光のれな子 作:あーばれすと
9話は午前7時頃に投稿しているので、まずそちらをご覧ください
ごめんなさい、投稿する順番間違えました。
先に9話と9.5話を投稿してしまいました。瀬名紫陽花との会話がある8.9話が挟まりますので、読み返して頂けると幸いです
夕暮れの住宅街は、街灯の橙色がアスファルトに長く影を落とし、遠くの家の窓が一つずつ灯り始めていた。
風が冷たく、紗月の黒髪が肩を軽く揺らす。私は桃色のボブヘアを指で払いながら、彼女の横をゆっくり歩いていた。
紗月が足を止め、赤い瞳で私を振り返った。街灯の光が彼女の横顔を照らし、疲れと執念が同居する表情をより鮮明に浮かび上がらせる。
「……甘織には、私がどう見えてる?」
彼女の声は低く、抑揚が少ない。しかしそれはどこか探るような響きがあった。私は小さく息を吐き、隣に並び直した。
「精神分析、ってほど大げさじゃないけど……紗月の内側を、データとして観測はしている。完全に私見でも良いなら話すけど」
紗月さんは視線を逸らさず、静かに待つ。私は言葉を続けた。
「琴紗月の自己価値は、ほぼ完全に『王塚真唯との比較』でしか定義されてない。絶対的な基準じゃなくて、常に相対差で測ってる。だから、真唯が少しでも離れそうになると、パニックに近い執着が生まれる。『私が離れたら真唯が一人になるもしれない。だからついていく』っていう思い込みは、分離不安の変形だよ。真唯を『自己価値の鏡』として必要としてる……かな」
紗月さんは唇を軽く噛み、赤い瞳が揺れた。
「……それが、私の弱さだってことは、自分でもわかってる。でも……どうしたらいいかわからない」
私は静かに頷いた。
「きっと、真唯への感情を『押し殺してる』んじゃなくて、『燃料に変換してる』んだろうね。劣等感、無力感、疲弊、怒り……全部を『諦めないためのエネルギー』に変えてる。だから鋼の意志って言われる。でも、それは昇華じゃなくて燃焼。燃料が尽きれば崩壊する。持続不可能な構造」
紗月さんは小さく息を吐き、街灯の下で立ち止まった。
「……燃えてるのは、認める。でも、燃料にしないと歩けないのよ。感情を抑え込んで、鋼の鎧を着て、真唯の隣にいるしかない。……それが、私の生き方だったから」
私は視線を彼女に固定した。
「その鎧は強い。でも脆い。真唯という鏡がなくなったら、自己価値が消滅する。燃え尽き症候群のリスクが高い。努力の方向性が『真唯に勝つ/真唯の隣にいる』ことに固定されてるから、『自分のためだけの努力』がほとんどない。自己実現欲求が完全に抑圧されてる状態なんだ。だからこそ、危うい」
紗月は視線を地面に落とし、ゆっくり歩き出した。
「……自分のためだけの努力、か。……考えたこともなかったわね。全部、真唯のため、クラスが乱れないため、母が困らないようにするため。自分のために何かする余裕なんて、なかった」
私は隣に並び、静かに続けた。
「弱さを見せないのも、拒絶恐怖と自己価値崩壊恐怖の合わせ技のように感じる。弱さを見せたら『冷たい』『プライドが高い』って誤解が加速して、人間関係がさらに狭まるって恐れてる。でも、唯一私に対してだけ弱音を零すのは、『受け止めてもらえる安心』が安全基地として機能し始めた証拠だと、私は判断しているよ」
紗月さんは足を止め、私を振り返った。赤い瞳に、街灯の光が揺れる。
「凄い自信ね、貴方。でも確かにこれだけ本音を語るのは貴方だけかもしれない。貴方は受け止めてくれるのよね。改善案や応援とかではなく、ただ私の話を受け取ってくれる。そんな感触があるわ。少なくとも、甘織は私の正論を『冷たい』って言わない。『それも一つの見方だね』って受け止めてくれる。だから……私、甘織といると、少しだけ息ができる」
私は小さく微笑んだ。
「それが、救いの第一歩だよ。完全に一人で抱え込む構造から、少しずつ脱却できる可能性がある。真唯抜きで自分を価値づけられるようになること。感情を燃料じゃなく『感じるもの』として扱えること。弱さを安全に曝け出せる関係性を複数持てること。理想は高く困難だけど、琴紗月ならできると思うな」
紗月さんは唇を強く噛み、赤い瞳が潤んだ。
「……全部、難しいわ。でも……甘織がそう言ってくれるなら、少しだけ……信じてみたい。頑張りたい」
私は静かに頷いた。
「私は信じなくていい。ただ、試してみるだけでいい。燃え尽きる前に、感情は燃料以外にも使い道がると気づくだけでいい」
二人は、再び歩き出した。足音が重なり、風が冷たく髪を撫でる。沈黙は、いつもより少し重かった。でも、その重さの中に、互いの本質を認め合いながらも、どこか温かな理解があった。
「そう言えば、……甘織は、今日もクラスでみんなの間を取り持ってたね」
紗月さんがぽつりと口を開く。声は低く、抑揚がほとんどない。いつものクールな口調だが、どか捻くれた響きが混じっている。
「うん。いつものことだけど」
私が軽く返すと、紗月は小さく鼻で笑った。笑い声というより、吐息に近い。
「いつものこと、か。便利なポジションね。みんなが甘織がいると安心っていう沼に飲まれている。それを苦にも思ってないお気楽な精神が羨ましいわ。本当に」
皮肉の棘が、言葉の端に刺さっている。でも悪意ではない。ただの事実を、彼女なりのマイナスフィルターを通して吐き出しただけだ。
「羨ましい? 紗月さんも『鋼の意志』で前に進んでいるじゃん。ジャンルが違うだけでかなりの性能してると思うけど」
私が返すと、紗月は足を少し緩め、視線を地面に落とした。
「鋼の意志って、要するに『近寄りがたい』って意味でしょ。みんな、私のクールさを『冷たい』って言い換えて、距離を取る。負けず嫌いな努力家って聞こえはいいけど、実際はただの負け犬の遠吠えよ。王塚真唯に勝てない現実を、必死に努力で埋めようとしてるだけ。……でも、埋まらないのよ、永遠に。私が努力している時、王塚真唯も努力しているのだから」
彼女は自嘲的に唇を歪めた。赤い瞳が一瞬、地面に落ちる。夕陽が彼女の横顔を赤く染め、隠れた疲れをより鮮明に浮かび上がらせる。
「正論を言ったら、『そんな言い方しなくても』って言われる。『もっと優しく言ってよ』って。言い方変えても同じこと言ってるだけなのに。みんな、私と話すのは嫌がる。私の言葉は、みんなの甘い幻想を壊すから」
紗月は小さく息を吐き、歩調を少し速めた。私はそれに合わせて並び直す。
「紗月さんは、友だちがいないって思ってる?」
私が静かに聞くと、紗月さんは足を止めた。夕陽が彼女の背中に長い影を落とす。
「……いない。いるわけないでしょ。私みたいなのが、誰かと『仲良く』なんて無理。すぐに本音が出ちゃうし、相手の甘い部分を指摘してしまう。みんな、現実を見るのはイヤみたいね。だから甘織は例外よ。貴方は現実に対して誠実に生きている。だから私の言葉を嫌がらない」
「正直、雑談している時に正論ぶつけてくる人は嫌われるよね。そりゃあ。コミュニケーションは感情の交換だからね。目的に向かう議論とかなら大活躍できそうな気はするけど」
「雑談は苦手だわ」
「王塚真唯グループがそもそも、正論が通用するグループだから、紗月さんの空気読めないコメントがあっても回ってるところがあるもんね」
「え、甘織。貴方、私のこと空気読めないと思ってたの?」
「うん。雑談している時に解決策や思想を語るから、顔と体がよいだけのつまんねー女の子って思っているよ」
「それはそれでショックよ」
「そういうところも含めて私は紗月さんが好きだから安心して。好きな部分と嫌いな部分があるのは当たり前でしょ? 大丈夫。美点も欠点も私は紗月さんを愛しているから」
「人を駄目にするわね、貴方は」
最後の言葉は、ほとんど呟きだった。彼女の声に、ほんのわずかな震えが混じる。私は黙って歩き続ける。紗月の言葉は、いつもこうだ。マイナス思考が捻じれて、正論の刃になって返ってくる。でも、その刃についた血は彼女のものだ
沈黙が落ちる。足音だけが、コンクリートに小さく響く。街灯が一つずつ灯り始め、道はだんだん暗くなる。
「……ところで」
紗月が急に話題を変えた。声が少しだけ軽くなる。いつものように、話題を逸らすときの癖だ。
「最近読んだ本、何かある?」
私は小さく笑った。
「『ソラリス』、また読み返したよ。人間の孤独と、理解できない他者の話。レムが結局、人間じゃないって気づいて、絶望するところとか、好きなんだよねえ」
紗月が目を細める。
「そうね。レムは結局、人間じゃないって気づいて、絶望する。その気持ちを私は分かるかもしれない。ああいう、相手が『本当の自分』を理解してくれない絶望。私も本当の自分を見せられない。見せたら、きっと離れていく。だから、ずっと『健気な幼馴染』でいるしかない。皮肉で見窄らしい話ね。理解されたいのに、理解されたら終わりだなんて」
彼女の声に、かすかな苦笑が混じる。
「私が、誰かに本当の自分を見せたら、『そんな暗いこと言うな』って言われるだけよ。マイナス思考だって。……でも、マイナス思考じゃなかったら、私じゃないのに」
私は頷いた。
「紗月さんは『理解されたい』って思ってるんだね」
紗月は一瞬、言葉に詰まった。赤い瞳が揺れる。
「……思ってるわ。……でも、怖い。理解されたら、きっと嫌われる。私の捻くれた部分、正論で人を傷つける部分、全部見せたら……誰も残らない」
夕陽が完全に沈み、街灯の橙色の光が二人の影を長く伸ばす。
「次は、私がおすすめする本、貸してあげる。『異邦人』。カミュの。……紗月さんみたいな人に、ぴったりだと思う。世界が理不尽で、自分が異物みたいに感じる話」
紗月は小さく息を吐き、かすかに笑った。笑顔は少ない彼女の、珍しい、でも確かに温かな表情。
「……期待しないでおくわ。でも、読んでみる」
彼女は少しだけ歩調を緩め、私の横顔をちらりと見た。
「甘織は……私みたいなのに、なんで付き合ってくれるの?」
私は静かに答えた。
「紗月さんが、好きだから。捻くれてるけど、まっすぐで、嘘がないから。……それに、私も、紗月さんといると、少しだけ本音を出せる気がするし。だから紗月さんのことを好きになる努力をしているつもりだよ」
紗月は言葉を失い、ただ黙って歩き続けた。赤い瞳に、街灯の光が映る。二人は、暗くなり始めた道を、ゆっくりと並んで歩き続けた。足音が重なり、時折、風が二人の髪を優しく撫でる。
言葉はもう少ない。でも、その沈黙は、決して冷たくなかった。
琴紗月は言った。
「甘織は、紫陽花のことはどう考えているの?」
誤字修正ありがとうございます
関わりが見たいヒロイン
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王塚真唯
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瀬名紫陽花
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琴紗月
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小柳香穂