■光のれな子   作:あばなたらたやた

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七話★

 王塚真唯と一緒に遊んだ休日から数日後。

 学校。

 放課後の教室。

 机の列は整然と並び、黒板には今日の数学の板書がまだ残ったまま。三角関数とベクトルの式が、チョークの白い線で淡々と綴られ、かすかに粉の匂いが漂っていた。教室の時計の針が、ゆっくりと時を刻む音だけが、静けさを際立たせている。ほとんどの生徒が帰宅し、部活動の喧騒も遠く聞こえるだけ。

 

 私は一人、窓際の自分の席に座り、ノートを広げてぼんやりと外を眺めていた。

 校庭ではサッカー部の生徒たちがグラウンドを走る。大変そうだけど、楽しそうだ。なんかテンション下がるな。

 そんなとき、教室の引き戸が静かに開いた。

 入ってきたのは琴紗月だった。長い黒髪が肩から背中へと滑らかに落ち、赤い瞳が私をまっすぐに捉える。

 

「やっほー、紗月さん。遅かったね、何かいいことでもあったのかい?」

「待たせたわね、甘織」

「それで、どうしたの? 話したい事がある、なんて。まさか告白?」

「…………」

 

 紗月さんは無言で机に腰をかけ、腕を組んだ。視線は私から逸らさず、まるで何かを確かめるようにじっと見つめている。少しの沈黙の後、彼女は低い、落ち着いた声で切り出した。

 

「最近、随分と王塚真唯と一緒にいるわね。アイツに惚れた?」

「いいや、別に?」

「でも付き合ってるんでしょ?」

「うん、そうだよ」

「ふざけてるの?」

「ふざけてないよ、紗月さん」

 

 私は穏やかにはっきりと答えた。紗月さんは数秒、私をじっと見つめたまま動かなかった。長い黒髪が、彼女が息を吐くたびに軽く揺れる。彼女の赤い瞳は、私の表情の隅々まで読み取ろうとしているようだった。やがて、彼女は静かに、しかし鋭く問うた。

 

「好きでもない相手と恋人になるって、どういうこと? あいつの金や身体が目当てってこと?」

「好きになりたいから付き合うんだよ」

「普通は、好きだから恋人になるものでしょう」

「一般的には、それがスタンダードなのは認めるよ。でも、ね」

 

 紗月さんの声は低く、感情を抑えている。でも、その奥に、わずかな苛立ちと、理解できないという戸惑いが混じっているのがわかった。

 私はゆっくりと視線を彼女に戻し、穏やかに答えた。

 

「私は違うよ。好きじゃなくても、恋人になることはある。そこに『好きになりたい』という意思があれば、それで十分本物だと思う」

「……どういうこと? 好きになりたいから付き合う? それは時間の無駄でしょう。好きじゃないのに、好きになる可能性がないかもしれないのに、どうして付き合うの?」

「好きになる前から、完璧に好きでなければならないなんて、決めつけすぎだと私は思う。余白があっても良いんだよ。一緒に時間を過ごして、相手を知って、少しずつ心が動いていくことだって、あるよ。最初から全部決まってる恋なんて、むしろ不自然じゃない?」

「運命とか、歴史の修正力。神による導き。ライトノベルとか、アニメとか、それに夢を見るのは面白いし好きだけど、現実はそこまで空想的ではないと思うんだ。努力で好きになる。それも選択肢としてはありじゃない?」

「でも……それじゃ、相手に失礼だと思うわ。好きでもないのに恋人になるって、遊びみたいに聞こえるもの」

 

 なるほど、潔癖さが必要なタイプか。

 

「遊びじゃないよ。私は真剣に『この人を好きになりたい』と思ってる。だから付き合う。その意思がある限り、嘘じゃないし、遊びでもない」

「努力で好きになれるものなの? 感情って、そんなに都合よく動くとでも?」

「動くよ。少なくとも、私はそう信じてる。

 好きになるって、最初から突然落ちるものだけじゃない。一緒にいて、相手の良いところを見つけて、心を開いて少しずつ、積み重ねていくものだってある」

 

 信頼とは、信用とは、友人とは、恋人とはそういう形もある。

 好きだから関係を構築するのではなく、好きになりたいから関係を作ることも両立するのだ。むしろ、そこに関係構築をしたいという意思がある分だけ、価値があると思う。しかし紗月さんは違うのだろう。

 人間関係に甘い幻想を出だしている様子が見て取れる。まぁ、王塚真唯と一緒ならそうなるか。

 

「私は、そうは思えない。好きじゃなかったら、最初から近づかない。好きだから、そばにいたいと思う。それが普通よ」

「それも一つの正しさだよ、紗月さんの考えは。でも、私は違う道を選んでるだけ。どちらが正しいとかじゃなくて、ただ、人の心の形はいろいろあるってこと。私の恋人なって好きになる理論と、好きだから恋人という理論は両立する」

「……よくわからないけど、そういうの甘織らしい、とは思う。貴方は浮世離れしている癖に、人の距離感はしっかりと管理する。だからこそみんな貴方に心を開くのでしょうね」

 

 それだけ言って、彼女は席を立った。

 

「羨ましいわ」

 

 小さく声が聞こえた。

 私はすぐに動いた。荒々しく紗月さんの手を掴む。紗月さんは驚いたように、むしろ怖がったように体が硬直していた。

 

「なら、もう少し話をしよう。琴紗月の話をしよう。私に貴方を好きになる努力をさせて」

「……変な人ね、貴方は」

 

 私は再び窓の外を見た。空は茜色に燃え、遠くで部活動の声が小さく響いている。私の考えは、変わらない。

 

「貴方が悪意と敵意を持って王塚真唯に近づいたなら、社会的抹殺を考えていたけど」

「怖いこと考えてる」

「あくまで、貴方の価値観に従っているだけなら、私が言うことはないわ。その末路がどんなカタチになっても」

「ですか」

「今日は疲れたから帰るわ。勉強もしなくちゃいけないし」

「了解です。また時間がある時、紗月さんの心を聞かせてください」

「……貴方は王塚真唯とは違うタイプの陽キャね。支配的ではないけど、こちらの心に踏み込んでくる感じ」

「そんな私は嫌い?」

「返答は保留しとくわ」

 

 そういって紗月さんは帰っていった。

 好きだから恋人になるのか。

 恋人になったあとで好きになろうとするのか。

 私は好きになる意思があるなら、それが恋の始まりで、十分に本物で、価値があると信じている。

 

◆

 

 一人の残された教室の片隅で静かに目を閉じた。

 夕陽の残光がまぶたの裏に赤く滲み、桃色の髪の毛先が頰を軽くくすぐる。教室の空気はもう冷え始めていて、遠くで部活動の終わった生徒たちの笑い声が、かすかに聞こえては消えていく。

 私は、自分の考え方を、もう一度、深く深く、沈潜するように観察する。

 

 好きになりたいから付き合うがどれほど異質かを骨の髄まで味わっている。大多数の人は、恋を感情の爆発として生きている。

 胸が締めつけられるような痛み、息が詰まるような喜び、相手の存在が自分を定義するような渇望。それがなければ本物じゃないと信じ、それがない関係を偽物と呼ぶ。でも私は、違う。私は感情を、先に立たせない。

 感情は、後からついてくるもの。

 

 関係は、まず投資として始まり、時間をかけてリターンを測る。好きになるかどうかは、結果であって、条件ではない。

 それは、冷たいと言われるだろう。

 計算高いと言われるだろう。人間らしさが欠けていると言われるだろう。実際、琴紗月の戸惑いは、まさにそれだった。

 

 彼女の性質は一言で言うなら公平性だろう。好きであることが前提としてあり、その上で努力でお互いの空白を埋めようとし、感情で縛られ、時間を犠牲にすることでつなぎ止めようとしている。だから、私の言葉は、彼女の世界のルールを根底から否定するものに聞こえたはずだ。

 

 私は、戦わないことを選んだ。

 競争しない。誰かを好きにならなければいけない、という義務にも従わない。外部の評価に、自分の価値を一ミリも預けない。だから、私は自由だ。失敗しても、恥を感じない。拒絶されても、後悔しない。

 

 そこからデータを抽出し、次に活かす。

 痛みすら、観察し、最適対応を更新する。

 それは、達観ではない。ただの、戦略だ。でも、この戦略が、私をここまで連れてきた。16歳で、私はもう、多くの人が死ぬまでたどり着けない場所に立っている。感情の嵐に巻き込まれず、他者の渇望に振り回されず、自分の規範だけを、静かに、確実に、積み重ね続ける。

 

 私は、異質だ。それは、痛いほど自覚している。でも、同時に、この異質さが、私の最大の強さでもあることを、誰よりも深く知っている。私は、誰も追いつけない速度で、自分だけの道を進んでいる。合わない人は、自然に離れていく。残る人は、必然的に、私にとってかけがえのない存在になる。

 

 私は、もう十分に、幸せだ。これ以上、何かを求める必要はない。私は、ただ、このまま、自分のペースで、自分のルールで生きていく。

 

 桃色のボブヘアを指で軽く巻きながら、私は自分の笑顔を、心の中で、優しく肯定した。これが、私の当たり前。そして、それは、誰にも奪えない、奇跡のような、完全な自由だ。

 

 放課後の教室で交わされた、紗月さんと私の会話は、二人の恋愛観の根本的な違いを浮き彫りにした。彼女の恋愛観は、極めて純粋で古典的だ。彼女にとって好きという感情は、恋の前提条件であり、絶対的な出発点である。

 好きだからこそ相手に近づき、好きだからこそそばにいたいと願い、好きだからこそ恋人になる。

 

 感情が先に立ち、その感情がなければ関係は成立しない。努力や比較、犠牲を重ねてきた彼女の人生観とも深く結びついている。

 彼女は自分の価値を努力の結果や相手にとっての必要性で測りがちだからこそ、恋愛においても、自然に湧き上がる好きという、コントロール不能な感情にこそ、純粋な真実を見出したいのだろう。

 

 好きでない関係は、彼女にとって嘘や遊びにしか見えない。それは、彼女がこれまで報われない努力を続けてきた経験からくる、本物でなければ意味がない、という、頑ななまでの誠実さの表れでもあるように感じた。

 自分の恋愛観は、もっと流動的で、過程を重視するものだ。

 

 私は好きという感情を、最初から完全に備えている必要はないと考える。逆に恋人になるという関係を選ぶこと自体に、好きになりたいという積極的な意思があれば、その恋は十分に本物だと信じている。

 一緒に時間を過ごし、相手の新たな一面を知り、互いに心を開いていく中で、感情は後から育っていくものだと、私は経験的に知っている。

 

 最初から完璧に好きでなければならないというルールは、かえって恋の可能性を狭めてしまうと私は思う。

 

 好きになる過程そのものを楽しむこと、相手を天候のように受け入れながら、自分の中で少しずつ変化していく感覚を、私は純粋な喜びとして味わっている。だからこそ、私は好きになりたいから付き合う、という選択を、何の矛盾も感じずに自然に選ぶ。

 

 紗月の恋愛観は、感情優先、瞬間的な純粋さを求める、火のように熱く直線的なもの。私の恋愛観は、意思優先・過程の積み重ね、を楽しむ、水のように柔らかく流動的なもの。

だけ。

 どちらが正しいという話ではない。二人の価値観がぶつかっただけ。それだって、壊滅的なものではない。これも一つ成長の為の礎にしようと思った。

 

 

関わりが見たいヒロイン

  • 王塚真唯
  • 瀬名紫陽花
  • 琴紗月
  • 小柳香穂
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