夜風がやさしくアリーナを撫でていた。
歓声はもう遠く、ライトアップも徐々に落ち着いていく。
熱狂の残り香と紙吹雪の名残だけが、静かに風に舞っていた。
僕は控室を出て、会場の外へ歩き出した。
トロフィーの重みよりも、胸の奥の鼓動の方がずっと強い。
(……終わった。勝ったんだ、僕は)
その実感が、まだ身体のどこにも馴染んでいない。
「白夜ぁーーっ!!」
突然、背後から声。
振り返ると、莉音、みゆ、この江、元気、礼人たちが駆け寄ってくる。
「おつかれぇっ!!」「かっこよすぎた!」「もう映画だった!」「はくたん、まじ主役!」
一斉に囲まれ、肩を叩かれ、笑い声が溢れる。
「やったな、白夜」と礼人が肩に手をおく。
苦笑しながら手を挙げた。
「応援ありがとうな……」
「打ち上げいこ打ち上げ!」
「白夜、今日はヒーローなんだから!」
「優勝したらパーティだろ!」
わいわいと盛り上がる輪の中。
けれど僕の視線は、遠く――アリーナを囲む並木道の方へ向いていた。
(……あのベンチ、行かないと)
彼女が言っていた。「明日、勝ったらまたここで」――
その言葉が、ずっと胸の奥で灯のように揺れている。
「ごめん、みんな。少しだけ……行くところがあるんだ」
「えっ? どこ行くの?」この江が首をかしげる。
「……約束、してたんだ」
少しだけ笑って、輪を抜けた。
「はくたーん! 約束って誰とー!?」
莉音の声が背中に届く。
「まぁ黙って行かせてあげなよ」
と礼人が皆を止める。
「え!待てよ!礼人なにか知ってんのか?!」と元気が聞く。
「いや、知らないけどさ。男が優勝した後待ち合わせしてるってことは分かるだろ?」と礼人は肩をすくめて、
“行け”と目で合図を送る。
「また明日、学校で」と片手を上げて笑い、静かな通路へと歩いていく。
その背中が、アリーナのライトの中にゆっくりと溶けていった。
莉音はその場に立ち尽くしていた。
顔は笑っている。けれど、その笑みは少しだけ――遅れて崩れた。
「……“約束”って、誰とだろ」
ぽつりと呟く声は、風にさらわれて消える。
みゆが肩を軽く叩いた。
「なーにしんみりしてんの、りおち?」
「んー、打ち上げいこっかー」
莉音は笑って答える。
けれどその声の奥には、かすかな震えが混じっていた。
昨日まで、白夜のすぐ隣に自分がいるのが当たり前だった。
一緒に笑って、応援して。
その全部が、“彼の一番近く”だと思っていた。
でも――いま、彼の視線は違う誰かを見ている。
その気配を、女の子の本能は鋭く感じ取ってしまった。
胸の奥が、きゅっと痛む。
でも、その痛みは気づかないことにしよう。
(あーしと付き合うなんてはくたんがカワイソーだし)
夜風が莉音の髪を揺らし、紙吹雪がひとひらと過ぎ去っていく。
それはまるで、別れを告げるようだった。
「行こっか」
礼人はこの江や、元気を連れて歩き出す。
莉音は顔を上げ、笑顔を作る。
「……礼人も4位で頑張ったしね」
みゆが頷き、元気が「おー!じゃあ礼人の残念会だな!」と叫ぶ。
「あんまりいじるなよ、初戦負けの元気くん」と礼人が毒を吐く。
「おまっそれは言うなよ!」
その声に皆が笑った。
けれど、莉音の心の奥ではまだ、ひとつの音だけが鳴り止まなかった。
――風の中で、白夜の背中がゆっくりと遠ざかっていく。
その姿を目で追いながら、莉音はそっと呟いた。
「…あーしじゃないのかよ…バカ」
*
夜はすっかり更けていた。
照明の落ちた公園――昼間の喧騒が嘘のように静まり返っている。
虫の声と、遠くで響く花火の残り火だけが夜を彩っていた。
ベンチの前に立つと、そこに――桃香がいた。
街灯の下、薄いピンクのワンピースが風に揺れている。
両手を膝の上に置き、背筋を伸ばしたまま、静かに夜空を見上げていた。
その横顔は、少しだけ寂しげで、でもどこか誇らしげでもあった。
「ごめん、待たせたかな」
「ううん。来てくれたんだね」
振り向いた桃香の声は、どこか安堵を含んでいた。
白夜は歩み寄り、隣に座る。
「約束したからね」
「うん」
桃香は微笑んだ。その横顔を見て、胸が少しだけ痛くなる。
二人の間を、夜風が通り抜けた。
アリーナの歓声はもう聞こえない。
残っているのは、二人分の呼吸だけ。
「……ちゃんと勝ったよ」
「見てた。全部。すごく格好よかった」
桃香は視線を落とし、小さく笑った。
「ほんとに空の王子になっちゃったね」
僕は少し照れくさそうに笑って空を見上げる。
「目指してたからね……」
「ううん、そういうところが王子っぽいんだよ」
桃香も同じように夜空を仰ぐ。
満天の星が二人を照らす。
まるで今日の戦いの続きを、静かに見守っているようだった。
「……ねぇ、白夜くん」
「ん?」
「私、白夜君のこと好きだよ」
肩が寄り、距離がなくなった。
夜風がふっと止まり、時間が少しだけ遅くなる。
「ありがとう」
そう言うしかなかった。
自分の中の答えが、まだ形にならなかったから。
「わかってるよ。今すぐ答えなんて、いらないよ」
桃香はふわりと笑った。
「でもね、伝えたかったの。ずっと。
一目惚れだったんだ、最初のエレベーターの時から」
白夜は息を呑む。
「こんなかっこいい人と同級生なんだって思って」
黙っている僕に微笑んでつなげる。
「学校が始まってからも強くて、かっこよくて、優しくて、努力家で。そんなすごい人に一目惚れしちゃったんだなって」
桃香の瞳には、照明に映る小さな星が揺れていた。
「かっこいいなって思った。
でもそれ以上に、頑張ってる白夜くんを見てるうちに、
気づいたら……好きになってた」
「僕は、そんなにすごい人じゃないよ」
「ううん。すごい人だよ。少なくとも、私の中では」
白夜は言葉を失う。
桃香は少し照れたように、でも真っ直ぐに続けた。
「いいんだよ。他に好きな子がいても。ちゃんと気持ちを伝えたのは、私が一番早いから」
困ったような顔をしている僕に桃香は続ける。
「囲ってあげるって言ってくれたでしょ?
白夜君の一番好きな人が私で、私が白夜君の横に居れたら幸せだって思えるから」
強い言葉だった。
「だから、私をちゃんと囲ってください。わたし可愛いよ」
そう言って茶化すように笑う桃香の頬が、少しだけ紅潮していた。
強いのに、儚い。
適わないなと思った。女の子はこんなに強いのか。
そして、自分の気持ちがふわふわしている自分が情けなくなった。
桃香のことは好意的に思っている、付き合えたら嬉しいとも思ったこともある。
でも最近は莉音と一緒にいることが多くて、莉音と過ごすのも楽しいと思ってたんだ。
沈黙が落ちる。
遠くで風鈴の音が響いた。
桃香が立ち上がる。
「汗かいちゃったね。帰ろっか」
僕は無意識に呼び止めた。
「……桃香」
桃香は振り向いて「な、なにかな?」
と、真剣な表情を向ける僕に動揺する。
「返事とか、今じゃなくても良いから!まだ振れられたくないよ」
と少しおびえる様子を見せる桃香
「僕も、まだちゃんとはわからないんだけどさ」
白夜は立ち上がり、言葉を絞り出す。
「桃香のことが、好きだよ」
桃香の目が見開かれた。
白夜はその手を取り、そっと引き寄せる。
そのまま、二人の影が重なり、夜風が木々を揺らす。
顔を真っ赤にする桃香。
「僕と付き合ってもらえますか」
唇を離し、桃香の目をしっかりと見つめて精いっぱいの言葉を紡ぐ。
離れた後、白夜は照れたように笑う。
桃香は目を潤ませ、嗚咽混じりに笑った。
「うん……付き合う。だいすき……っ」
涙が頬を伝い、星の光がその雫を反射する。
白夜はその手を強く握り返した。
誰もいない夜のベンチ。
そこに、確かに“始まり”の音が響いた。
――空の王子の物語は、まだ終わらない。
*
大会が終わって、一夜が明けた。
あの熱狂のアリーナは夢みたいに遠く感じる。
朝、教室のドアを開けた瞬間、ざわめきが走る。
「おおっ、白夜来たぞ!」
「チャンピオンご登場~!」
「“空の王子”様、サインくださーい!」
……さすがに朝からこれは照れる。
席に着く前に、背中をばんばん叩かれた。
「お前ほんっとやべぇな!」
貴志が笑いながら机に肘をつく。
「映像見たけどさ、最後のあの蹴り! マジで映画のワンシーンかと思ったわ」
「やめろよ、あれは勢いでやっただけだって」
「勢いで勝てるやつがどこにいんだよ!」
貴志の笑顔に釣られて、自然と肩の力が抜けた。
机に座ると、いつもの顔ぶれが寄ってくる。
礼人、元気、みゆ、この江、そして莉音。
それぞれが動画を掲げて、「ここのシーン!」「この角度すごくない!?」と盛り上がっている。
「優勝者さん、今日こそは打ち上げだからな!」と元気。
「断る権利はないからね」とみゆ。
「昨日予約したんだ」とこの江。
「まじか……早いな」
「優勝インタビューのとき、“仲間に感謝します”って言ってたから当然でしょ?」と礼人
「捏造するなよ!」
そんな軽口を交わすうちに、教室が笑い声で満たされた。
莉音も笑っていた――けれど、その笑みの奥にほんの少しだけ、
“何か”を隠すような影が見えた。
みんなが次々と話しかけてくる。
白夜は笑いながらも、どこか落ち着かない気持ちで答えた。
「ありがと」
――けれど、思ったより世界は変わっていない。
授業はいつも通り。
午後にはリーグ戦のスケジュール。
昨日までの熱狂が、少しずつ日常に溶けていく。
そんなときだった。
机の端で、端末が震えた。
見ると――メッセージの送信者は御門先輩。
〈ラボに顔を出しに来い〉
その短いメッセージに、背筋が伸びた。
あの人の言葉は、いつだって無駄がない。
そういえば――このカップ戦、もともとは“藤堂ラボ入室試験”の意味もあったんだった。
思ったよりも大会の規模が大きくて、すっかり忘れていた。
指が自然に動く。
〈今日、伺います〉
送信して、深呼吸をひとつ。
メッセージを送信すると、胸の奥がじんわりと熱くなった。
「……やっと、ここまで来たんだな」
螺子川ラボのみんなにも、改めてお礼を言わなきゃ。
あの時間がなければ、今の自分はいなかった。
放課後のチャイムが鳴る。
「行ってくるか」
自分にそう呟いて、藤堂ラボへの道を歩き出す。
教室の外には、いつもの風景。
けれど、そのどれもが少し違って見えた。
――たぶん、世界が変わったんじゃない。
自分が、変わり始めたんだ。
いよいよだ。
御門先輩、そして藤堂ラボ――。
次のステージが、静かに幕を開けようとしていた。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
とりあえずここまでで第一部が完結です。
勢いで毎日書いていたので、多少の矛盾点はあると思いますが。
第二部は少しプロットを練ってから投稿していきたいと思うので少し間が空くと思います。
面白かった、続きが読みたいという方はお気に入り登録、評価をお願いいたします。