その場に取り残されたのは、僕と――ひとりの先輩だった。
「2年の金成です。それでは、修理作業の詳細を詰めていきましょう」
スチャ、と彼女は無駄のない仕草で眼鏡を押し上げ、机を手で示した。
「はい」
僕は頷き、向かいの椅子に腰を下ろす。
金成先輩はタブレットを開き、指先で軽やかに操作を始めた。画面には修理予定の一覧やパーツの在庫データがずらりと並んでいる。
「まず修理作業ですが、ジェットパックは余裕を持って明日いっぱいにしましょう。他の部分は三時間で応急処置を施します。ただし完全修理ではなくあくまでも“繋ぎ”。試合が終わったら必ず再持ち込みしてください」
淡々とした声。けれどその一言一言に重みがある。
僕は真剣に頷いた。
「……了解です」
「それと。背部パーツは空白にできません。こちらで代替品を用意しましょうか?それとも、今すぐ別の場所で購入してきますか?」
(そうだ、背中を完全に外したまま戦場に出るわけにはいかないんだった)
「ここで取り付けてもらえるんですか?」
「もちろん。ここはラボですから」
金成先輩は眼鏡の奥の瞳をわずかに和らげる。
「ジェットパック自体はありませんが、機動性を補助する背部ユニット、あるいは攻撃系の追加兵装ならある程度揃っています。ここで開発中の新型もあり、レンタルも可能です。もちろん壊した場合は買い取りですが……どうされますか?」
僕はしばし考えた。
(外の店で探すより、このラボで扱っているものを見せてもらった方が確実だ。今後だってこういう緊急事態がないとは言い切れないし……)
「カタログ、見せてもらってもいいですか?」
「分かりました」
金成先輩は席を立ち、棚から分厚い冊子を取り出す。表紙には「ねじかわラボ」と丸っこい可愛いフォントで印字されていた。
「どうぞ。軽量級の機体に適性があるのは、この範囲ですね」
ページの角を折って示してくれる。
「ありがとうございます」
僕は礼を言い、ページをめくっていった。
並んでいるのはホバー補助ユニット、短距離加速用のダッシュブースター、簡易シールドを展開できる背部パーツなど。
(機動力を補うのは魅力的だけど……飛行性能の下位互換ばかりだ。操作性を考えると無理に増やすのも危険だし……)
うーん、どうしよう。
カタログをパラパラとめくっていくと、不意に目を引く装備があった。
ページの端に掲載された特殊兵装。そこに映るシルエットが、直感に訴えてくる。
(……これだ。確かにジェットパックの代わりにはならない。けど、俺のスキルと組み合わせれば“一発芸”として決められるかもしれない)
僕は顔を上げ、強い声で告げた。
「金成先輩、これって取り付けできますか? あと、右腕も変えたいんです。エストックを外して、このパーツに」
金成先輩は一瞬目を細め、タブレットに目を落とす。
「……なるほど、コンセプトは理解できます。ただ方向性が今までとまったく違いますよ?リスクは大きいと思いますが」
「大丈夫です。これがいいんです!」
金成先輩は小さく息を吐き、やがて肩をすくめた。
「いいでしょう。ただし、合わせると費用は十万近くになります。それでも払えますか?」
「問題ありません!お願いします!」
その即答に、彼女は小さく笑った。
「分かりました。あなたの覚悟は伝わりました」
立ち上がった金成先輩は、作業台にいるネジかわよ先生に声をかけ、変更内容を手短に伝える。
先生はこちらを振り返り、豪快に親指を立てた。
「オッケー!間に合わせるから待ってなー!」
横にいた上級生たちもそれに倣ってサムズアップ。整備棟に活気が走る。
「お願いします!」
僕も思わず頭を下げた。
*
席に戻ってきた金成先輩に改めて視線を向ける。改めて見ると、真面目そうなおかっぱ頭に眼鏡、胸は……まったく平坦。ネジかわよ先生との落差がすごい。
(世界って残酷だな……)
「何か?」
冷たい視線が突き刺さる。
「い、いえ!何でもないです!」
「お茶を入れますので、座っていてください」
淡々とした声に従い、僕は素直に頭を下げた。
「はい。」反省した。いい人だ。
「金成先輩は作業しないんですか?」
「私は試作パーツのテスター兼経理ですから。整備は任せます」
「そういう役割もあるんですね」
「ええ。リーグ戦やカップ戦で好成績を残せば、どのラボからも勧誘が来ますよ。腕のいいテスターは常に求められています」
(……バトルも強いってことか。しかも貧乳メガネ属性で強キャラ……盛りすぎだろ)
感心していると、金成先輩は柔らかく笑った。
「白銀君も、この時期にカップ戦に出ているだけで驚きです。それにもう一勝しているなんて、滅多にないことですよ」
「ありがとうございます」
「それに、パーツ選びの決断力。あれはいいですね」
すっと視線を向けられ、思わず背筋が伸びる。
「大丈夫です。腕のいい人たちですから。――安心して任せてください」
ラボに響く工具音を聞きながら、僕は静かに頷いた。
次の戦いに間に合わせる。そのために、彼らに全てを託すしかなかった。
*
金成先輩の指先が、机の上で淡々とカップを扱う。
湯気の立ちのぼる湯呑みを僕の前に置く動作まで、無駄がない。
「どうぞ。熱いので気をつけてください」
「ありがとうございます」
両手で受け取りながら、思わずじっと見つめてしまう。
(……やっぱり落ち着いてるな。雰囲気が大人っぽいというか、二年生でも別格に見える)
整備場の奥では、ハクロに取りついた上級生たちが次々と部品を外し、計測器を繋ぎ、汗を流しながら作業している。火花が散るたびに金属の匂いが濃くなり、その音がまるで鼓動のように響く。
金成先輩は湯呑みに口をつけ、静かに息を整えてから言った。
「……カップ戦は特別です。普通のリーグ戦とは違い、観客もスポンサーも注目しています。勝敗はもちろんですが、“どう戦ったか”が評価に直結します。そこを忘れないように」
「……どう戦ったかですか?」
繰り返すように呟き、僕は自分の拳を握る。
「そうです。あなたがさきほど選んだパーツ。あれは結果が出れば、飛ぶだけではない実力があると評価されるでしょう。逆に、結果が出なければ――ただの空を飛びまわるだけのハエ、と」
眼鏡の奥の瞳が鋭く光り、背筋がぞくりとした。
「……言葉が厳しいですね」
(いや、マジで厳しいな!ハエは言いすぎじゃありませんか?!)
「ですが、その厳しさこそ価値です」
彼女は淡く笑みを浮かべ、眼差しを少し和らげた。
「白銀君。あなたはきっと伸びますよ。選択に迷いがなかった。そこが一番大事です」
言葉のひとつひとつが真っ直ぐで、揺るぎない。
(……なるほど、ただの“経理”じゃない。実際に戦ってきた人間の言葉だ)
「金成先輩は、バトルもされてるんですか?」
気になって訊いてみると、彼女は小さく頷いた。
「ええ。学年上位に残る程度には。ですが今は裏方に回るほうが多いですね。……私は、目立つより支える方が性に合っているので」
その横顔は穏やかで、でも芯の強さを隠そうともしない。
(……なんか、格好いいな。こういう先輩もいるんだな)
「修理が終わるまでに、少しでも体を休めておきなさい」
そう言って再び机に目を落とす金成先輩。
僕は頷き、湯呑みを口に運んだ。
温かい茶の香りが広がり、少し緊張していた心が解けていく。
奥で鳴り響く工具の音は、ハクロが再び立ち上がる証のようだった。
(間に合わせる。そう信じて、ここは任せるしかない)
僕は深く息を吸い、視線を前に向けた。
*
「できたー!」
ネジかわよ先生が派手にスパナを振り上げ、満面の笑みで声を上げた。
「2時間と40分!予定よりちょっと早い!間に合ったぜー!」
「ばっちりだー!」整備班の先輩たちもハイタッチを交わす。
その様子に、僕の胸が熱くなる。
(……本当に間に合わせてくれたんだ)
「無事に終わったようですね。白銀君、こちらへ」
金成先輩が静かに席を立ち、手で僕を促す。その落ち着いた声に従い、僕は歩みを進めた。
ドックの中央――そこに立つのは、見慣れたはずのハクロ。
だが、姿はまるで別物だった。
「どうだー白銀くん!」
ネジかわよ先生が腕を広げて誇らしげに言う。
「リニューアルされたハクロだよ!一発勝負専用!突撃型の浪漫仕様だー!」
目の前のハクロは、背中に巨大なロケットブースターを新たに搭載していた。
従来のスラスターとは比べ物にならない推力を誇る補助機構で、ただ直線の加速だけに全てを賭ける設計。
さらに右腕には、軽量なエストックではなく――騎士が構えるような長大なランスが取り付けられている。鋭く、重く、ただ突き破るためだけに存在する武装だ。
「……これが、空を飛べなくなった俺の答えか」
呟きが自然と漏れる。
ハクロは静かに立っていた。黒と白の装甲が新しい金属の輝きを受け止め、ランスの穂先がライトに反射して鋭い光を放つ。
その姿はまるで騎士の槍騎兵――一撃必殺の戦士だった。
「思ってたより……かっこいいですね」
素直な感想が口から出た。
「だろー?君の指示どおり、直線の爆発力に全振り!飛べなくても地を駆け抜けて刺し貫く、“地上騎士”ハクロの完成だ!」
ネジかわよ先生が胸を張って笑う。あ、ぽよぽよ揺れてる。
横で金成先輩が補足する。
「ただし、注意もあります。これは応急の組み合わせですから、耐久性は完全ではありません。ブースターも長時間の使用は不可能。――使うなら、一撃で。」
「はい、分かりました」
僕は真剣に頷く。
胸の奥に熱いものが湧き上がってくる。
(飛べなくても……まだ戦える。いや、それどころか、新しい武器を手に入れたんだ)
「どう、白銀君?」
金成先輩が眼鏡を直しながら、冷静な声で尋ねる。
「はい……正直、思ってた以上にかっこいいです」
言葉が自然と口をついて出た。
「でしょー!あたしのセンスもなかなかだろ?」とネジかわよ先生。
「先生、途中まで“ネジかわフォント”で遊んでただけじゃないですか……」と作業をしていた先輩が小声で突っ込み、作業場にくすっと笑いが広がる。
僕はハクロに歩み寄り、右腕のランスにそっと手を添えた。ひやりとした金属の感触が、心臓の鼓動をさらに速める。
「よし……これで戦える。」
*
「じゃあ軽く動かしてみてー」
ネジかわよ先生の掛け声と同時に、例によってお胸様が揺れた。いや、今はそこに惑わされている場合じゃない。
デバイスを操作し、ハクロのシステムに指令を送る。
――ガシャン。
ハクロが新しいランスを構え、一歩、二歩と踏み出す。だがすぐに違和感が走った。
「……重い」
右腕に取り付けられた長大なランス。その重量が機体全体のバランスを崩し、歩くだけで右へと傾く。脚部の補正が追いつかず、軌道が妙にぶれていた。
(むむむ……これ、いけるのか?)
冷たい汗が背中を伝う。いつもより操作入力が数テンポ遅れる感覚。まるで利き腕に無理やり重りを括りつけられたようだ。
「右腕の重量でバランスシステムがあってないねー。機体制御が追いついてないー」
モニターを覗き込んだネジかわよ先生が呑気に言う。
(やっぱり……でも、やるしかない)
僕だけじゃ無理だ。心の中で声を投げる。
《ハクロ、制御を手伝ってくれ》
《承知した、マスター》
即答が返る。システムの同期率がわずかに上昇し、揺れが少しずつ収まっていく。
ハクロの制御テストを終えた僕は、大きく息をついた。
右腕のランスは圧倒的な存在感を放っていたけれど、そのぶん制御は思っていた以上にシビアだった。
一歩間違えれば、機体が傾きバランスを崩す。慣れるまでに数分はかかったが、ハクロと心を合わせることでようやく安定させることができた。
「――よし、これなら」
歩行から小走り、さらに軽い突きの動作まで。五分ほど慣らしてようやく腕と機体のリズムが噛み合い始めた。
右腕は重い。だが、推進力と合わせれば――一撃の破壊力は桁違いになる。
小さく呟いたその時、ラボの時計を確認した金成先輩が僕に声をかけてきた。
「白銀君、そろそろ次の試合会場に移動しないと時間に間に合いませんよ」
その冷静な一言に、心臓が跳ねた。
「やばっ!ありがとうございます!行ってきます!」
慌ててデバイスを操作し、ハクロを格納。整備班の人たちへ深々と頭を下げた。
「応援してるからねー!」とネジかわよ先生がひらひらと手を振る。その胸の動きに一瞬目を奪われつつも、僕は必死に視線を逸らす。
金成先輩は眼鏡を押し上げながら、ほんの少し柔らかく微笑んだ。
「はい。頑張ってください。――いい方向へ進むことを期待しています」
僕は深く頭を下げてラボを飛び出す。
走りながら思う。
(負けられない。ここで負けたら、整備してくれたみんなに合わせる顔がない……!)
ライトに照らされた廊下を全力で駆け抜け、次なる舞台――再戦のアリーナへ向かっていった。