ホビーアニメ✕ロボット。これでわかるね   作:イェスコマ

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74話

――夜。

 

 時計の針が午前二時を指している。

 外では、夏の虫がかすかに鳴いていた。

 

 白夜はベッドの中で深い眠りに落ちている。

 勉強と訓練の疲れが、身体の芯まで染み込んでいた。

 静寂。

 冷房の音も、風の通る音もない。

 

 ……なのに。

 

 ぴと、ぴと。

 

 粘質な、湿った音。

その瞬間、部屋の温度が数度下がった気がした。

この部屋に居るのは白夜だけのはずで、音なんて聞こえるはずがないのに。

 しかし――音は、確かに部屋の内側からだった。

 

 ぴと、ぴと。

 

何かが、床をぬらりと這うように動いている。  暗闇の中、わずかな月光を反射して、不透明な小さな影が揺れる。

 

 リビングテーブルの上には、寝る前に飲んだ水の入ったコップがひとつ。

 その表面が、かすかに揺れた。

 影がそのコップを浮かす――。

 

  ――コクリ。

 

 コップの中身が減っていく、喉を鳴らすような微かな音が響く。

 数秒の静止。

 

――そして、空のコップが、まるで初めからそうであったかのように、同じ場所に置かれた。

 

透明なガラスが、月光を反射してかすかに光る。

 そこには、微かに唇の跡のような曇りと、甘ったるい、覚えのない香りが残っていた。

 

 ぴと、ぴと。

 

 足音が、ベッドへと近づく。

 まるで裸足で濡れた床を歩くような、ねっとりとした音。

 白夜は寝返りを打ち、悪夢にうなされるように、呼吸が浅くなる。

 

すぅ……、ふぅ……。

 

 空気を吸い込む音。  誰かが、すぐ真横で、彼の匂いを確かめるように、彼の枕元の髪に鼻を寄せている。

 

 暗闇の中、ひときわ白い肌。

 長い髪の隙間から覗く、紫に濁った瞳。

 

「……うん……やっぱり……この距離が、いちばん……」

 

 掠れた囁きが、白夜の耳のすぐそばで零れる。

 その声には、安堵と――陶酔が混じっていた。

 

「今日は……あの女と、楽しそうだったね……」

「でもね、はくや……うち、全部見てたから……」

 

 唇が近づき、白夜の髪に触れる。

 冷たい息が首筋を撫で、鳥肌が走る。

 

「……安心して。うち、怒ってないよ。

 だって、こうして……“隣にいる”から」

 ぴと、ぴと。

 

 足音が、ベッドの脇を通り抜け――。

 

 カチャリ。

 

 扉のノブが、ゆっくりと回った。

 閉まる瞬間、部屋の温度が一度だけ変わった気がした。

 

 静寂。

 

 もう、そこには誰もいない。

 ただ、テーブルの上のコップだけが――。

 水の代わりに、淡く光る紫色の粒子を残していた。

 

 

 

 

 

 

 ――翌朝。

 

 いつも通りの時間に、目を覚ました。

 昨日の疲れが残っていたのか、目覚ましが鳴るまで熟睡していたらしい。

 

「……ふぁぁ……」

 あくびをしながら伸びをし、ぼんやりと天井を見上げる。

 外はすでに眩しいほどの朝日。

 カーテンの隙間から差し込む光が、部屋の埃をきらめかせていた。

 

 白夜はベッドから起き上がり、スリッパを履く。

 部屋の中は、昨日と何も変わらない――はずだった。

 

 テーブルに置いてあったコップを手に取る。

 昨夜、飲みっぱなしにしたコップ。

 洗い物は帰ってからでいいや、そう思って指を滑らせた。

 

「……あれ?」

 ほんの一瞬、違和感がよぎった。コップの内側に、うっすらと紫がかったような、微細な粉末が残っている気がした。

 すぐに目を擦る。「気のせいか……」

 たしか、半分くらい残して寝た気もする。

 でも、そんな些細なこと、いちいち覚えているわけがない。

 

 キッチンへ向かい、朝食の準備を始める。

 テーブルの上のコップを軽く水洗いして水をそそぐ。

「……昨日の夜水のんだだけだし、いいだろ」

 

トースターをセットしながら、冷蔵庫を開ける。

 中には見慣れないヨーグルトがひとつ。

パッケージには、白夜の好みそうなフルーツが描かれていた。

「七海か桃香が置いていったのかな?」

 期限は昨日の日付。

 (賞味期限だし、1日くらい大丈夫だな)

朝の慌ただしさが、全ての違和感を押し流した。

 

 食パンが焼ける音。

 白夜は、いつも通りの朝を迎える。 彼は、昨夜誰かが彼の隣に立っていたことなど、知る由もなかった。

 

 

 ――今日も勉強とラボ頑張っていこう。

 

 

 

 

 

 

 ――同じ頃。

 

 白夜の部屋と同じマンションの、わずか三階上。

 朝焼けが差し込む窓際で、紫乃雨音はカーテン越しに下の階を見つめていた。

 薄い唇がゆっくりとほころぶ。

 

「……おはよう、はくや。ヨーグルトおいしい?」

 

 微かな声。

 それは囁きでも独り言でもなく――確かに、誰かへ向けた挨拶。

 

 ポケットの中のリンカーが、微かに光る。

 白夜のEID信号を一方的に受信できるように改造された、ロマンティックな違法仕様。

 

「はくや、気づいてたよね?」

 紫乃は独り言のように呟く。

 目を細め、頬を染めながら、ゆっくり笑う

「昨日の夜、ちゃんと隣にいたの。……分かってたでしょ?」

 指先が唇をなぞる。

 その仕草はあまりにも自然で、愛おしげで、

 けれど、その奥にあるのは――歪んだ確信。

 

「だって……間接キスしちゃったよね?」

「あんなにはくやの口の跡が残ってるのに、気づかないわけないよね?」

「もう印はつけたんだから。……はくやは、私のものだよね?」

「これって誓いのキスだよね?」

 

 風が吹く。

 紫乃の髪がふわりと舞い上がり、

 そこに紫色の粒子がちらちらと混ざる。

 

「ねぇ、はくや。次は雨音おはようって言ってね?」

「また会いに行くからね?私が一番近いもんね?」

「あんなに汚らしい女の唇に触ったんだから、 ちゃんと私のできれいにしてあげないとだよね? 」

「他の女なんて要らないよね?」

 

 

 その声は風に溶け、朝の光の中へ消えていった。

 

 

 

 

 

 

 あっという間に放課後になった。

 まだ昼を過ぎたばかりで、グッと暑くなってくる。

 チャイムが鳴ると同時に、礼人と莉音がいつものように声をかけてきた。

 

「白夜ー!勉強会しようぜ、期末前だし!」

「うんうん、カフェでもいいよね?」

 

 二人の声を聞きながら、僕は少しだけ間を置いて笑った。

「ごめん、今日もラボいかないといけなくてさ。また今度っ!」

 

「またか、今度は空けとけよー」

「最近、ラボばっかじゃーん」

 

 軽く手を振って教室を出る。

 背中に残るその言葉は、冗談交じりのようでいて、どこか寂しげだった。

 いつの間にか、放課後の輪の中心に自分がいないことに気づく。

 それでも――僕は迷わず、ラボへと足を向けた。

 

 

 

 

 

 

「失礼します」

 ドアを開けると、空気が一気に変わった。

 機械の駆動音と、冷却装置の低い唸り。

 まるで外の世界から切り離されたような、無機質な空間。

 

 その中心で――目を奪われる存在がいた。

 

 アストレアさん。

 今日の彼女は――まるで紅の花そのものだった。

 深紅と黒のフリルが幾重にも重なったフラメンコドレス、金糸の縫い込みが光を受けて炎のように揺れる。

 腰の曲線を強調するコルセットが、白磁のような肌と相まって艶めかしい。

 髪には赤い薔薇の飾り、長い銀髪がその花弁に触れるたびに光を散らす。

 その笑みは、ただ一度見ただけで男の理性を麻痺させるほどだった。

 

 金色の虹彩がまっすぐ僕を射抜く。

「白銀くん、いらっしゃい」

 その声は甘く、しかし冷ややかな音のようでもあった。

 藤堂室長が横で笑いながら手を振る。

「よく来たな、白夜。今日も収穫のある訓練にしようじゃないか」

 

 部屋の隅では、紫乃先輩が静かに座っていた。

 長い前髪の下から覗く目だけが、薄く光っている。

「紫乃先輩、こんにちは」

 声をかけると、彼女は小さく頷いた。

 ――ただの挨拶なのに、背筋に微かな寒気が走る。

 

 そのとき、背後の扉が開き、篠原先輩がこちらに向かってきた。

 シミュレーションを終えて帰るところなのか、息が荒い。

「お疲れ様です」

 僕が声をかけると、篠原先輩は一瞬だけこちらを見て、

 低く、掠れるような声で「……ごめん」

 とだけ呟いて、視線を逸らした。

 そのまま扉を出ていく。

 

 ――ごめん? なんのことだろう。

 

 僕は少し首を傾げたが、すぐに気を取り直した。

(……まぁ、考えても仕方ないか)

 

 

 

 「今週は紫乃とだ」

 藤堂室長がコンソールを叩きながら言う。

 アストレアさんが微笑を浮かべて補足する。

「白銀くんは初めての期末テストですから、今日は十七時には切り上げましょうね」

 

 

 時計を見ると、ちょうど十四時を少し過ぎたところだった。

 二時間半――十分に濃い時間だ。

 

 僕は姿勢を正し、紫乃先輩の方を向く。

「紫乃先輩、今日もよろしくお願いします!」

 

 その瞬間、紫乃先輩の唇がゆっくりと動いた。

「……うん。いっぱい、ヤろうね」

 その声は囁きというより、湿った空気のように耳の奥へ滑り込む。

 一瞬、胸の奥にざらついた違和感が残る。

 でも、戦いが始まれば、そんなものは吹き飛ぶはずだ。

 

 

 1戦目――火力の差で圧倒された。

開始と同時に、眩い光弾の雨。

 ルミナメイジの光弾が空を覆い、白い閃光が連続で視界を焼く。

 ハクロの装甲が軋み、警告アラートが赤く点滅した。

 

 反撃もままならず、僕の射撃は拡散光に飲み込まれ、敗北。

 

「すっごいっ……! 今のはくや、ほんとにキラキラしてたよっ!」

 

 紫乃先輩の声が通信に響く。

 そのトーンは、まるでライブ会場のファンみたいな熱狂。

 けれど、それは演技ではない。

 本気で――戦いの中の僕を“美しい”と感じている。

 

 

 スピードで勝負をかけた。

 だが、ルミナメイジの機動制御は異常だ。

 僕が旋回する前に、紫色のリボンが滑るように先回りしてくる。

 

 攻撃を回避するたび、背後で煌めく七色の残光が追いかけてくる。

 そのたびに通信が弾む。

 

「ハクロの動き、風みたいだった! あのステップ……完璧! ねぇ、はくや、ほんとに成長してるねっ!」

 

 モニター越しに見えるルミナメイジの姿が、まるで踊っているようだった。

 戦闘データを取るというより、彼女に“見せている”気がしてくる。

 胸の鼓動が少しだけ速くなる。

 

 

 高高度からの全弾射撃。

 だが、ビームは全て反射された。

 紫色のシールドが幾重にも広がり、ハート型の光がこちらを包み込む。

 

 オーバーヒート警告。制御反応が鈍り、視界が光で埋まる。

 

 撃墜。

 

「ねぇはくや! あの瞬間の光――まるで、運命の軌跡だったよ!

 私、感じちゃったよ!…ハクロとルミナメイジの光が、ひとつになった“奇跡”を!」

 

 ……完全に自分の世界に入り込んでいる。

 だが、どこか羨ましいほど真っ直ぐだ。

 僕の中の“勝ちたい”という欲とは別の――

 彼女は戦いそのものを“恋”として捉えているように見えた。

 

 

 

 

 近接武装を選択。

 距離を詰め、一撃に全てを賭ける。

 ビームブレードが光を裂き、機体がぶつかるたびに衝撃波が走る。

 

「いまの、いまの動きっ! 最高っ!!

 ハクロのブレードが光の中を切り裂いて――っもう、かっこよすぎるぅ!!!」

 

 通信越しに響く歓声。

 ルミナメイジが両手を掲げ、魔法陣を展開する。

 

「でも負けないよ! だって私は“愛と希望の魔法少女”、ルミナメイジだもん!」

 

 その声が響いた直後、紫の光翼が一斉に展開される。

 背部ユニットがオーバードライブ状態に突入し、全方位から光の奔流が放たれる。

 

「信じる気持ちは、誰にも壊せないんだからっ☆」

 

 視界を埋める光。

 そして、轟音。

 

 爆発的な衝撃が機体を吹き飛ばし、敗北を告げる通信音が鳴り響いた。

 

 

 

 

 

 静寂。

 

 

通信越しに、紫乃先輩の声が届く。

「はくやの笑顔、もっと見たいなぁ……」

 囁くような声。

 その甘さが鼓膜を撫で、心臓の鼓動がひとつ跳ねた。

 

 通信が切れる直前、彼女の声が微かに漏れる。

「……次は、もっと……できるようにするね」

 意味が分からない。

 けれど、その瞬間、首筋にぞわりとした寒気が走った。

 

 それは、どこか夢を見るような、甘く溶ける囁きだった。

 どこか陶酔しているように聞こえた。

 

 

 「ありがとうございます。次は、勝ちます」

 

 自分でも驚くほど落ち着いた声が出た。

 でも、手のひらは汗でじっとりと濡れていた。

 

 僕は深呼吸しながら、ハクロの格納する。

 戦闘データが保存され、静寂が戻る。

 

(……強くなっている。確かに、少しずつ)

 

 

 自分にそう言い聞かせながら目を上げると、

 紫乃先輩がシミュレーターの前でうつむいていた。

 先ほどまでのルミナメイジの凛とした気配はどこにもなく、

 小さく縮こまり、両手を胸の前でぎゅっと握りしめている。

 

 「お疲れさまです、紫乃先輩」

 声をかけると、彼女の肩がわずかに震えた。

 

「……ぁ……あの……」

 

 蚊の鳴くような声。

 何か言おうとしては、喉の奥で詰まる。

 僕が一歩近づくと、紫乃先輩はびくりと体を硬直させた。

 

「……す、すごかった………」

 

 ようやく絞り出すように口にした言葉。

 その瞳には焦点が合っていない。

 それなのに、唇だけは柔らかく持ち上がり――

 まるで感情の抜け落ちた人形のように、ゆっくりと笑った。

 

そして、誰にも届かないほど小さな声で、

 自分の世界に沈み込むように呟く。

 

「……やっぱり、うちのこと……好きじゃん、はくや……。

 こんなに話しかけてくれるなんて……相思相愛すぎる……」

 僕は思わず一歩、後ずさる。

胸の奥に、ひやりと冷たいものが走る。

 ほんの一瞬、紫乃先輩の瞳孔が――濡れたように震えた気がした。

 

 そのまま彼女は、逃げるように出口付近へと歩いていった。

 

 

 残された僕は、なんとも言えない気持ちで立ち尽くす。

 ――さっきまであんなに強気だった人と、同一人物とは思えない。

 

(けど……この人、ほんとはこういう性格なんだなぁ)

 

 そう思いながらも、なぜだか胸の奥に冷たい汗が残った。

 あの“魔法少女”の声と笑顔が、今も耳の奥にこびりついて離れない。

 

 

 

 

 

 

 訓練が終わり、アストレアさんが拍手を送る。

「戦闘データ、非常に精度が高いです。

 白銀君の成長速度は目を見張りますね」

 

「ありがとうございます。……でも、まだ勝てないです」

 

「勝敗は過程のひとつです。

 戦うたび、あなたのソウルコアは少しずつ“経験”を蓄えていますから」

 彼女の笑みは凛としていて、それでいて炎のように艶やかだった。

 フリルの裾が揺れ、香水の匂いがふと鼻を掠める。

 人工知能なのに、人よりも“人らしい”。その存在感に、僕は毎回どきりとする。

 

 藤堂室長がコンソールを閉じながら言う。

「今日はここまでだな。白銀、よく集中していたな」

「ありがとうございます」

「紫乃、お前も……うん、相変わらず安定している。今週も頼むな」

「……ん」

 紫乃先輩は離れた場所から小さく頷くと、ちらりとこちらを見た。

 その目は――どこか、笑っていた。

 

 

 データ整理を終えたあと、アストレアさんに話しかける。

 

「アストレアさん、今日の紫乃先輩……なんか雰囲気違いませんでした?」

 

「ええ、そうですね」

 彼女はゆっくりと頷き、細い指で唇に触れる。

 

「感情の振れ幅が、いつもより大きかった。

 けれど、それは悪い兆候ではありません」

 

「悪い兆候じゃない……?」

 

「はい。――“誰かへの強い想い”は、

 ソウルコアを通して能力を高める要因になりますから」

 

 アストレアさんは、わずかに唇の端を上げた。

 その笑みは穏やかで、けれどどこか探るような色があった。

 

「誰への想いなんでしょうねぇ」

 その言葉の後、アストレアさんは小さく指を唇に当てて、

 「ふふっ」と笑った。

 

 

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