深宇宙論破   作:鹿手袋こはぜ

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(非)日常編 3

 大浴場にある畳張りの休憩スペースは広くて風通しの良い場所だった。きっと入浴後の客が大人数で涼むことを想定しているのだろう。畳の肌触りは日本人なら誰だって落ち着きを感じるはずだ。だが実際には僕ら四人──三池、江見、猿飛、米原──だけが風呂に入るでもなくただ寝そべりながらボードゲームに興じていた。

 四人は個人戦もチーム戦もこなせるちょうどいい人数であり、必然的にこのメンバーで固定されていた。気が合う四人、というのは少し違う気がした。他にやることがない四人と解釈した方がいいだろう。そんな僕らは食堂から持ってきたサンドウィッチを片手に午後からもずっとボードゲームで遊んでいた。

 チェスやオセロにトランプといった有名どころはもちろん、駒やカードやサイコロを用いるような戦術的なゲーム。他にもパズルや陣取りなど様々用意して端から遊んでいった。慣れてくると独自ルールを追加して自由に遊んだ。

 インターネットという人類最大の娯楽がない以上、このホテルではこういうアナログな遊びが至上の娯楽であった。倉庫にボドゲやゲーム機器が隙間なく敷き詰められている棚を見つけ、そこから適当に引き抜いてきたのだが思わぬ収穫であった。

 今は江見君と猿飛君がチェスを指しているところだった。

 

「これさぁ、チェックメイトだよねぇ」

「いえ、これで切り返せますよ。チェックメイトです」

「あれぇ? ほんとだぁ」

 

 江見は一瞬驚いたように目を見開くとすぐににっこりと笑って両掌を合わせた。そして「負けだね」となんの感慨もなく言った。そんな彼の頭を米原君がはたく。

 

「負けだね、じゃねーよっ。強そうな雰囲気出しといて負けてんじゃねー!」

 

 米原君はハムカツサンドを片手にヤジを飛ばす。「こんなやつに負けたのか、俺はよー」と悪態をつくが、江見はへらへらと受け流していた。

 

 今はチェスでトーナメントをしていたところだ。僕と米原君は最下位争い。江見君と猿飛君は一位決定戦を行なっていたのだが、江見君があんまりにもあっさり負けたものだから米原君は不満なのだろう。まあ、自分に勝ったのだから次も勝って欲しいと思うのは理解できる。僕も猿飛君が勝ってくれて嬉しいのだから。

 

「しっかしだいぶ遊んだよなー」

 

 米原君はキャップを脱いで一息つく。彼の格好は昨日の制服姿に比べて随分派手だった。オーバーサイズのズボンからはベルトやチェーンが垂れ下がっていて、そういう装飾もあるのかとマジマジ見つめてしまったほどだ。なるほど、超高校級のダンサーっぽい感じがする。

 耳に通したピアスをいじりながら米原君はこう言った。

 

「せっかく勝ち負け決めんだからよォ、賭けでもしねー?」

「賭け?」

「そ、なんか賭けねえと勝負に真剣さが生まれねーっしょ」

 

 そんなことはないと思うけど……頭ごなしに否定するのもよくないので、僕はチェスを片付けながら彼の話を聞くことにした。

 

「うーん、ギャンブルかあ」

「賭けっつっても現金賭けるわけじゃねーんだからそう身構えんなって。っちゅうか、いま金なんてもってねーし」

 

 米原君は大げさな手振りで両ポケットをひっくり返す。確かに僕らは現金なんてもってないけれど……。

 

「お金ならさぁ、ここにあるじゃんかぁ」

 

 そう言ったのは江見君だ。こういうとき真っ先に悪知恵を働かせるのは彼だった。彼は電子生徒手帳をひらひらと僕らに見せた。

 

「電子生徒手帳……そうか! 購買部で使える金か! ……って、それ送金できんの?」

 

 米原君は前のめりになって尋ねる。

 

「ん、どうだろ。ちょっと見てみるねぇ」

 

 江見君は長い袖から伸ばした長細い指で電子生徒手帳を操作する。その様子を横目に猿飛君がこんな言葉を米原君に投げかけた。

 

「賭けですか? いいですケド、なにを賭けるっていうんです。あなたなにも持ってなさそうな空っぽな人間じゃないですか」

「電子生徒手帳にある金なら俺でも持ってるっつーの! 人のこと馬鹿にしたいだけなら口閉じてろって」

 

 猿飛君のキツイ言葉に、米原君は不機嫌そうに言葉を返した。こんなやりとりは今朝から既に何度も繰り返されていた。

 なにが気に障るのかは知らないが、猿飛君は特に米原君に対しては当たりが強いように感じられた。

 

「うーん、送金はできないみたいだねぇ」

「んだよ、あーあ」

 

 米原君はガックシと肩を落として仰向けに寝転がった。そのときである。米原君の顔を狙い定めたように上から白黒のなにかが降ってきたのだ!

 どすん、とそれは米原君の顔面に尻から落ちた。それから酷い棒読みでこう言った。

 

「賭け事なんてフケンゼンダヨー!」

「むご、うごご!」

 

 米原君は半ばパニック状態で両手足を暴れさせる。その隙間をスッと掻い潜り、モノクマは僕らの中心に着地した。

 

「賭け事なんて不健全ダヨ! ヨクナイ!」

「棒読みで言われてもね……」

 

 思わず苦笑いがこぼれる。モノクマのやつ、面白そうな気配を感じ取ってやってきたのだろうか……。というか、この対応の早さ、僕らの会話をずっとどこかで聞いていたらしい。

 

 そんなことは気にせず、米原君は興奮冷めやらぬ様子で四つん這いになってモノクマに詰め寄った。

 

「なあモノクマ、電子生徒手帳のお金、送金できるようになんねーかな」

「ダメなものはダメだよ」

 

 モノクマは鎌のように鋭く吊り上げられた口で言った。

 

「当ホテルは健全な場所を心掛けているからね。賭け事なんてもってのほかだよ!」

 

 ただ……とモノクマはとあるキーホルダーを僕らに見せてきた。

 

「この愛らしいわがままボディのキーホルダーを取り合うためにゲームで勝敗をつける、というのなら遊戯の範疇なんじゃない? 知らないけど」

「うげ、これ二千円するやつだろ?」

 

 江見君が懐からさっとキーホルダーを取り出す。購買部で売っているという観光地価格のモノクマキーホルダー……。

 

「まあまあ、値段が高いのにはわけがあるんだよ」

「わけもくそもあるかってーの。需要がねーんだよ、需要が!」

 

 モノクマは米原君の言葉を無視して、購買部の隣にある小さなブースを指さしながらこう言った。

 

「なぜかあちらのお店に向かわれる方が多いですね……」

 

 指さす先はお店と呼ぶにはおざなりな出来で、電子決済の機械が机の上に置かれているだけなのだが……。

 

「あそこでモノクマのキーホルダーの買い取りをしているようですね……一個二千円だそうで……いやー、需要ってあるものですね……」

「三店方式!? んなホテルの中でなんの意味があるんだよ……!」

 

 モノクマは素知らぬ顔でそっぽを向いていた。あまりこの話題には深く突っ込まれたくないようだった。……今更法律なんて気にする必要があるのかと問いたくなる。だがいま重要なのは、賭け事に使えそうなものが見つかった事実である。

 

「まあ賭けできるんならなんでもいいや。キーホルダーどれくらいあんの?」

 

 と能天気に米原君が問いかけると、モノクマは頭にぎゅっと鉢巻を巻き付けて江戸っ子風にこう答えた。

 

「在庫は三十九個ですぜえ!」

「じゃあ江見は九個、他は十個買えばちょうどいい感じか……うげ、こんなの十個で二万すんのかよ。冷静になるとやべえな」

「冷静にならないでくださいヨ。そもそも論、ギャンブル自体が馬鹿げた行為なんですから」

 

 猿飛君は粛々と支払いを済ませキーホルダーを十個手に入れた。彼はこれでギャンブルに参加する資格を満たしたことになる。

 不良在庫が売れたからか、モノクマは喜ばし気な表情だった。

 

「旦那ァ! お買い上げありがとよォ!?」

「クソみてェーな商売しやがってよー……!」

 

 米原君もそれに続き電子マネーで決済を行う。僕も続いてモノクマのキーホルダーを十個購入した。……うーむ、自分のお金ではないものの、こうもくだらないものに二万円支払うのはなんだか気が引ける。

 造形作家として活動する中でキーホルダーサイズの作品を扱うこともたくさんある。中にはガチャガチャ用のフィギュアの監修を行ったりもするのだが、これはそういったものからさらに幾段クオリティの落ちるものだろう。

 まあ、量産されているわけではないだろうから妥当な金額なのかもしれないが……抵抗感はぬぐい切れない。

 

「じゃあなにで賭けるか」

「ここは無難にブラックジャックでいいんじゃないですか」

「ふうん。ならボクが親をやろうか? そのほうがみんな公平な立場でいいでしょ」

「おう。じゃあモノクマ、頼むわ」

 

 とまあ、モノクマが親をやると決まり、紆余曲折あった末……。

 

「……なあ、なんか俺たち騙されてね?」

 

 僕らは勝ったり負けたりを繰り返した結果、四人のキーホルダー総量は元ある四十個の半数以下……十六個にまで低下していた。なくなった二十四個はどこに行ってしまったのかと言うと、それはギャンブルの胴元であるモノクマの手元にあった。

 

「へへ、旦那ァ、次ァポーカーでもしやすか?」

「辞めだ辞め! モノクマしか勝ってねーじゃねえかよ!」

「なに言ってるんです? 馬鹿なんですカ? ここで引き下がるとマイナスが取り返せないでしょう」

「馬鹿はおめーだよバーカ! つーかおめえ賭け事下手すぎな。引き下がるもなにも素寒貧じゃねえかよ」

 

 僕ら四人の中で真っ先にキーホルダーを使い切ったのは、意外なことに猿飛君だった。運の悪さでそうなったというより、単純に賭け方が悪かったというか……。彼には悪いが、僕も米原君と同意見である。猿飛君はギャンブルに向いていない。

 

「俺たちがいま持ってる分、全部合わせて十六個か……クッソー、二十四個も持ってかれたのか」

「ふぅん、二十四となるとぉ、ひとつ二千円だから四まん……」

「みなまで言うな! 江見! 計算するとよー、急に現実味が出てきて辛くなる!」

 

 米原君は額に汗を垂らして悩み込む。元々無から湧いてきたお金とはいえ、こうもあっさり奪われると心に来るものがある。僕の気持ちも、彼の心境にかなり近かった。

 

「今ある分、もう換金したほうがいいんじゃないかな?」

「逃げるんですカ? まだまだ勝負は始まったばかりですヨ」

 

 猿飛君の煽り文句に米原君はぽかんと口を開き、たちまち眉根を寄せて声を荒げた。

 

「お前キーホルダー持ってねえだろ」

「? いまモノクマから買い取りましたが。一つ四千円で」

 

 そう言って猿飛はキーホルダー五つをなんの感慨もなく床に転がした。これっぽっちで計二万円である。

 米原君は呆れを通り越して一種の恐怖を感じるように身をのけぞらせた。

 

「ウソだろ? お前ブレーキとかねーの」

「さあ卓を用意してください。勝負の続きをやりましょう」

 

 ビビってるわけじゃないですよね。……そんな凄みを感じさせる堂々とした立ち姿で、猿飛君はさっそくキーホルダー五個を全賭けした。

 米原君はまたもやあんぐりと口を開けるが、数秒の硬直ののち、覚悟を決めたように立ち上がり手持ちのキーホルダーを畳にたたきつけた。

 

「~~~ッッ!! ぃやってやらぁ!」

「じゃぁ、ボクも全賭けしようかなぁ」

「ぼ、僕も」

 

 それを見てモノクマは調子づいた様子でトランプのカードを配りだした。

 

「気前がいいねェ! ギャンブラーってのはそれくらいの覚悟がなくっちゃあダメだよね」

 

 うぷぷ。とモノクマは不敵な笑みを浮かべるのだった。こうして僕ら四人は、すべてを賭けた最終決戦に挑むのだった……!

 

 結果、僕らは惨敗した。それぞれが五つずつキーホルダーを失い、残ったのは一つのみだった。

 

「まあ……うん、いいんじゃね? どうせあぶく銭だし」

「ううん……ちょっとこれはぁ、疲れたなぁ……」

 

 大敗を喫した僕らは、たった一つだけ残ったキーホルダーを手に換金所に向かった。

 

「すいやせんねえ、旦那。相場が下がっちまったみてえで」

「はァ? 相場ァ!?」

「品数が多くなった影響で……いまこのキーホルダーは一つ二百円でさあ」

「高くなることがあれば、安くなることもあるよねぇ」

「んなわけあるかァ! んだよ! 俺たちゃ全員負けじゃねーかよ!」

「あはは……」

 

 米原君は江見君の頭を掴んで感情のままに暴れていた。江見君は痛そうにしていたが、今の僕にはそれを止めるほどの気力がもう残っていなかった。

 

 

 

 

「しっかし、ベルちゃんにはえらい世話なったなあ」

 

 此乃咲さんはラウンド型のサングラスをかけていた。その薄い色のレンズ越しに目を細め、わたしを見ながら微笑んだ。

 

「ほんまベルちゃんにはあれこれしてもろうてばっかやわ。なんか恩返しせなあかんな……」

「いえいえ! 好きでやっていることですからお気になさらず!」わたしは慌てて胸の前で手を振った。「それにお二人の話を聞いて、私も大変ためになりました」

「ほんまあ? つまらん話ばっかやったやろ」

「そんなことありません……! 仮想現実を構成するにあたって生じる技術的な問題に対し、多角的な視点から解決方法を模索していく様子は見ていてとても楽しいものでした! 特に此乃咲さんの豊富な知識には驚かされました」

 

 率直な思いを伝えると、此乃咲さんは驚いたように目をまん丸にした。そしてわずかに口角を上げた。

 

「またまたぁ。口上手いなあ」

「ほんとうですって! 春田さんのお話も、とても末端でのみ関わっている方とは思えないほどで……正直、お話についていくだけで精一杯でした」

 

 わたしの言葉に春田さんは淡々とした口調でこう返した。

 

「驚いたのは俺らの方だ。専門用語も理解していたし、いったいどこで知識をつけてきたのか……でもおかげでストレスなく話が進んだ」

 

 いくつかある会議室の一つ。そこで此乃咲さん、春田さん、それからわたしの三人が集まり仮想現実に対する意見交換会が行われていた。

 ただ意見交換会という字面のような堅苦しさはなく、此乃咲さんと春田さんがそれぞれ専門分野の話をし、知見を深めることでなんらかの新しいものが生み出せないかどうか試していたところなのだ。それを補助する役割としてわたしが選ばれ、同席していたのである。

 

「本当に助かった。ホワイトボードしかない中で、俺たちの要望をくみ取ってああも完成度の高い資料を作ってくれるとは……修正も迅速かつ完璧。そこらのAIじゃここまで高精度の仕事はできないぞ。今後も一緒に働きたいくらいだ」

 

 春田さんは親しみやすい笑顔でそう褒めてくれた。褒められるのは嬉しいことだった。人の役に立てることの、なんたる幸福なことか。

 

「えへへ、お役に立てて光栄です」

「正当な評価だ。お前はすごい。……そうだな、なにかお返しができればいいのだが」

 

 春田さんは真剣な表情で顎に手を当てて考え出した。

 そんな、お返しだなんて、とんでもない。わたしはただできることをしただけなのだから、分不相応だ。

 そう申し出ようとしたところで、重ねるように此乃咲さんがこう言った。

 

「せやなぁ、なんかお願い事ひとつ聞いたろか」

「お、お願い事!? いえいえそんな、けっこうです!」

「謙虚なのはいいことだが、ここは素直に受け取ってくれ。可能な範囲で努力する」

「せやで。もらえるもんはもろときや」

「わたしは本当に……」

 

 いりません、と言いかけたところで、此乃咲さんがずいっと身を寄せてきた。奥にいる春田さんの視線がなんだか怖い。

 

「え、ええ……ええ……!?」

「重症やなぁ……ベルちゃん、あれしたいこれしたいってワガママ言うたことある?」

「いえ……」

「ほないま練習してみよか。ほら、なんかないん? あれ買うてほしいとか、取ってきてほしいとか」

「それくらいなら自分でします……」

「うーん、難儀やなあ」

 

 自分のしたいことを考えるなんて、あまり経験のないことだったから困惑してしまう。

 人のためになることをしたいとは思うが、この二人が訊いているのはきっとそういうことじゃないだろうし。……もっと個人的な……そう、わたし自身が、わたしのためにしたいと思えるようなこと。けど、そんなこと、いくら考えても思いつかない。

 

 ならもっと考え方を変えてみようと思った。人のためにしたいと思えることならたくさんあった。その手伝いを、二人に頼むのはアリだろうか。

 そう思いつくと、途端にある人の顔が思い浮かんだ。その人の顔は、ここ数日、何度も思い返してはどうしたものかと思い悩んでいたのだった。

 

「なんやもじもじして。その様子やと……あるんやろ? したいこと」

「実は……鷹城さんのことでご相談がありまして」

「鷹城? あいつがどうしたんだ」

「なんやなんや」

 

 此乃咲さんが興味深そうに顔を覗いてきた。春田さんもわたしの顔を見ている。

 

「鷹城さん、いつも暗い表情をしているのが気になるんです。悩みを抱えているみたいなのですが、その理由も分からなくって……ですから、よければお二人からお声がけいただいてもよろしいですか?」

 

 二人はじっとこちらを見たまま、数秒なにも言わなかった。少し戸惑っているようだった。

 

「鷹城って、あの鷹城瑞樹? 飯食い終わったあと食堂の隅で昼寝しとる」

「はい……その鷹城さんです」

 

 きっぱり答えると、春田さんがやや眉に皺を寄せてこう言った。

 

「解せないな。お前が鷹城を気にかける理由が見当たらない」

「理由、ですか」

 

 言われて、自分の心に問いかける。どうして鷹城さんのことが気になるんだろうって。

 もちろん初めて会ったとき胸倉を掴まれたのは衝撃的だったけれど、そのことに怒りや悲しみは抱いていない。あれはあくまできっかけで、わたしはもっと別のところで彼女に関心を寄せている。

 暗い表情をしているから。悩みを抱えていそうだから。だから気になる。……そんな理由を並べてみたものの、なら明るくなって欲しいのかと聞かれるとそれも違う気がする。

 いまの気持ちを言語化するのは難しかった。

 

 わたしが言葉に詰まっていると、春田さんがため息混じりにこう言った。

 

「アイツは自分から一人になりたがっているように見える。干渉するのは逆効果なんじゃないか」

「……放っておけないと言いますか。なにかすごく、深い傷を抱えているように見えるんです。それをわたしがどうにかしてあげられればと思うんです」

「そこまでベルちゃんが面倒見たる必要もない思うけどなあ。ちょい優しすぎるんとちゃう?」

 

 此乃咲さんは淡白な声色で言い切った。

 わたしは小さく頷いて応えた。

 

「そうですね。わたしも、普通はこうも執着しないと思います。けど──」

 

 わたしは彼女と初めて会ったときのことを思い返す──親の仇のようにわたしを睨みつけるあの目。

 あの目はじっとわたしの方を睨みつけていたのに、わたしがアンナでないと知ると、ずっと遠くの向こう側を見るようになってしまったと、そう思うのだ。

 

 それが引っかかる。彼女にとってわたしってなんなんだろう、って。

 

「すごく気になるんです。なんだからほら──鷹城さんってミステリアスな雰囲気があると思いませんか?」

 

 精一杯の笑顔で訊ねる。

 二人は微妙そうな表情で首を傾げた。

 

「ミステリアスってのはよく分からないが……」

「えっ」

「ま、根掘り葉掘り訊くんもデリカシーないし、ベルちゃんの頼みなら構わんわ。せやけど……なんで私らなん? ベルちゃんから声かけたったらええやんか」

「それが……」

 

 わたしは不思議と浮かない顔つきで言葉を濁らせた。

 

「わたしが話しかけてもツンと別の方を向いてしまうんです。ですのでお手数ですが、お二人で彼女を気にかけてくれませんか」

 

 此乃咲さんは不承不承といった感じで頭髪を掻いた。

 隣にいる春田さんはわたしの方を見て頷いた。

 

「話は分かった。さっそく夕食時にでも相席して話を聞いてみよう。だが……」

 

 春田さんは真剣なまなざしでわたしを見ていた。彼はいつもロボットであるわたしに対して真っ直ぐな姿勢で向き合ってくれていた。その姿勢はとても気持ちのいいものだった。

 だからわたしも彼の話は背筋を伸ばして聞くようにしていた。

 春田さんはじっと私の目を見てから言葉を紡いだ。

 

「せっかく同じ場所にいるんだ。なにが原因で鷹城がお前を突き放すのかは知らないが、気になるなら直接話をしたらどうだ」

「話を、ですか」

「ああ。こんな環境なんだ。話す機会が今後もあるとは限らないだろ」

 

 春田はためらいなくそう言い放った。わたしは思わずこう訊ねてしまった。

 

「! それは……春田さんは殺人が起きるとお考えなのですか」

「可能性はな。……結局俺たちは他人に過ぎない。数年来の付き合いがある親友と喧嘩別れをすることだってあるんだ。出会って数日の相手を殺すことになんの感情も抱かないやつだっているかもしれん」

 

 そして彼は少し笑顔を浮かべた。

 

「その点プログラムはいい。難解なように見えて、答えは必ずある。俺がお前を気に入っているのも、良い意味で裏表がないからだ」

「あー……ベルちゃんは素直やからなあ。私もそーゆうとこ好っきゃで」

 

 此乃咲さんが補足するように頬をかきながら言った。

 

「ま、ベルちゃんの頼みなら私からも声かけてみるし……なんやったら、鷹城と二人で話せるようにセッティングしたってもええし」

「そこまで……ありがとうございます!」

「ほんま遠慮せんでええからな。私らもう友達やろ?」

 

 此乃咲さんは人好きのする笑顔でぐっぱーと掌を閉じたり開いたりした。

 

「ほな作戦会議やな……鷹城がなんでベルちゃん避けとるんか、なにでそない落ち込んどるんか、どないして自然に聞き出そか」

「作戦会議ですか……っ! なんだかワクワクする響きですねっ!」

「せやろ? 鷹城瑞樹対策委員会の作戦会議や。なあ春田、あんた鷹城と同じクラスやったんやろ? なんか情報ないん?」

「それがまったくと言っていいほどにない。なんらかの理由で不登校気味だったのは知っているが、理由までは聞いたことがないな」

「ふうん、むずいなあ。ベルちゃんはなんか訊いてないん?」

 

 わたしはそう訊ねられて、首を横に振ることしかできなかった。そこではじめて気づいた。わたしは鷹城さんのことをなにも知らない。彼女がなにで苦しんでいて、なにを思い悩んでいるのかを、知らない。

 

「ほなそこから明らかにしてかなアカンなあ……鷹城に訊いても話してくれなさそうやし、他にアイツと同じクラスやったやつおらんか調べるんも手えかもなあ」

 

 ま、ぼちぼちやってこや。と此乃咲さんは私の肩を軽く叩いた。

 そのとき、わたしの中では初めての気持ちが生まれつつあった。鷹城さんのことをもっと知りたいと、そう思うのだ。

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