休日の朝。
スマホに届いた一通のメッセージ。差出人は紫陽花さんだった。
内容は簡潔。
『お時間がありましたら、水族館へ行きませんか』
それだけ。
余計な装飾もなければ、長文でもない。実に紫陽花さんらしい。
私は予定を確認する。空白だった。
特に問題はない。
『ぜひ』
そう返信した。少しだけ文面を見返してから、スマホを置く。だから当日、水族館の前で起きた事態には少し驚いていた。
待ち合わせ場所。
休日ということもあり、人通りは多い。
家族連れ。
恋人同士。
学生グループ。
様々な人々が入口へ吸い込まれていく。中に、柔らかな雰囲気を纏った少女がいた。
紫陽花さん。
私服姿。
普段の制服とは印象が違う。落ち着いた色合いの服装は彼女の穏やかな空気によく似合っていて、どこか大人びた優しさを感じさせる。
肩口で揺れる長い髪。
風に揺れるスカート。
自然体なのに目を引く装い。
普段から綺麗な人は、私服でも綺麗らしい。
なるほど、勉強になった。
そんなことを考えていると、紫陽花さんがこちらに気付いた。
「こんにちは」
少し控えめな声。
「こんにちは」
私も軽く頭を下げる。
お互いに数秒沈黙した。たぶん、お互いに服装を見ていた。私も普段よりは整えている。カジュアル。けれど適当ではない。失礼にならない程度には気を使ったつもりだ。
「その……」
先に口を開いたのは私だった。
「今日の服、似合ってるね」
言った瞬間、少し早かったかもしれないと思った。だが紫陽花さんは目を丸くしたあと、小さく視線を伏せる。
「ありがとうございます」
耳が少し赤い気がした。
「れなちゃんも、その……とても素敵だと思います」
「ありがとう」
今度は私が少し照れる番だった。
また沈黙。
気まずいわけではない。ただ、お互いに次の言葉を慎重に選んでいるような時間だった。
「驚いた」
紫陽花さんがぽつりと言う。
「んん?」
「お誘いをいただけるとは思っていませんでしたので」
私は首を傾げた。
「いや、誘ったのは紫陽花さんじゃないの?」
紫陽花さんも同じように首を傾げる。
「……えぇ、あれ、私?」
「メッセージをくれたよね?」
「うん。でも、れなちゃんが以前、水族館のお話をしてなかった?」
「ああー、なるほど」
「だから、一緒したいという気持ちの表れかなって、判断したんだけど」
数秒。
思考停止。
理解。
再起動。
「もしかして」
「うん」
紫陽花さんが静かに頷く。
「お互いに、相手から誘われたと思ってみたい」
私は思わず笑ってしまった。
紫陽花さんも少しだけ口元を緩める。
「そんなことあるんだ」
「不思議だね」
「かなり不思議」
風が吹く。
紫陽花さんの髪が揺れる。彼女はそれを耳にかけながら、少しだけこちらを見る。
「ご迷惑でしたか?」
遠慮がちな問いだった。だから、すぐに首を振る。
「全然」
「……そうですか」
ほっとしたような表情。
それを見て、こちらまで安心する。
「紫陽花さんは?」
「私も」
一拍置いて。
「ご一緒できて、嬉しいです」
小さな声だった。
聞き逃さない程度に、けれど確かに私は少しだけ視線を逸らした。
「そっか」
「はい」
なんとなく照れくさい。
たぶん向こうも同じだった。
そして数秒、お互いに入口を見た。
巨大な水族館。
休日の人混み。
既にここまで来ている。
帰る理由はない。
紫陽花さんが言った。
「水族館前まで来ていますし」
「うん」
「もしよろしければ」
一度言葉を区切る。
「ご一緒していただけますか?」
妙に改まった言い方だった。だから私も合わせる。
「ぜひお願いします」
紫陽花さんが少し笑った。
本当に少しだけ。
認識の齟齬はあった。だが、それで何かが変わるわけでもない。むしろ少しだけ距離が縮まった気さえする。
「では」
「行こうか」
「うん」
紫陽花さんが頷く。
静かに、けれどどこか嬉しそうに、そして私たちは並んで歩き出した。肩が触れないくらいの距離を空けて、互いに少しだけ気を使いながら。
巨大な水槽の向こう側。
青く揺れる世界へ向かって。
まるで深海へ潜るみたいに。
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王塚真唯
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小柳香穂