昨日と同じ今日。今日と同じ明日。毎日毎日、代わり映えのない日々。
「あーあー、なんか面白いことないかなー」
放課後の高校の教室。僕の前の席に座っているクラスメイトのジュードが、スマホの画面をスクロールしながらボヤいた。
「なんか面白いスレあった?」
「全然。なーんにも」
ジュードはそう言うと、スマホの画面を消した。
「この前のホロウ災害のスレとかあったけど、なんか災害の内容よりもレスバの方が多かった」
「まぁ、だいたいそういうもんでしょ」
僕は読んでいた本に栞を挟んでページを閉じた。窓の外のグラウンドでは、陸上部の生徒が走っている様子が見えた。
「ってかさぁ、明日エーテル物理の小テストじゃんね。ヤバい、俺ぜんぜん分かんないかも」
ジュードは明日の時間割を確認して、うげぇ、という表情を浮かべながら言った。
「なぁマイケル、またノート見せてくれない?」
「また? いい加減、僕のノートを当てにしないでよ」
「だって超分かりやすいんだもん。シング先生の授業、眠過ぎて起きてらんない」
「それには同意する」
僕たちの高校は、新エリー都の中では普通の公立高校だ。中の中。特別に賢くもないけれど、特別にバカでもない。ただ、授業のレベルは教師によって大きな差がある。
たとえば、いまジュードが言ったような【エーテル物理学】。
僕たちが暮らす新エリー都は、このエーテル物理学の理論によって出来たエネルギー供給システムを使っている。
かなり生活に身近なことの話だけど、これがかなり難しい。ナントカの公式だったり、ホニャララの法則だったり、そんな言葉や式がゴロゴロ出てくる。
おまけに【一般物理】と似ているようで違う、微妙に紛らわしい用語も出てくるせいで、挫折する生徒も多い。
僕たちの高校で【エーテル物理学】を教えているのは、シング先生というおじいちゃん先生だ。か細い声で教科書を読み上げ、黒板に書く文字も小さい。おかげで寝落ちる生徒が後を絶たない。
二年生に進級すれば文理選択があるけど、僕やジュードはまだ一年生だ。
早く文系コースに進んで、理数系とオサラバしたい。ジュードを始め、多くの文系の生徒の切なる願いだった。
「マイケルは良いよなぁ、理数系も強くってさ」
「でも僕はジュードほど文系科目、得意じゃないし」
「嘘つけ。この前の現代文の小テスト、俺より点良かったくせに」
「ヤマカンが当たっただけだって」
その時、ジュードのスマホがノックノックの通知を知らせた。画面を見て、目を細める。
「どうかした?」
「いや、母さんから。帰りに買い物頼まれた」
「じゃあ、そろそろ行かないとね」
僕たちは鞄を背負って、連れ立って学校を出た。ジュードは頼まれた買い物リストを見て考え込んでいるようだ。
「うーん、
「何を頼まれたの?」
ジュードは無言でスマホの画面を僕に見せる。生活必需品がいくらかと、食品の名前がいくつか並んでいた。
「そのラインナップだと、あんまり変わらない気もするけどね。帰りにあるマーケットじゃダメなの?」
「それがさぁ」
僕の質問に、ジュードは
「なんか今朝、
「え、また? この前も十二
「そう。だからウチの近くより、大きい所に行った方が確実かも。母さんにもさっきチャットで訊いたんだよ」
すると、再びジュードのスマホがノックノックの通知を受け取った。
「あ、母さんも大きい所の方が確実だろうって」
「じゃあ、ちょっと遠回りになるね」
ルミナモールという大きな複合施設があるルミナスクエアは、ジュードの家がある駅とは反対方向だ。このあたりでは一番大きくて賑やかな地区だし、遊びに行く場所としても鉄板だ。
「マイケル、一緒に行かない? せっかくだし、帰りにティーミルクも買っちゃおうぜ」
「え? でも帰り急ぐんじゃないの?」
「ヘーキ、ヘーキ。どうせ遠回りなのは変わんないし、ちょっと遅れたって母さん気付かないよ」
ジュードはそう言うと、ニッと笑った。
「それじゃせっかくだし」
僕たちは改札を通って、ルミナスクエア行きの電車に乗り込んだ。
* * * * *
アラームのけたたましい音楽で目が覚める。枕元にあるはずのスマホを手探りで探し、指先で側面のスイッチを押した。
時間を見ると朝の六時。いつもと同じ時間。まだまだ眠たくて仕方がないけれど、起き始めないといけない。
僕は仰向けになったまま、ぼんやりと天井を眺めた。明け方の光がカーテンの隙間から射し込んで、部屋全体がボンヤリと明るい。
懐かしい夢を見た。もう何年も前の、学生時代の夢だ。
ジュードが出てきた。二人とも高校生で、ジュードのお母さんからのおつかいで、一緒にルミナスクエアへ行こうと話していた。
スマホの日付を見てみると、奇しくも今日が、あの夢と同じ日だった。それで用事を思い出した。というか、僕は今日、午後からの出勤だ。
ベッドを出て洗面所に向かった。
身支度を整え、軽い朝食を取ると、僕は家を出た。いつもなら朝はもっとしっかり食べるのだけど、今日は午前中の外出先で食べるつもりだ。
通勤するサラリーマンや、通学する学生たちに混ざって電車に乗る。普段は自分も仕事に向かう時間だからか、妙に落ち着かない。仕事をサボっているわけでもないのにソワソワしてしまう。習慣とは恐ろしい。
二回ほど電車を乗り換えて、目的地に向かう。待ち合わせの時間には、まだ余裕があった。だけど、待ち合わせ相手は既に来ていた。
「おはよう。ごめん、待たせちゃったね」
「いや、早く来すぎただけだ。こんな足だしな」
駅のベンチに腰掛け、片手には歩行補助のための杖を持ったジュードが、ニッと笑った。
駅のそばにある花屋へ寄り、ジュードが事前に予約していた花を受け取った。駅前のロータリーでタクシーを広い、運転手に目的地を告げる。
「お兄さん達もお参りかい?」
中年のタクシー運転手は、バックミラー越しにこちらを見ながら言った。
「えぇ、そうです」
「そうかぁ」
運転手は気の毒そうな調子でそう言うと、眉を下げた。運転手はそれ以上は何も訊いてこなかった。毎年のことで、もう察しているのだ。
僕とジュードがやってきたのは、集団墓地だった。僕たちと同じ目的の個人や集団があちこちにいた。
僕とジュードは、三つ並んだ小さな
今日はジュードの家族の、そしてこの集団墓地に名前が刻まれた人みんなの、命日なのだ。
だけど、この墓標の下には、実は何もない。遺体のあるお墓の方が少ないだろう。
* * * * *
僕たちがルミナスクエアに行った、あの日の夜。ジュードが住んでいた地区で、突然ホロウ災害が起きた。何の前触れもなく、本当に突然だった。
ジュードは自宅の最寄り駅で電車を降り、家に向かっている途中だった。住宅エリアの方で真っ黒なドームが出現し、それが音も無く広がって、周りの家々を飲み込んで行った。
ホロウはいつだってそうだ。出現の兆候が観測される場合もあるが、無い時は本当に無い。いきなり現れて、近くにあるものを音も無く飲み込み、拡大していく。
そして無慈悲に、不条理に、理不尽に、そこにいる人々やその生活を、真っ黒な
ジュードはホロウの初期の出現地点から離れていたお陰で、すぐに気付くことができた。だけど、最初の出現地点のそばには、ジュードの自宅があった。
しかも、この時のホロウは拡大速度が早く、ジュードは短時間ながらホロウに飲み込まれてしまった。
ホロウは、外から見ると真っ黒なドームだけど、その中は飲み込んだ街の様子を残している。ただし、内部の空間は【エーテル】と呼ばれる不可視の物質に満たされている。
この【エーテル】が、ホロウの中を地獄に変えてしまう。無機物は侵蝕されてボロボロになり、生物を異形の怪物ーーエーテリアスへと変えてしまう。
幸いにも、ジュードは多少のエーテル適性体質があった。この体質があれば、ホロウの中ですぐにはエーテリアスに
ジュードは救助隊が来るまでの間、ホロウの中を生き延びた。でも、逃げる途中でエーテリアスに襲われて足を負傷し、それが元で片足には麻痺が残ってしまった。
ジュードは、僕の友達は助かった。だけど、彼の家族はダメだった。初期の出現地点に近過ぎた。
当局による後の捜査で、ホロウ発生の原因も突き止められた。
ジュードの自宅があった場所から五kmほど離れた、小規模な共生ホロウ。そこでホロウレイダーによる、違法なエーテル物質の採掘が行われていたのだ。
ホロウ内の空間は不安定だ。バランスが崩れれば、どんな影響が出るか分からない。一度
あの日、ジュードは一夜にして全てを失ってしまったのだ。
* * * * *
僕たちはルミナスクエアへ行き、そこにあるレストランで食事を取った。
「マイケル、毎年ありがとうな、本当に。お前だって忙しいだろうに」
「それは言いっこなしでしょ。それに、僕にとっても大切な、意味のある日なんだ」
ホロウレイダーによる、違法なエーテル物質採掘。このニュースを見た時、僕は叫びたいほどの怒りに駆られた。
エーテル物質は、新エリー都のインフラ、燃料、研究材料、あらゆる方面で活用されている。それだけに、無法者たちにとっても魅力的な
ジュードの家族は、
でも、それだけじゃない。
「それに前にも言ったでしょ。僕だって、ジュードと同じなんだ」
僕の家族も、ホロウと、ホロウレイダーに奪われた。
母さんはショックから、変な宗教団体――【
でも、変に人から同情されるのが嫌で、人に話したことはほとんどなかった。だけど、ジュードが被災したあと、彼にだけは話した。
僕たちは、同じ痛みを分かち合える親友になった。
僕は、僕のような子供を増やさないために、ジュードのような家族を増やさないために、父さんと同じ治安官になる道を選んだ。
ジュードは、片足が不自由ながらも民間の警備システムの企業に就職し、現在はより高性能な警備システムの開発に取り組んでいる。
ジュードと話しながら、ふと外を見る。すると、平日の午前中だと言うのに、制服姿で街を歩く四人の女子高生が目に付いた。ジュードも気付いたのか、僕の視線を追った。
この近くの高校の生徒だろう。四人のうち二人はシリオンらしい。ひとりは恐らく牛、もうひとりは大きなサメの尻尾を持っているのが、遠目からでもハッキリ見えた。
楽しそうに何事かを話しながら、四人はスクラッチ売り場の方へ歩いていった。
「おっと、こんな時間からサボりかな」
「僕とジュードも、一年生の時に何度かやったっけね」
「そうそう、自習の時にコッソリ抜け出してな」
「ハリス先生の時は、特に狙い目だったよね」
目を見合わせて僕たちは笑った。
願わくは。
自分たちの日々の働きが、あの子供たちの未来を少しでも良いものにできますように。
僕は、胸の中で静かに祈った。
ホロウ災害って、真面目に考えると鬼怖すぎる。