光のれな子   作:あばなたらたやた

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 旅館の楽しい時間は、あっという間に終わった。翌朝、私たちはチェックアウトを済ませ、駅に向かうバスに揺られていた。

窓の外を流れる山の緑が、次第に街の灰色に変わっていく。

 

 バスの中はエアコンの効いた冷たい空気で、座席のシートが少し硬く、背もたれに体を預けると、昨日の疲れがじんわりと体に染みてくる。

 

 紫陽花さんは隣の席で、膝の上に置いた小さな鞄をぎゅっと抱え、窓の外をじっと見つめていた。

 黄色の瞳には、決意と不安が混じり合っていた。

 時折、指先が鞄の持ち手を強く握りしめ、白くなるほど力を込めているのが見えた。家に帰るという現実が、二人を静かに包んでいた。夏休み前という時期もあって、学校からの連絡と警察の捜索はすでに本格化していた。

 

 紫陽花さんの家には「行方不明者発見」の一報が入り、

 私の家にも「保護者への事情聴取」の連絡が入っていたらしい。包丁を持って学校に侵入し、自殺を図ろうとした映像は、監視カメラにしっかりと残っていた。

 

 もう言い訳はできない。

 大事になってしまった。

 学校はもちろん、警察も、保護者も、すべてが動き始めている。逃げ場は、もうどこにもなかった。バスが紫陽花さんの家の最寄り駅に着いたとき、

 彼女は深く息を吸い、私の手を握った。

 その手は、少し冷たく、少し震えていた。

 

「ねぇ、れなお姉ちゃん。お願いがあるの」

 

 私は静かに彼女を見た。

 

「なに?」

「お母さんとお父さん。そしてチビ達に……『辛かった。これからはもっと私のことを助けてほしい』と言うときに、隣にいてもらえないかな?」

 

 私は少し考えて、すぐに答えた。

 

「いいよ。でも、どうして?」

 

 紫陽花さんは小さく笑った。少し泣きそうな、でも強い笑顔だった。唇の端がわずかに震え、目尻に涙が溜まりそうになるのを、必死に堪えている。

 

「理由を聞く前に即答するの、れなお姉ちゃんらしいね……勇気が欲しいの。今の私は弱くて、優しいだけの臆病者だから。れなお姉ちゃんから、勇気を分けてほしい」

 

 私は彼女の手を握り返した。冷たい指先を、温めるように包み込んだ。

 

「私は何も言えないよ。今の紫陽花さんを見た上で、他所様の家庭の事情に口を挟む必要性を感じない」

「うん。何も言わなくて良い。ただ一緒にいて、手を握っていてほしい。勇気。最初の一歩を踏み出す勇気を分けてほしい。あとは私が頑張る」

 

 私は静かに頷いた。

 

「わかった。がんばれ」

 

 紫陽花さんの家は、住宅街の少し奥まった場所にあった。

 一軒家の前に立つと、玄関のドアが勢いよく開き、母親が飛び出してきた。後ろから父親と、三人の弟たちが顔を覗かせている。母親は紫陽花さんを見るなり、泣き崩れた。

 

「紫陽花……! 無事でよかった……! どこに行ってたの……! 心配して、毎日泣いてたのよ……!」

 

 父親は目を赤くしながら、声を震わせた。

 

「紫陽花……本当に、無事でよかった……警察にも連絡して、学校にも……もう、二度とこんなことしないでくれ……」

 

 弟たちは一斉に駆け寄り、

 

「ねえちゃん!」

「お姉ちゃん!」

「帰ってきた!」

「どこ行ってたの!?」

 

 と叫びながら、紫陽花さんの足にしがみついた。小さな手が、彼女のスカートをぎゅっと掴む。紫陽花さんは、涙をこらえきれず、家族みんなを抱きしめた。

 母親の背中、父親の肩、弟たちの頭。

 全員を一度に抱きしめようとして、体が震え、嗚咽が漏れた。私は少し離れて立っていた。彼女の手を、そっと握り続けていた。紫陽花さんの指が、私の指に絡みつき、強く、強く、握り返してくる。家族の感情が一気に溢れ出す。怒り、悲しみ、安心、安堵、愛情。

 泣き叫ぶ声、抱きつく腕、震える肩。

 リビングに移動し、家族全員が座卓を囲んだ。

 私は紫陽花さんの隣に座り、彼女の手を握り続けていた。紫陽花さんは、震える声で話し始めた。

 

「みんなに聞いてほしいの。私が逃げたその理由と、今度は逃げ出さず、頑張る為に」

 

 彼女は深く息を吸い、ゆっくりと、言葉を紡いだ。

 

「私、ずっと我慢してた。みんなの笑顔を守りたくて、自分の気持ちを後回しにしてた。でも、もう限界だったの。

怒ったり、疲れたり、辛かったりする自分を、許せなくて……だから、逃げた」

 

 母親は涙を拭きながら、

 

「ごめんね、紫陽花……気づいてあげられなくて……お母さんがもっと話を聞いてあげてたら……」

 

 父親は深く頭を下げた。

 

「俺たちも、もっと話を聞くべきだった……お前がそんなに苦しんでたなんて……本当に、ごめん」

 

 弟たちは泣きじゃくりながら、

 

「お姉ちゃん、ごめんね」

「お姉ちゃん大好きだよ」

 

 と口々に言った。紫陽花さんは、涙を拭いながら、でもはっきりと続けた。

 

「これからは、もっと私のことを助けてほしい。一人で全部抱え込まないで、みんなで分担して、みんなで笑えるようにしたい。私も、もっと自分の気持ちを言えるようになるから……お願い」

 

 家族は一斉に頷いた。

 

「わかった」

「一緒に頑張ろう」

「お姉ちゃん、大好きだよ」

「これからは俺たちが手伝う!」

 

 感情と感情がぶつかり合い、泣き、怒り、笑い、そして、抱き合う。細かいルールや仕組みの話し合いは後回しで、まずは、感情の交換だった。私は何も言わなかった。

 

 ただ、紫陽花さんの手を握り続け、彼女が最初の一歩を踏み出すのを、静かに見守った。家族会議が終わった後、玄関で紫陽花さんが私を見送ってくれた。彼女は少し腫れた目で、でも笑顔で言った。

 

「れなちゃん、ありがとう。苦労かけちゃったね」

 

 私は軽く首を振った。

 

「いいよ。紫陽花さんが、一歩踏み出せたなら、それで十分」

 

 紫陽花さんは、私の手をぎゅっと握った。

 

「これからも、よろしくね。れなお姉ちゃん」

「うん。こちらこそ」

 

 私は彼女の手を離し、ゆっくりと歩き出した。背後で、紫陽花さんの家族の笑い声が聞こえた。小さな弟たちの「ねえちゃん、帰ってきてよかった!」という声、母親の「これからはもっと話そうね」という優しい声、父親の「これからは俺がもっと家事を手伝うからな」という力強い声。

 私は家に向かう道を歩きながら、少し面倒な言い訳を考えなければいけないことを思い出した。

 

 怒った母と、妹への説明。

 学校への報告。

 警察への事情聴取。でも、なぜか気持ちは晴れやかだった。紫陽花さんが、自分の人生の主軸を、少しだけ、自分で見つけたから。私は、空を見上げた。夏の空は、どこまでも青く、これから始まる何かを、静かに待っているようだった。紫陽花さんの新しい一歩が、これからどんな道を描くのか。

 

 私は、そっと見守り続ける。

 彼女の優しさが、自分自身を傷つけないように。

 彼女の笑顔が、

 ずっと続くように。歩きながら、私は小さく、微笑んだ。

 

 

 紫陽花さんからの長文メッセージが届いた。

 

 家族の成長過程は、紫陽花さんが家に戻ってから始まった。

 最初の一週間は、嵐のようだった。

 紫陽花さんの帰宅したその日の夜、リビングは感情の坩堝と化したらしい。

 

 母親は泣き崩れ、父親は声を震わせ、弟たちは混乱と安堵で泣き叫んだ。

「どこに行ってたの?」

「心配したんだぞ!」

「お姉ちゃん死んじゃうかと思った……」

 

 そんな言葉が飛び交い、誰もが一斉に感情をぶつけ合う。紫陽花さんはただ座り、家族の言葉をすべて受け止めながら、「ごめんね」「でも辛かった」「これからはちゃんと話すから」と繰り返した。

 

 私は隣に座り、彼女の手を握り続けていた。家族は私を「紫陽花の大切な友達」として認識し、口を挟むことはなかったが、視線は時折私の方へも向けられた。

 

「あなたがいてくれて、本当にありがとう」という母親の言葉が、何度も聞こえた。

 翌日からは、怒りと反省の波が交互に訪れた。母親は「私がもっと話を聞いてあげてれば……」と自分を責め、父親は「仕事ばかりで、家庭を顧みなかった」と頭を下げた。

 

 弟たちは最初こそ「お姉ちゃんがいなくなったのは俺たちのせい?」と怯えていたが、

紫陽花さんが「みんなのせいじゃないよ。私が一人で抱え込んでただけ」と説明すると、少しずつ態度を変え始めた。

 

「じゃあ、俺がゴミ出しする!」

「俺がお風呂掃除するよ!」

 

 小さな約束が、次々と生まれていった。

 二日目が過ぎる頃、家族は初めて「家族会議」という形を取った。リビングの座卓を囲み、父親が「これからはルールを決めよう」と提案した。

 紫陽花さんは緊張しながらも、はっきりと言った。

 

「家事はみんなで分担したい。私が全部やるんじゃなくて、みんなが少しずつやってくれるだけで、すごく楽になる。あと、私が怒ったり疲れたりしたときは、『今はちょっと無理』って言ってもいいようにしてほしい」

 

 母親は涙を拭きながら頷いた。

 

「わかった。お母さんも、もっと紫陽花の話を聞くよ。仕事の愚痴も、全部話してね」

 

父親はメモを取りながら、「家事分担表を作ろう。俺も土日は家にいるから手伝える筈だ」

 

 弟たちはまだ幼いが、真剣に頷いた。

「俺、洗濯物畳むのやる!」

「俺はお皿洗う! あとゴミ捨て!」

 

 小さな約束が、積み重なっていった。

 1週間後。家の中の空気が、少しずつ変わり始めた。紫陽花が帰宅すると、母親が「おかえり、今日はどうだった?」と笑顔で迎える。父親は仕事から早く帰り、夕飯の支度を手伝うようになった。弟たちは、紫陽花さんが宿題をしている横で、自分たちの宿題を黙々と進める。

 

「ねえちゃん、わからないところ教えて!」と甘えてくることもあるが、以前のように「全部お姉ちゃんに任せる」ではなく、

「一緒にやる」という姿勢に変わっていた。

 

 紫陽花さん自身も、少しずつ変わっていった。以前は怒鳴ったり、きつく叱ったりしていたが、今は「ちょっと待って、今は疲れてるからあとでね」と、自分の限界を言葉にするようになった。

 

 家族は最初こそ戸惑ったが、「わかった」「じゃあ後でね」と受け入れるようになった。

 

 2週間後。家族会議は、週に一度の習慣になった。座卓を囲み、「今週の良かったこと」「大変だったこと」「次に変えたいこと」を順番に話す。

 

 紫陽花は「みんなが手伝ってくれるから、すごく楽になった」と笑う。

 母親は「紫陽花が笑顔で帰ってくるのが、一番嬉しい」と言う。

 父親は「俺も、家族の時間を大切にしようと思うようになった」と頷く。

 

 弟たちは「ねえちゃんに怒られなくなった!」「でも寂しい!」と笑いながら言う。紫陽花の黄色の瞳は、以前よりずっと明るく、

穏やかになっていたようだ。

 

 紫陽花からメッセージの最後には私への感謝が綴られていた。

 

「れなお姉ちゃん、今日、家族みんなでご飯作ったよ。私、初めて『今日はちょっと疲れたから、明日のご飯はみんなで考えて』って言えた。みんな『わかった』って言ってくれて、すごく、嬉しかった。ありがとう。れなお姉ちゃんがいてくれたから、最初の一歩を踏み出せたよ」

 

 私はスマホの画面を見ながら、小さく微笑んだ。

 紫陽花さんの家族は「完璧な家族」になったわけではない。まだ、時にはぶつかり、時には疲れ、時には後悔する。でも、感情を隠さず、声を出し合い、互いに支え合うという、小さな習慣が根付き始めていた。

 

 それは、「家族」という小さな社会が、初めて「対等に話し合う」ことを学んだ瞬間だった。

 私は返信を打った。

 

「よかったね。これからも、ゆっくりでいいよ。紫陽花さんのペースで」

 

 送信ボタンを押した後、私は窓の外を見た。夏の空は、どこまでも高く、澄んでいた。

 

 紫陽花さんの新しい一歩は、まだ始まったばかりだ。でも、その一歩は、確実に、彼女の人生を変え始めている。

 

 私は、心の中で静かに願った。

 

 この家族がこれからも、笑い合い、支え合い、健やかに成長していけますように。

 

 

 夜中に連絡が来た。

王塚真唯『やぁ、れな子。少し相談したい事があるんだ』

琴紗月『甘織。キングゴミへの報復を一緒に考えなさい』

 

 …………一難さってまた一難。

 キングゴミって言葉通りの罵倒と、キング(王)と貝『塚』(縄文時代のゴミ捨て場)で、王塚と掛かっているのは割と余裕ある紗月さんからの連絡だった。

 上手くないが。

 運命の輪で轢き殺すのだろうか。

関わりが見たいヒロイン

  • 王塚真唯
  • 瀬名紫陽花
  • 琴紗月
  • 小柳香穂
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