光のれな子   作:あばなたらたやた

11 / 46
8.1

 

 土曜日の午後。

 王塚真唯との蜜月から数日が経った頃、私は瀬名紫陽花さんをショッピングモールへ誘った。

 

「紫陽花さん、今日って暇? 遊びに行かない?」

 

 返事はすぐだった。

 

「……うん!」

 

 

 ショッピングモールのエントランスには、冬の柔らかな陽光がガラス屋根を通して降り注いでいた。

 約束より少し早く着いた私は、柱の陰にもたれながらスマートフォンを眺める。

 通知はほとんど来ていない。あるとしてもゲーム仲間からの「今夜やる?」くらいだ。

 それで十分だと思っている。

 ……そう思っているはずなのに、少しだけ胸の奥が寂しい。

 

 私は昔から、大人数より一対一の関係を好む。騒がしい輪の中よりも、静かに誰かと話している時間のほうが落ち着く。

 そんなことを考えていると、不意に視界の端でベージュ色の髪が揺れた。

 

「れなちゃん……!」

 

 小走りで近づいてくる紫陽花さんだった。

 腰まで届くウェーブヘアがふわりと揺れ、蜂蜜色の瞳が私を見つけた瞬間、ぱっと花が咲くように明るくなる。

 

「ごめんね、少し遅れちゃった!」

 

 息を切らしながら、それでも嬉しそうに笑う姿に、思わず私も笑みを返してしまう。

 

「大丈夫。私も今来たところ」

 

 本当は少し前から待っていた。でも、そんなことはどうでもいい。

 

「じゃあ、行こっか。今日はのんびり回ろう」

「うん!」

 

 私は自然に紫陽花さんの手を取る。外を歩いてきたばかりなのか、その手は少し冷たかった。けれど、指先が触れ合った瞬間、ゆっくりと温もりが伝わってくる。

 ……この子の体温は、不思議と安心する。

 そんなことを思いながら、二人で館内へ足を踏み入れた。

 

 最初に向かったのは三階のアパレルフロアだった。

 冬物セールの真っ最中らしく、店内には柔らかな色合いのニットやコートが並んでいる。

 紫陽花さんはさっそく淡いラベンダー色のニットを手に取り、鏡の前へ向かった。

 胸元にそっと当て、鏡越しに私を見る。

 

「……どうかな?」

 

 その瞳には期待と不安が半分ずつ混ざっていた。

 私は少し距離を置いて全身を眺める。

 肩幅や袖丈。色味。全体の雰囲気。

 少し考えてから頷いた。

 

「ラベンダーって優しい色だから、紫陽花さんの雰囲気によく合ってる。うん、すごく似合う」

 

 紫陽花さんの肩が小さく揺れる。

 

「首元も少し開いてるから重く見えないし、鎖骨もきれいに見える」

 

 私は微笑んだ。

 

「買っちゃえば?」

 

 その一言で、紫陽花さんの頬がほんのり赤く染まる。

 

「れなちゃんがそう言ってくれるなら……」

 

 彼女は照れくさそうに笑いながら、そのニットを胸に抱きしめた。その姿が可愛らしくて、胸の奥が少しくすぐったくなる。

 

 私はこういう時間が好きだ。誰かが私の言葉で安心して、小さく笑ってくれる時間。

 大きな出来事なんて何もない。それでも、この穏やかさが心地いい。

 

 次に向かったのは一階の物産展だった。

 

 焼き菓子の甘い香りとホットチョコレートの匂いが漂う会場を、二人でゆっくり歩く。

 試食でもらったクッキーを半分ずつ分け合いながら商品を眺めていると、視線を感じた。

 

 振り返る。

 紫陽花さんが私を見ていた。

 目が合うと慌てて逸らす。

 

「……どうしたの?」

「えっ、あ、その……」

 

 少し恥ずかしそうに笑ってから、小さく呟いた。

 

「れなちゃんが誘ってくれて、本当に嬉しかったの」

「そう?」

「うん。こういう時間、ずっと憧れてたから。」

 

 彼女は紙コップを両手で包み込む。

 

「可愛い女の子と一緒にお買い物したり、おしゃべりしたり……そういう普通の休日」

 

 少し照れたように笑う。

 

「私、すごく好き」

 

 私は自然と笑みがこぼれた。

 

「私も」

 

 その一言に、紫陽花さんの瞳が嬉しそうに細くなる。

 

「紫陽花さんと一緒だと落ち着く。静かで、安心するんだ」

 

 それは飾らない本音だった。

 私は賑やかな集団が少し苦手だ。人が増えるほど、無意識に気を遣ってしまう。でも、紫陽花さんの隣では違う。

 何かを演じる必要もない。場の空気を読む必要もない。ただ隣にいるだけで心が静かになる。

 それがひどく染み渡るのだった。

 夕方が近づき、私たちはコスメ売り場へ立ち寄った。

 紫陽花さんは淡いピンク色のリップを試している。

 

「……これ、どうかな?」

 

 鏡越しにこちらを見る。少し唇を尖らせたその仕草があまりにも無防備で、思わず見入ってしまった。

 

「うん。すごく可愛い」

 

 紫陽花さんが目を丸くする。

 

「自然な色だから肌にも合ってるし、笑ったときの柔らかさがもっと引き立つ」

 

 一拍置いて付け加える。

 

「……最高に紫陽花さんに似合っているよ」

 

 その言葉だけで、彼女は耳まで真っ赤にしながら俯いてしまう。

 

「れなちゃんにそう言われると……なんだか信じちゃうな」

 

 私は思わず苦笑する。

 本当に素直な子だ。だからこそ、放っておけない。そんな穏やかな時間は、不意に声をかけられて終わりを迎えた。

 

「よぉ、甘織。瀬名」

 

 振り向くと、クラスメイトの男子生徒が紙袋を片手に立っていた。

 少し照れくさそうに笑っている。

 

「珍しい組み合わせだな」

「こんにちは」

 

 軽く挨拶を返すと、私は彼の紙袋へ目を向けた。

 

「買い物?」

「ああ。彼女への誕生日プレゼント。」

 

 彼は嬉しそうに紙袋を掲げる。

 

「アクセサリーなんだけど、めちゃくちゃ悩んだ」

「へぇ」

 

 私は興味深そうに頷いた。

 

「どんなの選んだの?」

 

 彼が袋を開こうとした、その時だった。

 

「……れなちゃん」

 

 隣から小さな声が聞こえた。私はゆっくり振り返る。紫陽花さんは俯いたまま、スカートをぎゅっと握りしめていた。

 その手が、小さく震えていることに気づいた。

 

「ごめん! ちょっと用事があるんだ! 話はまた学校で聞くね!」

 

 そう言って、私達はその場から離れ、近くの本屋へ入った。そして本屋を出るころには、空はすっかり藍色へ変わっていた。

 

 ショッピングモールの自動ドアを抜けると、冷たい冬の空気が頬を撫でる。街灯が一つ、また一つと灯り始め、人々は家路を急いでいる。

 

 私たちは紙袋を片手に、ゆっくりと歩き始めた。紫陽花さんは、さっき買った哲学入門書を大事そうに抱えている。

 その表紙を指先でそっと撫でながら、小さく笑った。

 

「……ねえ、れなちゃん」

「ん?」

「れなちゃんって、どういう哲学が一番好きなの?」

 

 私は少しだけ空を見上げる。

 

「ニーチェかな」

「ニーチェ?」

「うん。特に『永劫回帰』と『超人思想』」

 

 紫陽花さんは目を丸くした。

 

「永劫回帰って……確か人生を何度でも繰り返すっていう考え方だよね?」

「そう」

 

 私は静かに頷く。

 

「もし、この人生を永遠に繰り返すことになったとしても、それでも『もう一度生きたい』って思える生き方をしよう、っていう問いなんだ」

「……すごいね」

 

 紫陽花さんは息を呑んだ。

 

「怖い考え方だけど……なんだか強いね」

「残酷だけどね」

 

 私は笑う。

 

「だからニーチェは『超人』を目指せと言った。他人に与えられた価値観じゃなく、自分自身で価値を作り出して生きろって」

 

 紫陽花さんは私の話を真剣に聞いていた。

 

「他には?」

「ソクラテスとか、アリストテレスとか」

「名前だけは聞いたことあるけど難しそう」

「そうだねぇ」

 

 私は少し身振りを交えながら話す。

 

「いきなり本を読むのは重いから、動画の解説から入るのも悪くないかな。でも、それだけで終わらないでほしい」

「どうして?」

「哲学って、人の答えを覚える学問じゃないから」

 

 私は少し熱を帯びた声で続ける。

 

「他人の解釈を借りるだけじゃなく、自分で考えることが大切なんだよ。『私はどう思うか?』『私は何を信じる?』そこまで行って初めて、自分の哲学になるし、面白さに繋がる」

 

 話している途中で、自分でも熱くなりすぎていることに気づく。

 

「あ……ごめん」

 

 私は照れくさく笑った。

 

「オタク特有の早口で語りすぎちゃった」

「ふふ」

 

 すると紫陽花さんは、小さく吹き出した。その笑顔は、昼間よりずっと柔らかかった。

 

「れなちゃんって、こういう話になると本当に楽しそう。」

 

 私は少し恥ずかしくなる。

 

「そんな顔するんだね」

「え?」

「普段は落ち着いてるのに、こうやって夢中になって話すれなちゃん……すごく好き。大好き」

 

 その一言に、不思議なくらい胸が温かくなった。

 

「真唯ちゃんも、こんなれなちゃんは知らないのかな」

 

 その言葉には、小さな独占欲が混じっていた。

 私だけが知っている顔。

 私だけが見られた表情。

 そんな小さな特別が、彼女にとっては嬉しかったのだろう。

 私はその気持ちを否定しなかった。

 

「ありがとう」

 

 そう言って、そっと彼女の手を握る。

 

「私も、紫陽花さんのことをもっと知りたい」

 

 彼女は嬉しそうに微笑み、小さく頷いた。

 冬の夜風が吹き抜ける。

 二人の影が街灯の下で静かに重なっていた。少し歩いたところで、紫陽花さんが立ち止まった。

 さっきまでの穏やかな空気とは違う。その横顔には、言葉にできない迷いが浮かんでいた。

 

「……れなちゃん」

「うん」

 

 彼女は制服の袖をぎゅっと握りしめる。

 

「私……さっき話したこと」

 

 学校のこと。

 弟たちのこと。

 優しい自分を演じ続けていること。全部を話したあとでも、まだ聞きたいことがあるらしかった。

 

「れなちゃんは…あの話を聞いて、どう思った?」

 

 私は少しだけ黙った。

 軽い言葉では返したくなかった。

 

「少し厳しいことを言うね」

 

 紫陽花さんは小さく頷いた。

 

「私はね、紫陽花さんは優しすぎるんじゃない。優しさだけで、自分を縛ってしまっているように見える」

 

 紫陽花さんの肩が震えた。

 私は続ける。

 

「本当は疲れてる。怒りもある。苦しい。なのに全部隠して笑う」

 

 私は彼女の目を見る。

 

「その状態を続けることは、自分自身への嘘になる。誤解を解く努力をしないまま『私は大丈夫』って振る舞い続けるなら周囲だけじゃなく、自分まで騙すことになる」

 

 私は責めているわけではない。だから声は穏やかであることに気をつけていた。

 

「そしてもう一つ」

 

 私は静かに言う。

 

「紫陽花さんは『優しくない自分を見せたら嫌われる』と、そう思い込んでる」

「……うん」

「でも、それは本当にそうなのかな」

 

 彼女は答えられない。

 

「私には見せてくれたよね。それで私は離れた?」

 

 紫陽花さんは首を横に振る。

 

「嫌いになった?」

 

 また首を振る。

 

「じゃあ」

 

 私は柔らかく微笑んだ。

 

「少なくとも、その思いは絶対ではない」

 

 彼女は小さく息を呑む。

 

「だから少しだけ試してほしい。」

 

 私は提案する。

 

「今日は疲れた。今日は無理。今は助けられない」

 

 その一言だけでもいい。

 全部背負わなくていい。

 

「それは逃げじゃない。自分を守ることは正当な権利なんだよ」

 

 紫陽花さんは涙を流しながら聞いていた。

 私はさらに続ける。

 

「誰かを助け続ける人ほど、助けてもらう練習をしなきゃいけない。だから私に頼って。甘えて。弱音を吐いてほしい。私は聞くから」

 

 紫陽花さんはとうとう嗚咽を漏らした。

 

「……ありがとう。ありがとうね、れなちゃん」

 

 その声は震えていた。

 

「私……悪い子になってみる」

 

 私は笑った。

 

「いいね。一緒に悪い子になろう。一緒に怒られよう。一緒に普通の人間になろう」

 

彼女は涙を拭きながら笑う。

 

「れなちゃんって、本当に変わってる」

「そう?」

「私の悪いところまで知って、それでも一緒に歩くって言うんだもん」

 

 私は肩をすくめる。

 

「悪いところじゃないよ。そういう部分も含めて紫陽花さんっていう人間。良い悪いとか、正しい誤ちとかではない。私はそう思ってる」

 

 長い沈黙が流れた。

 夜風だけが静かに吹いている。やがて紫陽花さんは、小さく息を吐いた。

 

「弟に……今日は疲れてるから無理って言ってみる」

「うん」

「クラスでも、全部私が何とかしようとは思わない」

「うん」

「怖いけど……少しずつやってみる」

 

 私は静かに頷いた。

 

「一緒に歩んで行こう。完璧じゃなくていい。少しずつ、自分を守る練習をしていこう」

 

 紫陽花さんは涙を拭き、ゆっくりと立ち上がる。さっきまで震えていた足は、まだ少し頼りない。

 それでも、一歩だけ前へ踏み出した。

 

「れなちゃん」

「なに?」

「私……れなちゃんのこと、大好き」

 

 私は少し照れながら笑った。

 

「私も紫陽花さんが大好きだよ」

 

 彼女は嬉しそうに笑う。その笑顔は、昼間の「みんなのための笑顔」ではない。ようやく、自分自身のために浮かべた笑顔だった。

 夜の街を歩く私達の影は、重なりはしない。けれど、その距離はもう、最初よりずっと近かった。

 

 誰かの期待に応えるためではなく。自分らしく生きるための一歩を踏み出した少女と、その隣を静かに歩く少女。

 冬の夜風は冷たかった。

 それでも二人の間には、確かな温もりが残っていた。

 

関わりが見たいヒロイン

  • 王塚真唯
  • 瀬名紫陽花
  • 琴紗月
  • 小柳香穂
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。