「……俺の後を継いで、このラボの顔になれ」
シャワー室にこもる蒸気の中、その言葉だけが異様にくっきりと響き渡った。
水音が止まり、御門先輩はゆっくりとタオルを手に取る。白い湯気に包まれながら、落ち着いた仕草で髪を拭き、こちらを振り返ることなく続けた。
「俺は三年だ。あと一年でここを出て、プロに進む。だが、ラボはこの先も続いていく。設備も、資金も、人材も、すべてが回っていく。……だからこそ、このラボを引っ張っていく顔が必要だ」
言葉は静かだった。だが、そこに込められた重みは、ただの進路相談や軽口ではなかった。
御門先輩自身が、自分の未来と向き合い、ここで積み重ねてきたものをどう残すか考え抜いた上での言葉――そんな迫力があった。
「もちろん二年にも優秀なバトルオペレーターはいる。だが、俺の後を継げるかというと……わからん。足りないものがある。だが白銀――お前との戦いでは、まだ荒削りながらも勢いだけではない、“核”が見えた」
タオルを首にかけたまま、御門先輩は横顔を湯気越しに見せた。
その目は、ただ前方の壁を見ているのではなく、もっと遠い戦場、もっと大きな舞台を見据えているようだった。
「実力、機体、自信、スター性、負けん気。どれもまだ未熟だ。だが、未熟であるがゆえに伸びしろがある。完成されていないからこそ、本物になれる」
ごくり、と喉が鳴った。
自分では気づかなかった部分を、御門先輩は見抜いている。あの激戦の中で、僕に何かを見つけてくれたのだろうか。
「俺がここで積み上げてきたものを、受け継ぐ相手が必要なんだ。……白銀、お前がその器かどうか、試したい」
その言葉と共に、今度は真正面から視線を向けられる。
湯気の向こう、鋭くも温かみを含んだ瞳に射抜かれて、僕は息を呑んだ。
(……そんな、大役を僕に……?)
頭の中では信じられない、無理だという言葉がぐるぐると渦巻く。
けれど、胸の奥では違う感情が沸き上がっていた。
御門先輩と同じ舞台に立ちたい。この人が見ている景色を、僕も見たい――そんな熱が脈打つように広がっていく。
「俺はラボの顔という立場を、甘くは見ていない」
御門先輩は言葉を続ける。
「顔になる者は、勝つだけでなく勝ち続けなければならない。仲間を導き、後輩に夢を与え、支えてくれる整備班や研究者たちに誇りを持たせなければならない。責任は重い。……だが、それを背負ったときに見える景色は、想像以上に広い」
彼の声は静かだが、確信に満ちていた。
その重みが胸に刺さり、呼吸が浅くなる。
(勝ち続ける責任……背負う覚悟……僕にできるのか?)
思考は迷う。だが、御門先輩の言葉を受けて生まれた鼓動は、迷いを突き破るように強く鳴っていた。
「……選ぶのはお前だ。俺は押し付けるつもりはない。ただ、そういう未来があることを忘れるな」
最後にそう言って、御門先輩はタオルを肩にかけ直す。
その背中は湯気の中に溶け込みながらも、揺るぎない存在感を放っていた。
熱いシャワーが背を流れる。なのに妙に冷たく感じるのは、きっと自分の未熟さと向き合わされたからだ。
でも同時に、胸の奥に宿った火が消えることはなかった。
拳を握りしめ、僕は深く息を吸い込む。
「……はい」
その一言に、御門先輩がほんのわずか、満足げに頷いたのを確かに見た。
(御門先輩が見ている未来……僕に、それが掴めるのか?)
「出るぞ」
御門先輩が短く言い残し、濡れた髪をタオルで拭きながら先に脱衣所へと歩いていく。僕も慌てて後に続いた。
タオルで身体を拭き取りながらも、頭の中では先ほどの言葉がまだ反響している。
――“俺の後を継いで、このラボの顔になれ”。
軽い冗談や励ましではない、揺るぎない本気の響きだった。
「とはいえ、すぐにお前を迎え入れるわけにもいかない」
タオルで髪を拭きながら、御門先輩はゆっくりと続ける。
「このラボにはルールがある。所属を許されるには、まずここで働く仲間たちに認められねばならない。そして――なにより、このラボを立ち上げた人物、藤堂創一に、だ」
その名を口にするとき、御門先輩の表情がわずかに引き締まる。瞳の奥に鋭さが宿った。
「……あの人は本物だ」
体を拭き終え、運動着に着替えていく御門先輩の姿は、ひとりの戦士のように引き締まっていた。
タオルを肩にかけた御門先輩は、ロッカーを開けながら過去を振り返るようにゆっくり言葉を紡ぐ。
「俺が二年のときだった。当時の俺は、ただ力任せだけで、戦術も洗練されていなかった。自分でも未熟だとわかっていた。だが、藤堂室長は迷いなく俺を勧誘した。理由は“お前の核は伸びる”とだけ。……そして、俺に合う機体をわずか1か月で仕上げてくれた」
僕は思わず息を呑んだ。
(合う機体を、1か月で……?)
御門先輩は淡々と、だが確信を持った口調で続ける。
「その日を境に、俺は変わった。与えられた機体は俺の動きに食らいつき、俺の想像をさらに先取りするような感覚すらあった。そのおかげで、学園のトップリーグに一気に食い込むことができた」
言葉に誇張も虚勢もない。ただ事実を淡々と積み重ねるだけ。
だからこそ、胸に響いてくる重みがあった。
「もちろん、努力はした。走り込みも、座学も、戦術解析も――誰よりもやった。だが、努力だけで届かない場所がある。俺は藤堂室長とラボの力に引き上げられたんだ」
御門先輩は視線をこちらに移す。
「今の俺はリーグで一位を争う立場にいる。けれど、それは俺一人の力じゃない。仲間の整備士の知識、研究者たちの技術、そして藤堂室長の慧眼――すべてが合わさって俺を“頂上”へ導いた」
……言葉を返せなかった。
ただ相槌を打つしかできなかった。
(すごい……。御門先輩がここまで真っ直ぐ言い切るなんて……藤堂創一って、一体どんな人なんだ?)
そんな疑問が胸をよぎるが、同時に自分の胸の奥にも灯がともる。
もし、その人に認められれば――僕も御門先輩のように、一気に道を切り拓けるのかもしれない。
「白銀」
御門先輩は改めて呼びかける。その声はシャワー室で聞いたときと同じように重く響いた。
「……早く服を着ろ。話はこれで終わりじゃない」
「あ、はい!」と返事し、僕は慌ててタオルで体を拭き、備え付けのロッカーからTシャツとジャージを取り出して身に着ける。
――そう、ここまでの重く熱い話、ほぼ裸のまま交わしていたんだ。
(なんでこんな大事な話を全裸で受け止めてたんだ、僕……!)
脱衣所に並んで立ちながら、妙に場違いな現実感がこみ上げてくる。
脱衣所に並んで立つと、鏡の前で御門先輩は落ち着いた仕草で髪を整えていた。濡れた髪を後ろに撫でつけるその姿は、どこか彫刻のように無駄がなく、自然体のまま背筋が伸びている。その立ち姿だけで、自信と経験に裏打ちされた重みが伝わってきた。
「ラボはただの研究施設じゃない」
御門先輩はタオルを畳みながら、淡々と口を開いた。
「そこに集まる人間たちの熱意と、技術と、信頼がある。俺はそれに支えられてきた。……だから白銀、お前がこの先を目指すなら、藤堂ラボに来い。もっとも――藤堂室長に認められなければ、話にならんがな」
乾いたタオルをロッカーにかけ終えた御門先輩は、すでに着替えを済ませ、背を向けて歩き出していた。
「行くぞ、白銀。これからお前に見せたいものがある」
自然と足が動いた。鼓動はまだ早く、落ち着きそうにない。
更衣室を抜け、広い通路を歩く。壁際には整然と並んだ工具ラックやホワイトボードがあり、途中には機体のパーツが置かれた作業台も見える。螺子川ラボよりも設備ははるかに整っていて、全体が新しく清潔だ。
正直、覚悟が決まったわけじゃない。だけど、これだけ真剣に期待をかけてくる御門先輩を前にして「無理です」なんて答えられるはずもなかった。ただ流されるように、しかし心の奥で確かに燃え始めた何かを感じながら、後に続いた。
歩きながら、御門先輩は淡々と説明してくれる。
「ラボのメンバーは十人ほどの整備・研究班、それに外部の研究員が数人。藤堂室長のサポートをしている。バトルオペレーターは俺を含めて三年が二人、二年が二人。少数精鋭だ」
「今日は?」と僕が尋ねると、御門先輩は頷いた。
「今日みたいな土曜の朝は、ほとんど誰もいない。二年や三年はカップ戦に出たり、休暇を満喫している。だが、大会で機体を損傷させたら、午後には必ずここに持ち込む。だから整備担当の上級生は、土曜の午後から日曜の夕方まで泊まり込みだ」
「なるほど……」と呟く僕に、御門先輩はさらに一つ加える。
「室長は別だ。藤堂はこのラボを半ば自宅のようにしている。だから、いつでもいる。俺が言った“本物”という言葉の意味を、そのうちお前も理解するだろう」
その一言で背筋が伸びる。藤堂創一――名前だけで重みがある人物像に、自然と緊張が募る。
やがて御門先輩は足を止めた。
目の前には無骨なスチールの扉。その上にはプレートが掲げられていた。
《シミュレーションルーム》
「入れ」
御門先輩が扉を押し開ける。
眩しいほどの白い照明に照らされた広い室内。壁の一面にはスクリーンが張り巡らされ、中央には4台の操作用のコンソールが複数並んでいる。床は無機質な銀灰色で、まるで実戦フィールドを切り取って持ち込んだような空気感が漂っていた。
「白銀、やるぞ」
御門先輩の低い声に、思わず喉を鳴らす。
(一体、ここで何をされるんだ……!)
思わず息を呑んだ僕に、御門先輩は淡々と説明する。
「実戦に近い負荷をかけられるシステムだ。学園全体でも上位のラボしか置いていないだろう。うちも先月導入したばかりだ」
「……すごい」
思わず声が漏れた。
螺子川ラボの設備も決して悪くはないが、ここはまるで別格だ。研究所の技術が惜しみなく注ぎ込まれているのがわかる。
彼は歩きながら指で壁を叩く。硬質な音が反響し、どこか緊張感を煽る。
「バトルオペレーターにとってはコアの反応速度、集中力、限界ギリギリまで測定される。機体が大破しようがシュミレーションだから問題はない。だからこそ、自分がどこまで行けるかを知ることができる」
僕はごくりと唾を飲む。
(限界ギリギリまで……)
御門先輩は立ち止まり、ゆっくり振り返った。
「白銀。お前にここを見せたのは、ただの思いつきじゃない。……昨日までの自分を超えたいなら、まずはこのルームで証明しろ」
その瞳は相変わらず冷静で、けれど底に燃えるものを隠していない。
僕は無意識に拳を握りしめていた。
(証明……。でも、やってやる。今のままじゃ、御門先輩の言う“器”には届かない。だったら――挑むしかない)
「はい、お願いします!」
声に力を込めると、御門先輩は小さく頷き、操作卓に手をかけた。
壁のモニターが一斉に光を放ち、広い部屋の床に投影されたフィールドが展開されていく。荒野、都市部、狭い峡谷――次々と背景が切り替わり、最終的に止まったのは夜の廃墟都市だった。
「ここを舞台にする」
御門先輩は淡々と告げる。
「目の前のコンソールの窪みにデバイスをセットしろ」
御門先輩は無駄のない動きで、自分の腕に巻かれたバングル型デバイスを外し、カチリと音を立てて窪みに装着した。
僕も緊張で指先が少し震えながら、それを真似てバングルを外し、慎重にコンソールへ差し込む。
「これを掛けろ」
差し出されたのは黒い光沢を放つゴーグルだった。頭部全体を覆うそれは、ただの映像端末ではなく、肌に触れるだけで重みと存在感を主張してくる。
御門先輩の声は低く、だが確信に満ちている。
「コンソールがデバイスを読み取り、お前の機体データを完全再現する。ゴーグルをかければ、フィールドに降り立ち実戦さながらのシミュレーションができる。……読み取りが終わったらデバイスは外せ」
「……了解です」
自分でも驚くほど声が固くなる。
(ついに――戦闘シミュレーション……!)
指先に冷たい汗がにじむ。
御門先輩はすでに準備を整えていて、操作卓のパネルを滑らかに操作しながら言った。
「始めるぞ。……ここからが本当の試験だ」
その言葉に、僕は喉の奥で息を飲み込み、全身に力を込めた。
「はい!」
ゴーグルを装着すると、世界が暗転し、すぐに白い粒子が視界いっぱいに舞い上がる。光が渦を描き、幾層ものデータが積み上がるように形を結んでいく。
――そこに立っていたのは、白と黒の装甲を纏った僕の機体《ハクロ》。
無機質な光の世界の中で、その存在感は確かに「僕の相棒」として現れていた。
「……来たな」
心の奥で呼びかけるように呟き、胸が熱くなる。
鼓動は早鐘のように速く、汗ばんだ掌がわずかに震える。だが――恐怖じゃない。これは高揚だ。
「行くぞ、ハクロ!」
同時に、御門先輩も端末を操作し、自分の機体を呼び出す。
六枚の光の翼が展開し、蒼白の残光を引きながら天へと舞い上がる。その名は《スカイレギオン》。圧倒的な威容に、視界全体が染め上げられるようだった。
その瞬間、システムの起動音とともに、モニターが一斉に光を弾き、フィールドが立ち上がった。
廃墟都市――崩れ落ちた高層ビル群、吹き抜ける冷たい風、月光に照らされた瓦礫。現実と寸分違わぬ精細さで、僕らの眼前に広がる。
「戦闘シミュレーション――開始」
無機質なアナウンスが流れた直後。
爆音が夜の街を震わせ、光の閃光が走る。
瓦礫が砕け散り、空を切り裂く残光が尾を引く。
僕の胸の奥で、鼓動がさらに高鳴った。
(今度こそ……! あの光の翼に食らいつく!)
ハクロのスラスターが火を噴き、地面を蹴り飛ぶ。
視界が一気に加速し、戦場の只中へと飛び込んでいった――。