光のれな子 作:あーばれすと
翌日の朝、学校はまだ眠たげな静けさに包まれていた。
校舎の廊下には早朝の生徒がまばらで、足音が響くたびに少しだけ空気が震える。窓から差し込む朝陽は柔らかく、床に長い淡い影を落としていた。
教室に入る直前、私のポケットに小さな折り畳まれたメモが滑り込んできた。
差出人は一目で分かった。
『屋上へ。急ぎ。——紗月』
短い文面に、彼女のいつものクールさが滲んでいる。紗月さんが授業をサボらせるような真似をするなんて、珍しい。
それだけ、話したいことが溜まっているのだろう。屋上のドアを開けると、朝の冷たい風が頰を撫でた。
コンクリートの床は昨夜の雨で少し湿っており、足元に小さな水溜まりが残っている。
フェンス越しに校舎の屋根が広がり、遠くの街並みが朝霧にぼんやりと霞んで見えた。
紗月さんはすでにそこに立っていた。
深い漆黒のロングヘアが風に軽く揺れ、光の加減で青みがかった艶が一瞬だけ輝く。制服のリボンは固く結ばれ、スカートは規程どおり。
少し色褪せた生地が、彼女の貧乏を静かに物語っていたが、清潔感だけは完璧に保たれていた。
赤い瞳はいつも通りクールで、でもその奥に微かな疲れと苛立ちが沈んでいるのが分かった。
私がドアを閉める音に、彼女はゆっくり振り返った。
私は小さく息を吐いて、いつもの淡々とした声で切り出した。
「授業をサボらせるなんて、紗月さんらしくないね。それだけシリアスな話なんだろうけど……もしかして、ゲームの知識聞きたいとか?」
私は軽く笑って、フェンスに寄りかかった。朝の風が髪を乱す中、琴紗月は一瞬目を細めてから、静かに頷いた。
「そうね。アイスブレイクとして、ききましょう。所持しているキャラが消滅していくステージ、カマキリと円盤は粉砕したのに、シルバーになって復活してくるとか……ふざけてない?」
私は思わず吹き出しそうになった。
最新話のクエストでよくあるギミックだ。敵が形態変化して復活し、しかも所持サーヴァントが次々消滅していくやつ。
カマキリみたいな敵、UFOみたいな円盤、んでシルバーアーマーで蘇るパターン。
一気にストーリーを進めたプレイヤーほど、戦力不足で詰まる。
「あー、あれはねぇ。一気にストーリー進めた人ほど辛いよね。古参はキャラが揃ってるから戦力余らせることあるけど、最近始めた人が一気に進めると純粋に戦力足りないよね。特にイベント周回しない人とか、悲惨だよ」
琴紗月は腕を組んで、軽くため息をついた。白い肌が朝陽に透けて、目の下の薄いクマが微かに浮かんでいる。
彼女はいつも睡眠時間を削って勉強とバイトをこなしている。それでも表情は崩さない。
「ええ、カレイド持たせて宝具連射してたらキャラ不足になって詰んだわ。昨日こそは……敵を完全粉砕してやろうと意気込んで、勉強を終わらせてアプリ開いたのに」
「脳筋だ……まぁ、流石にいちいち礼装変えるの怠いもんね。カレイドでNPチャージして宝具ぶっ放し連発が楽だから、つい頼っちゃうよね」
紗月さんは小さく頷いて、視線をフェンスの向こうに移した。風が彼女の髪を優しく揺らし、黒髪が朝陽に青く光る。
「ええ、それも含めて。昨日こそ、敵を完全粉砕してやろうと意気込んで勉強を終わらせたのに……奴が来たわ」
「奴?」
紗月さんの声が、少し低くなった。赤い瞳に、静かな苛立ちと、どこか諦めのようなものが宿る。
「王塚真唯」
「あー、ちょっと察した。ごめん」
私は小さく頷いた。
昨日、教室で起きたこと。
真唯が帰国して私に飛びつき、私の家に遊びに行きたいと言った瞬間。紫陽花さんと紗月さんの険しくなった表情。
このクールな努力家が、朝イチで私を呼び出す理由は、それしかない。紗月はフェンスに両手をかけ、遠くの街並みをじっと見つめた。風が彼女の髪を乱し、制服のスカートを軽く揺らす。
彼女の背中はいつも通りまっすぐで、でも肩がわずかに落ちているように見えた。
「……あいつ、夜に突然家に途端、愚痴を垂れ流してあんな風に、当然のように……こういったわ」
言葉はそこで途切れ、紗月さんは唇を固く結ぶ。そして言った。
「好きではない人から抱かれる感覚を知りたい。君は私が好きだろう? しかし私は好きではない。だから抱いてほしい」
「は?」
…………うわぁ。
…………………うわぁ。予想外。馬鹿なんじゃないの?
さぁ、みんなで、せーの。
人の心ないンか?
「それはまた、はぁー」
屋上の空は、朝陽が昇りきって青みを帯び始め、遠くの雲がゆっくりと流れていた。冷たい風がフェンスの鎖を軽く鳴らし、琴紗月の黒髪を優しく乱す。
彼女は両手をフェンスにかけ、指を強く握りしめながら、赤い瞳を細めて私を見据えた。
その視線はいつもより鋭く、抑えきれない怒りが静かに燃えていた。
「……王塚真唯から全部話は聞いているけど……貴方からも説明しなさい。一方からの説明では、正しい情報は得られないのだから」
紗月さんの声は低く、抑揚を抑えているのに、底に潜む苛立ちが波のように伝わってくる。
色褪せた制服のリボンが風に小さく震え、彼女の白い肌に朝の光が透けて、目の下の薄いクマがよりはっきり浮かび上がっていた。
私はフェンスに背を預けたまま、ゆっくりと息を吐いて、視線を少し逸らした。
「……そうだね。でも、単純だよ」
私は朝の空を見上げてから、淡々と、でもはっきりと話し始めた。
「私の家で遊んでいたら……真唯に押し倒されて、エッチなことされそうになった。私が拒絶したんだけど、やめてくれなくて。そのまま妹に目撃されて……それで、恋人を解消したって感じ」
琴紗月は一瞬、息を止めた。赤い瞳がわずかに見開かれ、すぐに細くなる。彼女は唇を強く噛み、拳を握りしめた。指の関節が白くなり、フェンスの鎖が小さく軋む音がした。
「……それだけ?」
「うん。それだけ」
私は小さく頷いた。
紗月さんは深く息を吸い、ゆっくりと吐き出した。その息が、震えていた。
「……王塚真唯は、そんなことを平気でする人間だったのか。私が知ってる真唯は、わがままだけど……そんなに自分勝手で、人の拒絶を無視して、相手の気持ちを踏みにじるような……そんな人間だったのか……わからなくなったわ」
彼女の声が、徐々に低く、鋭くなっていく。怒りが、言葉一つひとつに重みを加えていた。
「私を『好きではない人』として道具みたいに扱うだけじゃなく、れな子に対しても、そんな強引に……拒絶を無視して、押し倒して……妹にまで見られて、関係を壊して……それで済むと思ってるの? あいつはいつもそうよ。
自分の欲求だけを優先して、周りを傷つけて、傷つけたことにすら気づかない。いや、気づいてても『仕方ない』って済ませるんだ。私の気持ちなんて、最初から眼中になかったみたいに」
紗月さんはフェンスを強く握り、肩が小さく震えた。赤い瞳に、怒りと失望が混ざり合い、薄い水膜が張る。でも、涙は決して零さない。
それは、彼女の最後の意地だった。
「……私があいつのためにどれだけ我慢してきたか。どれだけ自分を削って、そばにいようとしてきたか。貧乏で、時間も金もなくて、勉強もバイトも全部詰め込んで、それでも『私がいるから真唯は一人じゃない』って思わせてきたのに……あいつは、私を軽んじて、れな子を傷つけて……そんな人間のために、私がここまでしてきた意味なんて、もう……」
言葉が途切れ、紗月さんは唇を強く結んだ
。彼女の呼吸が、少し乱れている。風が強くなり、黒髪が顔にかかるのを、彼女は苛立たしげに手で払った。
「……ありがとう、れな子。ちゃんと話してくれて。これで、ようやく……あいつの本当の姿が、はっきり見えた。私がどれだけ努力しても、あいつは変わらない。私が我慢しても、あいつは私を当然のものとしてしか見てくれない。それが……分かった」
琴紗月はゆっくりとフェンスから手を離し、背筋を伸ばした。陽が彼女の横顔を照らし、深い漆黒の髪が風に舞う。
表情は再びクールな仮面に戻りつつあったが、その奥で燃える怒りは、静かに、激しく、消えることなく続いていた。
屋上の空の下で、二人の間に、重く、冷たい沈黙が降りた。遠くでチャイムが鳴り始め、授業の始まりを告げているのに、琴紗月はまだ動こうとしなかった。
彼女の赤い瞳は、ただ、静かに燃え続けていた。
「……友達やめるの? 真唯に失望した?」
「あいつは完璧じゃない。悪いところも、嫌なところも沢山ある。だけど頑張ってるやつではあるの。恵まれているだけ、それに報いるために。だから、迷ってる」
「そっか」
私は少し考える。
紗月さんの怒りの核心は、真唯の極端な無神経さと自己中心性だろう。
最も強い怒りを誘発するのは、真唯が紗月さんの気持ちを完全に無視して、自分の「自罰の道具」として紗月さんを利用しようとした点。
「お前は私のこと好きだろう?」という前提で話を進め、紗月さんが抱いているであろう純粋な好意や憧れを、冷徹に「利用可能な資源」として計算に入れている。
紗月さんの拒絶の可能性、傷つく可能性、倫理的な葛藤などを一切考慮せず、自分の罪悪感解消のために一方的に要求している。
これは「好きだという気持ちを踏みにじる行為」に他ならず、「自分の想いを都合よく消費された」と感じる。さらに「私は好きではない相手から抱かれる必要があるんだ」という発言は、紗月さんに対して「あなたは私にとって愛情の対象ではなく、ただの手段です」と明言しているに等しい。
これは、紗月さんが密かに抱いていたかもしれない淡い恋心や尊敬の念を、根こそぎ否定する残酷さを持つ。
怒りの質は軽蔑と侮辱感。
「紗月さんは、真唯に対して人をなんだと思っているんだって、思った?」
「ええ、その通りよ。それくらい通常の知能があれば語るまでないと思うけど?」
私は思わず、笑いそうになってしまった。急にクラピカみたいなことを言わないでほしい。
「貴方はどうするの? 甘織」
「うーん、少し喧嘩しようと思う。私の意思を無視して襲おうとするのは、まぁ良いけど、紗月さんへの言葉は酷すぎる。文句言わないと気がすまない。だからさ」
私は紗月さんに手を差し伸べる。
「一緒に文句を言いに行こう。喧嘩して、仲違いして、お互いに傷ついて、それでも友達でいたいと思うなら、みんなで三人でゲームをしよう」
関わりが見たいヒロイン
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王塚真唯
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瀬名紫陽花
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琴紗月
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小柳香穂