えた様子を見せる。
そして、次の瞬間には――まるで嘘だったかのように、『死』の姿は消えていなくなっていた。
『死』が姿を消した後、三兄弟は川を乗り越え、各々の与えられた力を持って別れた。
そしてその後の長兄と次兄の行く末を、ソレは最後まで見届けていた。
一番目の兄は遠い村につき、「ニワトコの杖」を武器に魔法使いと決闘し、その命を奪った。
「ニワトコの杖」の強さに酔いしれた兄は、その力を自慢し、自らを無敵と称した。
けれどその夜、兄は別の魔法使いに杖を奪われ、喉を掻き切られ、その命を落とした。
――『死』は、一番目の兄を手に入れた
二番目の兄は家に戻り、与えられた石を手の中で三度回した。
すると彼の目の前に、かつて妻にと望んだ今は亡き女性が現れ、一抹の幸せを手に入れた。
しかし彼女は、命あるものの世に馴染めず悲しげで、彼は彼女を思うあまり、一緒になるため首を括り、自ら命を絶った。
―――『死』は、二番目の兄を手に入れた
けれども最後、残された一番下の弟だけは、ソレが世界中を見渡しても見つけることはできなかった。
ソレが末弟に与えた透明になる「マント」は、例え『死』の目からも逃れることを可能とし、そして見事、彼はソレから何十年間も逃げ続けたのだ。
そして―――、
「……こんばんは。久しいね、友よ」
月明かりが綺麗な夜だった。
月光に照らされた、いつかの橋の上で。
老いさらばえた末弟が、「マント」を手に持ち、ソレに暖かな笑みを浮かべていた