光のれな子 作:あーばれすと
被害者はそのまま病院へ行ったので、私達は保健室を借りた。
白いカーテンが、午後の柔らかな風にゆっくりと揺れていた。消毒液の匂いが薄く漂い、ベッドのスプリングが小さく軋む。
紫陽花さ?は膝を抱えて座り、ベージュの長いウェーブヘアが肩に乱れ、黄色い瞳は涙の跡で少し赤く腫れている。
指先がスカートの裾を握りしめ、震えが止まらない。私はベッドの前に立ち、桃色のボブヘアを軽く払ってから、
静かに隣に腰を下ろした。沈黙が重く落ちる。
紫陽花さんが、掠れた声で呟いた。
「……れなちゃん……私、みんなに悪いことしたのに……どうしてみんな、私を庇ってくれるの? 何の罪もない人が……あんなに傷ついてるのに……」
私は静かに息を吐き、視線を窓の外に向けた。夏の陽光がカーテンを透かし、部屋に淡い光の筋を落とす。
「……紫陽花さん。今は、何もしなくていいよ」
紫陽花さんが顔を上げ、私を見た。涙がまた一筋、頰を伝う。
「……でも……」
私はゆっくりと言葉を落とした。声は穏やかで、どこか遠くを眺めるような響き。
「こういうときは無理に抗わず、流れに身を任せるのが一番良いと思う。SNSの炎上が現実で起きているのと同じ。無用な燃料はまずい。それに今、紫陽花さんが傷ついているのも、みんなが過剰に守ろうとしているのも、少女ちゃんが怒りを爆発させたのも、タイミングが悪いだけだと思う」
紫陽花さんの瞳が揺れる。私は続ける。
「無理に止めようとすると、もっと歪む。無理に『私が悪い』って主張しても、周りがそれを認めず、罪のない娘が責められるか、新しい被害者が産まれる。それが今の均衡なんだ。今の流行とも言っていい……今は、ただ、そこにいるだけでいい。泣きたいなら泣いて、疲れたなら休んで。無理に正そうとしなくていいよ」
紫陽花さんは唇を噛み、涙を堪えきれずにまた零した。
「……でも、あの子が……」
「被害者ちゃんの怒りも、自然だよ。溜まっていたものが、溢れただけ。紫陽花さんが悪いわけじゃない。ただ、タイミングが悪かっただけ。しょうがない。そういうもの」
私は紫陽花さんの震える手に、自分の手をそっと重ねた。
「今は、何もしない。時間の流れが、いつか均衡に戻すのを、静かに待つ。それでいい。それをするべきだ」
紫陽花さんは私の手を握り返し、ゆっくりと頷いた。肩の震えが、少しずつ収まっていく。
「……れなちゃん……ありがとう……慰めてくれて」
私は小さく微笑み、彼女の肩に軽く頭を寄せた。
「うん。……今日は、ただここにいよう」
保健室の静けさの中、カーテンがまた優しく揺れる。夏の陽光が二人の影を長く伸ばし、部屋を淡く照らした。何もせず、ただそこにいる。
それが、今の最善だった。
「でもね……れなちゃんの言うこと、わかるよ。無理に抗わなくていい、流れに任せていいって……今はただ、泣いて休んで、時間で問題が収まるを待てばいいんだよね」
彼女は指先でスカートの裾を強く握りしめ、視線を床に落とした。
「でも……私、それじゃだめだと思う」
紫陽花さんはゆっくりと顔を上げ、私をまっすぐ見た。涙がまた一筋落ちるが、声にはかすかな力が戻っていた。
メンタルが強い。悪い意味で。
「流れに任せて、ただ待ってるだけじゃ……責められた子の傷は癒えないよ。私が忘れたせいで、彼女があんな目に遭った。みんなが私を庇ってくれるのも、優しいからじゃなくて……『優しい紫陽花』でいなきゃいけないって、みんなが思ってるからでしょ?」
「え、うーん。そうかな」
「そうなんだよ、そうじゃなきゃ、駄目」
彼女の声が、少しずつ大きくなった。
「静かに、見守る。自然であること。均衡を待つこと……それはきっと正しい。でも、私が動かなかったら、被害者の痛みは、ずっと残ったままなんだよ。流れに任せて、私が何もしなかったら……それは、私がまた『誤解』を放置したことになる。嘘をつき続けたことになる」
紫陽花さんは唇を噛み、震える手で涙を拭った。
「れなちゃんの言う言葉は、きっとすごく優しい現実な案なんだと思う。でも、私には……それじゃ足りない。私のせいで誰かが傷ついたのは、私のミスなんだから。私が自分で、ちゃんと謝って、ちゃんと向き合わなきゃ。流れに任せるんじゃなくて、私が流れを変える必要がある」
彼女はゆっくりと立ち上がり、膝の震えを抑えながら、私に向き直った。
「……ありがとう、れなちゃん。今は泣きたい。凄く泣く。でも、泣いたあとで……私は動くよ。悪者にした子に謝って、みんなに本当のことを伝えて、私の責任をちゃんと取る。それが、私のするべきことなんだと思う」
紫陽花はさゆ小さく、でも確かに微笑んだ。涙の跡が残る頰に、かすかな決意が浮かぶ。
私は思わず、顔をしかめる。
「れなちゃんはどう思う?」
「それは間違っているよ。痛みが伴う上に、意味がなく、傷つくだけ。私はその可能性が高いと思う。被害者の子からは面会拒否されるか、罵倒される。みんなからは偽善者扱い。孤立する。弾き出される。善人という評価は反転して、強い悪人というレッテルがついて回る。反転アンチの力は怖いよ。紫陽花さんの精神は酷く歪む」
「そうかもしれない。私も怖いし、やりたくない。でも、でも、これは駄目だと思う。正しくなくても、優しくなくても、みんなに誤解させたまま優しい人間という評価を得続けるのは卑怯だし、卑劣だと思うんだ。でも、怖い。一人になるのは怖い」
泣きそうな笑顔で、紫陽花さんは言った。
「れなちゃん。一緒に悪い子になって、苦しんでもらえないかな」
「……はぁ。しょうがないなぁ。しょうがないよね。紫陽花さんのお願いだもんね。あー、嫌だ嫌だ。なんで非効率でわざわざこんな、面倒な立ち回りをしなくちゃいけないのかな」
私は嫌味を言う。
「でも、良いよ。一人ぼっちは寂しいからね。それに」
「それに?」
「紫陽花さんとは友達だからね。地獄くらいまでなら付き合うよ」
私からの非難轟々、罵詈雑言を受けて、紫陽花さんは儚く笑う。
「ありがとう、れなちゃん」
私は静かに頷き、彼女の手を取った。
「あ、でも交換条件」
「なに?」
「私と一緒にゲームをすること!」
保健室の静けさの中、カーテンが優しく揺れる。夏の陽光が窓から差し込み、二人の影を長く伸ばした。
紫陽花は、もう泣き止んでいた。
関わりが見たいヒロイン
-
王塚真唯
-
瀬名紫陽花
-
琴紗月
-
小柳香穂