遠い遠い君は
「すっげえ……」
頭上に広がる光景はまさしく宇宙であった。どこまでも続く暗闇の真ん中で星の運河が悠然と横たわっている。何者にも遮られることのない星の光はいつにも増して大きく、明るく見えた。そして地上では決して見ることのできない青い星──地球がゆったりと横を通り過ぎていくのだった。
いつまでも眺めていられるような空がこのコロニーには惜しげもなく備え付けられていた。規模の大きさに脳がパンクしてしまいそうで、私はただ立ち尽くすのみだった。
そう、私はいま宇宙にいる。あの宇宙にだ。
……驚く私を君は笑うだろうか。
けれどそれでも、私にとって地球を見上げるなんて経験はあまりにも鮮烈で美しく──なぜ自分はここにいるのだろうという疑問を忘れてしまうほどだった。
「地球がきれいですね」
いつの間にか隣に来ていたロボット──といっても、ほとんど人のような見た目をした──が私に声をかけてきた。私は驚いて彼女の顔を見る。だが彼女の顔をじっと見つめていることができなくって、逃げるように空を見上げた。私は初めて会ったときから彼女のことが苦手で、まともに顔を見られなかった。
初対面なのにどうしてと君は言うかもしれない。でも仕方がないだろう? なぜか彼女は嫌味かってくらい君にそっくりなんだから。
教室で居眠りをしていると、ドアが乱暴に開いて背の高い女子生徒が入ってきた。
「あなたが鷹城瑞樹さん?」
女子生徒は席の辺りにまで来て、見下ろすような姿勢で言った。
「……そうだけど、なんか用?」
私は気だるげに身体を起こし相手を見上げて答えた。すると女子生徒は手元のバインダーから紙を一枚抜き取って私の目の前に掲げた。なにかの告知文らしい。読む気になれなかった私は手元の携帯端末へ視線を逸らした。
女子生徒は私の態度に構わず話し始めた。
「あなた宛に面談のお知らせ。近頃のあなたを見て学園長がとてもご立腹なさってたわよ」
「おぉ怖え」
適当にあしらうが、それでも女子生徒は横にピッタリとくっついたまま、ずっと話しかけてきた。次第に鬱陶しくなって、女子生徒の手からひったくるようにして紙を奪い取り、その内容に目を通す。格式ばった書式で書かれたプリントには確かにそういった旨のことが書かれてあった。
面談ねえ……。
「必要ねえよ。最近はきちんと学校にも来てるし」
「それは当たり前でしょ。学園長があなたを呼び出したのはもっと別の理由じゃないの?」
女子生徒は腕組みをし呆れていた。私はついムッと黙ってしまった。思い当たる節があったからだ。
私の様子を見て意味ありげに思ったのか、女子生徒は狙いを定めるような鋭い目つきを向けてきた。
「最近のあなた昔ほどの元気がないし。それにここ一年これといった活動も見られないから、心を病んでるんじゃないかって学園長が」
「勝手に病人扱いするんじゃねえよ」
椅子の背もたれに体重を預け、溜め息交じりに返事をする。すると相手は私に言い聞かせるように言葉を続けた。
「そうは言っても世界大会以降、実績がないのは事実でしょ。格ゲー、どうしてやらなくなっちゃったの?」
「おめーにゃ関係ねえだろ」
「でも気になるでしょ。あなたが問題児だってのは知ってるけど問題起こして出場停止になったわけじゃないんだし。怪我をしているわけでも、病気をしているわけでもない。だったらなぜ? 心に問題があるんじゃないの?」
素朴な疑問です、みたいな顔をして立て続けに質問してくるのが腹立たしい。こちらの事情を知ったうえで、あえてその部分に触れない遠回しな表現をしているのもイラつく。こういう回りくどいやつは嫌いだ。
私は視線を合わせ、睨むように目を細めた。
「やけに詳しいな」
「そりゃ私超高校級の新聞部だもん。校内の事情にはそれなりに詳しいつもりだし、それにあなたって有名だし」
新聞部はクスリと笑った。それが癇に障った。
「だったら理由くらい想像つくだろ? ほら、返すよ」
力を込めてプリントを突き返す。正直もうこの手の輩はうんざりだった。だからあえて語勢を強めて返事をした。
それは私なりの拒絶反応である。誰が見てもそう捉えるだろうが、それでも新聞部はケロリとした顔のままで一向に帰ろうとしない。それどころか顎の下に手を当て「なんだろね」なんて言いながら呑気に悩みだした。その動作一つとってもわざとらしく見えるのは一種の才能だろう。
「辞めた理由か……あっ。もしかして」
女子生徒はぱちりと目を開いた。私は黙ったままだった。
「……アンナ・シュテルンの引退とか?」
「チッ……帰る」
机の横に下げた学生鞄を取って勢いよく立ち上がる。一瞬、彼女は驚いたような顔をしたがすぐに表情を取り直して私の肩に手をかけた。──その手を振り払い、彼女の側を突っ切って廊下に出た。
「地雷ふんじゃった感じ? ねえちょっと──」
「付いてくるな! そんでそいつの名前を二度と口に出すな!」
言ってそのまま廊下を早足で進む。あいつの名前を聞くだけで──たったそれだけのことで、胸が怒りでいっぱいになった。
一年以上経っても消えないその気持ちは私の中で深い傷跡として残っていた。
「ねえ、待ってってば」
再度肩を掴まれた。振り払おうとするが、その手はがっしりと掴んで離さなかった。
見れば女子生徒は真剣な表情でこちらを見ていた。さっきまでの軽薄さが嘘みたいなまっすぐな瞳に、つい息を呑む。
「あなたのゲームに対する真っ直ぐな姿勢が好きだった。……どうしてそこまで変わってしまったの? あなたの大切なものってなに? 私、分からない」
「……ッ!」
がむしゃらに身体を振って引きはがし、そのまま階段の方に向かう。私はもうこいつの顔を正面から見ることができなかった。
「面談、水曜の放課後だからねえっ」
後ろから聞こえてくる声を無視して階段を下って行った。やり場のない怒りが歩調を強めた。
私、鷹城瑞樹はアンナ・シュテルンを憎んでいる。
アンナと私はライバルだと思っていた。私はアンナと試合さえできればそれでよかった。
だが再戦の機会を待ち望んでいた私の気持ちは、世界大会決勝という最高の舞台であっさり否定されてしまった。そして思い知らされた。あいつにとって私は取るに足らない人間で、私が勝手に熱くなっていただけなんだって。
「ああ──どうせなら、大会の前日に死んだらよかった」
呪いの言葉が口を衝く。
あの日以来、私は一度も格ゲーには触れなかった。すっかり熱が失われてしまったのだ。
当然超高校級という肩書を受け取りながらなんの活躍も見せない私を責める者は大勢いた。私が超高校級にならなければ、その分、枠が一つ空いたのだから、当然の批判だった。私がここに居続けられるのはここが教育機関であり、あくまで私のどうしたいかという気持ちが優先されるからだ。
だからいっそ辞めてしまおうかとも思った。それがどうも踏ん切り付かないのは、ほんの少し、心の中で期待しているからかもしれない。超高校級なんて立派な肩書きがあれば少しはアイツが──アンナが振り向いてくれるんじゃないかって、そんな期待を。
けどそれももうやめにしようと帰り際に思った。超高校級なんて肩書き、私には相応しくない。だから面談の日に学園を退学しよう。昼間にやってきた新聞部のやつや、これまでなにもしない私を庇ってくれていた学園長には悪いが、私ははじめからどうしようもない人間なのだ。
その日は夕飯も食べずただ部屋の天井を眺めていた。ただ無為に時間を過ごして、そのうち眠りについた。