放課後の校舎裏は、冬の澄んだ空気に包まれて静まり返っていた。木々の隙間から斜めに差し込む夕陽が、隣に座る王塚真唯の金色の長い髪を柔らかく透かし、まるで繊細な工芸品のように輝かせている。
遠くからかすかに響く部活動の掛け声だけが、ここが学校であることを思い出させてくれた。
それ以外は、完全に二人だけの時間だ。
真唯は私の右手を両手で大切そうに包み込み、時折指を絡めては、確かめるように力を込める。
私はその温もりを感じながら、彼女の横顔をじっと見つめていた。
社会的地位、誰もが振り返る完璧な美貌、学校中から「王子様」と崇められる華、そして何不自由ない富。すべてを持っているはずの彼女に対し、私はどこか静かな怜憫の念を抱かずにはいられない。
彼女の周囲には常に人がいたが、本当に彼女自身を愛する者は誰もいなかった。
親は完璧な跡取りとしての期待だけを注ぎ、周囲は遠くから拝むだけ。
仮面の下の脆さに触れようとする者など存在しなかったのだ。拍手と視線だけで飢えを凌いできた、伽藍堂の美しい人形──それが、私の観察した王塚真唯の正体だった。
だからこそ、私という安全地帯を得た反動で、彼女の「愛されたい」という幼い欲求が爆発している。
私は穏やかな声で、そっと問いかけた。
「真唯。今、幸せ?」
真唯は少し驚いたように丸いブルーの瞳を私に向け、それから限界まで柔らかく目元を細めて微笑んだ。
「ああ……すごく幸せだとも、れな子。君とこうして並んでいるだけで、胸の奥が温かい何かで満たされていくのがわかる」
愛おしそうに私の手の甲へ自分の頬をすり寄せてくる姿は、やはり大型犬を連想させてどこか微笑ましい。私は少し笑って、言葉を重ねた。
「どんな風に思う? その幸せって」
「そうだな……」
真唯は少し視線を彷徨わせ、言葉を吟味するようにゆっくりと紡いだ。
「まるで、長い間限界まで張り詰められていた糸が、ふっと緩んだような感覚だ。ずっと『完璧な王塚真唯』でいなければと自分を縛り付けて、誰にも弱音を見せられなくて……。でも、れな子の前ではそのすべてが不要だと思える。それが、たまらなく心地よくて、温かいんだ」
普段の凛とした優等生トーンとは違う、どこか幼く素直な響き。私は彼女の髪に指を触れながら、さらに尋ねる。
「じゃあ、今、世界の景色はどういう色に見える?」
「金色……かな」
真唯はオレンジ色に染まる空を見上げ、深く息を吐いた。
「夕陽のような、柔らかくて明るい金色だ。世界中のすべてが優しく肯定されているような……眩しいけれど、決して目を痛めつけない、そんな光のなかにいる気分だよ」
「へえ、良い表現じゃん。そういうちょっとポエチックな感性がある真唯、私は好きだよ」
私がクスリと笑って茶化すと、真唯は途端に顔を真っ赤にして「ポ、ポエチックだろうか!? 私は至って大真面目に……!」と狼狽し始めた。
完璧な王子様が形無しである。その様子があまりにおかしく、日常の小さな笑いが冷たい空気を微かに溶かした。
「ふふ、冗談。……じゃあ、最後に一つだけ教えて」
私は悪戯っぽい笑みを収め、静かに声を落とした。
「こうやって私と一緒にいて、どんな感情になる? 落ち着く? 安心する? それとも……少し不安になったりする?」
真唯は動きを止め、私の手をきゅっと強く握りしめた。
「……全部、だろうか」
恥ずかしそうに長い睫毛を伏せ、彼女は消え入りそうな声で告白する。
「落ち着くし、心から安心している。君が隣にいてくれるだけで、頭の中の雑音が静かになるんだ。でも、同時に……ひどく不安にもなる。私のような人間がこんなに幸せでいいのだろうか、いつかこの温もりが突然消えてなくなってしまったらどうしよう、と怖くなることもあるんだ」
揺れるブルーの瞳が、彼女の抱える根深い傷を物語っていた。
「私は、完璧でなければ誰からも愛されないと信じて生きてきたから……。なのに、れな子は私の情けないところも、醜い欲求もすべて見て、その上でこうしてそばにいてくれる。それが嬉しくて、同時にまだ、奇跡のようで信じられないんだ」
真唯は私の手を自分の左胸のあたりへと引き寄せた。衣服越しに、トクトクと速いテンポで刻まれる鼓動が手のひらに伝わってくる。
「ほら、驚くほど脈打っているだろう? 幸福と、破滅への不安が、完全に共存しているんだ」
完璧な人形の胸の内で、人間らしい感情が激しくせめぎ合っている。私はその頼りない鼓動と手の温もりをしっかりと受け止め、穏やかに微笑んだ。
「ありがとう。素直に教えてくれて」
私の言葉に安心したのか、真唯は少し照れくさそうにしながら、私の肩へと再び頭を預けてきた。風が冷たく吹き抜け、桃色のボブヘアと金色の長い髪を優しく揺らす。
私は彼女の頭をそっと撫でながら、その横顔を静かに観察し続けた。
彼女の幸せも、その裏にある底無しの不安も、どちらも紛れもない本物だ。長すぎた緊張の反動が、今こうして彼女を素直にさせている。
私はその歪さを否定しない。ただ、こうして隣にいて、温もりを分け合うことでしか癒えない渇きがあるのなら、いくらでも手を貸そうと思う。
お互いの体温を分け合うようなこの静かな助け合いこそが、今の私たちに必要な距離感なのだ。
怜憫はある。けれど、決して見下すわけではない。彼女の孤独の深さをデータとして正しく見つめ、私はただ、彼女にとって最も心地よい最適な空間を提供し続ける。それが、私のやり方だから。
夕陽が沈みゆく静寂の中、私は灰紫色の瞳で、遥か遠くのグラデーションの空をいつまでも眺めていた。
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小柳香穂