『死』となった男の話 作: 燃える空の色
凡そ、十三世紀末のことだ。
魔法使いとマグルの間に確かな隔たりが生まれ、両者が少しずつ分けられてきたその時代。
その時代の中で、ペベレル三兄弟の名前は、魔法使いの間では知らぬものがいないほど広まっていた。
好戦的だが、それに見合うだけの力を有した長兄、アンチオク・ぺベレル。
傲慢だが、それを咎められないほどの能力を有した次兄、カドマス・ペベレル。
臆病だが、二人の兄よりも謙虚で賢かった末の弟、イグノタス・ペべレル。
三人はそれぞれの有する才能と能力で持って名を知らしめ、時に協力し、時に反目し、時に助け合って、各々の生きる道を進んでいた。
そんな三人が、一緒に旅をすることがあった―――そして、ある満月の夜。
三人が危険な川を渡るため、『魔法』と呼ばれる力で橋をかけた時だった。
―――ソレが現れた。
三人は、警戒を怠ったつもりはなかった。
なんてったって時刻は真夜中、たとえ月明かりがあろうとも、何かが起こる可能性は否定できない。
けれども、ソレはなんの前兆も無く、なんの気配もなく、いつの間にか、三人の目の前に姿を現していた。
「っ誰だ!!」
最も勇敢にして野蛮な長兄が杖を抜き、ソレに杖を突き出した。
ソレの姿は黒い外套のようなものに覆われ、その中身は夜闇に紛れほとんど見えなかった。
ソレは向けられた杖を気にもとめず、三人に向けて宣言する。
『―――ぼくは、きみたちの"死”だ』
突如告げられた、突拍子もない言葉。
けれども三人には、どこかすんなりと、その言葉が事実であるということが理解出来た。
それは、その『死』が纏う恐ろしい気配が故か、あるいはこちらを覗く果ての見えぬ双眸が故か。
震える、震える、震える。
恐怖に足が竦み、怯えて呼吸も満足に行えない。
瞬きの内に、目の前の存在は自分たちの命を無に返すことができるのだと、三人兄弟は直感的に理解した。
けれども『死』は続けざまに、三兄弟に褒美と試練を与えると言い、それぞれの望みを聞いた。
上二人の兄は、それぞれの理想とする力と、自らの欲を願った。
けれども末弟は、この場で唯一、自分たちが『死』の運命に取り憑かれてしまったのだと理解し、ただ生きるためだけの、ただ『死』の眼差しから逃れるためだけの術を求めた。
その後、三兄弟は分かれ、それぞれの人生を進むようになった。
風の噂で、一番目の兄は力を誇示したことで寝首を掻かれて死んだと聞いた。
風の噂で、二番目の兄は幻覚に溺れ、自ら命を絶ったと知った。
末弟は恐れた。
自分もこのままでは、『死』の抱擁を受けることとなってしまう。
彼は未だ死を恐れ、死から避けることを選んだ。
そんな末弟にも、家族ができた。
純血の血筋と、優秀な能力と、温厚な人柄から、例え姿をほとんど見せずとも互いに愛し合える人ができた。
次に、子が生まれた。
彼に似た聡明な子で、きっとその血を先にまで受け継いでいくのだろう。
そして月日は流れ、彼は常に『死』の気配を感じながらも、老齢と称されるに相応しいだけの時間を生きた。
そして、末弟はついに自らの死期を悟り―――『死』と相対することを選んだのだ。
「今日は本当にいい夜だ。月が綺麗で、それに何より、僕の傍に、数十年来の友がいる。
――君を迎え入れるには、本当にいい夜だ」
末弟の声は枯れ、肌はしわくちゃになり、髪は先端に至るまで真っ白に染まっている。
既に死んでもおかしくないようなその老人は、穏やかな笑みを浮かべて、いつしかと同じように『死』と向かい合っていた。
『―――なぜ』
「なに、単純な話さ。僕は長い時間を生きた…君からすれば、瞬きの間かもしれないけれど、それでも僕は、長い長い道のりを歩み続けた」
二人の兄ができなかったことを、己が果たしたのだと。
老人となった末弟は続ける。
「ようやく、僕は気づいたんだよ。僕は長い間、君を―――『死』を恐れ続けてきた。君の元に帰ることを恐れ、ただ逃げ続けたきた。これを悪い選択だとは思っていないよ――けどね」
言葉を区切り、老人はげほげほと咳き込んだ。
もう既に、肉体は限界を迎え、魂がひとりでに離れようとしているのだ。
「けどね、やっと、僕は気づいたんだ。常に恐れて、常に考えて、妻を娶って、子を育てて。そして気づいたんだ……『死』は、君は。
決して、この世で最も恐ろしいものなんかではないのだと。僕たちは君を恐れる必要なんてない、ただ安らかに君を迎え入れるべきなのだと」
こんな年老いてから気づいてしまっては、すこし小狡い気がするけれど。
恥ずかしそうに頬を掻き、老人はソレに手を伸ばす。
「改めて――初めまして、僕の、僕たちの『死』よ。僕と少し、お話をしてくれないかな」
ソレは今世で初めて、人と――生物と、対等に話すことを選んだ。
◇
末弟との会話は、ソレにとって思いの外「楽しい」もので、末弟からしてみても同様だった。
この数十年間の彼の軌跡、妻との馴れ初めや息子との思い出、はたまた兄弟の愚痴や喧嘩の話まで。
長い時を生きたと言うだけのことはあると感心できる程度には、その言葉には蘊蓄を感じる。
対し、ソレの語るは世界創世の神話が如き体験談。実際にソレが訪れ、見て、聞いて、触れた数億年の記憶を告げると、末弟は目を丸くして言葉を失っていた。
そんな不思議な逢瀬を、数十分ほど続けた時だった。
末弟がそういえばとソレを見やって、
「あぁそうそう、聞きたいことがあってね。兄さん達が亡くなったあと、君が兄さん達に授けた「杖」と「石」はどうなっているんだい?」
『―――「杖」のもちぬしは、ついさきほどいれかわったようだ。「石」はいまは、きみのあにのしそんにうけつがれているよ』
ソレがそう告げると、末弟はどこか感慨深いような、悲しげな様子で目を閉じる。
一体どうしたというのか、考えても分からない。
末弟が長い時間を経て変わったと言うように、ソレの精神もまた、長い長い時間を経て人から遠ざかってしまったらしい。
これも、末弟と話して得られた事実の一つだ。
「……君から授かった、この「マント」。 これを、僕の子供に譲りたいんだ。これはきっと、僕の子孫達に大いに役に立つことだろうから」
そう言って、末弟は「マント」を握り締める。老いた彼の手がどれだけ強く掴んでも、「マント」にはシワひとつ浮かばなかった。
『――いいよ。それはもう、きみのものだから』
「ありがとう、我が友よ……あぁ、ところでひとつ、気になっていたことがあったんだ」
重なる疑問。
どうやらこの数十年の間に、末弟は『死』について多くのことを考えたらしい。
続けて、
「君は僕達の『死』だが…君は、『死』とは一体なんなのか。そして、君自身の名前が何かを、僕に教えてはくれないか」
末弟が首を傾げ、穏やかな口調で尋ねる。
ソレは質問に答えようとして、そして――、
『―――ぼくになまえは、ない。ぼくはただ、きみたちをつつみこむおわりだ。ぼくは、"死”とは、君たちがぼくのなかに還ることにほかならない。それいじょうは、ない』
自分は、自分だ。
それ以上も、それ以下もないのだと。
ソレは、そう断言する。
かつて、ソレが人として生きていた時代。
その時には、きっと名前があったのだろう。
けれども、それを思い出すには、もはや時が離れすぎてしまった。
「―――キミは、自分自身が何かすらも、わかっていないんだね」
淡々とした口調とともに、こちらを見透かすような瞳が覗く。
ソレが末弟の言葉に反論しようとして、しかし言い淀んだ。
『―――ぼくは、きみたちがうまれたそのときから、きみたちのすぐそばにいるもの。ぼくは、きみたちの"死”だ』
「けれども、それだけでは少しばかり寂しいだろう? 旅行くついでだ、キミの最初の友として、僕が名を考えてあげよう…なに、このマントのお礼だとでも思ってくれ」
考え込む末弟に、ソレは酷く胡乱な気持ちにさせられる。
名前、そう名前。
言われてみれば、考えたこともなかった。
ソレは生まれ変わってから、ただ漠然と己は『死』なのだと、それ以上でもそれ以下でもないと考えてきた。
新しい発想だ、分からない発想だ。
未だ名前について思案する末弟を見て、ソレは言葉にし難い感情を胸に抱いた。
「……そういえば、気になっていたことがもうひとつ。君、過去に我々の祖先と出会ったことがあるだろう?古い文献で読んだんだ、出会い試練を乗り越えることが出来れば、力を授けてくれる神―――『死神』のことを」
『―――そのなまえは、はつみみだ』
『死』そのものであるソレを死の神とは、言い得て妙である。
初めて聞いた呼称があったことに、ソレは素直に驚いた。
「あぁ、まぁ。これはどちらかと言えば、分かりやすくするための……所謂俗称だろう。性質としては、間違っていないのだろうけれど」
そこまで言い切り、末弟は再び思考の渦に沈む。
そこまで真剣に考えるものとは、ソレが思っているよりも、名とは重要なものなのかもしれない。
自分が人間だったときは…どうだろうか。
名は体を表すとか、言霊とか、そんなことが色々言われていた気もするが。
しかし、名前とは数あるモノの中で他との境界線を作り、存在を隔てるためのものだ。
『死』は一つしかおらず、自身を区別する必要などあるのだろうか。
ソレがほとんど薄れつつある人間だった頃の感覚を擦り合わせていると、末弟は突如「いいことを思いついた」と声を上げた。
「俗世にて『死神』と称される君に、ピッタリの名前と言えば、それは同様の死の神の名に他ならない。あぁ、そもそもといえば、元を辿れば死の神の源流など、ほとんど君のようなものなのだろうしね」
『―――それで、なまえは』
「あぁ、いけない。年寄りはつい遠回りをしてしまう……そう、君の名前だ。実は既に一つ、いい名前を思いついていてね?」
ゴホン、とわざとらしく咳払い。
末弟は恭しくソレに手を伸ばし、両頬に枯れ枝のような手を添える。
そして厳かに―――、
「―――君の名は『モルス』」
「『死神』と呼ばれる君の、キミ本来の名として―――ラテン語で『死』を意味する神の名を送ろう」
「君はただ『死』であるわけではない。キミには意思があり、君には心があり、キミには優しさがある」
「キミの名は、存在は、優しさは。僕の子孫たちが受け継ごう。兄さんたちが果たせなかったことも含めて、兄さんたちに君が与えた秘宝も含めて、僕たちが後世へと受け継ごう」
『―――モルス、モルスか』
末弟が与えた名前、それを何度も反芻する。
『モルス』、『モルス』、『モルス』
恐ろしき『死』ではなく、尊き『死』ではなく。
忌まわしき『死神』ではなく、偉大なる『死神』ではなく。
―――ソレの名前は『モルス』
『死』を司る神の意を持つ、『死』の心そのものの名前。
定義される。
区別される。
不意に、ソレを――『モルス』を覆い隠していた、闇のヴェールが剥がれ落ちた。
「おや……はは、なるほど。『死』が『人』の形を取るのか……これを見られただけでも、生きてきた甲斐があったというものだ」
そこには『人』がいた。
『人』の形をした『死』がいた。
『名前』を与えられて、ソレは漸く再誕した。
そして『人』の顔をした『死』は、安らかな笑顔を浮かべ、自らの名付け親を見つめる。
『―――良い名前だ。ありがとう、僕の長い長い歩みの中の、最初の友よ』
「なに、最後に良い物を見られたんだ。これくらい、どうってことないさ」
感謝を告げた『モルス』の双眸を覗きながら、末弟―――イグノタス・ぺべレルは手を伸ばす。
「さぁ、旅立ちの時だ、『モルス』。僕を、キミの進む旅路に連れて行ってくれ」
『―――了承した、イグノタス。安らかな終わりを、安らかな始まりを、僕なりの感謝の証として、君に送ろう』
その手を受け取り、『モルス』はイグノタスを抱きしめた。
精一杯の感謝を、心からの『ありがとう』を、力いっぱいにこめて。
「はは、熱烈だな…」
けれども彼は安らかに、嬉しそうに微笑む。
「……君の容姿は、人の世に生きるには些か目立ちすぎる。もし市政に紛れたい時は、僕の姿か、兄さんたちの姿を借りるといい。君にはこれから先の歩みを、時偶に『人』として生きる権利がある。それを僕が与えられたというのは、とても幸運なことだ。まぁ結局、キミが何かという疑問の答えは得られなかったが……あぁ、眠くなってきたな。けれど、不思議と辛くはない。寧ろ暖かくて、穏やかで―――、
――――あぁ、今日は本当に、いい夜だ」
その言葉を最後に、イグノタスの鼓動が止まる。
結局のところ、最後の最後で、この男は『死』が与えた試練を乗り越えることは出来なかった。
けれども、『死』の――『モルス』のその『心』に。
生命尽き果てるまで続く、幾億年の旅路のなかに。
イグノタスの名は、永遠に刻まれることとなったのだ。
―――そして『モルス』は、最後の弟を手に入れた。