どうやらあの黒は私たちを逃がす気なんて毛頭ないらしい。
教室の窓から屋上へ向けて蛇のようにうねる黒が間髪入れず迫る。
「―――ッ!!」
黒が私たちを飲み込む前にまだ完全に黒に飲み込まれていない屋根を足場として飛び移り何とか凌ぐ。
――――街並みは日常という形を無くしていた。
黒は既に街の九割近くを飲み込み、咀嚼するように蠢く。
街に人がいるような感じはなかった人がいたとするなら…………
いや、今はそんなことを考えている暇がない。
足を搦め取ろうとする黒に集中しなければいけない。
あとのことは後で考えて、今のことは今考えなければならない。
「エミコ」
「なんすか」
「随分と逃げ回っているが勝算はあるのか?」
「ないっす」
「即答か……まあ、君ならそうだろうな」
「ぐ……」
色々手一杯な状況に煽りをいれるとは中々タフな精神をしているらしい。
そこまでタフではない私はキレそうだが。
「あの巨大な蛇…デカグラマトンはまだこちらをしっかりと認識できていないらしい」
「なにを根拠に……いま絶賛その蛇の配下?的な黒に追われている最中なんすよ!?」
「巨大化に際してのよくある弱点だよ、大きすぎて小さな物が見えなくなる………というね。そもそもとして私たちを見つけられたならあの巨体を活かして突進でもなんでもすればいいじゃないか。それをしないということはできないということさ。今、君を追っている黒も手当たり次第に飲み込んでいるだけで君自身を攻撃しようとはしてない」
「…………つまり」
「奇襲ができるってことさあの巨大な蛇に」
黒は私たちを狙うように次々とこちらに迫る。
そうか、急ぎ過ぎて気付いていなかったが確かに少し軌道がおかしい。
私たちを狙っているように見えるが実際に手当たり次第というイノリの考察も間違ってないだろう。
だけどこのままだと、足場がなくなってそのうち…黒に。
「飲み込まれるだろうな。そうなると君は帰れなくなるぞ」
「そん……ッ!」
喉から飛び出そうになった言葉は前から頭を突くように迫る黒に遮られて消えた。
口を閉じ黒に染まってない足場と頭を突くように迫った黒の間を縫うように体を動かし、回避する。
言葉を放つ隙すらない状態、頭の中で限界が近いと絶望的な現状がよぎる。
「だからこそだ、あのデカい蛇を殴れ。そうすれば万事解決だ」
―――そうはならないでしょ!!
「そうはならないと考えてるな?」
ぐ……この蛇ちっちゃいのに考えを見透かして的確に突いてきやがる……!
「まぁそう思うのは無理ない、簡潔にだが、説明するぞ」
「まず、あの蛇は私を…神の力を取り込まうとしてる」
疑問の言葉を挟む余裕などない、ただしっかりと言葉を聞かないとえらい目に合うだろう。
回避に集中しながらイノリの言葉を一言一句聞き逃さないように耳を澄ます。
「さっきも言ったがアレは元の状態に戻ろうとする自浄作用のようなものだ」
そこまで言ってないだろこいつとは言えない…睨む程度が精一杯だ。
そんな睨みも効かない蛇は淡々と喋る。
「だからこそ、神という元々私にはなかった力を持ってる私や君を狙おうとしてる…ここまではまだ分かるな?」
―――まぁいくらか疑問があるが分かる。
ようはイノリというキャンバスに神という絵の具を塗ったがその絵の具を剝がれてっているということだろう。
……考えれば考えるほどにこの蛇は神を騙るだけの別のなにかというのが分かる。
地震を鎮めるとされ信仰された存在、イノリという蛇。
神隠し事件を起こした者として恐れられた存在、神という人型のナニカ。
しかしこの蛇が目指していた場所は誰でも持ってそうな平凡なところだ。
生きたい、死にたくない。
命という物があって当たり前の私たちの世界と形はどうあれ信仰されないと生きていけないイノリの世界。
見ているものが違う、考えることが違う。
だとしたら私がやれることはこの蛇が死なないように、誰かがまだ覚えてくれるように、生きて、覚えて、帰らないといけないことだ。
「おい、聞いているのか?」
「…!は、はいっす!」
「ならいい……それで君を帰すのには神の力が必要だが、その大部分の力を持ってる私本体が飲み込まれてしまった」
「神の力の大半だから消化には時間がかかるだろうが恐らく……十数分で消化しきるぞ」
「―――ッ!!」
それじゃ、帰れない!
「そうだ、だからこそあの黒蛇に私を吐き出して貰う必要がある」
話が見えてきた……つまり。
「そのためにエミコ、君のその力であいつをぶん殴れ、君の力があれば吐き出させること位はできるはずだ」
なんでさ!?と心の中で吐き捨てる。
「簡単な理屈だよ、あの黒蛇がやってることは要は食事だ、君は殴って消化されそうになってる私の本体を吐き出させればいい」
ぐ…そう…なのか?疑問が収まらない気がするが、思考を切り替える。
「それはいい作戦だと思うっす、だけど…」
動くと体力は消耗する、これはあらゆるものに通じることである。
そしてこの体は知ってる…黒蛇までは届かないと、届かず力尽きるのが関の山だと。
「でも……そんなのは分かってるんすよね?」
語りかける。
蛇は答えない。
「何か私の知らない作戦や切り札があるならさっさと教えてくださいっす!」
姿を見てないのにそのユラユラと首を揺らす蛇の姿だけは何故かわかった。
「―――覚悟はあるか?」
「ある」
即答、こんなの考える必要も、意味もない。
何を思って覚悟の所作を問いただしたのかは知らないが、もう覚悟なんてとっくの昔から出来てる。
蛇はただ。
「これだから君は好きじゃないんだ」
と笑いながら話した。
友人に語りかけるようなフランクな語りで。