シュミレータの席に並ぶ椅子。その一つに腰掛けた御門隼人は、指先を軽く握り直した。白い手袋の上から伝わる触覚フィードバックが、遠隔の機体――《スカイレギオン》の軽い身震いを伝える。
隣では僕が《ハクロ》のデバイスを握る。
「白銀、初動は空を取る。お前は地表で敵影を起こす役だ」
御門先輩の声はいつもどおり穏やかで、でも芯が鋼だ。
「了解です。前は抜かれません」
視界に同期したウィンドウの片隅――敵チームの出撃ゲートが開く。
細身のシルエットがひとつ、光を帯びて滲む。もうひとつは、虹彩の尾を引く可憐なモーション。
(篠原先輩の《ミラージュリザード》、紫乃先輩の《ルミナメイジ》)
アナウンスが鐘の音のように鳴った。
《バトル・オブ・ピュアハート――開始》
*
同時に、風が変わる。空気の粒が軽く震え、音が遠のく。すべてが戦場の速さに切り替わった合図だ。
「上がる」
御門先輩の言葉と同時に、僕の右側を蒼い閃光が駆け上がった。六枚翼が花開く。《スカイレギオン》の可変ウィングが角度を変え、風を掴み、音を斬る。青い軌跡が空に線を引いた。
僕も遅れて駆け出す。《ハクロ》の脚部スラスターが低く唸り、舗装路が風に削られる。足首から膝、腰へと伝わる反力をいなして、ビルの陰へ身を滑らせた。背のジェットが一瞬だけ息を吐く。体が羽根になったみたいに軽い。
(いける)
頭上から、御門先輩の声。
「索敵、静音で。正面からは来ない。篠原は陰だ」
「了解――《ゴースト・ペネトレイト》、軽くかけます」
《ハクロ》の外装が、薄く滲んだ。輪郭を曖昧にする微粒子膜。消えるほどではない、でも視線を滑らせるには十分だ。路地の影が一段濃くなる。
そのとき、花の香りがした。
――違う、あれは香りのイメージだ。視界上に虹色の花弁が舞う演出が、距離の向こうに咲いた。
《ルミナメイジ》がスカートのようなリボンを翻し、《レインボーサークル》を床に刻む。円が広がり、光の粉が降る。
「みんなのハート、ひとつにして!」
通信チャンネルに乗る声は、澄んでいて、どこか危うい。
その輪の端を、《ミラージュリザード》の影が滑った。輪郭が煙のように揺らぎ、見たはずの像が次の瞬間には別の場所にある。
「来たぞ。分身三。……いや四? 残像が混ざってる。白銀、距離八十、右上の影は偽物だ。左低層、鉄骨の影に本体だ」
御門先輩の指示と同時に、真上から風が抜けた。
《スカイレギオン》が翼を立て、頭部の《ミカド》バレルが咆哮する。
蒼穹の光条が、鉄骨の影へ一直線。
「っつう、先輩かよっ」
篠原先輩の声が、珍しく熱を帯びて返る。
影から影へ。鉄骨を蹴る黒緑の足が空を裂き、攻撃線が通る直前に半透明へとフェイズ。光条は空を穿ち、下の道路に火花が走った。
(速い……!)
その間に、虹色の粒子が濃くなる。《ルミナメイジ》がワンドを掲げ、胸の前でハート型のシールドを膨らませた。
「暗闇なんて、笑顔で吹き飛ばすんだからっ!」
ハートの面に当たった御門先輩の追撃の一条が、角度を変えて反射する。反射光が路地の奥で弾け、僕の頬――いや《ハクロ》の頬をかすめ、薄い熱が走った。
「白銀、右へ回避!」
呼吸の前に脚が動いた。《ラブリーステップ》のように軽やかに――いや、真似事でも、いまは速さがいる。
膝を切り込み、足裏の噴射で“滑る”。
壁際の看板が風圧で揺れ、千切れて舞った。
「はくや、隠れてるだけじゃ運命は開かれないよ!!」
紫乃先輩の声が甘く笑う。
「――うち、いま、すっごく調子いいんだ」
笑顔の起伏に、熱が引火する音が聞こえた気がした。ワンドの先端が七色に脈打つ。
「白銀、あれは溜めの前兆だ。俺が散らす」
「お願いします!」
蒼の翼が翻り、空から光の雨が落ちてくる。《セレスティアル・レイン》。
七つの照準光が、違う角度から《ルミナメイジ》を狙い撃つ。
同時に、御門先輩がさらりと追加の指示を寄越す。
「白銀はその影――分身ごと篠原を押さえ込め。ミラージュの“前兆”は足元。見極めろよ」
(足元――!)
視界の端で、アスファルトの黒が一段深く沈んだ。
読まれていたかのように、そこから刃が湧いた。《スモークブレード》。
僕は剣を抜くより早く、左の十手を差し込む。
ガキン、と乾いた手応え。ビームの輪郭が十手の溝で軽く弾かれ、火花が散った。
「ナイス、白銀」
「まだ――!」
十手で絡め、右手の《ビームガンソード》を逆袈裟へ。
だが手応えの直前、刃は空気を切った。輪郭が溶ける。篠原先輩の機体が部分透過。《オプティカル・フェイズ》。
空振りの反作用を脚の噴射で殺ぎ、ビル壁に片足をかけてすぐさま反転。
影が背に回る気配。
(来る)
「――《スプレッドレイン》」
僕は自分の声に驚く間もなく、引き金を絞っていた。
《ハクロ》の剣の側面から、細雨のような光が三秒、路地を覆う。
圧し掛かる影の輪郭が一瞬だけ浮き、粒子の雨の中に薄い肢体が写る。
「掴んだ!」
十手の先端でリザードの足首を叩き、絡め取りつつ肩で押し流す。狭い路地の壁を利用して、逃げ道を梯子状に潰していく。
篠原先輩の舌打ちが、短く混ざった。
「御門先輩、どうですか!」
「上は抑えてる。紫乃のチャージ、あと三秒。――白夜、右手のビル影に飛び込め。そこからは俺が線を引く」
空を焦がす音が強くなる。
見上げれば、《スカイレギオン》の六翼が最大展開――蒼い円が空に描かれた。
同心円状に光が走り、ミサイルが弧を描く。
照準線の先、ハート型のシールドがひずむ。
「信じる気持ちは、誰にも壊せないッ!」
紫乃先輩の叫びが、虹色のノイズと一緒に飛び込んでくる。
ワンドが振り下ろされ、背のリボンが千切れそうなほど広がった。
《プリズム・ミラクルバースト》――七色の奔流が、全方位へ咲き乱れる。
「白銀、落ちるなよ!」
ビル影へ身を投げ込んだ瞬間、昼が七度、目の前で爆ぜた。
光が壁を舐め、空気が瞬時に熱せられて膨張する。
耳の奥で鼓膜が悲鳴を上げ、視界の端が白で焼けた。
(化け物火力……!)
だが、蝕むように重ねられる光の中、青い引き金は止まらない。
《スカイレギオン》の雨が、紫の光の花弁を一枚ずつ毟る。
ハートシールドの輪郭が痙攣し、反射角度が乱れた。
「――白銀、いけ」
御門先輩の声に、ためらいは一滴もない。
反射的に、背の噴射を叩く。
アスファルトの粉塵が跳ね、《ハクロ》は地表すれすれに滑りだした。
光の残渣がまだ宙に漂う。
熱と眩暈の狭間で、足が勝手に次の場所を選ぶ。
路地から路地へ、影から影へ――。
影の出口に、虹が一本、隊列を組んで待っていた。
《シューティングスター》。流星型のビーム弾が連続で突っ込んでくる。
「ッ!」
最短の手を選ぶ。《神速》。
背で白炎が爆ぜ、世界が糸のように細くなる。
一本、二本、三本――肩先で火花。
四本目をそらして躱しきったところで、熱が急に重くなった。
喉に鉄錆の味が広がる。ヒートゲージなんて、見なくても分かる。
(行け、まだ行ける)
絡む光の隙間。《ルミナメイジ》のワンドの付け根――肘。
そこに手が届くイメージ。
右の剣を振り上げ、左の十手で腹部のハートシールドの縁を小突く。
一瞬、反射の光が方向を探す。
その迷いの間隙に、刃を差し込むつもりで――
「――っ!」
空気が、軋んだ。
視界の周辺が黒い膜で縁取られたかと思うと、獣のような影が横合いから飛びつく。
《ミラージュリザード》。
さっきまで足元で縛っていたはずの影が、壁の影を滑って、まるで増殖するみたいに回り込んでいた。
遅れて気づく。僕が追っていたのは、ずっと“正確な偽物”だった。
「白銀!」
御門先輩の声と同時に、僕の視界に青い影が落ちる。
《スカイレギオン》が翼を閉じるように滑り込み、僕とリザードの間へ――
爆ぜる風。
青い翼が縁で切り裂き、リザードの刃を弾いた。
火花が白い線になって、空中でほどける。
「助かりました!」
「あとにしろ。――下がれ」
御門先輩が一呼吸分、僕の代わりに前に出る。
蒼天の冠《ミカド》が、真っ直ぐに篠原を見据えた。
瞬間、空が反転する。
翼の角度が切り替わり、空気の圧が変わる音。
《ボナパルト・オーダー》。
六翼が独立し、“味方”になる。
独立したビームの砲。
上からも横からも常に射線が通っている。
篠原先輩の影の逃げ道が次々と塞がれていく。
「……っくっそ。ガチじゃねぇかよ」
篠原先輩の苦々しい言葉だが、やけに楽しそうだ。
黒いマントのようなクロークがぱたりと靡き――影が空気から剥がれるように消える。
《ミラージュ・エクリプス》。
センサーどころか、視界の“意味”から消える、悪夢の潜伏。
「白夜、呼吸を整えろ。焦って追うな。紫乃の熱が上がってる」
名前を呼ばれた方向へ視線をやる。
《ルミナメイジ》の胸元で、ティアラ状のセンサーが小刻みに点滅している。
鼓動みたいなリズム。
彼女の“感情”が、機体に乗って脈動している。
「――ねぇ、はくや。見てくれてる?」
通信に乗った声が、唐突に柔らかかった。
戦場の喧噪が、一瞬だけ無音に感じる。
「うち、いま、すごく“幸せ”なんだ。だって、こんなにはくやが見てくれる!」
ワンドが、ゆっくりと水平へ。
ティアラの光が、彼女の感情を色に変える。
喜、哀、怒、楽――ごちゃ混ぜの虹が、ワンドの結晶に一つずつ吸い込まれていく。
(まずい。さっきのより、深い)
御門先輩が、静かに言った。
「――白銀、役目は変わらない。俺が空を押さえる。お前は、そらせて押さえろ。」
「そらす?」
「あいつの“気持ち”は直線だ。正面から受けるな。単純だが斜めにそらせ」
デバイスを握る手の汗が、たまらなく生々しい。
でも、不思議だ。御門先輩の声を聞いていると、胸の奥の震えが小さくなっていく。
僕は剣を、納めた。
代わりに、左の十手を握り直す。
ワンドが火を吹く直前、ワンドの手首を“誘導”する。反射じゃなく“力の向き”をそらす。
「――行きます」
膝で地面を押し、《ハクロ》は低く滑った。
ワンドの切っ先が僕へ向く瞬間、足首の噴射で右肩を一段落とし、十手の先をハートシールドの縁へ。
ハートの面は滑る。その滑りを、僕が与える。
正面から受けた力は強い。でも、少し斜めに逸らすのは、案外弱い。
「え?」
紫乃先輩の声が、ほんの少し遅れた。
虹の奔流が、僕の肩口を焼き、後方の壁を巨大なハートで穿つ。
僕は――生きている。
(それた)
「よくやった」
御門先輩の短い賞賛と同時に、空が鳴く。
《セレスティアル・レイン》の照準が、わずかに角度を変え、《ルミナメイジ》の足元へ打ち込まれる。
ハートの反射面は上へ向いたまま。脚の下の床が割れ、彼女の姿勢が崩れる。
「白銀、続けろ!」
今度は右へ。《ビームガンソード》を半身で抜く。
刃の根元に、わずかに熱が集まる。
でも、止めじゃない。狙うのはワンドの“柄”。
手から落とせば、紫乃先輩は撃てない。
刃が、光のリボンを切り裂く――
その瞬間、僕の足首を、冷たい指先が掴んだ。
「っ!」
影だ。
舗装路の黒が僕の足首を噛んでいる。
《ミラージュ・エクリプス》の終端。
影から現れた爪が、足の可動を一瞬止めた。
ほんの刹那。
それだけで、刃の軌道が、ほんの一本分の幅だけ遅れる。
遅れた刃は、ワンドの柄のわずか横――
クリスタル先端の金属リングを、綺麗に斬り落とした。
星のような音を立て、リングが床に跳ねる。
「――ふふっ」
紫乃先輩の笑い声は、後ろに大きく跳躍する。
「はくや、またね」
足首の感触が消え、影は煙のように散った。
篠原先輩は、もう別の場所にいる。
上を見ると、蒼い翼がひとつだけ震えている。
御門先輩の六翼のうち一枚に、薄いノイズの筋が走っていた。
「御門先輩――」
「問題ない。翼は六枚ある。五枚でも空は取れる」
言葉の通りに、蒼天の皇は傷を誇示するみたいに高度を上げた。
翼の影が、地上の僕を長く撫でる。
その影に守られていることを全身で感じながら、僕は肩の息を一つ吐く。
(この戦い、ここからだ)
紫乃先輩のティアラに、また新しい色が灯る。
篠原先輩の影は、次の影を探して薄く伸びる。
御門先輩の六翼は、傷を計算の中に置き換えて新しい軌道を描き始める。
僕は、十手と剣の重さを確かめて、膝を沈めた。
白い息のような熱が背から立つ。指先の震えは、もう怖さじゃない。
終わらせるための震えだ。
「白銀」
御門先輩の声は、空の色をしていた。
「まだ、序盤だ焦るなよ」
「――はい」
仮想都市の風が、四人の間で絡まって、ほどけて、また絡まる。
心臓の鼓動が、アリーナの低音と重なる。
開幕の迷いは、もうどこにもない。
*
――戦場は、完全に混沌の色を帯びていた。
街の空気は焼け焦げ、ビルの影が黒い煙のように揺れている。
白いビルの谷間に、ひと筋の亀裂が走った。
それは光ではなく、影が歪んだ軌跡――。
「――来る!」
御門先輩の声よりも速く、僕の背中のセンサーが赤を点滅させる。
反応するより先に、世界がねじれた。
空気が“抜ける”音。
そのすぐ後ろを、黒緑の残光が通り抜ける。
《ミラージュリザード》――《オプティカル・フェイズ》発動。
姿が透けたまま、右腕のスモークブレードが軌道を描いてくる。
(速いっ――!)
気づけば黒緑の残像が三つ、滑るように《ハクロ》を取り囲む。
三体とも実体のように見えるが、どれも幻。
《ミラージュリザード》のスキル《シェイドブリッツ》。
分身の速度と残光が本体を覆い隠す。
「どれだ……」
僕の視界を覆うのは、ちらつく影と歪んだ輪郭。
どこが“本当”の篠原先輩か分からない。
感覚が、まるで深い霧の中に沈んでいくようだった。
そのとき、
――背後から、刃の軋む音。
「そこだッ!」
反射的に振り返り、十手を横に払う。
金属音。弾かれた刃が火花を散らす。
しかし衝撃の向こうにいた《ミラージュリザード》は、透けていた。
またも偽物。
本物は、真上――。
「《神速》ッ!!」
背中のスラスターを最大出力。
白い炎が噴き上がり、空気が爆ぜる。
上から降りてくる黒い影を、真横から切り裂くように突き抜けた。
光が一瞬遅れて追いつき、斬撃の軌跡を白くなぞる。
空中で爆ぜた閃光の中、影がねじれ、黒緑の装甲が弾けた。
「ぐっ……!」
黒緑の光が弾け、透明だった篠原先輩の機体が実体化する。
《オプティカル・フェイズ》が破られた。
篠原先輩の声が、歯噛みするように低く響いた。
機体のクロークが焦げ、マント状の膜が破けてひらひらと落ちる。
「……っくそ。おまえも強くなってんじゃねぇかよ」
その声に、どこか嬉しさが滲んでいるような気がした。
「まだだ、《リフレクト・スモーク》!」
影が爆ぜ、灰色の煙が一帯を覆う。
視界が潰れ、レーダーも狂う。
だが、それはもはや防御のためではなく、敗北を先延ばしにするための薄い霧だった。
ただし、その灰の中を貫く蒼の閃光だけは止まらない。
「――上空、照準完了。とどめは任せるぞ」
御門先輩が、冷静に告げた。
《スカイチェイス》発動。
上空でスパイラルを描いていたミサイル群が、突然軌道を反転させる。
煙幕の中へ、流星の群れのように突っ込む。
篠原先輩の悲鳴が、ノイズ混じりに響いた。
「あんたがいたら負け確じゃねぇか……!」
爆風が膨らむ。
ビルの窓が砕け、光が霧の中を貫いた。
灰が散り、沈黙が降りる。
煙が少し晴れたとき、《ミラージュリザード》は満身創痍だった。
「とどめはもらいます!」
光が走った。
黒い爪が折れ、リザードの胴体を横一文字に切り裂く。
時間が一瞬、止まったようだった。
篠原先輩の機体が、煙の中で沈黙する。
静寂のあと、黒い外装がゆっくりと地面に崩れ落ちた。
装甲が光を反射して消滅エフェクトを残し、そこにただ、篠原先輩の呼気だけが残る。
「……悪かったな」
篠原先輩の通信がノイズ混じりに届いた。
ノイズが途切れ、通信が途絶えた。
敵影、消失――《ミラージュリザード》撃破。
模擬戦仕様です!
機体名 : ハクロ
型式番号: EID-HKR-04(プロトタイプ)
コア : マーブルコア(ハクロ)
---
部位 :
頭(試作型高性能センサー付全方位視覚サポートモジュール)
/右(ビームガンソード(側面にビームガンが付けられた片手持ちの剣))
/左(十手型サポート装備(打撃・ビームを逸らす等の機能が詰まっている))
/脚(エアリアルスラスター脚部)
/背(ジェットパック・ブースター)
---
主要数値:
全高:185 cm
重量:210 kg
稼働:17 分
【挿絵表示】