光のれな子   作:あばなたらたやた

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 じゅうじゅうと激しく音を立てて、網の上で脂を爆ぜらせる肉を見つめながら、私はトングを握る手に必死に力を込めていた。

 

 王塚真唯からの『やぁ、れな子。少し相談したい事があるんだ』という、いつも通りスマートで、だからこそこちらの心臓を跳ね上がらせる少女漫画の王子様さながらのメッセージ。

 

 そして、琴紗月からの『甘織。キングゴミへの報復を一緒に考えなさい』という、文字面だけで物騒な気配が伝わってくる、バイオレンス極まりない呼び出し。

 

 スマホの画面に並んだ、私を求める二つの通知。それらを目にした瞬間、私のキャパシティは完全に限界を迎えていた。逃げ出したい。どこか遠くへ、誰も私を知らない場所へ。

 

 そんな身勝手な衝動の末、私が頼ったのは――紫陽花さんだった。

 気づけば私は、夕暮れの街で紫陽花さんを連れ立ち、煙が立ち込める焼き肉屋のボックス席に立てこもっていた。

 

「紫陽花さん、肉を食べるように」

「えぇ?」

 

 網の上でちょうど良く色づいたカルビを、私はトングで乱暴に掴むと、紫陽花さんの取り皿へ強引に放り込んだ。息を吸う暇もないほどに、頭に浮かんだ言葉をまくしたてる。

 

「肉を食べて。焼き肉屋で野菜とか頼む必要はないからね。野菜が食べたいなら焼き野菜屋に行けばいい。大丈夫、私に任せて。私が焼くから。若いうちはとりあえずお肉だ。肉を食っていれば人間は幸せになれる。若造でも老人でも人生に悩みは尽きないとは思うけど、しかし美味しい肉を食えばそんな悩みは全て解決する。さぁ、お肉を食べて」

 

 我ながら何を言っているんだ。完全に支離滅裂だ。肉を食えば解決するなんて、どこの脳筋の台詞だろう。だけど、そうやって口を休まず動かして、手をがむしゃらに動かして、目の前の肉を焦がさないように焼くことだけに脳の全リソースを割いていないと、私の頭は今すぐどうにかなってしまいそうだった。何も考えていたくなかった。

 

 そんな私の、明らかに尋常ではない動揺を、紫陽花さんが見落とすはずもなかった。

 紫陽花さんは、ウェーブのかかった柔らかなクリーム色の髪を、愛おしそうに細い指先で撫でながら、困ったような、だけどすべてを見透かしているような苦笑いを浮かべている。

 

「ふふ、ありがとう、れな子ちゃん。じゃあ、お言葉に甘えて、遠慮なくいただくね」

 

 ふわりと、まるでお日様のような温かい微笑みをたたえて、お肉を小さなお口へ運ぶ紫陽花さん。その一挙手一投足が、私にとっては救いの聖母のように神々しくて、その姿を見ているだけで、私の荒みきった心がほんの少しだけ洗われるような気がした。だけど、私の内側に沈殿しているドロドロとした暗い泥は、お肉の香ばしい煙くらいじゃ消えてはくれない。

 

 真唯も、紗月さんも、そして今私の目の前にいる紫陽花さんも。

 みんな本当に可愛くて、優しくて、魅力的な女の子たちだ。

 それなのに、そんな彼女たちから真っ直ぐに向けられる好意が、今の私には酷く重く、息苦しいものに感じられてしまう。

 

 期待に応えたい。誰も傷つけたくない。みんなの笑顔を見ていたい。そう願えば願うほど、私は自分の手足に自ら鎖を巻き付けていく。

 

 身動きが取れなくなって、雁字搦めになって、底なしの沼にゆっくりと沈んでいくみたいに、心も体もすり減っていく。

 

 みんなを大切に思っているはずなのに、スマホに届く彼女たちからの連絡に、なんとなく逃げ出している自分が、たまらなく嫌で、醜くて、最低だと思った。

 気付けば、私の手からトングの感覚が消えていた。無意識にそれをテーブルへと置き、私は膝の上で拳を握りしめたまま、俯いてポロポロと、胸の奥底に溜まっていた暗い本音を溢していた。

 

「なんか、全体に面倒になってきちゃった。人に愛されるのは嬉しいし、人のために行動するのに疑いはない。自分の在り方にも自信はある。でも、最近は多すぎる。キャパシティオーバーが近い気がする」

 

 グリルの熱気が容赦なく顔を打つ。その熱さが、自分の身勝手さを責め立てられているようで、今すぐこの床の隙間にでも消えてしまいたかった。すると、ジュウジュウという肉の焼ける音の向こうから、カサリ、と静かで優しい音が聞こえた。

 

 紫陽花さんが横に座り直して、私の震える手を、彼女の両手でそっと包み込んでくれたのだ。紫陽花さんの手のひらは、驚くほど温かかった。

 

「いいんだよ、それで。それを言える相手に選んでくれたこと、光栄に思う」

 

 私の歪んだ告白を遮った紫陽花さんの声は、どこまでも穏やかで、深く、柔らかかった。

 

「れなちゃんはね、強すぎる。現実を見て、行動できる人。それはちっとも悪いことじゃない」

「そうなんだけどね、ほんとに」

「私も真唯も紗月ちゃんも、れなちゃんを困らせちゃうことが多い。そんな風に疲れてしまうくらいなら……私たちは、少し頼るのを我慢するのなんてぜんぜん平気なんだよ? もっと私たちを信じて。れなちゃんは、もっと自分のために、少しだけ弱くなっていいんだよ」

 

 そう言って覗き込んできた紫陽花さんの潤んだ瞳が真っ直ぐに私を捉える。

 

 その綺麗な瞳には、私が恐れていた私の醜い内面なんて一切映っていなくて、ただただ愛おしそうに、全肯定の光を宿して私という存在を包み込んでくれていた。

 

 ずるいなぁ、紫陽花さんは。

 こんな風に、絶対的な優しさで諭されたら、私が必死に鍵をかけて閉ざしていた心の扉なんて、簡単に、跡形もなく開いてしまう。この温かさに、ずっと甘えていたくなってしまう。

 

「……紫陽花さん」

「ん、どうしたの?」

「……その、感動的なところ申し訳ないんですけど……お肉、焦げちゃいます」

「あ、本当だ! 大変、私のカルビが真っ黒になっちゃう! れなちゃん、早く、早く裏返して!」

 

 さっきまでの聖母のような雰囲気をどこかへ吹き飛ばし、慌ててトングを握り直してバタバタとする紫陽花さん。その姿を見ているうちに、私の胸の奥にずっと閊えていた冷たい塊が、すとんと腑に落ちて、溶けていくのが分かった。

 

 スマホの中の人間関係は相変わらず複雑なままだし、抱えている悩みは何一つ具体的な解決はしていない。

 

 明日になれば、また真唯や紗月と向き合わなきゃいけない現実が待っている。だけど、紫陽花さんの温かい手に、その言葉に絆された私の心は、店に入ったときよりもずっと軽くなっていて。

 

「お肉が真っ黒だ。流石にこれは……食べれないね。ご飯を無駄にしちゃって申し訳ないな」

「そうだね、今度こそ私が美味しく育てますから」

 

 私は少しだけ心から笑って、もう一度トングを強く握り直した。

 

関わりが見たいヒロイン

  • 王塚真唯
  • 瀬名紫陽花
  • 琴紗月
  • 小柳香穂
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