すべての愛を、君に   作:北野ゆめおんな

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 丸くて巨大な白い機械が、天井の照明に鈍く反射している。

 表面はつるりと無機質で、中心の円形の穴がぽっかりと口を開け、私を待ち構えているように見えた。

 

 ウィーン、と低く唸るような機械音が響く。すぐに自分の心臓が、ドクドクと速く打ち始める。鼓動が音にかき立てられるみたいで、余計に胸の奥がざわついた。全身の毛が逆立ち、筋肉がひきつる。気づけば手足が小刻みに震え、台に打ち付けられた金具がガチャガチャと音を立てる。

 そこで思い出してしまう。私は今、両手両脚を台に固定されているのだと。拘束という言葉が頭の中で重く響く。逃げられない。どこにも。

 

 

『フレイヤさん、落ち着いてください』

 

 

 頭上ーー天井の向こうから、くぐもった検査員の声が降ってきた。

 分かってる。落ち着かなくちゃ。深呼吸をしようと胸を膨らませるが、逆に息が浅くなってしまう。喉がきゅっと締まり、酸素が入らない。

 

 ゆっくりと、台が動き始めた。円形の穴の向こうから、冷たい光が差し込む。真っ直ぐな光の筋が、頭の先から足先へと走り抜ける感覚がする。

 ぎゅっと目を瞑る。まぶたの裏に、光の輪が焼き付く。自分の中身を覗かれているようで、全身の毛穴がひやりとする。知らない何かに弄られてしまうのではーーそんな恐怖が胸を締め付けた。こわい、こわい、こわい。

 

 

『次の工程に移ります。同行お願いします』

 

 

 声に反応して目を開けると、いつの間にか四人の人影が台の横に立っていた。

 防護服に全身を覆われ、顔も性別も判別できない。まるで異星人のような存在感。

 ーーまだあるの? そう問いかけたいのに、喉が固まって声が出ない。ただ小さく頷くだけ。

 

 何台もの機械に出たり入ったり、座らされたり、動くことを制限されたり。数えるのも諦めるほど繰り返された。何をされているのか、見当もつかない。もしかしたら、身体の奥の何かを抜き取られたり、すり替えられたりしているのかもしれない。そんな荒唐無稽な想像すら、今の私には現実味を帯びて思える。

 

 でもーーここに来ると決めたのは私だ。

 

 そう思うと、足を踏み出す力がわずかに戻る。台から飛び降り、歩き出す。すぐに左右と背後に、それぞれ一人ずつがぴたりとついた。四人もいるのは、私が逃げないようにするためなのだと、すぐに察した。

 

 逃げたい。だけど、逃げない。

 

 それでも、この配置は「逃げ場はない」と突きつけられているようで、胸の奥の心臓がまた早鐘を打つ。

 

 一つの小部屋に案内され、椅子に座らされる。全面がガラス張りだが、その奥はなぜか見えない。

 頭上には黒光りする奇妙な機械が吊るされている。その形は、獲物を狙う猛禽類の目のようでもあった。

 

 

『フレイヤさん、首飾りを外してもらえますか?』

 

 

 黒い機械から、先ほどと同じ声が響いた。

 

 首飾りを……外す?

 

 思わず首元に触れる。かしゃり、と小さな金属音が毛並みの奥から鳴った。窮屈ではないが、肉体に吸い付くようにぴたりとフィットしている。今の私の首は、前のフレイヤより一回りも二回りも細いはずなのに、不思議なくらい緩みがない。

 

 

「にゃあ……(むりよ、外れない)」

 

『フレイヤさん、外してください』

 

「にゃあ!(無理だってば。外れないのよ)」

 

 

 返事をしても、人間たちには意味が伝わらない。ただ、横に立っていた検査員の一人が、無言で手を伸ばし、私の体を押さえつけた。

 

 

「失礼します」

 

「に"ゃあ!!(っ……ちょっと!)」

 

 

 隣に立っていた検査員が、不意に私の首飾りへ手を伸ばした。防護服越しの無骨な手が、無理やり留め具を探る。

 

 

「少し手伝ってくれ」

 

 

 別の検査員が低く言い、もう二人が加わる。四方から首飾りを掴み、上へ、横へと力を込める。金属が軋む音と、自分の毛が逆立つ感覚が同時に襲いかかってきた。

 

 

「やめて、やめてよ……!」

 

 

 声が裏返る。恐怖と緊張で体力はすでに底を尽きかけていたのに、その上に突然の圧迫。パニックが一気に膨れ上がり、呼吸が荒くなる。

 外し方なんて、私にも分からない。引っ張っても肉がよじれるような痛みはなく、たぶん方法がまったく違うのだろう。けれど、そんな冷静な説明をする余裕はなかった。

 

 この首飾りは、フレイヤが神の座を私に譲る時に授けたものだ。

 ーーもし、これを奪われたら?

 

 胸の奥に、黒い恐怖がじわりと広がる。顔も見えない、何者かも分からない人間たちが四方から迫ってくる。その包囲の中で、大切なものを剥ぎ取られそうになっている。

 ほんの少し前までただの女の子だった私には、その状況があまりにも残酷だった。

 

 

「お願い……もうやめて……」

 

 

 必死に言葉を搾り出す。声がかすれ、涙が滲む。

 

 なんて情けない。自分から着いて行くと決めたくせに。スティーブに手を出さないという条件で、私はここまで来た。それなら逃げられない、逃げない。

 ただ……せめて、少しだけ落ち着く時間がほしかった。

 

 その瞬間だった。

 

 

「……!」

 

 

 視界が一瞬暗転し、脳内に断片的な映像が押し寄せてきた。

 

 杖を掲げる、角の生えた頭飾りの男

 眩く光る四角い何か

 爆風に吹き飛ばされ、車の上に叩きつけられるスティーブ

 青白い光を放つ戦闘機

 空を駆ける赤と金の甲冑のロボット

 黒い影を殴り飛ばす巨大な緑の怪物

 稲妻を迸らせる、ハンマーを握った男

 

 それ以上に、もっとたくさんーー映像が次々と雪崩れ込み、思考が追いつかない。頭の中が真っ白になり、呼吸も止まったように感じる。やがて少しずつ、現実の視界が戻ってきた。

 

 ーーガラスが、割れている。

 

 前面の強化ガラスに放射状のひびが走り、その破片が床に散らばっていた。

 

 周囲を見渡せば、防護服の四人が四隅に吹き飛ばされ、うめき声を上げながら動けずにいる。

 

 今、何が起こったの……?

 分からない。分からないけれど、こわい。胸が凍りつく。

 

 足元から力が抜け、そのまま前へ倒れ込む。

 床が冷たい。硬い衝撃が全身を走るが、それよりも恐怖が体を支配する。膝と腕を抱え込み、丸くなって震える。

 

 震えの理由は痛みではない。

 ーー恐怖だ。

 

 自分の力が、怖い。

 人を傷つける力を持ってしまったことが、怖い。

 そして、それを自分で制御できないことが何よりも恐ろしかった。

 

 

「フレイヤ!」

 

 

 温かい手が私を掬い上げる。手繰り寄せるようにして抱きしめ、落ち着かせるように柔らかく私の毛並みを撫でる。

 

 

「大丈夫、大丈夫だ」

 

「トニー……?トニー」

 

「あぁ、私だ。もう怖くない。君がいると聞いて驚いた」

 

 

 見知った彼の顔を見た途端、全身を縛っていた緊張の糸が、一気にほどけていく。けれどもそれと同時に、彼がここにいることを素直に喜べなかった。胸の奥に、小さな悔しさが灯る。

 

 

「どうしてここに……あなたも、捕まってしまったの?」

 

 

 ここは、良いところではない。たった今、嫌というほど思い知らされたばかりだ。

 

 トニーは眉をわずかに上げ、驚いたように私を見つめる。その視線の意味が分からない。初めて会った時ならまだしも、どうして今そんな顔をするのだろう。私は力なく首を傾げた。

 

 

「……スティーブ・ロジャースはどうした?」

 

「スティーブ……彼なら家にいるはずよ。彼に何もしない代わりに、私が来たの」

 

 

 トニーの眉間が深く寄る。どうして、そんなに怖い顔をするのだろう。

 

 

「スターク、ここは関係者以外立ち入り禁止のはずだが?」

 

 

 その時、不意に背後から低い声が落ちた。ニック・フューリー、この施設の怖い人。

 

 片目の奥に沈んだ光が、こちらを値踏みするように見ている。その存在感だけで、胸の奥が冷たくなる。

 

 きっと私が抵抗して、防護服の人たちを吹き飛ばしてしまったから、彼が来たのだ。怖い。それでも、向き合わなきゃ……そう思うのに、足はすくみ、トニーの腕から離れたくない。

 

 

「どういうことだ?フューリー。彼女に、何をした?」

 

「君に教える義理はない。スターク、君はこの件に関しては部外者だ」

 

 

 二人の視線がぶつかる。火花の代わりに、言葉の棘が飛び交う。トニーは肩越しに私を庇い、フューリーは低い声で淡々と返す。

 

 トニーも、この人と知り合いだったらしい。あまり仲がよさそうには見えないが、それがかえって私を安心させた。彼が味方であってくれることが、私の緊張をまた解きほぐしてくれる。

 

 

「部外者は君たちだろ。彼女の力をまるで理解していない」

 

「まるで自分は理解しているとでもいうような口ぶりだな」

 

「まさにしようとしてた。それを君らが邪魔したんだろ。私以上に理解しているというのか?」

 

「だから我々も、理解しようとしているのだよ」 

 

 

 ちゃんと、止めなきゃ。そう思っているのに、私はただトニーが私のために声を荒げるのを感じて、情けないほど安堵していた。彼の存在が、恐怖で跳ねていた鼓動を少しずつ静めていく。

 

 力の入り切らない手で、トニーのシャツをそっと引っ張った。

 

 

「トニー、ありがとう。もう大丈夫よ」

 

「フレイヤ……嘘はつかなくていい。君がこんなクソ検査受けなくても彼は傷一つつけられん」

 

「怖いけど、ほんとうに大丈夫よ。さっきはちょっとパニックになっちゃったけど……それに、私も私にちゃんと向き合いたいから」

 

 

 私の言葉に、トニーはじっと目を細めた。半分は本当で、半分は強がり。それを見抜かれている気がする。だから、これ以上話していたら、弱音を吐いてしまうだろう。

 

 フューリーは片眉をわずかに上げて、無言でトニーに退席を促す。

 

 トニーはなおも眉間に皺を寄せ、私から視線を外そうとしない。

 

 

「……何かあったら、私の名前を呼べ」

 

「ありがとう。トニーが来てくれてよかったわ」

 

 

 怖い顔をしている彼の首に、巻きつけるように抱きついた。トニーの腕がわずかに動き、そしてゆっくりと私を床へ降ろす。

 

 本当はまだ行かないでほしい。検査の間、横にいてほしい。「大丈夫だ」って何度でも言ってほしい。でもーーううん、しっかりしなきゃ。

 

 部屋を出る直前、トニーがフューリーに顔を寄せ、何か低く言った。

 

 その背中が遠ざかっていく。視線で追いながら、胸の奥に冷たい穴があくような感覚が広がる。

 

 だってトニーがいなくなれば、この部屋には私とフューリー、二人きりになるのだから。

 

 

「スタークやロジャースとは随分と気が合うようだな」

 

 

 フューリーが低い声で話しかけてくる。全身の毛が逆立つのを感じた。自分の発言一つで、彼らの処遇が決まってしまいそうで、おそろしかった。

 

 

「二人ともは私の恩人なの。手は出さないで」

 

 

 きっと睨みつけるのに、フューリーはまるで動じない。

 

 

「私たちは敵ではない。ヒドラとは異なるのだよ」

 

「でも、味方でもない。そうでしょ?その点ではヒドラと同じだわ」

 

 

 フューリーは肩をすくめる。

 

 

「我々は正義のヒーローとも異なる。彼らは、そうだろうがな」

 

「スティーブとトニーのこと?」

 

「気になるか?」

 

 

 まるで試されているような気分だ。それでも、たった二人の知り合いだ。トニーがここにいる理由だってまだ分かっていない。

 

 私がさっき見た映像のようなものと、何か関係があるのだろうか。頭に大量に流れ込んできたあれだ。あの中にはスティーブもいた。夢なのか過去なのか現実なのかすら分からないが、ただの妄想だと片付けるのはお粗末なように感じた。

 

 

「では、残りの検査を終わらせろ。その後、面白いものを見せてやる」

 

 

 素直に頷くと、フューリーはほんの少し口角を上げ、そう言い放った。

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