「んじゃ、そーいうわけだからお昼作ろっかー? 瑞樹?」
「どういうわけだよ……」
わけわかんねー。
朝食を食べ終わった後、暇を持て余していた私はひとり食堂で時間を潰していた。すると長瀞にいきなり首根っこを掴まれキッチンまで連れてこられた挙句、昼食作りに参加するよう言われたのである。
わけを聞くと「ゆがみんだけにご飯作らせるにもいかないじゃん? だからお昼はウチらで作ろーよ!」とのことである。ゆがみん、とは萌上のことらしい。いつの間にそんなに仲良くなったのか……それとも長瀞は誰に対してもこんな感じの距離感なのだろうか。
日怠と城田も厨房におり、どうやら長瀞によって集められたらしい。彼女らはエプロンと三角巾(おそらく倉庫から持ち出したのだろう)を身に着け、やる気は十分のように見えた。
反対に私は彼女らほどのやる気はなかった。そもそも私は食事に対する熱量がさほどなかった。自炊はおろか、小遣いのために昼飯を抜いて昼飯代を浮かせるなんて日もしょっちゅうあった。つうか無理やり連れてこさせられたのだから、やる気なんてあるわけがない。
「ベルちゃんも一緒の方が良かった?」
「別に。どうだっていい」
「またまたぁ。だって二人、仲良さそうじゃん」
「違ぇよ。偶然一緒になるのが多いだけで……」
「でも残念! ベルちゃんは先約があるそうなので」
「あっそう」
このままじゃ延々この話をされそうだったので、私は強引に話題を切り替えた。
「料理っつってもなに作るんだよ。十四人分だろ?」
「おっ、瑞樹意外と乗り気じゃん?」
「ちげーよ」
長瀞は朝だってのにハイテンションで、茶目っ気たっぷりにウィンクをしつつ肘で小突いてきた。気を抜けばため息が漏れてしまいそうだった。
(こいつ、料理とかできるのか?)
疑問から長瀞の顔を見る。化粧をしているからかますますギャルっぽさが増していた。ただネイルなど手元の装飾はしていないようで、一応料理のための準備は整えているみたいだ。人は見かけによらないと言うが……これだけ自信満々なら、私よりかは作れるのだろう。ただそれでも、どんな料理をこれから作るのか皆目見当もつかない。
そんな私の様子を察してか、長瀞は得意げに胸を張ってこう宣言するのだった。
「やっぱサンドウィッチっしょ!」
「サンドウィッチ?」
「そ! 具材さえ用意すれば、あとはパンで挟むだけだし」
パチン、と長瀞は能天気な顔の前で両手を合わせた。
サンドウィッチねえ。まあ失敗しようがない料理だとは思うが……なぜだか不安な気がしてならないのだった。
「それにパティシエのゆき子ちゃんがいるんだから、フルーツサンド作ってもらえるじゃん?」
長瀞は城田に視線を移す。城田はやる気に満ちた顔つきで「うん」と頷いた。肘まで捲られた袖が彼女の料理に対する真剣な姿勢を表しているように思えた。
(城田のやつ……今朝の萌上のゼリーにずいぶんと対抗心を燃やしてやがるな……)
原因はおそらく、朝食時に萌上が提供していたゼリーにあるだろう。あれは本当に美味しかった。超高校級のパティシエが作ったものだと提供されていたなら、私は疑うことなくすんなり受け入れていただろう。それくらいあのデザートはハイクオリティであった。
だからこそパティシエの城田が対抗心を燃やしているのも理解できる。なんつーか、自分の土俵に入って来られると勝ちたいって思うんだよな。同キャラ対戦(同一キャラ同士の対戦の意)のときに似てるから気持ちはよく分かる。
「じゃ、アタシらはたまごサンドとかハムサンドを作れば良いわけね」
「そういうこと」
日怠の言葉に長瀞が頷く。この二人は気質が合うのか、仲が良いように思えた(日怠は誰に対しても当たりが強いので誤差のようなものだが)。
日怠は昨日チャーハンを作っていたので、料理はできるほうなのだろう。それなら本当に私がいる必要はない気もするが……ただ、サンドウィッチと聞いてほんのちょっぴりだがやる気が湧いてきた。
料理の経験はないが、そんな私でもたまごサンドくらいなら作ったことがある。刻んだゆで卵にマヨネーズを混ぜ込み、黒コショウをかけ出来上がった種を食パンで挟んでやればいいのだ。あとはお好みでハムやチーズを挟めばよりボリューミーになって食べ盛りの空きっ腹を満たしてくれる。ハムサンドも同じようなものだ。ハムとレタスにからしマヨネーズを塗ってパンで挟むだけ。ま、たまごサンドやハムサンドなんて誰が作ってもそんな感じになるのだ。そんなもんで構わないなら、まあ手伝ってやらないこともない。
それに今朝からこちらを見てくる城田のことが気になっていたのもある。調理の最中、なにか用があるのかと聞いておきたい気持ちだった。
とまあじわじわやる気が湧いてきた。長瀞の気まぐれで参加することになった私のエプロンは用意されていなかったので、それを取りに一度倉庫に行った。
さて、せっかく作るのだから文句を言われない程度には頑張るかと気合を入れて三角巾を頭に巻き、それからたまごサンドのためにまずゆで卵を作ろうとしたのだが……。
「え、茹でるの? たまごサンドだよ?」
「は? 茹でなきゃ作れねえだろ」
私をよそに長瀞は卵を割って中身をボウルに入れていた。は? もう茹でられないんだが?
「たまごサンドって知ってるか?」
「知ってるに決まってるじゃん。厚焼き玉子をパンで挟むやつでしょ?」
「……ああ、お前そっち派か……!」
そっち派ってどっち派? なんて顔をして長瀞は首を傾げた。
世の中たまごサンドと言ってもさまざまな種類が存在する。そのなかで最も王道であると私が信じてやまないのがゆで卵を使ったサンドである。しかし他にも厚焼き玉子を使ったものやスクランブルエッグを用いたもの、モノによってはオムレツを挟んだものまで人は一緒くたに”たまごサンド”と呼んでいる(なんならゆで卵にも刻むかスライスするだけかで派閥が分かれる)。
ああなんたる由々しき事態! 神はバベルの塔を作る人々を見たとき、言語をバラバラにするのでなく彼らの手元に握られた昼食のたまごサンドの名前を分けるべきだったのだ。
そして私は厚焼き玉子を作ることができない。長瀞の手伝いはできそうにないと瞬時に悟った。
「じゃ……たまごサンドはお前に任せるわ……」
「? うん、まっかせて!」
後ろで結んだ茶髪がわずかに揺れる。無自覚なのが無性にイラつく。いやまあ、いいんだけど……厚焼き玉子も美味いし……。
出鼻をくじかれたが、私はぴしゃりと頬を叩き気合を入れなおした。なに、ハムサンドがまだ残っているじゃないか。フルーツサンドは城田が本格的にやっているようだからあまり手出ししたくないが、ハムサンドならまだ手伝える余地がある! あれなら焼くだの茹でるだのはないのだから。
長瀞曰く、ハムサンドは日怠が既に作り始めているようなので彼女のもとに向かった。
「…………」
「? 突っ立ってないで油を鍋に入れるの手伝ってくんない?」
なんということだろう。日怠は鉄の鍋にだっぽだっぽと油を注いでいたのである。
ハムサンド……ハムサンドで、揚げ物?
不思議に思って声をかける。
「なあ日怠。お前ハムサンド作ってるんだよな?」
「そうだけど」
「じゃあなんで油なんて……」
「はぁ? ハムは揚げてなんぼでしょ? じゃないとおなかに溜まらないじゃない」
カ、カロリーモンスターめ……! プロレスラーの日怠は職業柄よく身体を見せるだろうに、カロリーは気にしていないのだろうか。あるいは気にならないくらいに普段から身体を動かしているのか。
ハムカツサンドも美味しいとは思うがレタスを挟んだみずみずしいサンドを想像していたので一気にイメージが重たくなった。それに日怠はかなり大き目のサイズでハムを用意している。さっぱりしたいものを食べたい日にハムカツサンドは苦しい。
どうしてこうもこいつらは予想外の行動ばかり……。それに私は揚げ物なんてやったこともない。間違いなく焦がすだろうし、下手をしたら鍋ごとひっくり返しかねないような気もする。
私はたまごサンドとハムサンド以外のサンドウィッチは作れない。そしてその二つは長瀞と日怠の作るサンドウィッチと絶妙にジャンルが被っている上、彼女らの作るサンドの方が私が作るものより格段に美味そうだった。手伝おうったって厚焼き玉子も揚げ物も私の技量では遠く及ばない。それでもやってやろうと顔を上げたが、そもそも料理作りに意欲的でないことと、食い物を無駄にする未来が見えたためにその段階でやる気がスッと冷めていった。
なので私は黙々と食パンの耳をカットすることにした。十四人分となるとそれなりの量だが、単純作業は昔から得意だった。集中するとあっという間に終わった。他の三人はまだ調理中らしく、包丁の音や油の跳ねる音が聞こえてきた。
暇を持て余した私は城田に声をかけることにした。今朝から感じていた疑問を晴らそうと思ったからだ。
というのもなぜか城田は今朝から私の方に視線を向けていた。パンの耳を切っている間もこちらを気にしている様子だった。向こうから話しかけてくるのを待っていたが、痺れを切らして私は話しかけることにした。
「城田、なんか手伝えることねえかな」
すると城田は驚きからか視線を右往左往させてこう言った。
「ええっと、鷹城が手伝えることは、ない」
「えらく直球だな……」
呆気に取られてそれ以上の言葉が出なかった。城田は口下手だと知っていたから、悪意はないと理解しているが……それでもその言い方にはムッと来るものがある。
不満を抱いている私に気付いたのか、城田は果物の皮を剝く手を止めてこう言った。
「ご、ごめん。けど私がやることは、責任もってちゃんとやりたいから」
「そりゃいいけどよ、でも使い終わった調理器具を洗うくらいはいいだろ?」
城田は迷いがあるのか、なにかしゃべろうとしたまま口を半開きにしていた。調理のみならず後片付けもやりたいとは、責任感の強いやつだなと思った。私のような不真面目なやつと足して二で割ってもまだ真面目さが残るんじゃないかってくらいに。
しかし堅物ではないらしい。じいっと目を合わせ続けていると、ついには折れたように城田は首を縦に振った。さび付いた機械のようにぎこちない頷きだった。
「じゃ、使わないやつは適当にそこに置いてってくれ」
「でも食洗器あるよ」
「いーんだよ。なにもしてないと長瀞になんか言われそうでだりぃってだけだから」
袖をまくりあげて蛇口を捻る。勢いよく噴き出した水は銀色のシンクに飛沫を飛ばした。水の温度は少し熱いくらいで快適だった。この施設、やたら気が利いている。軽く水で汚れを落とし、泡立てたスポンジでさっそくごしごしと調理器具を洗い出した。生クリームがついた泡だて器やボウルなどをじゃぶじゃぶと水につけていく。そうやって黙々と洗い物をしていると、ちらちらと城田が私の様子をうかがうように視線を向けてきた。城田は今朝からこんな感じだった。私が隣にいることで集中力が描けているのか、調理の手もぎこちなかった。どうしてそんなにおかしな様子なのか、こちらから切り出そうと顔を上げたところで城田が口を開いた。
「あ、あの、鷹城さん」
「ん?」
水がバシャバシャと流れる中で城田は話す。
「昨日、あんなこと言っちゃってごめんなさい」
「あんなことって……ああ」
初めて城田に会ったときのことを思い出す。私の”ゲーマー”という才能を知った城田は「それってなにがどうすごいの?」と訊いてきたのである。それは「それのなにがすごいの? たいしたことないでしょ」と聞こえてもおかしくないような訊き方だった。私はそれに卑屈な態度を返して場の雰囲気を壊してしまったうえ、逃げるようにその場を去ってしまったのだ。
そんな状況じゃ「気にしてない」なんて言葉も意味をなさない。やはりベルの言うように城田はあれからずっと気にしていたらしい。
「今朝からずっと謝ろうって、思ってたんだけど。でも、なんて言ったらいいのか分からなくって……」
城田は真っ直ぐな眉をぎゅっと寄せ、唇を硬く結んでいた。思い詰めている様子だった。
あのときベルは、どうすればいいって言ったんだっけ。確か……。
「ま、最初言われたときはビビったけどよ」
「! ご、ごめんなさい……」
「謝るなって。城田の申し訳なさそうな顔見てたら、お前が嫌味で言ったんじゃないってことくらい分かるし」それに、と私は手元の洗い物に目線を落として伝えた。「私も悪かったよ。あんな立ち去り方じゃ、怒ってるって思われて当然だし……」
「そんなことないよ……! 元はと言えば私の言ったことがよくなかったからで……」
「いや、城田は悪くない。お前がそう感じているのは私があんな立ち去り方をしたからで……」
あなたは悪くない、私が悪い。互いにいかに自分に否があったのかを主張し合う不毛な時間が続く。無論その間、調理をする手はすっかり止まってしまっていたわけで……。
「ちょーっといい?」
あなたは悪くないと言い合う様が次第に苛烈になっていき、あわや口喧嘩になりつつあった私と城田の間に長瀞が割って入った。
「ゆき子ちゃんも瑞樹もさ、仲良く謝り合戦してるところ悪いんだけどぉ」長瀞は厨房にある壁掛け時計を指さして言った。短針はとっくにてっぺんに──つまりお昼時に差し掛かっていた。「ちょい急ぎで作るよ! このままじゃお昼過ぎちゃう!」
言うが早いか、長瀞は手馴れた手つきでパレットナイフを握り食パンへ生クリームを塗りたくる。そこへ丁寧に処理された果物を豪快に並べ始めた。
「ああっ! 長瀞さんっ! フルーツの並べ方にはこだわりがあって……!」
「十四人分もこだわってたら日が暮れるっちゅうのっ」
「そ、そんな……! なんてアバウト」
「ん、じゃあできたやつアルミで巻いてくから」
長瀞が作り上げたフルーツサンドを日怠がアルミホイルで包んでいく。たまごサンドとハムサンドで既に経験していた工程だからか、洗練され無駄のない流れ作業であった。その完成形は、城田の想像していた理想的な形とは大きく異なるのだろうが、昼時までに完成させる必要があるのだから致し方なかった。萌上のゼリーに勝ちたいと気合を入れていただろうに、このような結果になり城田はうなだれるようにした顔を俯かせていた。
なにか気の利いた言葉でもかけてやれればいいのだが、そういうのが私は一番苦手だった。
すると不意に城田は顔を上げて私の方を真っ直ぐ見つめた。彼女は気の強そうな顔をしているから、こうも真剣に見つめられるとなにか叱責されるのではと思わず背筋が正される思いになる。
そんな思いとは裏腹に、城田は小さな声でこう訊いてきた。
「……ほんとうに怒ってないの? 鷹城さん」
まだこいつはそんなことを……。
「ほんともほんと、大マジだからさっさと手ぇ動かそうぜ」ちらりと長瀞の方に視線をやり、表情で伝える。アイツに怒られたくねえってことを。
城田は少し口角を上げて微笑んだ。ずっと怒ってそうな顔や、申し訳なさそうな顔をしていたから、そんな笑顔を見るのは初めてでつい拍子抜けした。
作り上げられたフルーツサンドは他のサンドウィッチと一緒くたにして銀盆の上に並べられていた。これじゃどれがどれなのか一見して分からない。ランダム性も楽しみの一つということか。
昼飯時になって、ちらほら食堂に人が増え始める。長瀞は人好きのする笑顔でサンドウィッチを配っていた。皆、口にして、その反応はおおむね好評だった。
私もたくさん並んだサンドウィッチの中から一つを手に取った。このあと厨房の片付けもあるので、私は厨房で食べることにした。
しかし片付けといっても、私がするべきことなどほとんど残っていなかった。長瀞ら三人は料理慣れしているのだろう。調理と並行して片付けも行っていたようで、厨房はほとんど今朝の頃のようにきれいだった。これじゃほんとに、私がいなくても問題なかっただろう。ま、もともと長瀞の気まぐれで参加させられたのだし、文句はない。
さて、私も昼食を食べよう。これを食べたら、個室で昼寝でもしよう。
丸椅子に腰かけ、包装のアルミに手を伸ばしたところで、長瀞が厨房に姿を現した。長瀞は私の姿を見つけると、一直線に向かってきた。両手にはサンドウィッチがあった。
「二つか? よく食うんだな」
「ああ、これ? まあね」
と長瀞は私の手元に置かれた一つのサンドウィッチを見て、笑みを浮かべた。
「それより瑞樹。さっきゆき子ちゃんとなんか話してたでしょ? なんの話してたの?」
「なんのって……大したことじゃねえよ」
嘆くように息を吐いた。長瀞は興味深そうに私の顔を覗き込んできた。これは、話さないとずっと居座りそうだなと思った。
「……昨日、初対面の時、気まずくなっちまったろ。あれで謝りたいって言われたから、お前は悪くねえって言ったんだ。そしたら城田のやつ強情で、譲らねえもんだから、言い合いになっちまった」
「あははっ! ゆき子ちゃんそういうところあるよねっ、おもしろいよねー!」
「笑い事じゃねえよ。ったく……」
長瀞は耳に響く甲高い声でひとしきり笑うと、満足した表情で厨房を去った。嵐のようなやつだなとため息がもれる。
今朝から長瀞には振り回されっぱなしだった。突然昼食づくりに参加させられたし、茹で卵を作ろうとしたら厚焼き玉子を作り出すし、フルーツサンド作りも最後はあいつが主導になったし……。でもまあ、そのおかげで城田と話す機会ができたので、ちょっとは良かったのかもしれない。
もしかしたら長瀞は、城田と話す機会を作ってくれたのだろうか……いや、それは考えすぎか。私は空腹に急かされてアルミをはがした。
「おっ」
銀箔をはがすときめ細やかな生クリームと宝石のようなきらめきの果物が見えた。どうやら今日の昼食はフルーツサンドらしい。食らいつくと、キウイの爽やかで甘酸っぱい匂いが口いっぱいに広がった。
螺旋階段の奥にある庭園は小規模ながらもイギリスの様式を取っている。なだらかな起伏や曲線によって作られた地形、それに沿って設けられたガーデニングの数々。室内とは思えない緑の豊かさと花の鮮やかさが心を打つ。温室ゆえにこうも様々な植物が豊かに育つのだろう──それは長所であり短所でもあった。緑が美しければ美しいほどに、ここが空の下であればどれほど素晴らしかっただろうと思わずにはいられないからだ。これほどの庭園でも星を観測できない環境というだけで窮屈に感じられてしまった。
車椅子のレバーを前に倒し前進する。石畳の通路を進むと背中にガタガタと振動が伝わってきた。石畳の良さは、この道を進んでいる感じがあるところだろう。
庭園の中央には大きな噴水があった。シンプルながらも細かな彫刻が庭園全体の格を一つ引き上げている。ただこの庭園の主役を張るほどの派手さはない。噴水はあくまでも風景の一つとして馴染んでいた。その噴水を横切り奥に進むと生垣で区切られた空間がある。この先に彼女がいると思うと背筋を正される思いがした。ネクタイを締めなおし髪を軽く整え、車椅子を進めた。
花で彩どられたアーチをくぐって生垣の内に入ると倉敷さんと萌上さんの二人がいた。白く小さいテーブルにはいくつかの花と果物がバスケットに入れられて飾られており、そこに席を設けて倉敷さんは読書をしているようだった。彼女の佇まいにはつい視線を釘付けにされてしまうような美しさがあった。白いブラウスにかかった黒髪は生糸のような光沢を帯びており、風が吹けばさらさら滑らかな動きをするだろうと予想さえできた。主に黒と白を基調とした服装だが、こうもこの二色が似合うのは彼女ぐらいではないだろうか。本のページを見つめる彼女の瞳は伏せられた長い睫毛で隠れている。萌上さんは席に座ることなく倉敷さんの後ろに控えて佇んでいる。令嬢という彼女の肩書きと、メイドという肩書きが組み合わさると、その光景は至極自然なもののように思われた。
倉敷さんがここで読書していることは推測から導き出したことだった。萌上さんが机を庭園に運んだり、バスケットを飾り付けていたりと、忙しなく動き回っていた理由は倉敷さんのためだろうと思ったからだ。
私は意を決して車椅子を前に進めた。
「こんにちは倉敷さん」
「あらごきげんよう、泡瀬さん」
倉敷さんは手元の本に落としていた視線を上げ、清らかな目でこちらを見た。私は心臓がドキリとさせられる思いだった。長い睫毛が起き上がるとともに、その下にある慈愛のこもった黒い瞳が私に向けられていた。
彼女は家柄も素晴らしいが、なにより人格者として名高い。伝え聞くだけでも様々なエピソードが彼女にはある。例として一つ挙げると、自ら立ち上げた会社の利益のみで既に長者番付に名を連ねる彼女だが、財産の大部分を慈善事業の運営費に充てている、だとか。そしてそれは単なる噂ではなく事実であった。
倉敷財閥の長子として生まれた彼女は幼い頃から帝王学を叩き込まれていたとの話だ。世界最大の財閥をただ継ぐのみではなく、更に繁栄させるために、上に立つ者としての精神性や礼儀を学んできたのだろうと彼女自身の立ち振る舞いが感じさせる。
私はそんな彼女──倉敷リオという女性に、以前から興味があった。そしてその本人がいま目の前にいる。この高揚を抑えられずにいるのは仕方ないことだろう。
「萌上さんもこんにちは」
「ええはい、こんにちは」
萌上は丁寧な所作で返事をした。
私はさらに車椅子を進めて二人に近づいた。
「同席してもいいですか?」
そう訊ねると、倉敷は申し訳なさそうに眉を寄せた。
「ごめんなさいね。小さなテーブルしか用意していなかったの」
「ああそうでしたか。これはお邪魔してしまったようで、すみませんね」
僅かに口角を上げた微笑みを向ける。倉敷もまたその薄桃色の唇で笑みを作った。
ふと、倉敷の手元にある本が目に入った。柄の良いブックカバーが被せられてあった。
「なにをお読みに?」
「アガサ・クリスティよ」
「ホー、日頃から推理小説を読まれるのですか?」
「いいえ。普段このような読み物に手はつけないのだけれど、この機会に知見を深めようと思いまして」
「それはいいものですね」
“この機会”というのはもちろんコロシアイのことだろう。だから人が殺される推理小説を読んでみる、というのは微笑ましい気がする。彼女はいままで人が殺されるような話に関わってきたことがないのだろうか。
そう思って、一瞬ためらいが生まれたが、当初の目的を果たすべく言葉を紡いだ。
「倉敷さん。あなたのような聡明な方にぜひお聞きしたいのですが、このコロシアイ生活とは何者がどのような目的を持ち、行っているのだと思いますか?」
倉敷さんは悩む素振りを見せず、こう即答した。
「わたくしは知りませんが……そのような質問をなさるのは、既に推測を立てているからなのでしょう」
「やはり鋭いお方ですね」
フッ、と息が吐き出される。
「百年近く前に起きたあの事件……いま私たちが陥っている状況はそれにそっくりだ。超高校級と呼ばれる十数人の生徒が一か所に集められ、悪趣味な殺人ゲームに参加させられる……。特にあのモノクマというマスコットの姿を私は知っています」
私の言葉に倉敷さんは不安げな表情でこう答えた。
「あら、知っているの? 関連する写真や映像は検閲されているという話だけれど」
「これは失敬。研究所は星の記録を残すという性質上、昔の資料が多く残されていましてね……その中に検閲を免れたテープがありましたので、それをこっそりと」
あらそう、と倉敷はそれきり話を続けようとはしなかった。あまり興味のない話題だったのかもしれない。
彼女もなにか知っていそうだったが、やはりそれも私と同じように百年前の知識に限ったものなのかもしれない。いま私たちに影響を与えている何者かとは、直接の関係はない情報だった。
「しかしもうお昼時も過ぎてしまいましたね。貴女は既に食べられましたか?」
「ええ」
倉敷は机の上に置かれたフルーツに視線を向けた。
「それは残念。実は今日、女子たちがサンドウィッチを作ってくれたそうなんです。それを二ついただいてきたので、よければと思っていたのですが……萌上さんはいかがですか?」
萌上は静かに首を横に振った。主人の前で食事はできない、といったところか。
「でしたら私一人でいただきます」そう言って包装のアルミ箔をはがす。「ふむ、これはハムカツサンドですか」
脂っこいものはあまり好みでないが、手前口にしないわけにもいかず渋々口に運んだ。
口に含むと、よりその脂っこさが感じられて、不快感が増した。
私は鞄から紙ナプキンを取り出し、二人には隠れるようにして口に含んだものを吐き出し畳み込んだ。それからアルミの包装を閉じ、ゴミと一緒に袋へしまい込む。
「失敬。お見苦しいものを見せてしましましたね」
端的にそれだけ言った。すると意外なことに、倉敷さんは重ねてこう訊いてきた。
「残りはどうされるの」
「捨てます。まだ食堂にもいくつかあるようですし、口に合うものを探してこようかと」
「そう」
倉敷さんはそれだけ言って、再び本を開いた。そういえば、読書の最中にお邪魔していたのだった。長居しすぎてしまったなと、いまになって思い至る。
「それでは失礼いたしますね」
そう言って、私は来た道を引き返していった。あの倉敷リオと会話を交わしたという事実に、いまだ興奮が冷めやらぬ思いだった。