私の名前は甘織れな子。根暗オタクの引きこもりだ。
カーテンを締め切った六畳一間の薄暗がりのなかで、私は膝を抱えていた。窓の隙間から差し込む一筋の陽光が、空気中に浮遊する埃を白く照らしている。
それを静かに観察しているだけで、一日の大半が終わった。
人と関わるのが、たまらなく苦手だった。一対一の緊迫感も、グループの無言の同調圧力も、大勢の輪が放つ熱量も、すべてが私の皮膚をひりひりと灼く。
誰とも言葉を交わさず、内側を語らず、物理的に世界をシャットアウトすることだけが、私に残された唯一の安らぎだった。
きっかけは、かつて所属していたグループのリーダーからの誘いを断ったこと。たったそれだけのことで私は輪から弾き出され、教室の隅で嘲笑の的になった。
もともと自分に厳しく、泥をすすってでも這い上がるようなタイプではない。外からの圧力にあっけなく屈した私は、そのまま社会との関わりを絶った。けれど、スマートフォンの冷たい画面の向こう側では、同世代の少年少女たちが眩しいほどの日常を謳歌している。
「私も、ああいう風に、誰かと笑い合いたいな……」
自分だけの温い世界は居心地が良い。けれど、私の心はどこまでも強欲だった。
顔も知らない誰かでいい、繋がって、一緒に遊びたい。そんな私の背中を文字通り「殴り飛ばした」のは、皮肉にも、部屋に籠もって没頭していたゲームのキャラクターが放った台詞だった。
>『たった一つの要素で人間はガラリと変わらない。ぱっとしない人間に限って、これさえあれば、これさえなければ、と理由を一極集中した単純な方程式に依存する。時代も人種も問わない社会的弱者のテンプレだよ』
画面を見つめたまま、息が止まる。
『だから極論、あればあるほど良いことになる。考え方もそうだけど、何か一つに絞るのは危険なことなんだ。頭が良くて、顔も端正で、肉体は鍛え上げられている。適度に苛つくライバルがいて、背中を託せる友人もいる。そりゃあ成功するんだよ。だって勝利すべき要因を持っているんだから。総合力勝負が多い中で、高水準で汎用性の高い能力があれば有利なのは当たり前の話だろう?』
割れる。みしりと、胸の奥で固まっていた何かがひび割れていく。
『生きるのは基本的に苦しいのさ』
暗い部屋に、私の荒い呼吸音だけが響く。
『例え望まない修練であっても、血の滲むような努力と苦しさを経て手に入れた力があれば、綺羅びやかな栄光に見切りをつけて、一目散に下山することができる。つまり、能力などがあればあるほど、自分の人生の選択肢を自分で選べるのさ』
心臓が、早鐘のように強く唸り始める。
『それで、君は一体どうなんだい?』
ただのゲームの、ドットの羅列が吐き出す台詞。なのに、凍りついていた私の意思が、急速に熱を帯びて固まっていくのがわかった。
『そう。君は何も持っていない。本当に何一つ、自分自身で築き上げた確たる強みが無い』
苦しい。胸が詰まる。その言葉は、私のこれまでの逃避をどこまでも正確に切り裂き、バラバラに解体していく。
『特化型と聞けば聞こえは良いけど、それ以外は弱いことを意味する。必要な時は重宝されるだろうけど、要らなくなったら切り捨てる選択肢に入ってくる』
網膜の奥に、強烈な光を見た気がした。
『戦いしかできない人間が、平和な世界に必要ないように』
それでも、私は憧れてしまったのだ。友達と一緒にくだらないことで笑うことに。誰かと体温を感じるほどの距離で触れ合うことに。楽しそう、自分もやりたい、あの輪に入りたい。理由なんて、その純粋な渇望だけで十分だった。
『今ない夢を抱いて進めれば良い。それだけはどんな者にもできるのだから。あとは努力の強度だけの話で、折れず、曲がらず、挫けず、願った光に向けて進めば良い』
だったら、凡人は凡人なりの手段で、その光へ手を伸ばすだけだ。
◆
まずは勉強から始めた。
世間一般の常識を脳に叩き込み、外見を整える。流行の最先端を追う余裕はなかったから、徹底的に「無難」とされる服を選んだ。
マイナスからのスタートだ。
無理してお洒落をして百点を目指すより、まずは周囲に溶け込む「ゼロ」に至ることの方が遥かに重要だった。
外見が整ったら、次は最大の難関、コミュニケーションだ。
幸いにも、未成年の引きこもりである私には、社会復帰を目指すための国の手厚い支援を受ける権利があった。
「この支援には、見知らぬ誰かが一生懸命働いて納めた血税が使われているんだ」と思うと、一滴も無駄にはできなかった。これは国と私との、静かな助け合いのシステムなのだから。
そこからの訓練は、血の滲むような反復横跳びだった。座学、実践の体験、録画や録音を使った容赦のない反省会。それらを延々と繰り返す。
自由時間には、年齢も性別も、社会を脱落した理由もバラバラな人たちと同じ空間に放り込まれ、擬似的な「小さな社会」を形成させられた。
胃がキリキリと痛むようなストレスだったが、これこそが本番の予行演習だ。
そこで私が会得した結論は、拍子抜けするほどシンプルだった。
相手の話を最後まで聞く、バリエーション豊かな相槌、感情についての質問を挟む、少し大きめのリアクションを取る。
コミュ力の大部分はこれだけで構成されている。世間の人々が「無意識」にやっているノリを、私は「意識的なスキル」としてマニュアル駆動で再現する。
徹底的な理詰めの訓練を経て、私はついに高校の門をくぐる切符を手に入れた。
◆
「おはようございます!」
高校の昇降口。私は精一杯の笑顔を作り、少し高めの声で手を振る。
笑顔を返してくれる人、引き気味に戸惑う人、完全に無視する人。反応は様々だが、今の私にはどれも大した問題ではなかった。
人には人の都合がある。無視した人は、かつての私のように極度の人見知りなだけかもしれない。
笑顔の裏で、猛烈に機嫌が悪いことだってある。他人の心の本質なんて、私ごときがどれだけ裏を読もうとしても分かり得ないのだ。
そのとき、視界の端に尋常ではない輝きが映り込んだ。
「うわ、すご……」
思わず声が漏れた。そこにいたのは、燃えるような金髪と、吸い込まれそうな碧眼を持つ圧倒的な美少女だった。偶然、彼女の視線が私を捉える。
(ひっ……!)
一瞬、過去のトラウマが首をもたげ、目を逸らしそうになる。けれど私は、奥歯を噛み締めて光の中へと足を一歩踏み出した。ここで逃げたら、あの暗い部屋に逆戻りだ。
「おはようございます! 貴方もこのクラスなんですか? 私はこのクラスなんです! もしよければ仲良くしてください!」
これが、私と『王塚真唯』の、すべての始まりだった。
それからというもの、私の日常はフル回転の演算処理の連続だった。
友人との会話は、私にとってチェスの試合に近い。
相手の言葉を正確に受信し、意図を処理し、最適解の言葉を選んで出力する。その間も、声のトーンや目線の配り方をマニュアル通りにコントロールし続ける。
一言で言って、死ぬほど疲れる。だから私は、放課後や昼休みに、誰もいない静かな屋上で息を抜くのを日課にしていた。
フェンスに体を預け、流れる雲を静かに眺める。
「みんな、本当に凄いな……」
こんな命を削るような脳内処理を、世間の人々は「なんとなく」のノリや雰囲気でやってのけているのだ。
少しだけ劣等感がチクリと胸を刺す。けれど、裏を返せば、マニュアルであれ何であれ、これを完璧にこなせる今の甘織れな子は、ある種のプロフェッショナルとも言えた。
そう考えると自己肯定感が上がる。
「明るく、楽しそうに、ポジティブに。嫌なときは一言添えてスマートに退席。大事なのは事実じゃなくて感情の共有。テンプレを軸にカスタマイズして……いや、必要能力値高すぎでしょ。無理ゲーじゃん」
はあ、とため息を吐きながら、青空を見上げたそのときだった。
「れな子ぉおおおおお!!」
「えっ!?」
突如、屋上の扉が激しく開き、王塚真唯が姿を現した。彼女は美しい金髪を激しくなびかせ、まるで100メートル走のトップアスリートのような極限の美しいフォームで、猛然とこちらへ突進してくる。
整った顔を必死の形相に歪めた真唯は、速度を緩めることなく――私に向かって思い切りダイブした。
「ぶふぇっ!?」
ラグビーのタックル並みの衝撃。私を抱きすくめた真唯の慣性は止まらず、私たちはそのままフェンスを越え、校舎の外へと投げ出された。
「馬鹿ぁ!? なに!? なんなのこれぇええええ!?」
「れな子! 命を投げ捨ててはいけない!」
「アンタのせいで今まさに投げ捨てられてるんですけど!?」
「大丈夫だ、私はこれでも運が良い方なんだ!!」
「ゲームで一番役に立たない死にステータス!!」
ダークソウルとかで一番いらないやつ!!
重力に従って真っ逆さまに落ちていく視界の中で、私たちは校庭の大きな大樹の枝へと、派手な音を立てて突っ込んだ。
「……な? 大丈夫だったろう?」
木の枝に不格好に引っかかり、ぶら下がった状態のまま、真唯がドヤ顔で言った。
「声、めちゃくちゃ震えてますけど。……というか、なんで私に命がけのタックルをかましたの」
「いや……屋上の端で、今にも消え入りそうな顔で空を見つめる君が見えてな。てっきり、人生に絶望して飛び降りるのかと」
「普通に休憩してただけ……なんですよねぇ。そこに王塚さんがミサイルみたいに突っ込んできて、結果的に今、二人で落葉樹のオブジェになってるわけですけど」
真唯は絵画のように美しい顔をこれでもかと歪め、目に見えてしょんぼりと肩を落とした。
「つまり……私の、完全な早とちりか」
「大正解です」
けれど、私は小さく息を吐き、枝を掴む彼女の手をそっと握り返した。
「でも、嬉しかったよ。王塚さんが、そこまで本気で私のことを心配してくれて。私、本当にキャパシティが少ないからさ、人と喋りすぎると頭がパンクしちゃうんだ」
真唯は意外そうに、丸い目をさらに大きくした。
「君が? いつもあんなに元気で、視野が広くて、みんなのフォローをしてくれる君が、キャパが少ない? 本当にか?」
「そうだよ。私はノリとか流れを察するのが壊滅的に苦手だから。言葉のキャッチボールを全部、脳内のマニュアルをめくりながらやってるの。だから人一倍疲れるし、神経を使う。ここは、そのための息継ぎの場所だったんだ」
「そうだったのか……私はてっきり、君が私たちとの会話を心から楽しんでくれているものだと。そんなに気を遣わせ、追い詰めていたのだな……」
真唯の瞳に、深い陰りが差す。
違う。そういうことじゃないんだ。
話すのは疲れる。頭もフル回転だ。けれど、それが「嫌な苦労」だなんて一言も言っていない。
ここでちゃんと言葉を尽くさなければ、また過去のように、決定的なズレが生まれてしまう。
私は国の訓練を受けたんだ。誤解を恐れず、人と言葉を尽くすための技術を、あそこで学んだはずだ。
「違うよ、王塚さん。私は、みんなと話すことが大好きなの。疲れるし、すり減るけど、それでもみんなの輪の中にいたい。だけどね、私には『休憩』が必要なんだよ」
私は真唯の真っ直ぐな瞳を見つめ、自分の内側にある脆い部分を、静かに曝け出した。これこそが、私なりのスタイルであり、彼女への歩み寄りの提案だった。
「私はキャパシティが足りない人間だから、ずっと無理をして一緒にいると、いつか余裕がなくなって、誰かを傷つける言葉を使ってしまうかもしれない。それが怖い。みんなと長く、ずっと一緒にいたいからこそ、私は時々一人になって、心を充電しなきゃいけないの。……私の言いたいこと、伝わるかな?」
木漏れ日が、私たちの顔を斑に照らす。
私の不器用な告白を聞き終えた真唯は、優しく、けれど確かな強さで私の肩に手を置いた。
「君は……本当に、どこまでも真面目で、優しい人間なのだな」
その言葉に、私の張り詰めていた心が、今度こそ温かくほどけていくのが分かった。不格好に枝に引っかかったままの私たちだったけれど、吹いた風は、とても心地よかった。
関わりが見たいヒロイン
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王塚真唯
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瀬名紫陽花
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琴紗月
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小柳香穂