深宇宙論破   作:鹿手袋こはぜ

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Prologue 2

「────、──か」

 

 誰かの声が聞こえる。私に呼びかけているようだった。……私には人に構われる価値なんてないんだから放っておいてほしいのに。

 

「──ですか、大丈夫ですか」

(だってのに……あー、クソ)

 

 その声は私を呼び続ける。本当にあなたが心配なのだと、そんな気持ちが伝わってくる暖かい声で呼びかけてくる。

 それがどうしようもなく辛かった。今の私にとって優しさを受け取るのは苦しいことだった。それ以上はやめてくれと叫びたい気持ちだった。だがその声は殻にこもりたがる私を許してはくれない。何度も何度もしつこいくらいに声をかけてくる。

 声の主に悪意があればどれほど楽だっただろう。けれどその声が優しさで発せられていると分かってしまったから、私は聞こえないふりを続けることができなかった。

 

「…………ん」

「大丈夫ですか」

「だい……じょうぶ。起きました、いま起きました」

 

 乾ききった喉を絞り上げて返事をした。喉になにかが引っかかるので唸るように咳ばらいをする。寝転がったままモゾモゾ身じろぐと硬い床の上を手足が擦った。芋虫のような無様な目覚めだ。だが体裁を取り繕うほどの余裕が今の私にはなかった。

 

 なぜなら私はかつてないほど体調が悪かった。自分の存在が醜く感じられたのも目覚めの悪さの原因だが、気持ちだけでなく身体も絶不調だった。内臓がぐちゃぐちゃになったのではと錯覚するような吐き気がする。喉は干上がった砂地のようにカラカラで、頭は血が通っていないのかクラクラする。身体はとにかく寒くって身震いするくらいだった。寝不足でこうなったんじゃない。たちの悪い乗り物酔いのようだ──それもかなり強烈なやつ。

 

「ぅぷ……吐きそう」

「吐き気ですか? でしたらこちらにどうぞ」

 

 薄っすら目を開けるとエチケット袋が視界に入った。まるで予期していたかのような素早さだった。

 私は「いらない」とそれを軽く手で押し返した。「必要になったらいつでも」と私に構う誰かが言った。

 相変わらず優しい声色だった。本当に私のことを心配しているんだろうなと思うと申し訳なさが込み上げてきた。

 ただ同時に、私の部屋にいるこいつは誰なんだろうと疑問が浮かんだ。寝転がったまま目を開くと、誰かの足首の向こうに壁一面の洗濯機と乾燥機があった

 

(コインランドリー? あれ、私の部屋じゃない)

 

 思わず身体を確かめる。寝間着で眠ったはずがいつの間にか希望ヶ峰の制服に着替えていた。一番上のボタンが止まっていて息苦しかったので、外すと呼吸がしやすくなった。

 昨日は制服のまま眠ったんだっけ。記憶がはっきりしない。相変わらず頭が痛い。

 ひとまず立ち上がろうとした。だが身体が言うことを聞かず、つい崩れ落ちそうになった。それを見てさっきの誰かがとっさに私の肩を掴んで支えてくれた。おかげで私は倒れずに済んだ。

 

「まだ横になっていたほうがいいように見えますよ」

「あ、ああ。助かる……ありがとう……」

「お力になれてなによりです……!」

 

 彼女──声色からしておそらく同級生くらいの女子──の助けを借りて、ゆっくりと近くの壁によりかかった。

 ほんと、なにからなにまで世話になっている。……直接目を合わせて礼を伝えよう。いくら体調が良くないからって、ずっと目をつぶったままじゃ失礼だ。

 そう思い、重たい瞼を上げると、誰よりも美しい金髪が目に映った。思わず目を見開いた。太陽光を閉じ込めたように明るいその金色を、私は一度も見間違えたことがない。

 次第に彼女の顔は光に触れて輪郭を持ち始める──確かになっていく目鼻立ち。その眉、目、鼻、口に至るまで忘れることなんてできない。かつてのライバルで、私の敵──!

 

「ッ、てんめえ……! どの面下げて私の前に出てきやがった……っ!」

 

 アンナだ。アンナが目の前にいる。

 顔を見た途端、頭に血が上って、それ以外のことなど意識の外へとはじけ飛んでしまって、気付いた時にはアンナの胸倉を掴んでいた。そして力の限りぐっと引き寄せ、額をぶつけ合わせ睨みつけていた。

 

(なんでなんでなんで……! こいつが、アンナが……!)

 

 分からない。どうしてアンナが目の前に……唐突の出来事に冷静さを保つことができなかった。けど仕方ないじゃないか。殺意とか、怒りとか、悲しみとか、憂いとか、そんなマイナスな感情を一年かけて煮詰めたようなドロドロとした暗い気持ちが突沸したように溢れてきたのだ。そんな感情を表現する術など私にはなく、それは暴力的な怒りとして出力されたのだ。

 

「────」

 

 だがアンナはなにも言わない。それどころかまるで機械みたいに冷たい目でこちらを見ている。

 

「んだよその目はよォ……!」

 

 胸倉を掴む手に更に力を込めて捻り上げようとする。だが上手く力が入らなくって手が震える。それでもアンナはなにも言わない。それがますます憎たらしかった。

 

「私なんかどうでもいいってことか……っ! 一発殴らせれば気が済むとでも思ってんのか! 私は、私は……!!」

 

 なぜか目から涙がこぼれた。情けねえことに声も上ずる。

 ああくそ、もうどうしたらいいのか分からない。子供みたいに後先考えずに動いて、けっきょく何がしたいのか自分でも分からなくなって、それで泣き出すなんて……そんな情けない考えなしのやつがお前に釣り合うはずなかったんだ。元から分かり切っていたことだったんだ。

 ますます感情が高ぶって、涙があふれてしまった。

 するとアンナは悲しそうに微笑んで、そっと私の目元に指を持ってきた。そして優しい手つきで涙を拭ったのだった。

 

「私に、触るな!」

 

 あんまりにも意外なことに驚いて、胸倉を掴んでいた手でそのままアンナを突き放し、涙を拭いながら後ずさりする。するとアンナはハッとした表情でこう言うのだった。

 

「──あ、ああ。ごめんなさい。勝手に触れてしまって。泣いているものだから、つい」

「泣いてなんかねえよ!」

 

 涙が滲んだ瞳で正面から睨みつける。アンナは相変わらずの冷たい目で視線を合わせてきた。私たちの間にはしばらくの間、沈黙が流れていた。

 最初に沈黙を打ち破ったのはアンナだった。

 

「あなたはなにか勘違いをなさっているようですが」

「はあ? 勘違いだぁ?」

 

 アンナは心配そうに眉尻を下げて私の顔を覗き込んだ。まるで慈愛の女神みたいな慈しみをたたえた顔つきだ。……思わずギョッとした。アンナがこんな顔をするはずがないと思ったからだ。

 良くも悪くもその驚きは的中していた。

 

「わたしはアンナという名前ではありません。ベル、という名称を与えられたアンドロイドです」

「な、なにふざけたこと言って──あ」

 

 そこまで言って私は言葉を途切れさせた。サァッと血の気が引いた。

 本当だ。確かにこいつはアンナじゃない。それどころか、人間ですらない。

 顔はまるで鏡に映したようにそっくりだが背格好が少し違った。アンナに比べて健康的な肉付きをしており、背も少し高い。それに怒りですっかり見えていなかったが、目の前にいる彼女の冷たい瞳は人のそれではなかった。ほんとうに機械のように、彼女の目はカメラのレンズになっている。色こそアンナと同じ碧色だが、これじゃまるで血の通わないガラス玉だ。

 

「っ……いや、でも、こんなソックリなこと」

 

 偶然にしては悪趣味すぎる。頭に上った血が一気に引いて、視界がクラクラと明滅した。せっかく収まっていた嘔吐感が込み上げてきて、つい俯く。情けない気持ちでいっぱいだった。

 気分が悪そうな私を慮ってか、ベルと名乗った彼女は俯く私の側に寄った

 

「怒らせてしまったようならごめんなさい。ですがわたしはそのアンナという御方ではなく──」

「来るな!」

 

 息が荒れる。

 アンナじゃないなら、なんなんだ? いや、ベルと名乗っていたじゃないか。でもアンドロイドってなんだ? ロボットなのか? アンナそっくりのロボットなんて、そんな偶然ありうるのか?

 頭の中はもう再起不能なまでにぐちゃぐちゃになってしまった。真っ白になって真っ黒になってぐちゃぐちゃになって明滅して。

 あ、まずい。吐く。

 

 そう思った直後、まるで心を読んでいたんじゃないかってタイミングで、ベルがサッとエチケット袋を差し出してくれた。咄嗟に袋へ口をあてがった。

 胸から込み上げてきた不快感を吐き出すと、ツンとした酸味が鼻を抜けていった。あらかた吐き出せばいくらか気分もマシになった。

 

「まだ気持ち悪さはありますか?」

「い、いや……だいぶ、マシになった……」

 

「良かったです」とベルは笑顔で言った。「みなさん気分がよくなかったので、エチケット袋を探しておいて正解でした」

「みなさん……?」

「はい! あなたの他にも十数名、似たような方が」

 

 ベルは制服に縫い付けられた希望ヶ峰の校章を強調するように見せてきた。彼女も希望ヶ峰の生徒らしかった。

 

「はじめまして。私は超高校級のロボット、ベルと申します。よろしくお願いしますね!」

 

 屈託のない笑顔でベルは名乗った。こんな表情、アンナはしない。やっぱりアンナじゃない。

 私は鈍く痛む頭をおずおずと下げた。

 

「すんません、さっきは、胸倉を掴んで、怒鳴って」

「気にしていませんよ!」少しびっくりしましたけど、とベルははにかんだ。「それより、あなたのお名前をお伺いしても?」

 

 言われてまだ名乗っていないことに気が付く。あんな酷いことをしたのに、ベルはまったく気分を害していないようだった。いや、それもロボットだからなのか……? 困惑しながら私は名を名乗った。

 

「鷹城瑞樹、です。超高校級のゲーマーです」

「はじめまして鷹城さん。敬語じゃなくていいですよ。ここにいるのは皆同級生のようですから」

 

 ばつが悪くって言葉が出ない。私はやっぱりどうしようもない人間だ。目を合わせることもできなくって、視線は左右に揺れていた。

 

「じゃあ……」がらがらの喉で話す。「希望ヶ峰なのか? ここは」

 

 するとベルは神妙な顔つきで悩みだした。そしてこう答えた。

 

「いいえ。実は私もここがどこなのか分からないんです」

「分からない……?」

「はい。鷹城さんはここに来るまでのことを憶えていますか?」

「……憶えて、ない」

 

 なぜ自分がコインランドリーで眠っていたのか。いつの間に制服へ着替えていたのか。それらはまったく記憶にないことだった。

 ハッとなって顔を上げる。もしや……。

 

「私も、他のみなさんもそうなんです。いつの間にかここにいて、いつの間にか制服を着ていて……唯一分かっているのは、みなさん希望ヶ峰学園の生徒だということだけなんです」

 

 ベルは眉を下げ、ため息をついた。ロボットと言っていたが、そうして悩む様子は人のようだった。

 

「それで、人がいないか探している最中に、ここで倒れているあなたを見つけたのです」

 

 暗い顔をした私を気遣うようにベルはこう続けた。

 

「落ち着いたら他の皆さんのところに行かれますか?」

「……一人で行く」

 

 立ち上がろうとするものの、本調子でないのか足元がおぼつかない。

 それを見てベルが近寄ってくる。

 

「まだ休まれていた方が……」

「いいんだ、本当に」

 

 定まらない足取りで出口に向かう。

 これ以上彼女の顔を見ているのが辛かった。アンナとは別人だと分かっているつもりだが、彼女ソックリな顔を見ると嫌でもその影を重ねてしまうのだ。

 それにもう迷惑をかけたくないと思った。私のような人間が、善良そうな彼女の世話になるのは心が痛んだ。

 

 壁に手をつきながらコインランドリーを出る。すると意外な光景が広がっていた。

 

(ホテル? それもけっこうよさげなところだ)

 

 真っ先に想起させられたのは海外遠征時に宿泊した大きなホテルだった。都市のど真ん中に建っていて、客室に置かれた歯ブラシ一つとっても普段私が使っているものより高級そうだったあのホテルだ。壁の装飾やライティングの雰囲気がよく似ている。

 はじめは学校だと勘違いしていたものだから、その落差に驚いた。そしてなぜ自分がここにいるのだろうという疑問がより強まった。

 

(どうしよう。思ったより広そうだ)

 

 立ち止まっていると、いつの間にか隣にやってきていたベルが声をかけてきた。

 

「私もまだ全部は見て回れていないので一緒に行きませんか? いえ、行きましょう!」両手を胸の高さで握りしめ、満面の笑顔でベルは言う。「ね! これもなにかの縁ですし」

 

 渋る私に、更にグイっと顔を近づける。

 辛くって私は思わず顔を背ける。その顔でそんなことを言われるとなんて返したらいいのか分からなくなってしまう。

 

「分かった、行く。行くから、あんまり近づかないでくれ」

「? はい!」

 

 ベルは楽しげに返事をした。本当に私の言葉を理解したのだろうか……近づくなと言われたことよりも、まるで一緒に行けることを喜んでいるみたいだった。

 

(なんか、調子狂う)

「ひとまず向こうに行きましょうか」

 

 ベルは今にも手を取って駆けだしそうな雰囲気だ。私は黙ったまま頷いて、彼女の指さした方へ歩いて行った。

 

 はじめに訪れたのは入浴施設だった。コインランドリーの隣にあった。

 手前には購買部がありスナック菓子や飲み物が置いてあった。定番のアイスや牛乳もあり、レジ横では妙なクマのキーホルダーが売ってあったりした。セルフレジしかなく施設の人はいなかった。

 またすぐそばには湯上りに涼めそうな畳のスペースや浴衣の貸し出し場もある。人で賑わいそうな場所であるが人の気配はない。扇風機の回るカラカラという音が耳に残った。

 

 「湯」と書かれたのれんをくぐり奥に進んでいくと、なにやら人の声が聞こえてきた。

 脱衣所に入ると女子生徒が二人いた。調べごとの最中らしく、棚の中を見たりドライヤーに電源が入るのか試しているようだった。

 

「お、ベルじゃ~ん! ってか後ろの子誰? 新しい人?」

 

 茶髪の女子生徒は衣類かごの裏から顔を出して言った。明るい色合いの茶髪は肩のあたりまで伸びており、先の方には軽いウェーブがかかっていてふわりとした印象があった。

 今は化粧っ気がないが、しゃべり方からしてギャルっぽい感じだった。

 

 ベルが間に立って私の名を紹介する。それに応じて女子生徒も名乗った。

 

「ども~! ウチは超高校級の登山家、長瀞桜! あんたのこと瑞樹って呼ぶから、ウチのことも好きに呼んでくれていいからね!」

 

 元気な声とは反対に顔色は少し青ざめていた。彼女も体調不良のようだが、その気配を感じさせない明るさだった。

 なぜだか彼女の姿には見覚えがあった。国内外問わず活動している登山家であり、それ以上にインフルエンサーとして有名だった……ような気がする。

 食事中に何気なく見ていたテレビのニュースで、私と同年代の女の子が世界最高峰の山に挑戦しているという話が流れてきて、立派なもんだなとチームメイトに茶化された記憶があった。そのときの彼女だったのかもしれない。

 

 そんなことを考えていると、長瀞が何気なくこう訊いてきた。

 

「瑞樹はさあ、山に登ったりする~?」

「あー……山はあんまり。団体行動が苦手でさ。ほら、山登りって自分のペースでできないから」

 

 遠足で山に登ったのを思い出す。自分のペースでズンズン進んでいきたいのに、行列に詰めこまれてじりじりと登っていかなければならないのはとても窮屈だった。

 と、嫌な思い出から素直に答えてしまったが、気を悪くしてしまったのではないかと我に返り、ハッと長瀞の顔を見る。すると長瀞はズンと一歩踏み込んできて──

 

「わっかるー! 実はウチも一人で山に登るのが好きでさ! 身体のエネルギーを効率よく燃やしながらズンズン登っていくあの感覚がたまらないんだよねえ!」

 

 もちろん友達と山に登るのも好きだけどね、と長瀞は身振り手振りを豊かに話してくれた。なにやら良い方に解釈してくれたようだ。だが長瀞は不意に真剣な顔をしてこう言うのだった。

 

「友達と登るのが楽しいって気持ちは嘘じゃないけどね、でもウチ、山には自分の身一つで挑んでいきたいんだ。だからいつかはエベレストも一人で登りたいって思ってるんだ」

「ひ、一人で……? ああいうのって十数人で登るんじゃないのか」

「そーなんだけどねー。でも最近は装備も進化してきてるからきっと不可能じゃないよ。それになにより挑戦したいじゃん?」

 

 長瀞は目を輝かせて言った。彼女にとってそれは夢物語ではなく、現実の延長線上にある未来の話なのだろう。それを期待いっぱいで語る長瀞の姿を見ているとまぶしく感じてしまった。

 しかしインドアな私には無縁な世界の話だな……むしろ、登山に誘われたらきっと断るだろうが、長瀞は機嫌が良さそうなので黙っておいた。

 

「それに登頂にこだわらなくっても、山登りは楽しいからねー。一年前に咲いていた花を同じところで見つけたりすると季節の巡りを感じんだよね〜」

 

 長瀞は楽し気に語る。本当に山登りが好きなんだろうな。

 そんな長瀞の隣にいつの間にかもう一人やってきていた。

 迷いのない歩みに従って、紺色のポニーテールが揺れる。真っ直ぐな眉が特徴的で、彼女の生真面目そうな性格をありありと表していた。きつく結ばれた口元は怒っているようにも見えた。

 

「私は城田ゆき子。超高校級のパティシエ」

 

 城田はまっすぐな目でこちらを見る。不機嫌そうに眉根を寄せており、睨んでいるようにも感じられた。……なんか苦手だ。ちょっとでも怠けたりするとすぐにビシッと指摘されそうで。

 そう思っていると城田はきつい目つきでこう言った。

 

「ゲーマーってなに? それってなにがどうすごいの?」

「なにがって……」

「ちょっと……! ご、ごめんねっ! ゆき子ちゃん悪気はないんだけど、口下手で……!」

 

 横にいた長瀞が申し訳なさそうに謝る。一瞬戸惑ったが、遅れて城田の発言のことで謝っているらしいと気づいた。

 長瀞の反応を見て城田はハッと顔色を青ざめさせた。

 

「っ、ごめんなさい。侮辱するつもりはなくって、あなたのやっていることを、ただ知りたいと思って……」

「別に謝るほどのことじゃねえよ。よく言われることだし、自分でもなにが凄いんだって思うし……」

 

 卑屈な言葉が口から出る。いじわるするつもりはないが、皮肉っぽい言い回しになってしまったなと言った後で申し訳なく思った。

 

「そんなことないってば!」長瀞が言う。「超高校級に選ばれたってことはさ、それだけ瑞樹がすごいってことでしょ?」

「いや、ほんとになにもないんだ。私には……」

 

 そのあとに続く言葉は口には出せなかった。嫌というほど頭の中で繰り返した言葉だったから、口に出すのは億劫だった。

 結果、場はシンと静まり返ってしまった。気まずくって、「ほんとに気にしてないから」と言い残し脱衣所を出た。

 

 後ろからベルが付いてくる。体調が優れず歩くのが遅い私に合わせて、ベルも歩みを緩めて付いてきた。

 

「……どうして鷹城さんがそうも自分を卑下なさるのかは知りませんが、もう少しお話をなさったほうが良かったのでは?」

「はあ?」

 

 想定外の言葉に思わず声が漏れる。

 ベルは諫めるようにこう続けた。

 

「だって、あんな別れ方じゃ次会ったとき気まずいじゃないですか」

「気まずいって……そりゃ、そうかもだけどさ」

 

 だって別に怒りたかったわけじゃないんだから。だったらどうすりゃいいんだ。私はそう訊きたい気持ちだった。だがベルはこう言った。

 

「向こうが申し訳ないと思っているなら、ちょっとたしなめて、それから許してあげればいいんですよ。鷹城さんの“気にしてない”はただの拒絶です」

 

 拒絶。その言葉を否定することができなかった。それどころか不思議と納得する心地さえした。

 本当に彼女はロボットなのだろうか。私よりもよっぽど人の心が分かるんじゃないんだろうかとさえ思えた。

 けれど彼女の顔がアイツにそっくりなせいで、どうしてもその言葉を受け取るのが難しかった。

 

「……うるせえ」

「すみません。差し出がましいことを言って」

「…………」

 

 私は唇を噛んだ。

 

(謝らなくったっていい。私もそうできれば良かったのにと、今は思ってるんだから)

 

 けど、できないんだ。私は自分の肩書きに誇りがないんだから。なにがすごいのって言われたら、なにもすごくないとしか答えられないのだ。

 

 気まずくって口を閉ざしていると食堂に行きついた。購買部や大浴場と同じ階にあった。

 食堂は大人数が入ることを想定した広さで、多くの机や椅子や用意されていた。しかし予想に反して人はおらず、私たち二人きりでは寂しい雰囲気がぬぐい切れなかった。また普段は外の景色が一望できるのだろう大きなガラス窓には、頑丈そうなシャッターが下りていて光が遮られていた。そのためか、こんなに広いのに閉塞感を感じるのだった。

 ただ奥の方からは油のはじけるような音とともに人の気配が感じられた。私たちは一言二言交わしてキッチンに向かった。

 

「良い匂いがする……」

「食欲そそる刺激的な匂いですね」

 

 ロボットにも食欲はあるのだろうか。ベルは舌なめずりをしながら言った。

 

 キッチンには女子生徒一人と男子生徒二人がいた。

 男子生徒二人は丸椅子に座ってチャーハンをかき込んでいる。よっぽど腹が空いているのだろう、料理に顔をつっこみそうな勢いで食らっている。

 

「うめぇ、うめぇ! 生き返る!」

「けっこう、イケますね」

「あのさぁ! 遠くで食ってくんない?! 唾飛んで気持ち悪ぃんだけど!」

 

 二人に向けてキツイ言葉を飛ばす女子生徒はその小さな体躯に似合わぬ大きな鉄鍋を振るっていた。真っ赤な火が幾度も鉄鍋を包み込んでしまいそうになるが、彼女は臆することなく炎を抑え込んだ。なんだか街の中華屋にでも来たみたいだ──けれど実際は大きなホテルの厨房なわけで、清潔な銀色の空間で彼女の存在は浮いていた。

 こちらに気付いたのか、女子生徒は一瞥だけして面倒くさげに舌打ちをした。

 

「あれ? 鷹城じゃん。アンタも飯食べに来たの? ったく、次から次へと……」

 

 小柄な女の子が大きな鉄鍋を力強く振るう姿やマシマシの火力、その汚らしい言葉遣いに度肝を抜かれたが、なにより驚いたのは私の名前を呼んだことだ。

 なぜか私のことを知っているらしいが、私は彼女のことを知らなかった。

 困惑している私を見てそれを察したのか、彼女は気だるそうにこう言った。

 

「あー……化粧してないと分かんない? ほらアタシ、日怠仔猫。超高校級のプロレスラー。去年同じクラスだったでしょ?」

「! ああ、日怠か」

「今更気付いたの? ぶっ飛ばすわよ」

「ぶっ飛ばす!?」

 

 彼女の発言は冗談に聞こえないから恐ろしい。昨年同じクラスだったので彼女の活躍は少なからず耳に入っているのだが、いわく対戦相手を血まみれにしただの、病院送り連続記録達成中だの、バイオレンスな報告がよくクラスの中で飛び交っていた。

 

「まあアンタいっつも授業サボってたから、アタシのこと憶えてないのかもしれないけど」でも、と日怠はこちらをキッと睨んで言った。「それでも一年一緒に過ごしたクラスメイトなんだから、化粧してなくても分かって欲しかったんだけど」

「…………、わりぃ」

 

 なにも言葉を返せなかった。

 でも日怠の化粧は本当にすごい。いわゆる地雷系メイク──人形のような幼さや冷たさ、また泣き腫らしたような目元と赤い唇が特徴的──を学校でもリングの中でもしているため、関係性の薄い私は彼女の素顔を見たことがないのだ。だから彼女のすっぴんを見て驚いた。メイクで装われていた幼さは消え、涼やかで中性的な顔立ちが大人っぽさを感じさせる。目元も切れ長の釣り目だ。それに普段ツインテールにしてある髪も下ろしてあってまるで別人だ。メイクで人はここまで変わるのだろうかとジッと日怠の方を見ていると、日怠は猫のように目を吊り上げてこちらを睨んできた。以前から思っていたが日怠はえらく性格がキツイ。

 

 そんな日怠のそばで、近くで食うなって言われたばかりなのに、どこかに移動するでもなく黙々とがっついてやがる男子生徒二人がいるのである。

 少し興味が出て様子をうかがっていると、視線に気づいたのか、椅子にちょこんと座りながら食事をしている小柄な男子生徒が鬱陶し気に溜息をついてから話しかけてきた。

 

「僕は猿飛一真、超高校級のスタントマン。じゃ、自己紹介はこれだけなので、ジロジロ見ないでもらっていいですか? 物欲しそうに見つめたってチャーハンあげませんケド」

「いや、いらねえけど……」

 

 さっき吐いたばっかだから食欲ねえし……。

 

「ハァ!? アタシの料理がいらないっての!? ありえないんだけど!」

 

 日怠がガチャンと鉄鍋を下ろしてこちらを睨みつけてきた。お玉を握る手にはかなり力がこもっていて、今にも切っ先?をこちらに向けられかねない危うい雰囲気だった。日怠、お前情緒がおかしいよ……。

 

 日怠は眉を寄せたまま出来上がった山盛りのチャーハンを皿に盛りつけ、私にずいっと寄こしてきた。人の事情などお構いなしの言動と態度が、とてつもない圧を私に与えてくる……早く食えと、日怠は口をへの字にして押し付けてきた。

 困ったな。そう思っていると、ベルがそっと私の隣に立った。

 

「すみません日怠さん。鷹城さんは体調が悪いらしくって……代わりに私がいただいてもいいですか?」

「ロボットって食べるの?」

「はい! 食事は一日三度の楽しみですから!」

 

 ベルはさっと皿を引き寄せ口を大きく開けて食べ始めた。とてもおいしそうな笑顔だ。

 きちんと咀嚼して、喉に流して。そのうえ味わっているようにさえ見える。ロボット、と言うにはあまりにも良い食いっぷりだった。

 

 人より美味そうに食べるベルを横目で見ていると、ちょうど食い終えた猿飛が椅子から立ち上がり、私のそばで小声でこう言ってきた。

 

「日怠って人、情緒ヤバいですよね。料理はおいしいのに」

「は? けなすか褒めるかどっちかにしてくんない?」

「はいはい、おいしいですヨ」

 

 動じることなく猿飛は言葉を返した。日怠はなにも言い返さず使い終わったキッチンの清掃を始めた。どうやら今の返事で納得したらしい。

 相性がいいのか悪いのか分からないが、なんとも奇妙なやり取りだ……ひょっとして二人は以前からの知り合いだったりするのだろうか。

 そう疑問に思っていると、もう一人の男子生徒が空になった皿とスプーンを掲げて叫びだした。体格の良いオールバックのロン毛男だ。

 

「変だよ! 変、変、変だっつうの! だあーっ、初対面のくせしてこんな会話できるかってんだ、フツー! 超高校級ってのはこんなやつらしかいねえのか? なあ!」

「私に聞くなよ……」

「んな?! まさかの味方なし?!」

 

 まさか話が振られるとは思っていなかったので率直な気持ちが口から飛び出てしまった。

 彼はまるで唯一の味方を失ったように肩を落とし膝から崩れ落ちた。……反応がオーバーだ。床に蹲る彼の背を見ながら面倒くさいなと心の中で毒づく。

 いったいいつまでそうしているつもりなのだろう。止めないといつまでも蹲っていそうな雰囲気だった。日怠も猿飛も人を慰めるようなやつじゃないから、私が声かけてやんないといけないか。ベルは食事中で手が離せないようだし。

 

「あのさ、お前落ち着けよ」

 

 蹲った彼の肩に手を置く。わなわなと震えているあたり演技でもなんでもないらしい。

 数回背を叩いてやると、泥から這い上がるような重たい身動きで立ち上がった。表情もなんだか暗い。

 落ち着いたのか彼はトーンの下がった声色で応えた。

 

「悪い悪い、ちょっと動揺した……。リラックス、そうリラックスだぞ俺。あいつらがおかしなだけで、俺のコミュニケーション能力は至ってフツー……」

 

 ぶつぶつなにかをつぶやいて、彼は飛び起きた。

 

「おうっ。俺は超高校級のダンサー、米原舞矢だ。よろしく!」

 

 無理に作った笑顔は青ざめた顔色のせいで不気味さすらあった。さっきのショックでそうなっているのか、はたまた体調が悪いのか、あるいはその両方なのか。なんにせよ彼が不調であるのは間違いない。

 しかしなるほどダンサーか。言われてみれば彼の制服の着崩し方にはそういった趣を感じる。ベルトの巻き方一つとってもチャラそうな感じがあった。

 

「どんなリズムでも完璧に乗りこなして踊ってみせるぜッ」

「へえ、じゃあ日怠さんちょっと一曲流してくださいよ」

「私の入場曲? スマホがないから無理」

「使えませんねェ……やる気あるんですかぁ?」

「頸動脈絞めてやろうか?」

「ちょっ、そういうとこが初対面への距離感じゃねえよーっ! 俺がおかしいのか?! やっぱ仲良くなろうと思ったら、こんくらいガツガツいくべきなんかなーッ!?」

 

 米原は身体を大きくのけぞらせて叫んだ。

 初対面なはずのこいつらが交わし合うコミュニケーションはいびつだが、米原のオーバーなリアクションも同じくらいおかしなものだった。

 

(二人は別に仲が良いってわけでもないだろうに)

 

「ふう、ごちそうさまでした」

 

 ちょうどベルがチャーハンを平らげた。米粒一つ残さず食べきっている。アイツに似て、きれいな食い方をするもんだなと思った。

 食器洗いをしていた日怠は「美味かった?」とベルに訊いた。ベルが頷くと、日怠はそっけなくシンクに目線を移して「そう」とだけ返した。

 

「簡単なもので良ければまた食わしてやるから」

「はい! ありがとうございます」

 

 ベルの元気のよい声は厨房によく響いた。日怠はそれ以上なにも言葉を返さなかった。ベルは深々とお辞儀をし、私を連れて食堂の外に出た。

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