オレたちにEARTHは無い   作:ホネホネ

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三人いる

 

──雨の音が聞こえた。

 

微睡みの中で鼓膜が優しく揺らされる。温かい家の中、気がつけばソファに寝転がったまま眠ってしまっていたらしい。

さっきまで見ていた映画はなんだったっけ。もうエンドロールになってしまったかな。誰かがかけてくれたブランケットを無意識に引き寄せる。

それから、ふと鼻腔をくすぐる匂い。煙草特有の苦みのある香り。ああ、父さんが帰ってきたんだ。だめだよ、父さん。家の中で吸ったらまた姉さんに怒られるよ──

 

 

そこでデイビットは目を覚ました。

 

がくんと落ちた首、どうやらどこかに座ったまま寝こけていたらしい。まるで警戒心のない自分の姿に内心で驚く。素早く意識を覚醒させた彼は周囲へ視線を向けた。

周囲は深い霧に包まれている。曖昧な霧に遮られていて、遠く目を凝らせば地平線の先に何かが見えそうなのに、見えない。見上げた空は暗く、夜のよう。それなのに不思議と、満たされている。

 

……さきほどまでの記憶がない。

意識を落としていたということは、更新がかかっていたのだろうか?

容量が無かったのか、更新前の自分は今自分がどこにいるのかという情報を次のデイビットに残さなかったらしい。ということは、残す必要がない程度には安全な場所なのか。

 

丸太の上に腰掛けたまま、デイビットはパチパチと雨音に似た音を生む焚き火へ視線を向ける。そして少しだけ警戒を緩めた。

焚き火の炎は大きく、見れば新しい薪が入れられたばかりのようだ。ということは第三者がここにいて、デイビットが意識を失っている間、夜警に当たってくれていたということになる。

心当たりは、ある。彼は薄い唇を開いてその人を呼んだ。

 

「姉さん」

 

呼びかける。けれど、返事は無い。

それは初めてのことだった。呼び掛けて、彼女が答えてくれなかったことなど無い。

 

「…………姉さん?」

 

不意に胸を突く違和感。咄嗟に立ち上がり、周囲を見渡す。深い霧、暗い煙、あまりにも静かすぎる夜。誰の気配も感じられない。水中のように揺らぐ炎だけが光源。

無意識に自身の左胸にふれる。

その奥にある、空洞。それで、理解する。

 

──繋いでいた手はとうに離れていたのだ、と。

 

その時、ふと足音が聞こえた。

深い霧の向こうからやってくる人影にデイビットは静かに視線を向ける。薄暗い煙の向こうにあったとしても、その影をデイビットが見間違えることはない。

 

「……テスカトリポカ」

「よう、デイビット。来たのがオレで悪かったな」

「いいや、悪いことなどないさ」

 

煙の向こうからやってきたテスカトリポカは、デイビットが最後に見た戦士の黒衣ではなく、いつもの見慣れた現代的な服装を纏っていた。

彼は焚き火を挟んだ向かい側に座ると、立ち尽くすデイビットへ「座れよ、神を見下ろす気か?」と言って座らせた。それから軽く息をついて、煙草に火をつける。ふー、と深く息を吐きながら紫煙を燻らせるテスカトリポカを、デイビットは座ったまま何も言わずに見つめ続ける。その視線に気がついてか、テスカトリポカは口角を上げた。

 

「さて、デイビット。説明は必要か?」

「いや、不要だ。理解したよ。オレはORTの棺に落ちて死んだ。ここはお前の冥界だな」

「ああ、ここはオレの楽園『ミクトランパ』。戦いの果てに敗北した戦士を迎え入れ、その魂に休息と安寧を与える領域。……まあ、此処はまだ入口でさえないがね」

 

ああ、だからか、と思った。

ここは満たされている。そう感じたのは。だからここは知らないはずの場所なのに怖くなかった。それはここがテスカトリポカの領域だったからだろう。

ここではもう何も失うものはない。なぜならここに来るものはとうに全てを失っているから。

 

無意識にデイビットは息を吐く。長い間歩き続けてきた旅人が重い荷物をようやく降ろしたかのように。

 

「……そうか、オレは死んだのか」

「実感が湧かないか?」

「いや、死んだ自分を観測している自分という感覚が妙なだけだ。自覚も実感もしている。死に際は結構、衝撃が凄かったな」

「相変わらずのクソ度胸。お前らしいことこの上ないな」

 

テスカトリポカは歯を見せて笑った。煙草を口元へ寄せ、紫煙を吐く。

それから暖色のグラス越しにデイビットへ視線を向けた。

 

「聞かないのか」

 

その言葉の意図をデイビットはすぐに理解する。

理解して、ゆっくりと首を縦に振った。

 

「ああ、聞かなくてもわかっている。……姉さんはここにはいない。当然だな、姉さんは戦士ではなかったから。彼女はここには、来られない」

 

世界の認識はどうであれ、少なくともテスカトリポカはデイビットと彼女を別の存在、別の人間として認識していた。テスカトリポカにとって彼女は『デイビット・ゼム・ヴォイド』ではない。

ならば辿り着く先が同じ場所にならないのは当然のことだろう。

 

「ああ、その通りだ。あの女は戦士にあらず。テスカトリポカはそう断じた。オレが楽園へ迎え入れることができるのは敗北した戦士だけ。それがオレという神の治める秩序だ」

「……そうか。内心そうだろうと、オレも姉さんも思っていたよ」

「なんだ、異議申し立ても反対意見も無しか。つまらん」

「できるのか?」

「できないが?」

 

じゃあ何故言った。デイビットは呆れた目でテスカトリポカを見つめた。

しかしデイビット自身、片割れを永遠に消失したという現実を不思議なくらい穏やかに受け入れていた。その理由は……なんとなくわかる。

 

「……笑っていたんだ。最期に」

 

手を繋いで落下していく、最期の二人きりの時間。

彼女は笑っていた。ほんの少しの悔恨も恐怖も無い顔でただデイビットを見つめて、笑ってくれていた。

デイビット・ゼム・ヴォイドという空洞が歩んできたこれまでの道程の果てに何も残るものが無かったとしても、何の価値も無かったとしても、それでも。

 

自分の人生は、最期に彼女を笑顔にできるだけのものであった。

それだけで自分の生命には意味があったと思えたから。

 

「最善を尽くした。悔いはない。そんなものがあったら叱られる」

「……ああ、そうだ。その通りだ、デイビット」

 

偽りのないデイビットの瞳に、テスカトリポカは目を細める。姉とよく似た紫の瞳にはどこまでも強い意志が宿っている。いい女だった。テスカトリポカはそう思いながら、まっすぐに彼を見つめて頷く。

テスカトリポカは全ての戦士に肩入れする。その中でも今回はデイビットに賭けていた。その計画も、意思も、魂も、テスカトリポカ好みの戦士の在り方だったからだ。そしてその果てに自らの領域に招き入れる。至った先が勝利ではなくとも、それは彼の戦いが無様なものだったことの証明にはならない。

テスカトリポカは不意に真剣な表情を浮かべ、目を逸らさずに唇を開いた。

 

「デイビット・ゼム・ヴォイド。オマエは素晴らしい戦士だ。──よく最期まで戦い抜いた」

 

戦の神であるテスカトリポカからの真っ直ぐで最大級の褒め言葉。その言葉にデイビットは一瞬だけ目を丸くして、柔らかく眦を緩めた。

それから思い出す。

同じように褒めてくれた彼女の言葉を。

 

(「──うん、よく頑張りました」)

 

そうやってただのデイビットを真っ直ぐに褒めてくれた彼と彼女。

別に褒められたいわけじゃなかった。感謝されたいわけじゃなかった。けれど、それでもその言葉がどうしてか──とても嬉しかった。

デイビットは無意識に自身の髪に触れる。彼女が撫でてくれたあの手つきを思い起こすように。

 

「……まあ、そうは言ってもオレの計画は阻止されてしまったが。カルデアはORTを止めたよ、テスカトリポカ」

 

伝承科の天才であるデイビットは自分の計画が打ち砕かれたことを理解していた。

テスカトリポカがミクトランパへ迎え入れるということは、デイビットは敗北したということと同義だ。デイビットの勝利条件は「ORTがカルデアスを破壊すること」。つまりはそれが叶わなかったということだろう。

遠く、煙の向こうからやってくる人影が段々と大きくなっていく。

どこか茶化すような声音でデイビットは1年……いや30時間の相棒であるテスカトリポカへ言った。

 

「おまえの視た未来は幻となった。神であれ虚言を口にした以上、罰を受けるべきだ」

 

軽口を叩きながら、あの人影(カルデアのマスター)が此処まで辿り着くのを待っている。

……いや、別に待っているわけではないが。

 

 

 

 

 

結末は、実のところ初めからなんとなくわかっていた。

 

例えばそれが魔術だったり肉弾戦だったりしたのなら優位に立っていたのはこちらだろう。だがマスター同士のサーヴァント戦となると話は変わってくる。

コフィンの中で繰り返したシミュレーションは所詮シミュレーションでしかなく、長年命懸けの実践を繰り返してきた者との差は埋めようがなかった。

なにせ、サーヴァントはいてもミクトランではほとんど別行動。デイビットは初めてサーヴァントと共にマスターとして戦ったのだから。

 

冷静に盤面を俯瞰してサーヴァントへ適切なサポートを行えていた筈だった。その時その時に選択できる最善を積み重ねていった。

……多少、サポートが過剰だったことは否定しない。戦闘の最中、テスカトリポカが「オマエ、オレの命中率をそんなに信用してないのか」という目で見てきたことからは……まあ、目を背ける。頷いたらテスカトリポカが目に見えて落ち込むということは予測しなくてもわかることだ。

 

とかく、デイビットはカルデアのマスターとの戦いに敗れた。

そして、あの30時間をやり直すための最後の機会も失われる。

 

しかし、不思議と清々しい気持ちだった。

息をついて、微かに口角を緩める。

カルデアのマスターが、目の前に立つその人が、どこまでも真っすぐで善い人だとわかっていたからかもしれない。……少しだけ、父を思い出す。眩しさに目を細めた。

 

敵対したくて敵対したわけじゃない。デイビットの思う世界を救う方法と、カルデアのマスターの思う世界を救う方法が異なっていただけ。

デイビットは今もなお自分の選択が誤っていたとは思わないけれど、それを挫いて別の選択で世界を救おうというのならばそれも過ちではないと思う。

カルデアのマスターにできない方法をデイビットは選んだ。デイビットにはできない方法をカルデアのマスターは選んだ。Aプランが駄目なら、Bプランを試すべきだ。Aプランに異議があるのなら、Bプランで踏破すればいい。

 

恨みはしない。真正面からの勝負に負けたことで、デイビットの心の端っこにある負けず嫌いが少しだけ不貞腐れているけれど、それは悪意じゃない。

数多の苦難を踏破して、君は歩いていくのだろうと思った。デイビットが見つけた道とは異なる道を。

 

善き隣人に背を向けて、テテオカンの北へ向かう。

呼び止める声が聞こえたけれど、彼は振り返らない。

決着がついた以上、もうデイビットは死者で、カルデアのマスターは生者だ。傍にはいられない。死者は生者から離れていかなければならないのだから。

デイビットの生は終わった。10年と25550分という長く短い人生だった。

 

進む度に深い煙が身を包む。先は見えないながらも歩みを進める。吹き晒す風は強く、デイビットのロングコートの裾を引っ張っては音を鳴らした。

こうも風が強くては歩き辛いだろうと、隣に手を差し出しかけて、止まる。それから苦笑する。頭ではわかっているはずなのに、染み付いた無意識が離れない。

 

霧の中を前へ進む。前へ進む。ただ前へ進む。

自分の足音しか聞こえないことに違和感を覚える。自分の右側に誰もいないことに違和感を覚える。

この違和感にも慣れていくのだろうか。慣れてしまうのだろうか。

 

「オイオイ、歩くのが早いな、兄弟。追いつくのに苦労したぜ」

 

ふと顔を上げれば、彼の視線の先、数メートル前方にテスカトリポカが立っていた。煙草を吹かして彼は笑う。いつの間にか追いついてきていたらしい。立ち止まり、彼を見つめ返す。

 

「楽園という割に歩かされ過ぎている。送迎とか無いのか」

「クソ不敬がよ。いいか?こういうのは自分の足で辿り着くのがいいんだよ。歴代戦士たちからのアンケート結果にも出てる」

「……辿り着く?一体どこに?」

「そりゃあ当然、ここに(・・・)、だ」

 

テスカトリポカが手で指し示した途端、ゆっくりと霧が晴れていく。そしてその先から現れたものにデイビットはその紫の瞳を少しだけ大きく開く。

 

「これは……」

「言っただろう、休息と安寧を与える、と。その身と魂を休めるためにはまず何の不安もなく眠りに就けるマイホームが必要だからな」

 

デイビットの目に映ったのは、一軒家。

アメリカの建築様式で建てられたその家は2階建てで、正面から見て右側にシャッターが閉まったガレージがある。

その近くに停められた自転車は赤と青の色違いの2台。それが誰のものなのか、知っている。覚えている。忘れるはずもない。

 

あの日から一度も帰ることのなかった、かつて3人が暮らしていたあの家が彼の目の前にあった。

 

「ここはオレもさわらない部分でな、大抵の場合それぞれの戦士たちにとっての故郷……帰りたい場所、帰るべき場所、そんなものが再現される」

 

立ち尽くすデイビットの肩をテスカトリポカは軽く叩いた。家を見つめたまま、デイビットは問いかけた。

 

「……入っていいのか?」

「自分の家にそんな疑問を抱く奴がいるか?鍵ならとっくにオマエが持ってる。オマエの家だよ。リフォームもリノベーションも好きにしろ。ハチドリも此処にまでは口を出せないからな」

 

そうジョークを口にしてテスカトリポカは笑う。それを聞いたデイビットは不思議とそこにあると確信して、コートの右ポケットに手を入れた。指先に当たる硬い感触、それを掴んで引き出す。

決して汚れているわけではないが、新品にも見えない鍵が一つあった。

 

デイビットはまるで夢を見ているかのような心地で玄関扉へ近づく。

玄関に続くステップの高さも、扉の磨りガラスの模様も、壁に貼られたシールも何もかも知っていた。そして彼が何度も開いた、そしてデイビットが初めて開くドアを目に映す。

茶色地の玄関扉の前に立ち、鍵穴に鍵を差し入れた。それを慣れた手つきで回して…………?空回りをする。ドアノブを掴んで回せば簡単に扉が開いた。思わずテスカトリポカへ視線を向ける。

 

「……鍵が開いてるぞ」

「なんだ、不用心だな」

 

テスカトリポカに文句を言ったら、何故か他人事のように返される。なにか言いたげな顔をするデイビットを気にすることなく彼は「入ろうぜ」とその背中を押して促した。

 

扉を開いた先、一度も入ったことのないその家のことをデイビットはよく知っていた。

棚に置かれている様々な国の置物は父親からのお土産。廊下には幼い頃の姉弟が描いた絵が額に入れて飾られている。

開かなくてもわかる、あちらの扉の先にはバスルーム、そちらの扉の先には書斎、向こうの扉には寝室。階段を上がれば姉の部屋と弟の部屋。

ああ、見なくても知っ(おぼえ)ている。

姉弟それぞれの部屋の机にはテディベア。横縞のセーターを着た子と、水玉模様のワンピースを着た子。誕生日に父さんからもらったお揃い。

 

玄関に立ち尽くすデイビットをテスカトリポカはもう急かさなかった。

生前、帰りたかった場所に帰れなかった戦士は皆そのような顔をするものだ。迷子になっていた子供が見知った道にようやく辿り着いたような顔を。

 

デイビットは呆気にとられたような顔で周囲を見渡して、それからゆっくりと一歩前へ進む。

一瞬何処へ向かうべきか迷って、どこに向かっても良いのだと気が付き、足はまっすぐリビングへ向かう。

 

進んだ廊下の先、リビングの入り口でドア枠に手をついて立ち止まる。

そこにあるのは初めてやってきたのに、見知った懐かしい景色だった。家族で過ごした暖かなスイート・ホーム。誰もいないはずのリビングは微かなぬくもりがあって、デイビットは無意識に安堵に似た息をつく。

 

部屋の中を見渡す。リビングから繋がる広いキッチン、ドーナツの箱が置かれたダイニングテーブル、三人掛けの革張りのソファ、ソファの正面にある大きなテレビ。

 

テレビには電源が付いていて、懐かしいカートゥーンが流れていた。とぼけた少年と気が強い少女と、二人に振り回される死神の三人組。身体に悪そうなピザを食べては悪夢を見ている。

 

カートゥーンは姉が好きだった。まだ10歳を迎える前のこと、聡明で博識な彼女はその大人びた精神に反していろいろなカートゥーンを見ていた。「好きなの?」と問えば、彼女は画面を見つめたまま「うん」と頷いて答えてくれた。

 

「これを見てる時だけは扉が開かないから」

 

そう言った彼女の横顔を鮮明に覚えている。

 

そんなふうに過去に思いを馳せていた時、不意にテレビの番組が切り替わる。

画面の中でオレンジの猫(ガーフィールド)が怠惰に眠っている。突然切り替わった画面に不思議を感じるより先に、キッチンのオーブンが音を鳴らした。知っている音に思わずキッチンを覗き込む。熱を持つオーブンを開けば、中には湯気を立てるラザニアがあった。

デイビットはオーブンの中身から顔を上げると振り返り、テスカトリポカの顔を見た。

勝手に切り替わるテレビ、温められたラザニア。

 

……何かが起きている。

キッチンの入り口に立っていたテスカトリポカはいつも通り口元を弧にすると、先にリビングの中へ戻っていった。

デイビットは立ち尽くし、それからすぐにテスカトリポカを追うようにキッチンを出てリビングへ向かう。

 

テレビは再び切り替わっていた。セサミストリート。木に生った林檎をエルモに取ってやろうと青い身体のグローバーが悪戦苦闘している。

なんとなく懐かしさを感じて、ソファの傍に立ったままデイビットは子供向けのマペットをじっと眺めた。

 

「グローバーは好きよ」

 

ソファから、声が聞こえた。

デイビットのものでも、テスカトリポカのものでもない、いるはずのない少女の声だった。

 

「やること為すこと傍迷惑で全部空回ってるけど、本人は一生懸命善いことをしようとしてるから……なんだかずっと嫌いになれなかった」

 

その声はすぐ隣にあるソファから聞こえている。ゆっくりとソファへ、声の元へ視線を向ける。先程まで誰もいなかったはずのソファ。

そこにいたのはテレビ画面をじっと見つめる、懐かしい横顔。

 

革張りのソファに彼女は座っていた。

彼女というのは、つまり、デイビットの姉だ。

少女の姿をしていて、気が強くて、素っ気なくて、優しくて、世話焼きで、デイビットと揃いの紫の瞳とブロンズの髪をしたよく似た顔立ちをした双子の姉。

 

脳の奥が硬化しているみたいだった。目の前の彼女を見ているのに目に映っているものに理解が追いつかない。デイビットは何が起きているのか、何を言っていいのか、何もかもがわからなくて、彼女を見つめたまま立ち尽くす。そんな彼の視線に気がついてか、彼女は顔を上げて彼を見た。

 

「なに突っ立ってるの?」

「…………ねえ、さん?」

「ええ、他に何に見えるの?答えによっては手ェ出るけど」

 

姉がいた。当たり前のようにそこに。いつもの水玉模様のワンピースを着て、クッションを抱えて、ソファに座ってリラックスした様子でそこにいる。黒い革のジャケットはソファの背凭れに引っ掛けられていた。

デイビットは何を話せばいいのか上手くわからなくなって、思いついた疑問を精査することもなく口から吐き出した。

 

「…………フォスターズ・ホームは?」

「今地球が白紙化してるって知らないの?フォスターズ・ホームも閉館中よ」

「…………ウィルトは?」

「私、初恋を引きずるタイプじゃないの」

 

姉はあっさりとそう言った。リモコンを手の中で転がしながら、何を当たり前のことを、とばかりに肩を竦める。姉さんが言い出したことなのに、と内心で石を蹴る。

 

「そりゃあいい!初恋ってのは叶わないもんさ。次の恋に行こう!」

 

いつの間にか姉の隣に腰掛けていたテスカトリポカは嬉しそうな顔で手を叩いてそう言った。それから彼女の肩に手を回して身を寄せる。

 

「とはいえ、後学のために聞いておくか。なあ、そいつはどんな奴なんだ?」

「やだ、さわらないで」

「やだはやめろ、傷つく」

「傷つけてるのよ」

「……姉さんが昔好きだったウィルトは背が高くて、」

「ちょっと」

「ほう、オレもそれなりに上背があるが?」

「赤くて、」

「奇遇だな、オレも赤いところがある。四分の一だが」

「隻腕で、」

「脚じゃだめか?」

「それから、気さくで世話焼きな男だ」

「……なるほどな、遠回しな告白だった、と。悪くない、いやそういう恥じらいはむしろ好ましいまである。デイビット、オレを兄と呼ぶ準備をしておけよ」

 

そうのたまうテスカトリポカの腕を振り払って姉はデイビットへ視線を向けた。ほとんど睨むような目つきだった。

 

「何故、私の家に不審者が入り込んでいるの?お前、追い出しなさい、早く」

「……ここはオレの家のはずでは」

「家はオマエらのものでも、その下の土地はオレのものだ。オレの楽園だからな。大本の所有権全てはオレにあるってワケ」

「イギリス王室みたいなこと言い始めたわね」

「オレの家……」

 

デイビットのために用意された安寧の家のはずだというのに、どうして自分より先に二人が我が物顔で寛いでいるのだろうか。

というより、そもそもこの景色は許されるのだろうか。

戦士ではない姉が戦士の楽園であるミクトランパにいるというこの景色は、果たして。

デイビットは困ったような顔をしながらテスカトリポカへ問いかける。

 

「……テスカトリポカ、神としての秩序はどうした。さっき言っていただろう、姉さんは戦士ではないと。ならばミクトランパに彼女がいるのは道理が合わない」

「ああ、そしてこうも言った。オレは戦士に休息と安寧を与える、とな。オマエという良き戦士の安寧に必要なものは可能な限り取り揃えなきゃならん」

 

テスカトリポカは姉の頭をガシガシと撫でた。あまりにも人を撫で慣れていない手つきに、姉の頭が乱暴に前後する。加減を間違えたら首が取れそうな勢いだった。

 

「これはオマエの安寧に必要だろう?」

 

テスカトリポカはそう言って笑った。

撫でる彼の手が止まった途端、キレた彼女の裏拳がテスカトリポカの頬に当たったがダメージはなかった。No Effect。姉は戦士ではないのだ、本当の本当にどうしようもなく。だって、デイビットが戦うために望んだ人ではないから。

 

「そもそも姉貴はオマエの別人格なんだろう?ならオマエと同一存在だ」

「そんな単純な話ではない」

「単純な話さ。いいか、知っての通り、黒も赤も青も白もオレなんだよ。人格は異なり、時に異なる形や名前を持って確立しようともオレはオレだ。そして何があろうとオレはオレという秩序に従う。故に、デイビット(オマエ)はオマエで、(オマエ)はオマエなんだよ。わかるか?いい、わからなくともわかれ」

 

テスカトリポカの発言に、デイビットは困惑した。頭痛に耐えるような表情だった。

神が作ったルールの穴を、頼んでもいないのに神が突いている。広げたルールの穴にデイビットと姉を無理やり押し入れて、本人はケラケラと楽しげに笑っているのだからもうどうしょうもない。

溜息をついて肩を落とす。そんなデイビットへ姉が呆れたような声音で言った。

 

「そんなことよりお前、いつまで立ってるつもり?座りなさいよ。ここまで歩いてきて疲れたでしょう」

 

姉はテスカトリポカの身体をグイグイ押してソファの端に追いやり、彼女自身も端によける。そして二人の間に空いた空間、ソファの座面を掌でベシベシと叩くとデイビットへ座るように促した。

 

デイビットは内心で「姉とテスカトリポカはどこか似ているところがあるな」と思った。だが、それを口にしたら最後、姉の怒髪天を衝くことくらいわかっていた。

なので黙ってコートを脱ぎ、二人の間に腰掛ける。柔らかいソファに彼の身体が深く沈む。

 

座った途端にテスカトリポカはデイビットの肩に手を回し、姉はデイビットの腕に寄りかかった。

彼女はテレビへリモコンを向けて、好き勝手にチャンネルを回す。チャンネル権はもうとっくにデイビットには無かった。

 

ギュンギュンと回されるチャンネルの中、テレビ画面にとある映画が映ってチャンネルの回転が止まる。大きなマペットが自分の家に帰るまでの奮闘記を描いた作品。彼女も姉さんも好きだった、と思い起こす。

テレビの中でグラウチが合唱する。オープニングだ。黙って背凭れへ身体を預ける。

 

「姉さん」

「なに」

「この映画を見るのは8回目だ」

「そう」

「姉さん」

「なに」

「また会えて嬉しい」

「ふぅん」

「うん」

「……そう」

「うん」

 

彼女は何も言わずにデイビットの手の甲に自分の手の甲をくっつけた。それだけで、よかった。

 

デイビットは自分の両隣にいる姉とテスカトリポカそれぞれに意識を向けて、決めた。

映画を見終わったら、姉のために考えた名前を二人へ伝えよう、と。

伝えたところでどうというわけでもないし、なにが変わるわけでも無いのだろう。

それでも、90分後を待つ。当たり前にやってくる90分後を。

脈打つ心臓さえ仮想だとしても、未来を夢見て微かに緊張する精神にココロを思い出す。

左右から掛けられる重みを受け止めながら、デイビットは口を噤んで映画を見つめた。そうやって映画に集中しようと思った、その時。

 

「あ、ラザニアをチンしてたんだった。お前、取ってきなさい」

「…………」

「なによ、その顔」

「……座れって、姉さんが言ったばっかりなのにか」

「そうだけど。は?なに?文句でもあるの?」

「…………姉さんが言った……」

 

眉を下げてデイビットはそう呟いた。大抵の場合、弟という生き物は姉に勝てないものなのだ。

立ち上がり、すごすごとキッチンへ向かうその哀愁漂う背を目を写しながら、テスカトリポカは言った。明るい声だった。

 

「ついでにオレにもコークを頼むぜ、デイビット!映画のお供ってやつなんだろう?」

「不要よ、泥水でも出してやりなさい」

「それからカップル用のストローも用意してくれ。棚の三段目の引き出しだ」

「勝手に人の家を魔改造しないで。棚の三段目の引き出しの中身は全て捨てておきなさい」

「物が増えるくらい気にするな。愛の巣だろう?」

「ちょっと!中で煙草を吸わないで!誰の家だと思ってるの!?」

「オレの家なんだが…………」

 

ぎゃいぎゃいと騒がしいソファを尻目に、キッチンへ辿り着いたデイビットは数多のシールとマグネットでカラフルになっている大きな冷蔵庫を開く。

それから上から下まで中身を覗き込んで、呟いた。

 

「……ペプシしかない」

 

まあ、ミクトランパに万年勝者のコカ・コーラがあるわけがないか。

 

デイビットはペプシに親しみの目を向ける。生暖かい目だった。

それから冷蔵庫へ手を突っ込むと、彼は馬鹿みたいにデカいペットボトルを掴んで取り出した。そうしてペプシのボトルと3人分のカップにラザニア、それからポテトチップスにチャンククッキーの袋も引っ掴む。

 

さあ、ソファに戻ろう。二人がいる、ソファの真ん中へ。

2年ぶりの映画の時間だ。

 








これにて完結です。

これが本当に型月ならば、5話でデイビットと姉は完全にお別れしていたんだろうなあと思いながら6話を書いていました。
ウオオオオ!これはオレの二次創作だ!!!!うるせーー!!!しらねーー!!!HappyEnd……

閲覧、評価、コメント等ありがとうございました。
一人で黙々と書いているとこれが本当に面白いのかわからなくなるので、お褒めのコメントを貰えてとても嬉しかったです。

余談かもしれませんが、タイトルの元ネタは映画「俺たちに明日はない」であり、ピーナッツくんの楽曲「ぼくたちにEarthはない」です。でも姉弟っぽいなと思って聞いていたのはむしろ「Birthday Party」でした。

書いているうちにオリキャラにも愛着が湧き、テスカんと姉のラブコメ書きてえなという気持ちと、デイビットを解放しろという気持ちの二律背反、光と闇のEndless Battle。

拙作、お読みくださりありがとうございました。
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