深宇宙論破   作:鹿手袋こはぜ

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Chapter 1 クヤミきれない毎日を
(非)日常編 1


 コロシアイ宣言があった後……私たち一四人はもう一度施設の探索を行った。出口がないか必死に探したのだ。

 しかし出口はどこにもなかった。外に出るためのドアはどれも硬く施錠されてありビクともしなかった。斧で打ち破ろうという意見もあったが、校則に書かれた「鍵のかかったドアを壊すのは禁止します」の文言が私たちの行動を縛った。さっきの爆発を見てわざわざその校則を破ろうと思う者はいなかった。

 

「丸一日かけて手がかりなしですカ……」

 

 猿飛は無駄な時間を過ごしたと言いたげな様子で溜息をついた。彼はその身軽さと小柄な体格を活かして天井やら排気口やらを色々確かめさせられていたらしく、今は疲れたように背もたれに身を預けていた。彼の着ている制服もちょっぴり薄汚れていて、相当苦労したことが窺えた。

 

「まあ、その……おつかれー猿飛。いろいろ探し回らせてごめんねー……」

「ほんとですヨ。あなた人使いが荒いんですっテ」

「ゴメンネーほんと! なんか猿飛くん小動物みたいにいろんなところにスルスル入って行っちゃうから、かわいくってつい!」

「はあ? 頭大丈夫です?」

 

 猿飛に平謝りを重ねていたのは長瀞だった。彼女が猿飛に無理を言って狭いところに入らせたり、肩車で高いところを調べさせていた様子はホテルの各所で見かけていた。

 猿飛も断ればいいのにと思わずにはいられなかったが、彼も彼なりに現状へ危機感を抱いているようだった。

 

「二人ともあとで浴場で埃を落としてきたらどうだい? モノクマが言っていたんだけど、いつでもお湯が沸いてるみたいだからさ」

「えっモノクマ!? いたの!?」

「う、うん。服を着たまま浴場に入ろうとしたら止められて……」

「モノクマのやつ、浴場にも出るのか!?」

「で脱いだのか……!?」

「まあ、そういうルールらしいから」

 

 呆れたように天を仰ぐ春田を横目に、三池は困り顔でこう続けた。

 

「曜日によってお湯の種類も違うみたい。確か明日はゆず風呂だったっけ……?」

「んでそんなに豪華なんだよ! っアアーーー!! 訳分かんねえ!!」

 

 米原がガタガタと椅子を揺らして叫ぶ。こいつ、いきなり叫ぶから怖い。

 

「私もその場におったんやけど、色々聞いたらえらいしょーじきに答えてくれたわ」此乃咲は真剣な顔つきで続けた。「風呂場は夜時間もやっとるみたいやで……あー、みんな夜時間はもう分かっとる? 分からんのやったら学生手帳に目え通しぃ?」

 

 此乃咲は懐から取り出した電子端末を皆に見せる。それが例の学生手帳というものだった。スマホのようだが、できることと言えばメモを取るくらいでまともな機能はない。

 私は既に学生手帳に書かれてあるというルールの内容はある程度把握していた。探索の途中に合流した江見が教えてくれたのだ。

 

1、生徒達はこの施設内だけで共同生活を行いましょう。共同生活の期限はありません。

2、夜一〇時から朝七時までを”夜時間”とします。夜時間は立ち入り禁止区域があるので、注意しましょう。

3、就寝はホテルに設けられた個室と保健室でのみ可能です。他の部屋での故意の就寝は居眠りと見なし罰します。

4、この施設について調べるのは自由です。特に行動に制限は課せられません。

5、支配人ことモノクマへの暴力を禁じます。監視カメラの破壊を禁じます。

6、仲間の誰かを殺したクロは”チェックアウト”となりますが、自分がクロだと他の生徒に知られてはいけません。

7、鍵のかかってるドアを壊すのは禁止とします。

 なお、校則は順次増えていく場合があります。

 

 此乃咲の言っていた夜時間は2に書かれてあることを指しているのだろう。

 しかし夜時間に立ち入ってはいけない区域は、今のところ食堂くらいだった。他にもあるのか分からないが、さすがに注意書きぐらいはされていると信じたいものだ。

 

「あとこの学生手帳にはいくらかお金が入ってるみたいでさぁ、これを使って購買部で買い物できるみたいだよぉ」

 

 江見は楽し気な様子で学生手帳を見せてきた。

 

「購買部か……なんだっけ、アイスとかあるんだっけ?」

「そうそう。でも一番驚いたのはこれかなぁ」

 

 江見がポケットから取り出したのはモノクマのキーホルダーだった。……そういえば今朝がた私も同じものを見た気がする。あのときも思ったが趣味の悪いキーホルダーだ。

 

「うげ、買ったの? いくら?」

「二千円かな」

「高え……観光地価格……」

「アイスとか牛乳は普通の値段だったから、これだけ特別高かったかなぁ」

 

 江見はキーホルダーのチェーンに指を通してクルクル回しだした。輪郭がぼやけるくらいに速く回っても白と黒がハッキリわかるのでモノクマだと認識できる。

 

「このホテルで他にお金が必要そうな場所はないみたいだねぇ。全部見て回ったわけじゃないから分からないけどさぁ」

「キッチンの食材やバーの飲み物は無料だしね」

「それは不思議ですね。どうして購買部だけは有料なのでしょうか? わざわざお金を支給するくらいなら初めから無料にすれば良いように思うのですが」

 

 顎に手を当ててベルが言う。確かに変だなと私も疑問に感じた。このホテルにあるもののほとんどは対価を要求しない。キッチンの食材、バーの飲み物、倉庫の雑貨類、それらすべては自由に持ち出すことができる。だというのになぜ購買部だけそのようなシステムなのか。

 すると泡瀬がこんなことを言った。

 

「食堂やラウンジでの飲食はホテルのサービスに含まれているからでは? まあ私は宿泊料を支払った記憶なんてありませんが」

 

 彼の回答に「なるほど」とベルが返した。確かにそう考えると納得感があった。まあ購買部で支払うお金もモノクマから与えられているわけだが……。

 

「今しがた話題に出たキッチンやバーについてなのだけれども、なかなかに良い設備が揃っているそうよ」

 

 と言ったのは倉敷だ。彼女の側に座る萌上が加えてこう言った。

 

「めったにお目にかかれないような逸品ばかりが揃っていましたよう! モノクマはかなりの酒好きと見ました……!」

「倉敷さんと萌上さんの言う通り、卵も小麦粉もすごくいいもので……すぐにでもお菓子づくりを始めたいくらい」

 

 パティシエの血がうずくのだろうか、城田はちらちらと厨房の方を見ていた。

 私も萌上に連れられてキッチンを調べていたのだが本当にいろんなものが揃っていた。今朝がた日怠がチャーハンを調理していたのを見て中華鍋があるのは知っていたが、他にも西洋料理や日本料理にお菓子作りまで、さまざまな用途で必要になる調理器具や食材が揃っていたのだ。もっともそれらは使い手がいればこそ輝く代物であり、一流のシェフがこの場にいないのが悔やまれた。

 

「酒か……ま、未成年の俺達には関係ないな」

 

 春田があくびをして言う。既に夜時間が近づいているので、仕方なかった。

 そこからの報告はスムーズに進んで行った。

 

「保健室と焼却炉は特になんもねえな……強いて言うならゴミは分別して出そうぜってくらいで」

「あとは倉庫かなぁ。色々なものがあるみたいだから、困ったら覗いてみるのがいいかもねぇ」

「ああ、あと一階と二階、それから個室がある十六階以外にエレベーターは止まらないみたいだね。階段でも行けないっぽい」

 

 とまあ期待していたような成果はなく、とうとうすべての設備について話し尽くした。これ以上の真新しい話題がでることはなく、しばし沈黙が流れたあと、日怠が「そういえば」と思い出したように話し出した。

 

「アタシ個室に行ったあとは一度庭園に戻ったんだけど、モノクマの残骸がきれいさっぱりなくなっててさ。誰か片付けたりした?」

 

 日怠の問いに皆沈黙する。朝の一件を思い出し、つい息を呑む。

 

「あ、あんなアブネーやつ、誰も触ろうとしねーって!」

 

 米原が呆れたように言った。日怠は一瞬ムッとした顔つきになったが、納得したように頷いた。

 そんな日怠に私はこう言った。

 

「……モノクマのあの爪も偽物じゃなさそうだし、悪いことは言わねえから今朝みたいなのは控えた方が……」

「馬鹿にしてんの? 私だってそこまで考えなしじゃないし」

「馬鹿にしてるつもりは……悪ぃ、なんでもない」

 

 歯切れ悪く言葉を途切れさせる。馬鹿にする意図はなかったのだが……ただ、日怠が分かっているならそれでいいと思った。

 一応は元クラスメイトなのだ。くだらないことで死なれると後味が悪い。

 

 ……と、この施設の調査結果を互いに共有したが、肝心なことはなに一つ分からないままだった。どうすれば外に出られるのか、なぜコロシアイなんてさせられるのか、モノクマとは一体なんなのか……私たちはここがどこにあるホテルなのかすら突き止めることができなかった。唯一ハッキリしたのは、私たちはこのホテルを自力で脱する方法がないことと、不自由ながらも衣食住が確保された環境だということくらいだった。

 そうして一日かけて私たちは今朝の問いかけに戻ってきてしまったのである。一生をここで暮らすか、それかあるいは──

 

「ボクらには二つの選択肢があるんじゃないかなぁ。……一生をここで暮らすか、人を殺してここから出るかさぁ」

 

 今の今まで目を逸らし続けていた事実を、江見は囁くような言葉遣いで言い切った。

 その二者択一はどちらも受け入れがたいものだ。だから目を逸らしていたのだが、とうとう私たちはそれについて考えなければならないようだ。だが、答えなんて出せるのだろうか……?

 

「ふざけんじゃねえ! アタシはヤダね、ここで一生なんてそんな不自由な生き方!」バン、と机を力強く叩き、日怠が立ち上がった。彼女の肩は怒りで震えている。「でも、だからって殺しをするつもりもない!」

 

 内からあふれ出る感情を必死で抑えているのだろう。日怠の表情には鬼気迫るものがあった。

 そんな彼女を窘めるために、私も立ち上がって彼女の肩に手を置いた。

 

「落ち着けよ、日怠……みんなお前と同じだぜ。ここで一生を過ごすつもりはないし、人を殺すつもりだってない」

「でも」

 

 そこで日怠の言葉は詰まった。すんでのところで出かかった言葉をグッと飲み込んだようだった。

 けれどそれを継ぐように──せっかく止めた言葉を、江見が続けてしまった。

 

「でも、ほんとに誰かが殺しをしないとは限らない、かなぁ? キミが言いかけた言葉は」

「! 江見!」

「間違ってないでしょぉ? キミはそれが不安なんだよねぇ? だってボクたちは今日初めて会ったんだからさぁ、ほんとうに目の前にいる誰かが殺しをしないとは限らないんだからさぁ」

 

 場の雰囲気が一気に張り詰める。それは私も考えてはいた……けれど、考えすぎないように頭の片隅へと追いやっていたことだった。人が人を殺すはずがないだなんて、他の人もそうとは決して限らないのである。

 その可能性を考えると、私たち一四人の関係性にはひびが入りうる。それを察したから日怠はすんでのところで言葉を詰まらせたのだ。言葉にしないことで、そこから目を逸らし続けようとした。けど江見は言い切った。だから私たちは人が人を殺す可能性について考えざるを得なくなる。仮初の平穏はあっさりと砕け散ってしまった。

 江見は軽薄な笑みで矢継ぎ早に言葉を並べた

 

「それに外に出たいのに殺しはしたくないって気持ちは矛盾してるよ。外に出るためには殺しをしなきゃいけないんだからさぁ……」江見は両手を広げ、この場にいる全員に言い聞かせるようにゆったりとした言葉遣いで話した。「だから生半可な気持ちじゃいけないんだよぉ。一生ここで暮らす覚悟を決めないと、ちょっとしたきっかけで心が揺らいじゃうから……」

 

「いい加減にしろ、江見。いまお互いを無暗に疑い合うのは良くない」それに、と春田。「あれこれ考えるのには早いんじゃないか? まだここに来て一日目だ。おかしなことをしなくたって救助が来る可能性は十分にある」

 

 江見の言葉に春田が切り返した。私も春田の意見に同感だった。人を殺すのも一生をここで暮らすのも、どちらもあり得ない。だがどちらも選択する必要はない。十四人も人が失踪したのなら外では事件になっているに違いないだろう。そのうち助けだって来るに違いない。

 

「春田の言うように、焦る必要はないやろな。ま、私もちょうどええバカンスや思てゆっくりすることにするわ」

 

 椅子の背もたれに体重を預けながら此乃咲が言った。隣の倉敷も続けてこう言った。

 

「急いては事を仕損じると言いますものね。わたくしも俗世から離れるのは久方ぶりですので、ゆっくり羽を伸ばそうと思います」

 

 倉敷はずっと落ち着いているようだった。危機感という言葉からもっとも程遠い様子表情だった。けれどそれは決して能天気だからだとか、そういうのではない気がした。

 

「じゃ、もうすぐ夜時間だし、風呂に入りたいやつは入って寝よう。一日経てばちょっとは気持ちの整理もつくだろう」春田は立ち上がり、卓上に置かれた林檎を一つ取っていった。「じゃ、また明日の朝に食堂集合……ってことでいいか? 勝手に決めて悪いが」

 

 数人が首を縦に振る。ぎこちない空気はまだ完全には取り払われていなかった。春田は軽く手を振り「おやすみ」と告げ、一足先に食堂から出て言った。それを合図にバラバラと人が食堂から出て行く。

 私も彼に倣って個室に向かおうとしたところ萌上に風呂へ誘われたが、適当に理由をつけて断った。今日はもう眠りたかった。

 

 二階から十六階に上がるエレベーターの中で眠たい頭を働かせて考える。誰だって理由もなく見知らぬ誰かを殺すはずがない。けれどもし人を殺すに足る理由が生まれたらどうなるのだろう。大切なものを守るため、復讐のため、あるいは誰かのため──そういう個人的な部分に危機が迫ったとき、人はどうなってしまうのだろう。

 私はなにがあれば人を殺すのだろう。まさか、と思った途端に、どうしてかアンナの顔が思い浮かぶのだった。

 

 

 

 

 すごく嫌な夢を見た。アンナが私に背を向けてどこかへ行ってしまう夢だ。

 夢の中で私は彼女を追いかけることができなかった。なぜって、彼女を引き止めるのになんて言葉をかければいいのか分からなかったからだ。

 格ゲーをまたやろうって言うのか? 向こうから格ゲーを捨てたのに。

 話をしようと言うのか? 向こうからいなくなったのに。

 

 浮かんでくる言葉すべてが脳内で否定される。正解なんて見つからなくって、そのうちアンナは本当にいなくなってしまった。

 残ったのは昔から使っていたゲームのコントローラーだけ。赤色のそれはアンナが隣にいないだけで酷く色褪せて見えた。

 

「──! ──!」

 

 ずっと俯いていると上から声が聞こえてきた。声はアンナにそっくりで──

 

「鷹城さん、起きてください。……鷹城さん!」

「っ! 起きますよ、今、起きますってば」

 

 布団を引っぺがそうとする何者かに叫ぶ。なんて強引な奴!

 恨めしく思いながら半目で見ると、そこにはベルがいた。

 

「……んだお前か」

「? なにか言いましたか」

「いや……寝ぼけてただけ」

 

 私は重たい身体を引きずってベッドから這い出す。低反発のマットレスで眠ることに慣れていないからか、変な力の入れ方をしてしまい床に転がり落ちた。

 

「あっ!」

 

 転がり落ちた痛みより先に絨毯の心地よさを感じた。薄着だからこそ、より全身で絨毯の柔らかさや毛並みの長さを意識させられる。このまま二度寝もできそうなくらい快適だ。安物のカーペットじゃこうはいかないだろう。ああ、そんなことを考えているうちに、ほら、頭がぼんやり、して、きて……。

 

「っ、床で二度寝しないでください!」

 

 寝転がったままの私をベルが引き上げた。その細腕からは想像できないくらい力強い。

 立ち上がって部屋を見回すと、よりいっそう昨日の出来事が現実であるのだという実感が湧いてきた。そこは私の知る寮の一室とは異なる場所だった。まるでホテルの一室だ。

 四方を囲む壁紙はホワイトで質素な印象である。そして床には赤茶色の絨毯が敷き詰められており、美しく細やかな柄と金糸がその絨毯の価値を物語っている。そのうえ部屋に備え付けられた調度品の数々は教養のない私でさえただならぬものだと分かるものだった。金銀宝石を散りばめた成金趣味の贅沢品とは違い、確かな質の良さと品が感じられるものばかりである。そんな部屋に下着一つでいる自分が浮いているようにしか思えず、まるで異界にでも迷い込んだかのような心地だった。

 着替えはないだろうかとクローゼットを開く。奇妙なことに私の普段着や制服が一通り揃ってあった。 希望ヶ峰の制服だけでなく私服まであるってことはわざわざ私の部屋から持ち出したらしい。それも何着もだ。……つうか下着までありやがる。

 

「気持ちわりい……」

 

 ぼそりとつぶやく。私はこんな部屋に服を持ってきた覚えはない。ただ攫うだけでなく部屋まで物色されたのかと思うと、モノクマへの不快感が強くこみ上げてきた。

 

「……っていうか、なんでお前が部屋にいんだよ」

 

 クローゼットから振り返り、私はなぜか部屋にいるベルを見て言った。

 ベルはなんの気もなしに「鍵が開いていたので」と答えた。

 

「鍵が開いてたからって入るか? フツー」

「鍵を開けたまま寝ますか? フツー」

 

 ベルはジッと私の顔を見ながら、意趣返しのように言葉を真似て繰り返した。

 ムッと口を閉じると、ベルは素知らぬ顔で続けた。

 

「なにかあってはいけませんので確認のためにも部屋に入りました。しかし鷹城さん、あなたは不用心すぎます!」ベルは私をつま先から頭のてっぺんまで見て言った。「いくら自室とはいえ、下着姿で寝ますか?」

「女に見られるんなら構いはしねーよ」

「そういうことではなく……なにかあってからでは遅いのですよ!」

 

 ベルはなぜだか苛立っているようだった。鍵もかけず、無防備な姿で眠っていたのだからそれも当然だろう。私はあまりにも殺されやすい環境で眠っていたのだから。

 しかしふと冷静になって思う。ベルは私を心配しているのだろうか? 彼女の性格を考えてみればあり得ないことではない。私なんかを心配するなんて、物好きな奴。

 

「部屋の鍵はリビングの机に置いてあります。今後は鍵をかけるようになさったほうが良いのでは?」

「ヘエヘエ、おっしゃる通りで……」

 

 寝起きで着替える気が起きなかったので下着の上からジャケットを羽織った。

 ベッドルームからリビングに出たとき、まず目についたのは部屋の広さだった。昨日はとにかく眠くって意識していなかったがとにかく広い。数人は快適に過ごせるだろうゆとりのある空間が広がっているのにも関わらず、部屋のグレードはベッドルームから落ちていないのだから驚きだ。

 赤い絨毯に足を踏み入れる。足の裏がこそばゆくなりそうなほど柔らかで暖かい。慣れない感触にむずがゆさを感じながらも進む。

 

 リビングから玄関へと繋がる通路の横には横開きのドアがあり、そこには洗面台と脱衣所があった。

 洗面台の鏡を見るとえらく寝ぼけた顔の私が映った。バカみてえな面。私は蛇口をひねって流れ出る水に頭を突っ込む。おそろしく冷たい水がぐちゃぐちゃな自律神経を次第に正してくれた。改めて鏡を見ると少しマシな顔つきをした私がいた。

 タオルで水気を拭き取りながらもう一度リビングに戻る。夢ならここで覚めるところだが部屋の様子は相変わらずだった。

 

 リビングの中央には木目のきれいなテーブルと四人掛けのソファが据えられており、すぐそばには小さな冷蔵庫まであった。開けてみると中にはミネラルウォーターが入っていたので、喉が渇いていた私は迷いなくボトルを手に取り水を喉に流し込んだ。喉の渇きがおさまると心に余裕ができた。眠気もだいぶなくなってきた。

 ふと頭上を見上げ、天井が高いなと今更になって気付いた。ボール遊びだってできそうだ。……こんな感想しか思い浮かばない自分の低俗さが嫌になりそうだった。 

 

 とまあご覧のようにやたら立派で広い部屋なのだが、私はこの部屋に二つの違和感を見つけた。

 一つは窓がないということだ。……厳密にはベッドルームには景色を一望できそうな広いガラス窓があった。だが黒いなにかが覆いかぶさっていて外の様子は見えなかった。こんなに広いのに窓の外が見えないというだけで言い知れぬ圧迫感が部屋全体に満ちていた。

 もう一つは部屋の隅につけられた監視カメラの存在である。誰かが私を見ているのか──なんのために? 疑問ばかりが積もる。

 そんな違和感にさえ目をつむれば、極めて快適な部屋であった。

 

「監禁部屋にしちゃあ、豪勢だよなあ」

「あの……鷹城さん、服をお召しになられては?」

「悪いんだけど、これからシャワー浴びてくるから、先に食堂行っててくれや」

「……二度寝はしないでくださいよ?」

「風呂の後に二度寝するほどねぼすけじゃねえよ」

 

 ベルに背を向けたまま脱衣所に入った。

 私はベルが苦手だ。良いやつだとは思うけど、顔がアイツに似ているせいで目を合わせて話ができない。別人だとは分かっているけれど、苦手意識はそう簡単には消えてくれなかった。嫌いとか憎いとか、ベルに対してそういう感情は本当にないのだけれど。

 風呂から上がるとリビングにはまだベルがいた。

 

「……先に行けって言ったのに」

「鍵を閉めないまま出ていくのも気が気じゃありませんでしたから」

 

 ベルはテーブルの上にあるルームキーを指さして言った。

 これだけ豪勢な部屋なのにオートロックじゃないのには理由があるのだろうか。……私は鍵を忘れて締め出される気しかしないので、その方がありがたいのだが。

 ベルに急かされ着替えた後、なかば小走りでエレベーターに乗り込んだ。朝時間が始まる朝七時からは既に一時間は経過していた。とっくにみんな集まっているだろうと思われた。

 

「今朝は萌上さんが朝食を作ってくださるそうですよ。デザートもご用意してくださっているそうです。楽しみですねっ」

(萌上の朝食か……アイツの作ったもん口にするの怖えんだよなあ)

 

 なんせ萌上には一度薬を盛られた経験がある。実際それが彼女の望むような効果を発揮しなかったとはいえ、薄っすらとした忌避感があった。

 

「あのさ……お前って本当にロボットなんだよな?」

「? ええはい、そうですけど」

 

 きょとん。そんな擬音が似合いそうなとぼけ顔でベルは私の顔を覗き込んできた。私は考え込むそぶりをして視線を避ける。

 

「いや、飯とか食うんだなって……日怠のチャーハンも食ってたし」

「…………」

 

 ベルは思い詰めたようにじっと黙ってしまった。なにかまずいことでも言ってしまっただろうか。ロボットの地雷なんて分かりっこないから、慌てて言葉を訂正しようとすると、ベルはそっと私の耳元に口を寄せて私にしか聞こえないような声量でこう言った。

 

「これは国家機密なのですが、有機物ならなんでも電力に変えられる小型の発電機が内蔵されていまして……」

「国家機密!?」

「はい。ですのでよそでお話になられると、鷹城さんの命が狙われることもあるかと……」

「おっかねえ……! んなもん言うなっての」

 

 クスクス、とベルは笑う。とんでもねえやつ……!

 そんなやり取りをしていると、エレベーターが食堂のある二階についた。いたずらっ子のような表情でエレベーターを降りるベルの後を追って食堂に向かった。

 食堂には既に全員が揃っているようで、食べ終えている者も半数ほど見られた。雑談したり、本を読んでいたり、二度寝をしていたり、食事の途中だったり。昨日に比べて賑やかな雰囲気が食堂には満ちていた。

 

「あっ! 遅いですよう瑞樹さん! 朝食もうとっくにできてるんですからねっ」

 

 キッチンの奥から顔を見せた萌上がムスッと口をへの字にして言った。悪びれる様子もなく私は萌上にこう言った。

 

「私の分はいいよ。お前の作った飯なんざ、なにが入ってるか分かんねえし、自分で作る」

「んもう、照れ隠しはベッドの上だけでいいんですよう! じゃ、お好きなところに座っておいてくださいね。すぐにお出ししますから」

「あっ、ちょっ!」

 

 厨房に入ろうとしていた私を萌上はぐいぐいと食堂へ押し戻した。有無も言わせぬ、とはこのことか。なにを言ってもあいつには無駄な気がした。

 ……まあ朝食は他のやつらにも出されてるみたいだし、安心してよさそうだ。

 

 食堂の隅の席でホットコーヒーを飲んでいると(萌上が用意してくれた)、数分ほどで銀盆に色々載せた萌上がやってきた。

 

「朝っぱらから気合入ってるな……」

 

 改めて萌上を見て気付いたことだが、彼女は昨日と異なりメイド服に身を包んでいた。格式高いクラシカルメイドというやつだろう。広がりのある黒のロングスカートに丁寧にアイロンがけされた純白のエプロン。上まで止められたボタンが萌上の奔放な性格とは正反対の厳格さを演出している。これが彼女の正装であり制服なのだろう。こうも本格的なメイドさんは久しく見ていなかったのでつい目をまん丸にしてしまった。

 

「おやおやぁ? わたしの仕事着についつい見蕩れてしまいましたかー?」

「まだ寝ぼけてるんじゃねえのか? お前」

 

 萌上はニコニコ顔で銀盆に載せてあるものを私の前に並べていく。

 萌上が作ってくれたのはモーニングのセットだった。ムラなく焼かれた厚切りのトーストに、刻んだ半熟卵をぐってりと塗り付け、荒く砕いた黒コショウをまぶしてある。これだけでも十分に腹に溜まりそうで美味そうだったが、添えられたカリカリのベーコンとサラダがより食欲を引き立てた。加えてデザートにゼリーが用意されている。透明なゼリーの中にはいろんな果物が入っており、ショーウィンドウのようにカラフルで鮮やかだった。

 これを萌上が作ったのだと認めたくはないが、過去一美味そうな朝食だ。それに人間、寝起きにトーストの匂いを嗅ぐと無性に食欲を掻き立てられるものなのだ。私は抗えずトーストを両手でつかみ食らいつく。焼きたてのようにフワフワで柔らかなパンの甘みに半熟卵のクリーミーさが混ざり合い、ねっとりとした味わいを生み出す。それを引き締める黒コショウのピリッとした辛みが次の一口へと推し進めた。休む間もなく食らい、あっという間にトーストがなくなってしまう。

 

(う、うまい……)

 

 カリカリに焼かれたベーコンも程よい塩加減で良い。サラダにかけられたドレッシングは私好みのもので、あっという間に平らげてしまった。

 そして問題はデザートのフルーツである。一目見ただけでもオレンジ、マンゴー、ブドウ、キウイ、その他さまざまなフルーツがこの一つの小さなゼリーに収められていながら醜さがない。むしろキレイだとすら思うのだから凄まじい。

 口にすると果肉のフレッシュさがよく伝わってくる。ゼリーなのに噛みたいと思いたくなるほどに、濃厚な味わいであった。

 

(うまいなんてもんじゃないぞ……なんだこのゼリーは……)

 

 萌上が新たに淹れてくれたコーヒーを口に含みながら考える。至れり尽くせりじゃねえか……。

 

「なあ萌上。俺にもあのゼリーくれよ」

「ダメですう! デザートはかわいくって愛らしい女の子のために用意したんですから!」

 

 とまあ、そんな会話さえ聞こえてこなければ純粋に味だけ楽しむことができたのだが。

 

「ゆがみん、このゼリーめっちゃ最高だね!」

「やあんもう桜さんってば褒め上手なんですからー! おかわりいりますう?」

「おかわりあるんならくれよ!!」

「男性陣にあげるゼリーはないんですう」

 

 萌上はちろりと舌を出して、「あっかんべー」をしていた。米原や春田は不満げにコーヒーを啜っていた。

 呆れてものも言えない。溜息をコーヒーで流し込むと、萌上が傍にやってきた。

 

「どうでしたか? わたしの作った朝食はっ」

 

 萌上は得意げな表情でお盆を抱えていた。これが犬なら、しっぽがパタパタと左右に揺れて居そうだった。いわゆる褒められ待ちの状態なのだろう。

 

「ああ、まあ……美味かったよ、すごく」

「むふふ、なんせ瑞樹さんの料理には特別なものが入っていますからね♡」

「んなっ!? まさかまた変なもん入れて……」

「やだなあー! 愛ですよ、愛!」

 

 萌上は照れ恥ずかしそうに頬を真っ赤に染めて私の背中をお盆でつついた。やめろって、おい。

 すると、私の左正面に座っていたベルもまた食事を終えたようで、満足げな表情で萌上の方を向いた。

 

「ゼリー、すごくおいしいです。鮮やかな色合いがとてもきれいで、果物もほどよい大きさで切られているからか、ゼリーのプルプル感を損なうことなく食感を味わえて楽しいデザートでした」

「……ベル、お前食レポできんだな」

 

 ベルは私なんかよりもよっぽど味わっているように感じられた。

 

「食事は好きなんです」ベルは手に持っていたナイフとフォークを皿に置いた。「それにこうやって言葉に残しておくことで、思い返すことができるでしょう? 栄養素とか写真とか、そういうデータだけだと味気ないじゃないですか。食べたときに感じたものをわたしは大切にしたいんです」

 

 ベルはぎゅっと両手を胸の前で握りしめる。

 

「萌上さん、美味しい朝食をありがとうございましたっ」

「いえいえーっ! ベルさんのお口にあったようでよかったですうー! 好みの食べ物があればのちほど教えていただいてもよろしいですか?」

「ええはい、もちろん」

 

 ほんと、不思議なやつ。

 見れば見るほど人間みたいだ……けどロボットなんだよなと、いまだに信じ切れていない自分がいた。

 

 二人の会話を傍で聞いていると、遠くから視線が向けられているのを感じた。実は今朝から見られているなと思っていたが、気にしないようにしていた。けれど我慢の限界が来て、振り返ると、そいつは素早く目線を逸らした。

 超高校級のパティシエ、城田ゆき子。彼女はなぜか、私のことを今朝から遠巻きに見つめているのだった。

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