勉強会のあと、全員で食堂に立ち寄り、わいわいと他愛もない話をしながら夕飯を食べた。笑い声や冗談が飛び交う中、自然とこの江も輪の中に入り込み、皆と同じように笑っていた。寮に戻る道すがらも、彼女は普通に会話に混ざっていて、気づけば“輪の外”に置いていかれることはなくなっていた。
(……よかった。ちゃんと馴染めてる。最初の頃のこの江を思うと、なんだかホッとするよ)
翌朝。
教室に入ると、まだ早い時間で席にはこの江と貴志が静かに座っていた。二人ともタブレットを開いているが、互いに言葉を交わすわけでもなく、ただ淡々と過ごしている。相変わらず孤立とまではいかないが、クラスの中心とは距離を置いている。
やがて時間が近づき、莉音とみゆが入ってきた。(昨日あたしのことも名前で呼べよーとなったため高城をみゆと呼ぶことになった)
「おはよー!」と明るく声をかけると、この江も「おはよう」と返す。
自然に挨拶を交わしている。
(少しずつだけど、交友関係が広がってるな……この江、いい感じだ。この調子で莉音とみゆたち以外とも仲良くなってくれ…ギャルにはなるなよ…)
そう思った矢先、心の中だけで留めておくつもりだった独り言がつい口から漏れた。
「ギャルにはなるなよ、この江」
しまった、声に出た――と思ったときにはもう遅く、隣の席でタブレットを眺めていたこの江がこちらを見て、口元を押さえて小さく笑った。
「ふふ……私、ギャル似合うかな?」
その問いかけに、うーんと想像してしまう。
「ちょりーす!はくたん元気~?あげぽよ~!」と、厚化粧に金髪ウィッグで、制服を着崩してピースサインをするこの江。……いや、ない。これは絶対にない。
「うん、ないな」
心の中で結論を出し、真剣な顔で答える。
「この江は、そのままでいてくれ」
すると、この江はほんの少し驚いたように目を瞬かせてから、ふっと表情を和らげた。
「……白夜くんがそう言うなら」
――で、問題は前の貴志だ。
この江の斜め前に座っていながら、タブレットをいじるふりをして話に混ざらない。もったいなさすぎる。
「……なぁ、なんで話しかけないんだよ」
背中をつつき小声で突っ込むと、貴志は肩を竦めて「タイミングがわからない」と返す。
(タイミング?そんなものは無い)
僕は頭を抱えた。
放っておけば、この江はすぐに誰かに声をかけられるだろう。昨日の勉強会だって、この江の笑顔で早川は明らかに好感を持ったはずだ。
(……だめだ。早川は俺が全力で止める。あいつの腹黒さをこの江に浴びせるわけにはいかない!)
そんな決意を秘めつつ教室を見回すと、ちょうど扉から大崎と早川が元気よく入ってきた。
「おはよう」
「おーす!」
わいわいと声が広がり、この江も自然に「おはよう」と微笑んで返す。
(だからこそ、貴志……お前が動かないとまずいんだよ!)
僕は心の中で親心のように嘆きつつ、貴志に目を向けた。
――どうする、貴志。
このままだと本当に、誰かに持っていかれるぞ。
内心で拳を握りしめながらも、表面上は何気ない顔でタブレットを開き、今日も授業に備えるのだった。
*
そうは言っても、時間は待ってくれない。
チャイムが鳴れば授業は始まるし、目の前の課題や小テスト、バトルの演習に追われているうちに――気づけば1週間はあっという間に過ぎていった。
午前中は座学。戦術理論やシミュレーション解析の授業は、ノートを取る手が止まらないほどの情報量だった。
それに加えて実習。整備科の学生たちと合同でエイドロンの点検を行う。
教室と実習棟を行ったり来たりする日々で、体力も頭も削られたけど、不思議と充実感はあった。
そんな日々の中で、この江の様子も少しずつ変わってきた。
僕の右隣に座る彼女は、授業で質問を受ければしっかり答え、放課後には莉音やみゆにノートを見せて会話をしている。以前のおどおどした姿からは想像できないほど、自然に笑顔を見せるようになっていた。
「ありがとう、この江ちゃん助かるー!」
「い、良いよ、りおち!」と赤くなりながらも返している彼女。そのやりとりを見て、僕は思わず口元が緩んでしまう。
……ただ、前に座る貴志はというと、やっぱり一歩を踏み出せずにいた。
この江と同じ班になっても、彼女に声をかけるタイミングを探しては結局言葉を飲み込み、気まずそうにタブレットを操作するばかり。
(もったいない……今なら自然に話せるチャンスなのに)
昨日の勉強会で、莉音やみゆに混ざって笑っていたこの江の顔を思い出す。あの笑顔に惹かれていたのは僕だけじゃない。早川だって、視線を送っていたのを僕は見逃していない。
放課後になれば、リーグ戦が控えていた。
僕もハクロを操って何度か戦い、無事に勝ち星を重ねたが、御門先輩との一戦を思い出すたびに「まだ足りない」という感覚が胸に残る。
強さを求める気持ちが、以前よりもずっと鮮明になっていた。
そんなふうに慌ただしくも濃い毎日を過ごして――
気づけば金曜日の午後、次の週末がすぐそこまで迫っていた。
(……早いな。一週間。けど、無駄じゃなかった。ちゃんと積み重ねられてる)
よし、連絡してみるか。 僕は決意して端末を開く。
メッセージを送る。
[白銀です。先日はありがとうございます。少し時間を頂けますか?聞きたいことがあります。]
[土曜日の午前なら空いている。動ける服で7時にグラウンドにこい]
返事が返ってくる。
また1歩先へ進めるような気がした。
翌朝。
まだ太陽が顔を出しきらない薄明の時間、僕は校内の寮を抜け出した。
空気は冷たく、深く吸い込むたびに肺の奥が澄み渡るように感じる。
ジャージ素材の動きやすい服に身を包み、グラウンドへ向かう足取りは自然と早くなっていた。
グラウンドの端に着くと、すでに御門先輩の姿があった。
背筋の通った体格はまるでモデルのようで、運動着に身を包んだその立ち姿は一枚の絵のように整っている。
僕に気づくと、時計を一瞥して短く言った。
「五分前か。よし、ついてこい」
言うが早いか、先輩は軽やかに走り出した。
慌てて僕も駆け足で追う。足音が土を蹴り、呼吸が弾む。
言うが早いか、先輩はすっと走り出す。
僕も慌てて足を動かす。最初は軽いジョグかと思ったが、一定のリズムを保ちながらも無駄のない力強い走りだった。
「……いつも、この時間に一時間ほど走っている」
淡々とした口調のまま、先輩は視線を前に向けたまま言葉を続ける。
一時間……?
ペース自体はそれほど速くはない。けど、このテンポを一時間維持するとなると、相当キツい。
「白銀、体力作りは十分か?」
唐突に投げられた問いに、少し息を整えながら答える。
「平均よりはあると思いますけど……」
御門先輩は頷くことなく、ただ前を見据えて走り続ける。
「上に立つには、バトルで勝ち続けねばならん。
操作技術、機体、コアとの相性――どれも重要だが、最後に残るのは結局、己の体力だ。
連戦に耐え、集中を切らさず、最後まで立っていられるかどうか。それで勝敗が決まることもある」
「だから、走ってるんですか?」
ふっと御門先輩は口元を緩める。
「趣味だ」
(趣味かい!)
思わず心の中で突っ込む。けれど声に出せば置いていかれる気がして、ぐっと飲み込んだ。
しかしその直後、先輩は言葉を続けた。
「だがこれは、俺が三年間続けてきたことだ。そして確かに糧になっている」
淡々と、呼吸を乱すこともなく走りながら言うその姿。僕は息を切らせながらも、必死に耳を傾けた。
「白銀。聞きたいことがあると言ったな。なんだ?」
来た。僕は胸の奥を押さえ込むようにして答えた。
「僕の操作に……機体がついてこれてない気がするんです。ほんの誤差の範囲なんですけど」
「しっかり、コアの声は聴いているか?」
「コアの……声?」
走りながら聞き返す。
「ああ。コアはただのエンジンじゃない。お前の意志を反映するパートナーだ。
自分の気持ちだけを一方的にぶつけていれば、コアの伸びしろはすぐに頭打ちになる」
「でも、レベルは上がってますし、スキルも習得してますよ?」
「それは当然だ。その先がある」
御門先輩は視線を変えずに、さらに淡々と続ける。
「俺も最近になってようやく分かり始めた。プロのほとんどはできていることだろう」
「……プロ」
その言葉の重さに、自然と胸の鼓動が強まる。
「三年の中でも、一部しかできないだろう。だが、できるようになれば――世界が変わる」
ふっと笑いを浮かべ、次の瞬間、御門先輩は速度を上げた。
言葉の意味はまだ掴めない。だが、先輩の瞳に宿る光は、確かにそれが“真実”であることを示していた。
「やる気があるなら、ついてこい」
(は、はやっ!?)
足音が遠ざかる。けど、ここで引けばもう二度と追いつけない気がした。
(ここで行かないと男じゃないよな)
決意と共に、僕は足の回転を無理やり速め、御門先輩の背中を追った。
*
ぜぇ、ぜぇ……。
肺が焼けつくみたいで、足は鉛を仕込まれたみたいに重い。けれど必死に食らいつき、最後まで御門先輩の背中を追った。
ようやく立ち止まった御門先輩に追いついたとき、僕は汗まみれで呼吸も整えられないほどだった。視界が揺れて、喉は砂漠のように乾いている。それでも、王子キャラとして「無様」は見せられないと、精神力だけで座り込むのをこらえた。
「……やる気はあるようだな」
御門先輩は少しだけ額に汗を浮かべているが、表情は涼しいまま。呼吸も整っていて、むしろ身体が温まってちょうどいいとでも言いたげな余裕すら漂わせている。
「はぁ……はぁ……も、ち、ろんです……!」
絞り出すように答える。自分でも情けないほど掠れた声だった。
(絶対に十キロ以上は走ったよな……なんでこの人、ほとんど乱れてないんだよ!?)
内心で悲鳴を上げている僕を尻目に、御門先輩は短く言った。
「ついてこい」
その一言に、反射的に足が動く。重い。けど、ここで座り込んだら終わりだ。必死に足を引きずりながら、その背中を追い続ける。
やがて、景色が変わっていることに気づいた。
(……まさか、ここって――!)
正面にそびえる巨大なガラス張りの建物。その自動扉に刻まれた文字を見て、僕の目は大きく見開かれる。
《藤堂ラボ》
この前テッペイと一緒に調べたばかりの名前。御門先輩が所属し、あのスカイレギオンを作り上げたと噂される学内でも上位の研究ラボ。
その前に、今、僕は立っている。
(……ここって、御門先輩の所属してるラボだ!?)
御門先輩は立ち止まりもせず、まっすぐに中へと入っていく。
僕は汗に濡れたまま、その光景に息を呑む。胸の鼓動が加速して、耳の奥まで脈打つのがわかる。
(……連れてきてくれたってことは、一応、認めてもらえたのか?僕のことを……)
御門先輩が「こっちだ」と顎で示すように歩き出す。その背を慌てて追いかける。
御門先輩が受付に声をかけると、スタッフの生徒が通路を開ける。
迷いなく中に入っていく背中を見ながら、改めてこの人が特別扱いされる存在だと実感した。
連れて行かれたのはスタッフ用の通路。その奥にある扉を開けた先は――シャワールームだった。
「走った後は熱いシャワーを浴びるのも日課でな」
そう言って、御門先輩はためらいもなく服を脱いでいく。
(……すげ)
思わず息を呑む。下半身から上半身まで、無駄のない筋肉がバランス良く盛り上がっている。厚い胸板、しなやかな腕、割れた腹筋、きゅっと引き締まったお尻――まるで彫刻だ。戦場で積み重ねてきた年月が、その身体に刻まれているみたいだ。
ぼーっと見惚れてしまっていたら、不意に声が飛んできた。
「すまんが、俺にそっちの気はないぞ」
「えっ……」言葉の意味に気づいた瞬間、顔が真っ赤になる。
「ぼ、僕もないですよ!」
御門先輩は肩をすくめて「ならいい」とだけ返し、躊躇なくシャワー室に向かう。
「お前も浴びろ。汗でべとついただろ?着替えはそこから適当に持っていけ」
指さされたラックには、折り畳まれたTシャツやパンツがサイズごとにぎっしり詰まっている。
「備品だから気にするな」と一言添え、彼は裸のままシャワーの奥に消えていった。
(……すごいな。設備も、人も、何もかも格が違う)。
僕も仕方なく服を脱ぎ、貸し出し用の袋にまとめてから、シャワー室に足を踏み入れる。中は仕切りでいくつものブースに分かれていて、意外とプライバシーは守られていた。
入口近くのブースに入ろうとしたとき、御門先輩の声が響いた。
「白銀、こっちにこい」
見ると、隣のスペースから片手を出して合図している。
「は、はい!」慌てて返事をし、その隣のブースへ入る。
すると御門先輩は、どこか満足そうに頷いて説明を始めた。
「ここを押すと水が出る。こっちがお湯だ。混ぜれば温度はすぐ調整できる。目の前にかかってるボトル、右がシャンプー、左がボディソープだ。ただし、このシャンプーは質が良くない。俺のを貸す、使え」
そう言って、ブースの仕切り越しに別のボトルを差し出してきた。
(御門先輩、めっちゃ世話焼いてくれてるんですけど!?)
心の中で全力ツッコミを入れながらも、ありがたくそれを受け取った。
「ありがとうございます……」
手にしたボトルは市販の安物とは違う、ラベルからして高級そうな代物だった。
「気にするな。プロ目指すなら見た目も大事だ。俺達は戦う者でありながらも魅せる者でもいないといけない」
御門先輩は冗談めかすように言ったが、声には不思議な説得力があった。
(僕はプロって気が早い気が……)
内心でツッコミを入れながら、僕は慣れないシャワー設備を操作して水を浴びる。冷たい水が一瞬全身を震わせるが、すぐに熱いお湯に切り替えると、疲れ切った筋肉がほどけるように緩んでいった。
隣からは御門先輩が髪を洗う手際のいい音が聞こえてくる。
なぜかその仕草一つひとつが格好よく思えてしまうのは、やはり「御門」という存在の持つオーラのせいだろうか。
お湯を浴びながら髪を洗っていると、隣から御門先輩の低い声が聞こえてくる。
「こういう小さな積み重ねも重要だぞ。体を清潔に保つのは集中力を維持するためでもある」
「え、シャワーってそんな理屈まで……」
驚いて声を返すと、先輩は淡々と続ける。
「汗や汚れが残っていると、疲労感が抜けにくい。だから俺は走った後、必ず浴びる。そういう日常の管理が、長期的に見ればバトルでの集中力や冷静さに繋がる」
「なるほど……」
思わず感心する。単純に清潔好きなのかと思っていたけど、全部理にかなった習慣なんだ。
シャワーの音に混じって届くその言葉は、ただの説教じゃなく重みがあった。
(……こういうところが強さに繋がってるんだな)
「分かりました!」
「白銀」
名前を呼ばれてびくりとする。
「は、はい!」
「お前、言っていたな。操作に機体がついてこれないと」
水音に混じって、低く落ち着いた声が響く。
「……それは悪いことではない。むしろ、成長が追いつかないということは、伸びしろがある証拠だ」
僕は手を止め、隣のブース越しに耳を澄ませた。
御門先輩は淡々と続ける。
「コアの声を聴け。エイドロンはただの機械じゃない。昨日までの動きを今日も同じようにやれるとは限らない。
お前が焦れば、コアも焦る。お前が澄めば、コアも澄む。そういうものだ」
「……人間みたいですね」
「人間だ。少なくとも、俺はそう思っている」
短い言葉の裏に、御門先輩の確固たる信念が透けて見えた。
――コアは人類のパートナー。
そう言われても実感はまだ薄いけど、御門先輩がそこまで言うならきっと本当なんだろう。
「それとな、白銀」
御門先輩はシャワーを止め、タオルで髪を拭く気配を立てながら言った。
「俺は今年で卒業してプロになる。……世話になったラボに何か残したいと考えていた。白銀、俺の後を継いでこのラボの顔になれ」